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アークライセンス  作者: 植伊 蒼
第6部‐彼と彼女の心の距離は‐
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34:『朝を迎えて』

 床に座り込んだまま椅子の足に背中を預けていた飛鳥の身体が、ゆらりと揺れる。

 浅い眠りが飛鳥に夢を見せることは無かった。自分が眠っていたことさえ曖昧だった彼は、自らの肩をゆすられる感覚に少し遅れて目を覚ました。

「ん……?」

 鬱陶しそうに喉を鳴らす飛鳥は、瞼の隙間から差し込む光に顔をしかめながら、ゆっくりと目を開いていく。

 片手で目を擦り視界を覆っていた靄を払って、飛鳥はきょろきょろと周囲を見渡す。

「おはよ、アスカ」

「うん?……ああ、泉美か」

 そこでやっと自分が学校に泊まっていたことを理解した飛鳥は、後ろを振り返らずに声の主を言い当てた。

「ぅあ゛~……」

 渇いた喉からうめき声のような音を響かせて、その場で伸びをしようとする。だがどうやら眠っていた姿勢が悪かったからか、身体は鋭い痛みを発するばかりでちっとも動いてくれない。

「うぇ、いてててて」

「ちょっと、大丈夫?」

「大丈夫……じゃない、身体ガッチガチで超痛い」

 あとはやはり、喧嘩をしたときに無理な体の動かし方をしたというのもあるだろう。あちこちの筋肉が張っていて、関節を少しでも動かそうとすると、どこかしらにビキビキと嫌な痛みが走る。

「あー、どうっすっかなこれ」

 首を動かすのがせいぜいの現状はなかなか面倒なものだ。ストレッチをしようにも、曲げた足を伸ばすこともできないし、逆に伸ばした足を曲げることもできない。ようするに立つことすらままならないのだ。

 彼が途方に暮れていると、背中を預けていた椅子に寝そべっていた泉美が、後ろから上着を差し出してきた。

「これ、あんたの?」

「ああ、うん。一応」

「そっか。……じゃあ、この椅子と髪止めも?」

「おう。髪止めの方はまぁ、寝る時は普通外すもんかなって」

 そう言って飛鳥が頷くと、泉美は何か言いたげな表情を浮かべたものの、結局黙ったまま飛鳥の上着を彼の頭にひょいと被せた。

「わぷっ」

 唐突に視界を遮られた飛鳥が驚いた声を上げる。とっさにそれを取っ払おうとして、案の定腕にビキリと痛みが走った。

 痛みというより苛立ちから顔をしかめて、飛鳥は仕方なく首を前後に振って上着を膝の上に落とした。

「っていうか、なんでアスカは床で座ったまま寝てたわけ? 自分も椅子並べればいいじゃない」

「椅子は5個だけ置いて、残りは全部教室から出してるだろ。あと疲れててそんな余裕なかったんだよ」

「疲れてたって……」

 呆れたように呟いて、泉美は椅子の上に横たえていた身体を起こす。

 飛鳥が顔を歪めながら小刻みに動かしていた腕を、小さくため息をついてから持ち上げた。

「いつつつつ……、な、なにしてんだ?」

「動かせないんでしょ? ストレッチ、手伝ってあげる」

「お、おう。サンキュ」

 いきなりの申し出に戸惑った様子になる飛鳥だが、ありがたい話ではあったので頷いておいた。

 掴まれた腕がぐいと上に上げられる。自分で力を入れていないからか、それほど酷い痛みは感じなかった。

 凝った肩の筋肉が腕の動きを阻害するのを、泉美は力を入れて押し返す。

「いっつ」

 今度は逆の腕を掴んで、先ほどと同じように後ろ側に引っ張る。

「うぐぉ……」

 さらに両腕を持って、それぞれを上へ下へと交互に振らせたり、前後ろにと乱雑に引っ張ったりしていく。

 そのたびに飛鳥が愉快なうめき声をあげるせいで、泉美は笑いをこらえるのに苦労する羽目になっていた。

 黙ってぐいぐいと飛鳥の腕を引っ張っていた泉美は、ふと口を開いた。

「あんた、昨日何やってたの?」

「何やってたって……別に、何も。お前が寝た後に残った作業を片付けて寝ただけだよ」

 腕を動かされるたびに軽く顔をしかめながら、飛鳥はそっけない態度でそう答える。

 普段なら泉美もそれで引き下がっただろう。

 しかし握っていた飛鳥の手を離した泉美は、彼の肩を掴みながら迷わずこう言った。

「嘘だよね」

「なんでさ」

「頬、少し腫れてるから。何かあったんでしょ?」

「えっ」

 飛鳥は驚いた様子で、慌てて手を頬に触れる。途端、熱のような鈍い痛みがじわりと頬全体に広がった。

 どうやら腫れているというのは間違いないのだろう。言い逃れはできなさそうだ。

 飛鳥は諦めてゆるゆると首を横に振ると、数秒言葉を選んでからゆっくりと口を開いた。

「まぁ、美倉のことでさ。……知ってそうな奴から話を聞いてきたんだ」

「それで?」

「その時に……あー、ちょっと、喧嘩になってさ。それで、な。それだけだよ」

 嘘をつけずに、飛鳥はそんな曖昧な返答を返すことしかできなかった。

 飛鳥が口をつぐんでしまうと、その場には沈黙が残った。何を思っているのか、泉美は相槌すら打たない。

 まだ、言葉を待っているのだろうか。

「…………」

 どうしても後ろを振り返れず、ただ口を結んでいた飛鳥。

 しかし昨晩に九十九から聞いた話は、飛鳥の口から告げるより他なかった。

「ばれてたよ。やっぱり」

 一瞬ほど瞑目して、意を決した飛鳥は続ける。

「俺達が何やってるかも、たぶん、いつからそれをしてたかも、美倉はもう知ってる。……それと、お前が元々どこにいたかも」

「そっか。……あたしのことも、か」

 何を想い、何を考えているのか。抑揚の無い泉美の口調からは、それを読み取ることはできなかった。

「……ごめん」

 顔を俯けて、絞り出すような声で飛鳥は呟く。

 もう何度目かもわからない、謝罪の言葉だ。もはや意義も薄まっているだろうか、今の飛鳥には、他の言葉を発する権利など無いようにすら感じられた。

 トン、と。彼の背中に、両肩を握ったままだった泉美の額が押し当てられる。

 何か伝えようとしていて、それが言葉にならないのだろうか。

 飛鳥がそんな風に邪推した直後、泉美がぐりぐりぐりぐり! と額で飛鳥の背中を抉り始めた。

「いっだだだだだだだだだだだだだだだだだだぁァア!?!?!?」

 いきなりすぎる激しい痛みに、飛鳥はとんでもない表情を浮かべながら、窓ガラスが震えるほどの盛大な叫び声をあげる。

 間違いなく放送コードに引っかかっているだろう顔をすること十数秒、やっと泉美のドリル頭突きが終了した。

「お……おふぁ……」

 完全に涙目になって呻く飛鳥。その肩を、泉美は勢いよくバシンと叩いた。

「あんたが謝んなっ!」

 泉美は強く掴んだ飛鳥の肩を思いきり捻って、今度は足の痛みに顔をしかめる彼を無理矢理振り返らせる。

「ね?」

 目があった飛鳥に、泉美は強がりを振りしぼり微笑んで見せた。

「…………ああ」

 実際には、何も解決などしていない。

 それでも飛鳥は救われたような気がして、だから彼も目を逸らさずに頷くことができた。

 奇しくも見つめ合って動きを止めたようになった二人。

 その直後、

「おっはよーございまひゃっほー!」

 バアァン! と凄まじい勢いで閉じられていたスライドドアが横に吹っ飛んだ。

 朝であることを疑いたくなるほどのハイテンションで教室へと突撃してきたのは、ニヤニヤニヤニヤとこれ以上ないほどに不快な笑みを顔に張り付けた篠原だった。

 彼は教室に突入した勢いのまま、飛鳥達の元へやってくると、殊更いやらしい笑いを浮かべた。

「なんだよなんだよお前ら、昨夜はお楽しみでしたねって奴か?」

「は?」

「あっ」

 訝しげに眉を寄せる飛鳥と、何かに気付いたように目を見開く泉美。

 篠原の方に向けていた飛鳥が前に顔を向け直すと、顔を真っ赤にした泉美と目があった。

 なるほど、確かにそのつもりで見ればキスする寸前に見えなくもないだろう。

「いや、そういうんじゃ……」

「わああああ!!」

「どわッ!?」

 飛鳥がその事実に思い至って否定しようとした瞬間、泉美が彼の肩を勢いよく突き飛ばした。

 当然ほとんど加減無く吹っ飛ばされたのに耐えられるわけもなく、飛鳥は床に背中をしたたかに打ちつけた。

 ついでに後頭部まで打ちつけてしまった飛鳥は、何度目かの涙目を浮かべながら、天井に向かって嘆く。

「これ理不尽じゃね……?」

「ふんっ」

 鼻を鳴らして、そっぽを向いた泉美は手早く下ろしていた髪をポニーテールに結い始める。

 愚痴もほどほどに一つ息を吐いて、よっこいせと飛鳥は身体を起こした。

 ストレッチをしたり背中を抉られたり突き飛ばされたりでいつの間にか身体がほぐれていたのか、あまり痛みは感じなかった。

 チラリと泉美の方を窺うが、彼女は明後日の方向を向いたまま飛鳥には目もくれない。ある意味仕方のないことだろうが。

 まぁいいか、と飛鳥は傍らで立っていた篠原を窺う。

「つかお前早くないか?」

「うん。本郷さんが自由な時に、少しでも練習しておこうと思ってさ。他の舞台に上がる奴らもすぐ来ると思うぜ。ついでに大道具の奴も。それとこれ、差し入れ。どうせ朝食ってないだろ?」

 篠原は手に持っていたコンビニ袋を、床に座り込んだままの飛鳥に差し出した。中身はペットボトルの緑茶が2本にあとは適当なおにぎりやパンという、ザ・コンビニといった朝食セットだった。

「お、サンキュー」

「当り前だけど、本郷さんのでもあるからな」

「わーってるよ」

 飛鳥は受け取ったコンビニ袋の中身から、適当に自分の気に入った物を引っ張り出して、残りを袋ごと椅子に座った泉美に放り投げた。

 さっそく適当に一つを頬ばっていると、腰をかがめた篠原がこう尋ねた。

「背景の修理はもう終わったのか?」

「んぐ……。おう。日は跨いだけど、なんとか終わらせたよ」

「そうか。それじゃ大道具の奴らが来たらチェックして、すぐに講堂に運べるな」

「なんだ、そんなに急がないとだめなのか?」

「久坂に訊いておいたんだよ。あいつ生徒会だろ? そしたら今日の開場の前に講堂に搬入しておいてくれってさ」

「ああ、そういうこと」

 飛鳥は得心したと頷いて、もう一度握っていたおにぎりに噛みついた。

「ま、これ食い終わってからだな」

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