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アークライセンス  作者: 植伊 蒼
第6部‐彼と彼女の心の距離は‐
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27:『今がその時』

 クラスのリハーサルまでにはまだ少し時間がある。

 一旦教室に戻った飛鳥達は、既に教室で待機していたクラスメイト達と共に、伊達を車椅子に乗せて救急車が待つ公園まで連れて行った篠原と飛騨を待っていた。

「…………」

 今やれることはひとまず全てやった。いずれにせよ、居残りの件を含めて飛騨の判断を仰がなければならない。

 美倉を追って行った泉美はまだ戻ってこない。講堂搬入口の方に戻るのとすれ違ったとするなら、彼女の方から連絡があるはずだ。今はまだ美倉を探しているか、あるいは美倉と話をしている最中だろう。

 隼斗はかなり余裕の無い中無理矢理に時間を作ってくれていたらしく、車椅子に乗った伊達を見送ってすぐ生徒会の仕事へ戻った。あとでまた連絡するとは言っていたので、こちらは気にしなくて良さそうだ。

 いずれにせよ、リハーサルまでする事が無い状況は変わらないのだが、事態が事態だからか、コチコチと一定のリズムを刻む時計の音が酷くもどかしかった。

 チラリと視線を向ければ、骨組みが破損した背景がある。

 外からでは足部分が折れたことしかわからなかったが、どうやら中の骨組みの一部も折れている部分があったらしい。そちらの修理に手間がかかりそうだとは聞かされていた。

 本当なら今すぐにでも取りかかるべきなのだが、そう簡単に気持ちを切り替えられる人間ばかりでもないだろう。とにかく状況を整理するためにも、飛騨には早く戻ってきてもらいたかった。

 この時ばかりは、ぼんやりと窓の外を眺めていられる桐生のマイペースさがうらやましい。詳しい話は聞いていないようだが、骨組みの破損した背景にこの場の空気。ぼんやりとでも状況を察する事はできるだろうに、その上でも彼女はいつも通りだった。

 無駄に過ぎる時間に、飛鳥が苛立ちまぎれに床を上履きのつま先でコツンと叩く。そのとき教卓側のドアが音を立ててスライドした。

 入って来たのは篠原と飛騨、どちらも深刻そうな表情には見えなかった。

「どうでした?」

 扉近くに立っていた飛鳥が、手っ取り早くそう尋ねる。飛騨は軽く首を横に振った。

「錦先生が言っていたことと同じだな、ねんざや打撲ではなさそうだ。軽くだが、足首の骨が折れている可能性が高いらしい」

「他には?」

「他?……ああ、まぁ折れていたとしてもそれほど酷いもんじゃない。治ってしまえばそれまでだろう、ってのがあの場に居た医者の話だ。詳しくはあくまでも病院で検査するらしいがな」

 大事には至っていないようだと、クラス中から安堵のため息が散発的に聞こえた。

 そんな教え子たちを見渡して、飛騨は言い辛そうにしながらも続ける。

「ただ今日明日に治って歩けるようになるかと言えばそうでもない。つまり明後日の劇には出られないってことだ。代役は立てなきゃいけないし、それができないなら本番も厳しいだろう」

「それは……」

 飛鳥が何かを言おうとしたときだった。

 今度は反対側のドアが開かれて、泉美が教室の中に現れた。

「あぁ、泉美」

「ごめん、遅くなった」

 やや息を切らした様子の泉美だったが、短く深呼吸をして、いつものように背筋をぴんと伸ばした。

「本郷は、美倉と話してきたんだったか?」

 飛騨は首だけをそちらに向けた。泉美は小さく頷いて、飛騨ではなくクラス全体に向けて伏し目がちに答える。

「美倉さんにはすぐに追いついて、話をしてきたの。少しだけ落ち着いたようには見えたけど、まだ取り乱してるみたいで……。今から練習に参加できるような状態じゃなかったから、家に帰ってもらったわ。勝手に判断して、ごめんなさい」

 周りの判断を仰がなかったことに対して、謝罪の意を述べる泉美。

 追い払った飛鳥が言うことではないが、あの様子の美倉がそうそう短時間で持ちなおすとは思えなかったし、泉美の判断は間違っていないだろう。

 しかしクラスメイトがどう判断するか、と恐る恐る周囲に意識を向けたとき、篠原の声が聞こえた。

「いいんじゃね、練習も出来ないのに呼びもどしたって仕方ないし。あの様子じゃ、一人で休んだ方が良さそうに見えたぜ」

「まぁ、確かに……」

 同意したのは、あの場で飛鳥や篠原達と一緒に居た松田だった。

 いずれにせよあの場に居た生徒達は、美倉の取り乱しぶりは見ているだろう。仕方ないよな、という認識がクラス全体に広がって、結果泉美の判断を咎める者は現れなかった。

「でも、美倉はヒロイン役だろ」

 緩んだ空気が広がりかけた教室に、ポツリと発された飛鳥の言葉によって新たな緊張感が走る。

 そう、このクラスの演劇において、今は主人公とヒロイン役の両方が不在なのだ。そして主人公側は当日の復帰も望めない。

 沈黙がクラスに満ちる。

「由紀の代わりなら、私がなんとかできると思う」

 それを破ったのは、水城の力強い声だった。

「流石に本番では無理だけど、今からのリハーサルだけなら二役やれるよ。演技はともかくセリフは覚えてるから、それで対応できる」

 クラス全体に視線を向けて、水城はそう言い切った。

 自分に向けられた言葉というわけではなかっただろうが、飛鳥は頷いて、横目に泉美を見た。

「泉美、美倉は当日には戻って来れそうか?」

「美倉さんは……」

 思案するように目を閉じて、数秒の後に顔を上げた。

「きっと大丈夫。美倉さんなら、きっと」

「…………」

 確証が有るような言い方ではなかった。だが泉美の迷いの無い表情こそが、信用に値すると飛鳥は結論した。

 伊達が居ない今のクラスにおける実質的な中心は水城だ。

 飛鳥は彼女に視線を固定して、こう言った。

「なら、リハーサルは水城が美倉の代役含めて二役やることで対応しよう。本番には、美倉本人がくると信じる。それでいいか?」

「私はいいけど、つかなんで星野がそんなこと……」

「…………」

「……なんでもない」

 今それ言い出したらこじれるからやめろ、と目一杯視線に内心を乗せて水城にぶつける。幸い飛鳥の意思は伝わったようで、水城は不満たらたらの表情ながらも口をつぐんでくれた。

 だが大きな問題は、解決していない。

「でも由紀の分は私がやるとして、伊達はどうすんの? 主役だし、舞台に立つ予定のある人で代役は当てられないのよ。リハーサルだけじゃなくて、本番で舞台に立たなきゃいけないんだよ」

 自分でも言っていて嫌になるのか、水城はそう告げながら眉間にキツく皺をよせていた。

 彼女の言っていることは、ここにいる誰もがわかっていることだ。

 主人公は当然ながらセリフ量も多いし、何より舞台上に立つ時間が長い。付け焼き刃で対応するのは難しいことは、練習に参加していない飛鳥でもわかることだ。

 どこか諦めムードのようなものが、クラス全体に満ちていく。

「それだな……」

 そう言って、腕を組んで顔を伏せた飛鳥。

 だがそんな彼の表情には、悲壮な色は全くなかった。

 彼には一つ、希望があったのだ。

 そのアイデアを出すべきか、一瞬だけ逡巡して、それでも意を決して口を開いた。

「泉美、お前ずっと台本読んだただろ。主人公、できるか?」

 飛鳥は顔を俯けたまま、視線だけを泉美に向けた。

「えっ!?」

 そう言ったのは、一人や二人ではない。クラスのあちこちから驚きの声が上がった。

「ちょっと星野、それどういう意味――」

「悪い、ちょっと黙っててくれ」

 予想通り噛みついてきた水城を制して、飛鳥は改めて泉美に向かい合う。水城の舌打ちが聞こえたが、気にしていてもしょうがない。

 いきなり名指しされた泉美も少し驚いた様子だったが、飛鳥が冗談を言っているのではないと察して、深く息を吐いた。

「今が、お前の言ってた『いざ』って時だろ。なあ、泉美」

 迷いがあるのか、組んだ両手を落ち着きなく動かしていた泉美。だが飛鳥の言葉を受けて、意を決したようにその顔を上げた。

「できるよ」

 言いきった彼女の眼にはもう、欠片の迷いもない。

「主人公だけじゃなくて、全員分のセリフは暗記してる。演技に関してはどう評価されるかは分からないけど、最低限の体裁ぐらいは保てると思う。だから……」

 すっと、クラス全体を見渡して、泉美はこう言った。

「皆がいいなら、あたしはやるよ」

 久しぶりに聞いた、彼女の力強い声だった。

 クラスに馴染もうと、どこか自分を押さえていた最近の泉美とは違う、明確な意思のこもった言葉。

 普通なら否定の意見の一つぐらいすぐに上がりそうな場面で、それでも誰も何も言わなかった。もしかしたらと、そう思わせる何かがあったのだ。

 ふと飛鳥の視界で、凛と立つ泉美に遥の姿がダブって見えた。

「ま、いいんじゃね」

 軽い調子の声が響いた。

 ひょいと手を上げた篠原が、スタスタと歩み寄りながら続ける。

「本郷さんがセリフ全部覚えてるのは間違いないぜ、俺見てたし。あと演技に関しても、俺とか他の男子もいろいろ教えてもらってたから、本郷さんが演技できるのは分かってるだろ? だから、俺は本郷さんでいいと思う」

 普段なら流れを見ているだけだろう篠原が、今日ばかりはこうして流れを作って行こうとしている。本来その立場にいる伊達がいないことが、彼にそうさせているのかもしれなかった。

 いずれにせよクラスに直接関わっていなかった立場上、こういうところで発言し辛い飛鳥としては、篠原の行動は有りがたかった。

 だがそれに水城が反論する。

「ちょっと佑介、勝手に話進めないでよ! だいたい、主人公って男じゃない。なんで本郷さんがやるってことになるのよ」

「つっても、衣装なんて羽織るだけのマントだっただろ。少なくともそっちじゃ問題はないんだ。あと、別に男役を女がやったってダメじゃないだろ。ええと、ほら、宝塚……だっけ? みたいな」

 あまりにも適当すぎる篠原の論だったが、不思議と説得力はあった。というより、代案が無いということが大きかったのかもしれない。

「だったら星野は? あんた主役の代わり出来ないわけ?」

「俺は一字たりともセリフなんて覚えてない。無理だ」

 きっぱりと否定した。

「ちっ……」

 泉美が主役に入ることがどうしても気にいらないのか、水城は不快げに舌打ちをする。苛立った視線は篠原にも向けられていたが、彼はどこ吹く風だった。

 原因がわからない以上、これは埒があかなさそうだと考えた飛鳥は、一気に外堀を埋めにかかる。

「衣装ってのは、マントだけなのか? 他は制服か」

「ああ、そうだよ。だからサイズとかは大丈夫だろ。けど男役やる以上は、男子の制服を着たほうがいいとは思う。だれか身長近い人……そうだ、だったら星野が制服貸してやりゃいいじゃん」

「俺のだと、少し大きそうだけど……まぁ、ちょっと調整すればいけるか。なら、服の方にも問題はなさそうだな」

 篠原と予定調和的な会話の応酬を行い、泉美に任せることに問題はないと間接的にクラス全体に告げた。

 もう反論は生まれないだろう。

 見届けていた泉美は、黙って水城の方へと歩み寄った。睨むような視線にも臆さず、真っ直ぐ目を合わせて告げる。

「水城さん。あたし、やるよ。絶対みんなの足を引っ張ったりしない、完璧にやってみせる。だから、あたしにやらせて」

「…………」

 いっそう深く眉間にしわを寄せた水城だったが、ふと糸が切れたように脱力した。

「……わかったわよ」

「ありがとう」

 無表情に言う水城に、泉美は頬笑みを向けた。

 バツが悪そうながらも水城が同意を示したことで、クラスの結論は決まった。主人公である伊達の代役は、泉美で決定したのだ。

 目下の問題が解決したことで、クラスの緊張感が少しほぐれる。

「あっ、そうだ。先生! 居残りについては?」

 忘れかけていたことを慌てて思い出して、飛鳥は尋ねた。

 飛騨は腕を組んで瞑目すると、殊更大変そうな声音で答える。

「今更だ、ダメとは言わん」

「よしっ!」

「ただし許可を取ってない上に、事故まであった。俺が立場上それを許すことができないのは分かるな?」

 それは言われずともわかっていた。だが事故が起こったこと自体、あの場に居合わせていた生徒以外知らないはずだ。だから、隠し通せればそれでいい。

「三人……、いや二人までだ。それまでならなんとかバレないように活動できるだろう。ただ許可を取ってない活動だからな、完全下校時刻を過ぎた後は学校から出られないと思ってくれ」

「つまり時間内に終わらなかったら学校に泊まらなきゃならないってことっすか?」

「そうだ」

 頷く飛騨。

 二人という条件は厳しいが、それ以外は大した問題ではない。そもそも背景修理の方の作業量次第では徹夜だってあり得たのだ、学校から出れないことなど大した問題ではない。

 だが誰がそれをするか、とまた新たな問題が生まれた矢先、泉美が手を上げた。

「あたしが残ります。できればリハーサルが終わった後も、なんとかして講堂を使わせてもらって練習したいし、そうなると下校時刻は過ぎると思うから。どっちにしても残らなきゃならないんだし、背景の修理も手伝うよ」

「……はぁ。なら俺も残る」

 ぴっ、と飛鳥がそれに続いた。

「実行委員ばっかでクラスの方にはさっぱりだったしな。ま、ちょっとぐらい貢献するさ」

「だが、大道具の人間がいなくて、背景の修理はできるのか?」

 尋ね返す飛騨に、飛鳥は自信を持って頷いた。

「それについては考えてます。協力してくれるよな、桐生?」

 視線を向けたのは、クラスメイトが作る環から外れたところで、ひとり窓枠に腰かけていた桐生だった。

 彼女は黙って、眼鏡をかけた頭を縦に振った。

「なら、それでやるんだな?」

「「はい!」」

 飛騨の最後の確認への答えは、複数の生徒の声が重なっていた。

 飛騨はパンと手の平を叩いた。

「ようし、それじゃあそろそろリハーサルの時間だろう。急げ急げ」

「とりあえず、大道具何人かだけ残って、残りは講堂の方に行ってくれ。舞台で大道具の人数が足りないなら、他の班の奴が協力してなんとかしよう」

 飛騨の言葉で動き出した生徒達に、飛鳥がそう補足する。

 ぞろぞろと教室の外へ向かう生徒の中で、泉美の後ろに飛鳥は駆け寄った。

「泉美、頑張れよ」

 飛鳥がポンと背中を叩くと、泉美はこちらを振り返って微笑んだ。

「ええ、あんたこそ、頑張りなよ」

「おう」

 打ち合わせもなく、コツンと拳を突き合わせて、飛鳥達は互いに背中を向け合う。

 振り返った先に立っていた飛騨に、飛鳥は再び頭を下げる。

「すんません、ワガママばっかで」

「構うな、そんなこと。……だが、こうなった以上は俺も関われん。お前らでなんとかしなきゃならないんだ」

「なんとかします、必ず」

「よし、その意気だ。なぁに、何かあっても俺の首が飛ぶだけだ。気にせず、やれるだけやっちまえ」

「うっす!」

 飛鳥の返答を受けて、満足げに頷いた飛騨は教室を去っていく。

 気合を込めるべく、飛鳥は拳を手の平に打ちつけた。

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