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アークライセンス  作者: 植伊 蒼
第6部‐彼と彼女の心の距離は‐
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32:『激情、その手に』

 講堂の鍵を持って屋上へと向かった飛鳥は、すっかり暗くなった廊下と階段を進み、最上階のさらに上、立ち塞がる重いドアを押し開けた。

 金属の軋む耳障りな音を立てて、屋上へつながるドアが開くと、冷たい夜風が飛鳥の全身にぶつかる。

 上着を置いてきてしまったのもあって、少しばかり肌寒い。

 飛鳥はそう感じながらも、飛騨の差し入れにあったミネラルウォーターのペットボトルを指先に引っ掛けて、大股で前へと進んだ。

「……来ましたか」

 落ち着きを感じさせる低い声と共に、屋上の柵にもたれかかっていた少年が振り返った。

 いくらか暗さに慣れてきた飛鳥の目に、メガネのレンズが反射した月の光が映り込む。その奥には、生徒会副会長としての柔和さを宿らせた九十九の瞳が見えた。

「すんませんね、こんな時間に。ちょっと手間取ったもんで」

 言いながら、飛鳥はポケットから取り出した講堂の鍵を放り投げた。

「いえいえ、そちらが順調なら何よりです」

 軽く風に流された鍵を、腕だけ動かしてキャッチして、九十九はそれとはっきり分かる愛想笑いを浮かべる。

 もういい加減に深夜と言っても差し障りない時間だろうに、九十九の顔からは疲れの色は見えない。

 対して肉体労働で体力の消耗もあるとはいえ、普段から夜型の飛鳥の方は少し眠気を感じていた。

 少しばかり調子はすぐれないが、それでも目的を果たすことはできそうだ。

「講堂の鍵は、きちんと閉めてありますよね?」

「そりゃまぁ。ちゃんと確認も。……信用ならないなら、そっちで確認してくれればいいんじゃないっすか」

 粗野な口調で答える飛鳥に、九十九は怪訝そうな表情を向ける。

「……いえ、信用しましょう」

 だが飛鳥がリアクションを取らないのを見て取ると、握っていた講堂の鍵をポケットへと押しこんだ。

 二人の間に沈黙が下りた。

 月が照らす黒い空には、灰色に染まった薄雲がたなびいている。

 たゆたう雲が月の半分を覆い隠したとき、彼らの間の静寂を払ったのは、強く吹く夜風ではなかった。

「ところで、話があるそうですが……」

 呟くような声で言った九十九が、すっと眼鏡の縁を押し上げる。その奥から覗く、剣呑さを孕んだ視線が飛鳥の眉間を貫いた。

「ええ、まぁ。……少し、聞きたいことがあったもんで」

 ざわつく校庭の木々達を見下ろしていた飛鳥は、そちらに顔を向けたまま答える。

 何がおかしいのか、小さく笑った九十九が応じた。

「ふふっ、そうですか。……実は僕も、君に聞きたいことがあるんです」

 顔はそむけたまま、飛鳥の視線が九十九へ向かう。掛けていた伊達眼鏡を外した九十九は、閉じていた目を押し開く。

 ギロリ、と視線が交差する。

 二人が口を開いたのは、全く同じタイミングだった。


「あんた、どこまで知ってんだ?」

「てめぇ、どこまで気付いてる?」


 双方が放った言葉が同時に相手へ届き、そして二人は驚いたように目を見開いて、途端に笑い始める。

「…………はははははっ」

「…………くっははは!」

 二人して気の済むまで笑ってから、飽きたように深く息を吐いた。

 飛鳥はまるで酷く簡単な問題をケアレスミスで落としてしまったときのように、苛立った態度で頭をガジガジと掻き毟った。

「はぁーあ、カマ掛けに意味なんてなかったか」

「……どうやら、そうみたいだな」

 外した眼鏡を胸ポケットに引っ掛けた九十九は、軽く肩をすくめて答える。

 もはやいつもの優等生を気取る気もないのだろう。そちらの方が飛鳥としても気楽でよかったが。

「いつ気付いた?」

 脱力した様子で腰の高さの柵にもたれかかって、九十九はそう尋ねた。

「怪しいと思ったのはずっと前だ。5月の辺りだったか、そのとき話した時にはもう、あんたは俺の立場について知っている風だったからな。……ふん、そもそも隠す気があったようには見えなかったんだ。いやいっそ気付かせようとしていたようにも見えた」

「……ほう?」

「今になってみれば、あんたは俺に忠告していたんじゃないかとも思える。ま、だとしてもおかしなものがあるとは感じるけどな。……ただ、最近は違う。そう、2学期入ったころかな?」

 正確には、泉美が転入してきた頃だ。

 すっ、と九十九の目が細められる。ニヤリと口の端を釣り上げて、飛鳥は続けた。

「元々不自然だと思ってたんだ、下手に隠そうとしてるのを見りゃ、逆に怪しいと思うさ。ただまぁ俺はそれだけだな。だからさっきカマをかけてみた。そんで確信に変わった。……逆に、だ。あんたはいつから知ってるんだ?」

「いつ? そんなもの、お前が学園にくるよりもっと前からだ。……一葉が巻き込まれたのは、去年のことだからな」

「そこまで……」

 一葉と九十九は幼馴染だし、人見知りが酷かったころの一葉が唯一心を許していた相手が、ここにいる九十九だったという。知ってしまう可能性自体は、確かにあった。

 少し驚いたがすぐに当然のことだと理解した飛鳥は、どこか試すような鋭い視線を九十九に向ける。

「なるほど。なら、俺がそれに関わってるって知ったのは? そっちは最近だったりすんの?」

「お前の言う最近がどれぐらいの期間を指してるのかは知らんがな。ただ何だ、5月の時点で俺が怪しかったなら、最近知ったってのは噛み合わないんじゃないか?」

 小馬鹿にしたような口調で語る九十九の言葉に、飛鳥は額を押さえて肩を震わせた。

「はははははっ、そりゃそうだよ、何言ってんだ俺。俺が関わってるって知ってなきゃ、わざわざ美倉をけしかける必要なんてないんだし、そりゃあんたはもっと前から知ってたに決まってるよな」

「その通りだな。……ふん。なんだ、やっぱりアスカか」

「ははは…………はぁ……」

 馬鹿な奴だと言わんばかりの目を、ぴたりと口を閉ざした飛鳥が強く睨みつけた。

「――否定しねぇんだな?」

 おおよそ普段の彼からは想像できない、怒気を孕んだ低い声に、九十九の表情が強張る。

 直後、飛鳥の意図に気付いた九十九が痙攣したように頬を釣り上げた。

「……ほう、一本取られたか」

「もう一度聞く。美倉をけしかけたのは、あんたで間違いないんだな?」

「……ああ」

「そう、か」

 両腕をだらりと下ろした飛鳥は、俯いたままギリリと奥歯を噛みしめる。

 腹の底から沸き立つ憤怒を奥歯ですりつぶして、だが御しきれない激情が全身を焦がし、彼の意思に関わらずひたすらに強く拳を握らせる。

 顔を上げた飛鳥は、殺意すら感じさせる強烈な視線を眼前の敵に浴びせた。

「聞きたいことは山ほどある。言いたいことも。……けど今は、この胸糞悪りぃのを晴らさなきゃ話もできねぇ」

 持ち上げた左の拳を、飛鳥は顔の前に掲げた。

「一発ぶん殴ってやるよ……ッ」

 そう言ってから、飛鳥は口元を緩ませる。

「ちょっとした喧嘩だ、付き合ってくれるよなぁ、九十九?」

 応じるように腰に手を当てたまま、ゆっくりと数歩歩み寄ってくる九十九。

「ふん……」

 鼻で笑って、彼はちょいちょいと差し伸べた手の指先を軽く曲げてみせる。

 直後に、屋上のコンクリートに壮絶な衝撃が加えられた。

「――――っらぁぁあアアッ!!」

 飛鳥が固く握りしめた左拳を大きく後ろに構え、全力をもって九十九の元へと駆けだした。

 1秒と掛からず眼前まで迫った飛鳥は、全身を振り回して巨大なハンマーのように、握った拳を九十九の顔面へ叩きつけようとする。

 だが拳が九十九の顔を捉えようとしたその刹那、軽いステップで迫る脅威を避けた九十九が、流れるような動きで飛鳥の足を払った。

 たったそれだけの動作で、飛鳥の身体が宙へ浮かんだ。

「ちっ!」

 軸足を刈られて前に飛び出しながらも、飛鳥は舌打ち一つで冷静さを取り戻し、前転の要領で着地の衝撃を逃がす。

 すべる身体を反転させて、靴底で勢いを殺した飛鳥は、膝立ちのまま九十九を睨みつけた。

 ポケットに両手を突っ込み、つま先でコンクリートをつつきながら、九十九は気だるげに言う。

「まぁ、こんな時間だしな。深夜テンションで喧嘩なんざやるもんじゃねぇ。お前、一発殴るのに何時間かけるつもりだ?」

 見下すような九十九の視線に、飛鳥の頭が沸騰しそうになる。

 だが彼は小さく息を吐くと、手に持っていたペットボトルの蓋をおもむろに開けた。外した蓋を投げ捨てて、中に残った水を頭から被った。

 髪どころか、肩の辺りまでびしょ濡れになる。そこに夜風が吹けば、寒さを超えた冷たさが飛鳥の肌を突き刺していく。しかし同時に、どこかぼやけていた頭がそのショックで一気に目を覚ました。

 水の滴る髪を掻きあげて、飛鳥はゆっくりと立ち上がる。

「風邪引くぞ」

「このぐらいで……」

「ちげーよ」

 濡れた自分の両肩を見ながら言う飛鳥に、九十九は馬鹿にしたような声で答える。

「こんなところで寝たらって意味だ」

「…………」

 飛鳥は黙って右手に握っていた空のペットボトルをその場に放り捨てると、それを勢いよく踏みつぶした。

「言ってくれるぜ」

 飛鳥の顔から表情が消える。

 煮えたぎる激情が、オーバーフローを起こしたように一気に鎮まる。あるいはそれは、バックドラフトを待つ火種のようでもあった。

 ダンッ、と靴底がコンクリートを叩く。

「――シァッ!」

 刹那に肉薄する。

 九十九の眼前で急ブレーキをかけた飛鳥が、ガリガリと靴底を滑らせながら、九十九の顎をめがけ斜め下から右手の掌底を打ちこんだ。

 九十九はそれを見切り、風を巻き込む掌を紙一重で回避する。顎に掌底を掠めながらも、彼はひねる上半身の勢いを乗せて、飛鳥の頬に向け左拳をクロスカウンターの要領で放つ。

「ふっ!」

 飛鳥は空振りに終わった掌底の勢いを押さえこみ、抉り込むように放たれた拳が届く寸前に、九十九の左腕へと右ひじを叩きつけた。軌道の逸れた九十九の手がうなじを引っ掻くのにも構わず、飛鳥は全身を巻き込み左腕を振り回す。

 のけぞる九十九の鼻先をかすめ、しかし空を切る左の拳。

「よっと……」

 続けざまに放たれた左回し蹴りをバックステップで回避して、九十九はそのまま数歩分の距離を取る。

「やるじゃねぇか」

 冷たい笑みを浮かべる九十九の左手首には、一筋の裂傷があった。

 左腕を振るうと同時に、九十九の右腕を掴もうとした飛鳥の爪が引っかかってできた傷だ。

「…………」

 傷口から浅く溢れた血を、親指で拭う九十九。

 飛鳥はその様子を、ひたすらに固く拳を握りしめたまま静観していた。

 轟音が響く。飛鳥が再び九十九へ向けて突進した音だった。

「威勢が良いな!」

 先手を打ったのは九十九だ。

 身をかがめて迫ってくる飛鳥の顔面を正面から踏みつけるように、乱暴に右脚を突き出す。

 空を切り、そして激しく床に叩きつけられる九十九の脚。そのギリギリ横の位置から、飛鳥が獣のように飛びかかる。

 両足のばねをフルに使い、身をかがめていた姿勢から一息に胸の高さまで飛び上がった。

「ぜぇぇえええッ!」

 歯を食いしばったまま、飛び込む勢いで頭を九十九の胸板へ叩きつけようとする飛鳥。

「はっ……」

 理性を感じさせない飛鳥の行動をあざ笑って、九十九は軽く身をひねると同時、左手で下から突き上げるようなボディブローを撃ち放つ。

 飛鳥は空中に浮いたまま、放たれた拳を両手でとっさに受けとめた。だがそれすらも読んでいたかのように、飛鳥の後頭部へと九十九の右腕がハンマーのように叩きこまれる。

「ちぃっ!」

 一瞬意識が飛びそうになる衝撃を受けながらも、飛鳥はとっさに地に足をつけ、九十九の脇腹に肘鉄を撃ちこんだ。

「ぐっ、ふ……」

 苦悶の表情を浮かべ、バランスを崩しながら後ずさる九十九に、飛鳥は再度突撃する。

「調子にッ!」

 ここにきて明確に感情を昂らせた九十九が、接近する飛鳥の脇腹をめがけ右足で横蹴りを放った。風を切る高速の一撃を、飛鳥は走る軌道をわずかに右にずらすことで、本当に紙一枚分のギリギリの位置で回避する。

「ふぅッ!」

 固く握られた九十九の右拳が、顎を抉るようなフックとなって放たれた。

 鋭い曲線を描き襲いかかるその拳は驚異的なスピードで、身をかがめることも、防御さえも間に合わない。

 だから飛鳥は歯を食いしばって、さらに身体を前へと傾けた。

 本能に近い部分が上げた恐怖の叫びをねじ伏せて、決定的なダメージを防ぐため、拳ではなく肘の位置に頭を割り込ませる。

 脊髄反射のスピードで行われる、思考に基づく行動。今の飛鳥の対応は、すなわちそういうものだった。

 これもアークに乗り続けたことによる副作用のようなものだ。

 パイロットの体を動かすイメージを抽出し、それを具体的な動作へと高速変換して出力するアーク。それに長期間乗り続けたことで、飛鳥は自身が浮かべた状況に対応するための漠然としたイメージを、身体の動きに反映させる速度が高速化していたのだ。

 ガツンという鈍い衝撃が飛鳥のこめかみを左から右へと突き抜けた。

 だがそれだけだ。

 進み続ける飛鳥の足を、ほんの少しでも鈍らせるようなものですらない。

「うぅらあああアア!!!!」

 雄叫びを上げた飛鳥は九十九の胸倉をつかみ上げて押しこみ、さらにこの瞬間の九十九の全体重を支えていた左脚を内側から刈り取った。

「なん――――」

 宙に浮いた九十九に覆いかぶさるように、飛鳥は九十九の背中を目一杯床へ叩きつけた。

「がっ、は……ッ!?」

 二人分の体重から生まれる衝撃をもろに受けて、九十九の呼吸が数瞬止められる。

 肺の空気が絞り出され、苦しげに咳き込む彼の胸倉をさらに左手で絞るようにして締めつけると、飛鳥は右腕を後ろへ大きく振り上げた。

 これでもかと引き絞られた右拳がうなりを上げ、苦悶に歪められた九十九の顔、その中心点である鼻っ柱に壮絶な勢いで撃ちこまれる。

 ズドンッ!! と、おおよそ人の体によるものとは思えない強烈な音が響き、稲妻の如き一撃を受けた九十九の鼻から激しく血が噴き出した。

「ぐぅ、あ゛ぁ…………!!」

 激痛にのたうちまわろうにも、上半身を上から完全に抑えつけられた状態にあった九十九は、気が触れたようにデタラメに頭を振り回した。

「………………」

 動けないように九十九の体を押さえながらも、飛鳥はどこか冷めた目でその様子を眺めている。まるで全てを吐きだしてしまったみたいに、感情を浮かべる気力を失ったようですらあった。

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