30:『裏方には裏方の』
飛騨が去ってすぐに講堂に向かった飛鳥達は、そこに着くなり練習を始めた。
既に本来の講堂の使用時間は終了していて、今はここには誰も居ないことになっている。つまり目立ってはならないのだ。
そのため演出も兼ねて、舞台上以外の照明は全て落としてある。真面目に飛騨の首が掛かっているので、飛鳥達としても慎重にならざるを得ないのだ。
奇しくも夜闇に浮かび上がるような姿となった舞台は、どこか幻想的に見えた。
舞台の上では、泉美がせわしなく動き回りながらセリフを紡いでいる。飛鳥はそれを下から見上げていた。
練習開始から、かれこれ1時間ほどが経っている。
彼の手元のケータイには、教室で松田から借りたポータブルバッテリーが繋がっており、投射ディスプレイによって昨日撮影された映像が空間に映し出されていた。その映像と舞台上の泉美を、飛鳥は交互に確認している。
飛鳥のケータイから発される小さな音を頼りに、泉美は秒単位で正確な動きを取っていた。
もはや舞台演技というよりトレースの領域だが、かといって今泉美が演じている主人公の、元担当である伊達の真似をしているわけでもない。
恐らく相当な回数の練習を重ねて、彼女の中ではかなり演技が仕上がっているのだろう。
泉美の全編通しての練習はこれで2度目なのだが、位置取りがより正確になっていることを除けば、細かい動きは1度目とほとんど同じだった。
見てくれる相手も居なかっただろうに、一体どれほど熱心に練習すればここまでやれるのか、飛鳥は呆れ混じりに首を傾げた。
泉美本人は「いざという時のため」と言っていたが、その時が来なければ全く無駄になっていた可能性だってあったのにだ。そもそも伊達が怪我をするということが想定外の事態なのだから、無駄になる確率の方が高かっただろう。
一方で演技指導にはいくらか役立っていたようだが、それだけならここまで詰める必要もない。やはり言葉通り、現在のような状況になった時、クラスの力になれるように彼女なりに手を打っていたということなのだろう。
報われない可能性の方が大きいにも関わらず、この努力を影でやっていたというのだから、彼女の気合には執念じみたものすら感じられる。
やはり実行委員に巻き込んだのは良くなかっただろうか、と飛鳥の頭に後悔がよぎった。
「……いや、違うか。クラスの方に回ってたら、それはそれで自己主張しなかっただろうしな。見る限りクラスの方もみんなモチベーション高かったみたいだし、配役は立候補とその場の勢いで埋まってただろうし。なら……。ま、積極的にやったほうが楽しめるだろ、泉美も」
自分で否定して、飛鳥はゆるゆると首を横に振った。
あまり考え込んでも仕方ない。
そう考えて飛鳥が顔を上げると、舞台の上で動きを止めていた泉美と目があった。
「どうした?」
やや声を張り気味に飛鳥が尋ねると、泉美は舞台の端まで来てから、腰をかがめて答える。
「ここまでどんな感じだった?」
「どんな感じって、またざっくりしてんな。要するに何が聞きたいんだ」
「感想でいいよ。あとは立ち位置ちゃんと出来てるかとか」
飛鳥はあごに手を当てて、数秒考えてから口を開いた。
「立ち位置はだいぶ良くなったよ。まだ動いてる範囲がちょっと小さいけど、それは他の奴とか背景から調整すれば大丈夫だろ。まだ詰めるんなら、一人しかいないシーンを重点的に練習した方が効率いいだろうな。どうせセリフは全部覚えてんだし。あとは演技か……。まぁ上手いのは間違いないんだけど、ちょっと演技過多な気がする。多少棒読みになっても声張らないと、後ろの方とか聞こえないだろ」
「でもちゃんと音は届いてない?」
「当日ここが人で埋まると考えてみ。金払って堅苦しい演劇を見に来てるわけじゃないんだし、全員が静かに見てるとも限らないだろ。それにパイプ椅子だと身じろぎしただけで音が鳴る。観客の数が多いことを考えれば、ある程度の雑音はずっと鳴ってると思っておいたほうがいいと思うぞ」
「それもそっか。うん、ありがと。意識してやってみる」
すぐに舞台の中央に戻る泉美の背中に手を振って返して、飛鳥は再生を続けたままになっていた動画を巻き戻す。
この練習が始まってから、飛鳥はずっとこんな形で泉美のサポートを行っていた。演技にしても立ち位置にしても、自分では確認し辛いのだそうだ。
やっていることは楽な分、細かいところも見るように心がけていた。先ほどの指摘はその結果だ。
練習を再開させた泉美を斜め下から眺めていると、彼の肩がトンと叩かれる。
「隼斗か」
振り返る前に言うと、後ろの人物が肩をすくめる気配がした。
「お前以外ここ来ないだろ」
何を当たり前のことを、と考えながら後ろを振り向く飛鳥。予想通り、ジョークがばれたという風に両手を広げた隼斗の姿があった。
「順調かい?」
「まぁまぁだな。ピンチヒッターってことを考えれば、これで十分だと思う。やり過ぎても浮くしな」
ちなみに演技は控えめに、というのが今回の舞台における泉美の基本方針だった。
声が届き辛くなるというのもあるが、映像にある他の生徒に比べて極端に演技の質が高いせいで、これをそのまま舞台に放り込むとやたらと目立ってしまうのが簡単にイメージ出来たからだ。
主人公なので目立つこと自体は問題ないのだが、不自然な浮き方をするのは観客に違和感を抱かせるだけになる。あくまでクラスの出し物としてのクオリティを求めた結果、飛鳥達は共に演技は控えめにすべきとの結論を出していた。
本職の人間ならば、声の大きさにしてもそうだが、悪目立ちしないように工夫しながら演技の質も高くできるのだろうが、あまり多くを望んでも仕方がない。緊急の場で大事なのは、素早い取捨選択とその正確性だ。
「前に少しだけ見たことはあるけど……。うん、やっぱり本郷さん演技うまいね」
舞台を闊歩する泉美を見上げて、隼斗は感心したように呟く。飛鳥の傍らに立つ彼に気付いた泉美と、手だけで挨拶を交わした。
「ありゃ才能かねぇ。家でも練習はしまくってたみたいだけど、一人であのレベルまで突き詰められるってのは相当なもんだ」
座ったまま、映像と泉美を交互に確認していた飛鳥が答える。
いささか過剰気味であることは置いておくとして、泉美の演技は素人目にも光るものがある。プロ並みなどとふざけたことは言えないが、素人同然の高校生がたった2週間で仕上げた舞台には似つかわしくないものだ。
割と普段から周囲の目を意識しているのも含めて、意外に女優なんかが向いているのかもしれない。
「だけどまさか性別を跨いでまで、本郷さんが主人公をすることになるとはね。少し驚いたよ」
「驚いたか、よく言うよ。っていうか、こんなギリギリで主人公の代役なんてやれるのは泉美ぐらいしかいなかったよ」
どうせ予想していただろうに、と思いつつも、飛鳥は事情を話してみせた。
「それもそうか。いやまぁ、僕もできたけどね」
涼しい顔で言ってのける隼斗に、飛鳥は露骨に嫌そうな顔をする。
「なんだよそれ。なら最初からそう言えっての。なんだ、クラスの方で名前出されなかったから拗ねてんのか?」
「まさか……………………バレるとはね」
「子供か」
ボケも雑ければツッコミも雑い。
何か聞きたいことか、あるいは言いたいことでもありそうだ。そう感じた飛鳥は一旦動画から目を離して、隼斗の方に顔を向けた。
「いやね、どうしてそこまで本郷さんの背中を押すのか、少し不思議に思ったんだ」
飛鳥の意図を察してか、隼斗はポツリと言葉を漏らした。
「あいつとはいろいろあったって、前も言っただろ。何回も同じ話すんのは嫌だぞ。楽しい思い出でもねぇし」
「それは知ってるよ、2度も聞かない。ただどうも、それだけじゃない気がするんだ」
「……っつーか、お前がクラスの方に入ったら生徒会が大変すぎるだろ」
「うん、今思いついたよね?」
「はぁ~、うっぜぇ…………」
肺に残っていた空気を、全部ため息に変えて吐き出した飛鳥。
ガジガジガジガジと髪を両手で掻き毟った飛鳥は、もう一度鋭く息を吐いて、舞台上の泉美を見上げながら呟いた。
「……報われて欲しいんだよ。頑張ってる奴はさ」
ポツリと零れた言葉には起伏が無くて、だからこそ飾りの無い本心なのだと隼斗は感じ取っていた。
「少しでも空いた時間があれば練習してるのは見てた。どう考えたって役に立つ機会なんて多くないし、少なくとも光の当たるような場所にはいなかったのにだよ。それが無駄に終わるのは、なんつーか、どうしても嫌でさ」
「本郷さん、そんなに頑張ってたんだね」
「ああ。だからクラスの奴らにも認められて欲しいって。あんなに頑張ってたんだから、せめて舞台に立てたらいいのにって。自分のことでもねーけど、そんな風に考えてたんだ。…………ちっ、あー恥ずかしい! だから嫌なんだ、こういうこと言うの」
またしても激しく頭を掻いて、飛鳥は喚きながら赤面した顔をぶんぶんと横に振った。露骨に話題を変えようと、飛鳥は改めて口を開く。
「そういやさ、生徒会室で遥さんが休んでるときに、こっちに仕事を回してきたのはなんでだったんだ? あれお前だろ?」
「ああ、バレてたか。……いやなに、会長がやっぱりしんどそうだったから、励ましてもらえればと思ったんだ。でも会長の態度次第じゃ、飛鳥が気を使って一人にしてしまうかもしれないと思ったから、少し小細工をさせてもらったというところさ」
「それで買い出し押しつけた訳か。確かに俺なら手伝うに決まってるからな。ったく……」
「だけどそれで良かったよ。戻って来た時は、会長はずいぶん晴れた顔をしていたから。……少し君に嫉妬してしまう。僕には出来なかったことだからね」
いつもの柔和な笑みで、隼斗は静かにそう言った。
けれど飛鳥には、その目にいろいろな感情がごちゃ混ぜになっているのが見えて、ああそうかと得心した。
「お前、遥さんのこと……」
「アスカと同じだよ。だから会長には少しでも元気になってほしかったし、早く悩みが解決してほしかったんだ。たとえ、それが自分の力じゃなくたって、さ」
「そっか」
間を置かない隼斗の答えが、思った以上にすんなりと腹に下りてくる。明確な言葉として聞いていたわけではなかったが、それでも頭のどこかで理解していたのだろう。
だからここでは、返した3文字の言葉以上のことを感じなかった。
隼斗は笑う。
「成功してほしいね、この舞台」
「するさ。みんな頑張ってる、だからきっと大丈夫だ。……それに俺達が今更クラスに出来ることなんて、それこそ祈るぐらいしかないしな」
「たしかに、出来ることをやってしまえば、あとは本番に活躍する人達次第ではあるね。だけど僕らには、この文化祭そのものを作る役割がある」
「裏方には裏方の活躍の場があるってことか」
「きっとライトに照らされる舞台の上じゃあないけどね。でも、報われないなんてことはない。……頑張ろう」
「おう」
コツンと拳を突き合わせて、飛鳥達は頷き合った。
「それと」
隼斗はおもむろに拳を開くと、そこに握っていた鍵を飛鳥の手に渡した。
「講堂の鍵だ。守衛さんが見回りを始めるのは10時過ぎからだから、それまでにここから出て鍵を閉めておいてくれ」
「あいよ。んで、この鍵はどこに返しに行けばいい?」
「実は他にも今日学校に泊まることになっている団体があってね。まぁそっちは許可を取っているんだけど。とにかくその関係で副会長が今日は残ることになっているから、鍵は彼に渡してくれればいい」
「九十九先輩……か。了解、んで場所は? どこで渡せばいい」
「別に明日でもいいけど、今日中に返すようにするかい? 生徒会室でもいいし、面倒なら取りに向かう用にお願いしてもいいけど」
渡された鍵を握りしめて、飛鳥はしばし沈黙する。少し考え事をしている様子を見せてから、飛鳥はおもむろに口を開いた。
「なら午前1時に屋上に来るように頼んでおいてくれ。それぐらいには修理も終わってると思うから。……少し話があるんだ」
「…………わかった、そう伝えておくよ」
一瞬沈黙していた隼斗の表情で、何か知っているのだと飛鳥は察した、
それだけで、飛鳥は自分の予想が正しいのだと確信する。同時に隼斗も、飛鳥が何を考えているのかを察したことだろう。
だが隼斗は何も言わず、飛鳥に背中を向けた。
「それじゃ、僕はこれまでだ。あとは頑張ってね」
「ああ、お疲れ」
「また明日」
軽く手を振って、隼斗は講堂から去って行く。
舞台の上で光に照らされた泉美の足音だけが、残された広い暗闇に響いていた。