4章『彼である事』:1
鈍い痛みが飛鳥の頭の中にわだかまり、とめどない耳鳴りが他の音を全て覆い潰していた。
だが意識が戻るにつれて、波が引くように収まっていく。彼が目を開けた先にあったのは、夕の陽に朱く染まった部屋の天井だった。
「う……」
呻きながらゆっくりと瞼を開いた飛鳥の視界に、一人の少女の姿が映り込む。
「目が覚めた、アスカ君?」
「遥、さん……?」
その姿を認識すると同時、飛鳥の意識が徐々に覚醒に向かって行く。ぼやけていた視界が瞬きの度に鮮明さを増した。
飛鳥は上半身を起こして辺りをぐるりと見渡すと、自分のいる場所がベッドの上であることに気付いた。そして、その部屋にも心当たりがあった。
「ここは、保健室? なんで俺こんなところに……」
「あら、わかるのね。こういうのって大体『ここはどこ?』ってなるものだと思ってたのだけれど」
「や、授業サボってたまに利用してるんで。内装でわかりますよ」
さらりとサボりを公言する飛鳥に、遥は苦笑いを浮かべた。
「まだ入学して2ヶ月も経ってないのに、もう授業サボってるの? まったく、あんまりやりすぎると進級できなくなるわよ」
「あはは……。数は数えてるんで、大丈夫だと思い、ます。一応……ッツ」
頭を掻いて言い訳をしていた飛鳥の頭に、鋭い痛みが走った。こめかみを押さえて黙り込んだ彼の背中に手を当てて、遥はその顔を覗き込む。
「アスカ君、大丈夫?」
「いえ、ちょっと頭痛がしただけで……、もう大丈夫です」
「そう、でもまだ無理しちゃだめよ」
まだしびれるような痛みは頭に残っているものの、強がる飛鳥は頷いて遥の顔を見つめ返す。そんな飛鳥の顔を見て、遥はおもむろに口を開いた。
「さて、それじゃあ最初の質問に答えましょうか」
「最初の?」
「ええ、あなたが何故ここにいるか、という質問よ」
「あ、そういや俺そんなこと言いましたね」
未だ頭がぼんやりしているのか、飛鳥は自分が言ったこともうまく思い出せないでいた。そう言いながら、飛鳥は曖昧な記憶に意識を向ける。
(そうだ、さっきまでアクエルでアークとかいうロボットに乗って戦ってたはずだ。で、ここは学校の保健室、と。……また頭の悪い夢でも見たかな)
そんな風に飛鳥がごちゃごちゃと考えていると、遥はゆるゆると首を振って彼の方をまっすぐ見据えた。
「まず先に肯定しておくと、今日が土曜であるのは事実。そしてあなたがアクエルに遊びに行っていたこと、そこでアークに乗って戦ったこと、これらも同じよ」
「え…………!?」
その遥の発言に、飛鳥は言葉を失った。変な夢を見ていたわけではないことがわかったこと以上に、驚くべき内容がそこにはあったからだ。
「ちょっと待って下さい。なぜ……、なぜ遥さんがそれを?」
困惑の表情を浮かべて飛鳥はそう尋ねた。遥はあごに手を当てて考えるふりをすると、こう告げた。
「うーん、どこまで説明したものかしらねぇ。端的に表現するなら、私は今回の件の関係者なの。というか、アスカ君がアークの操縦してるときにオペレーターの真似ごとをしてたのは私だったのだけど……。気付かなかった?」
さらっと答える遥の言葉に、飛鳥の思考が見事に停止した。
「は……? え、嘘!? いやいや、そんな、え、なん…………はぁ!?」
「アスカ君、ちょっと落ち着きましょうか。はいはいしんこきゅーしんこきゅー」
慌てふためいて自分でも訳のわからないことになっている飛鳥を、遥は子供をあやすようになだめた。飛鳥は「すー、はー」と素直に深呼吸をすると、遥に向き直る。
やや茫然とした表情で飛鳥は尋ねた。
「……マジすか?」
「ええ、本当よ」
遥は口に手を当てて無駄に上品にクスクスと笑うと、少し真剣な表情になって続けた。
「まぁあの状況では気付かれても困るし、声質は少し変えていたけどね。ともあれ、そうね、あなたが把握していることは全て私も知っていると思ってくれておおむね間違いないわ」
えっへん、と何が誇らしいのか遥は尊大に胸を張る。しかし、中途半端にパニックに足をつっこんだままの飛鳥にはそれを気に掛けるほど余裕はなかった。
「じゃあ、俺がアクエルでアストラルに乗ってバーニングとかいう敵を倒したって、それも全部知ってるってことですか?」
「当事者だもの、当然知ってるわ」
慌てて聞き返す飛鳥だったが、遥の態度は崩れない。驚愕の事実にめまいさえ覚えるが、気を失うとしても飛鳥には先に聞いておきたいこともあった。
「そ、それじゃああの後アクエルやバーニングはどうなったんすか? 最後にやけくそで攻撃したところまでしか記憶がなくて……」
「あなたはあの攻撃の反動で気を失ってしまったけれど、バーニングは最後にあなたが放った攻撃で倒すことができた。だからアクエルには一切被害は出ていないわ」
「そうですか…………よかった」
被害が出ていないという事実を聞いて、飛鳥はほっと胸をなでおろした。
そして視線を再度遥に向け、訝しげに尋ねる。
「けどそこまで知ってるなんて、あなたは……一体?」
気味悪そうに尋ねる飛鳥に、遥は露骨に肩をすくめると、ふざけた様子でこう返した。
「文武両道才色兼備な星印学園生徒会長、月見遥よ」
「前半自分で言うことじゃないでしょう……」
恥ずかしげもなく言う遥の態度に飛鳥はあからさまなため息をつく。と、そこであることに気が付いた。
「そうだ、伊達と美倉と、あと如月愛って子も一緒にいたんすけど、あいつらは?」
「彼らは私と同じ関係者が保護したわ。事情も説明して納得してもらったし、3人がパニックを起こしたりしてるってことはないから安心して」
「そうですか、それなら良かった……」
事情を把握しきれたわけではないが、ともかく3人の無事を確かめられたということで安堵のため息をついた飛鳥。そんな彼の様子を見つめていた遥が、おもむろに座っていた椅子から立ち上がった。
「さて、いろいろと積もる話もあるから、場所を移動しましょうか」
唐突な宣言に、飛鳥は訝しげに首をかしげる。腰に手を当てた遥は、彼の方を見て笑みを浮かべた。
「以前紹介したでしょ? 『古代技術研究会』略して古技研の活動場所よ」
「……ここが?」
校舎一階のとある空き教室のプレートを見上げながら、飛鳥はそう呟いた。
「生徒会室の隣とは、またなんでこんな場所に」
「それは大体分かるでしょ? 私は生徒会長よ」
説明になっているようでなっていない遥の言葉に苦笑しながら、ドアを押し開ける彼女に続いて部屋の中に入り――――
そして直後、驚愕に目を見開いた。
「なっ、隼斗!? お前なんでここに……」
戸惑いをあらわにする飛鳥に一瞥をくれると、隼斗はおもむろに口を開いた。
どこまでも、当然なことのように。
「僕も会長と同じだよ。今回の件の関係者なんだ」
「は……………………?」
さらっととんでもないことを口にする隼斗に、飛鳥は絶句した。遥だけでなく、隼斗も関係者だという。
「お前、それ、どういう……」
なんとか言葉を絞り出した飛鳥だったが、遥は適当にひらひらと手を振った。
「その辺りも含めて、今から説明するわ。隼斗、『鍵』は開けてある?」
「はい、済ませてあります。今から行っても問題ないと思いますよ。……それとこれ、カードキーお返しします」
「ありがと、それじゃあ行きましょうか」
よくわからない会話の後、遥はソファごとくるりと回ると勢いよく立ちあがった。そのままスタスタと生徒会室側の壁に向かうと、そこに置いてあった本棚から本を数冊取り出して、その奥に手を突っ込んだ。
直後、ガラガラという小さな音を立てて遥が手を突っ込んでいた本棚が前にスライドしてきた。それはちょうど本棚一つ分前にずれると、今度は横にスライドしていく。
現れたのは、無骨な金属製のドア。
「隠し扉かよ……」
唖然とする飛鳥の前で遥はドアの横の機械にカードキーを通すと、そこにあるボタンを高速で叩いた。
すると、モーター音どころか物がすれ合う音すらなく、その重たそうなドアが両横にスライドしていく。
(あれ、でもそのドアの先って生徒会室につながってるんじゃ……)
だが、飛鳥のその予想は裏切られる。
ドアの先にあったのはやたらと狭い部屋。幅こそ2mほどあるものの奥行きは1m弱しかない、一面灰色の部屋。
いや、部屋ではなかった。
「エレベーター?」
「ええそうよ、隠しエレベーター。ロマンがあるでしょ?」
とぼけたように聞いてくる遥だったが、飛鳥にしたらそれどころの話ではない。
防音に気を付けたとしても、部屋間の壁の厚みが1mもあるとは思えない。なのにどういうわけか、生徒会室とこの部屋の間の壁の部分に奥行き1mのエレベーターが収まっている。普通に考えて、エレベーターにも壁がある以上、その奥行きは実際は1mよりもまだ大きくなるはずだ。
いったいどんな設計をしているのかと混乱したところで、飛鳥はあることに気付く。
(いや、違うな……。たしか、生徒会室のこちら側の壁にも本棚があったはず。つまり、本棚を使って部屋の幅の体感をごまかしてる……?)
露骨に隠そうという意思の感じられるその構造を見ながら飛鳥が考察していると、既にエレベーターの中に入っている遥から呼びかけられた。
「ほらアスカ君、早く乗って」
「あ、はい! すいません」
そう答えると、飛鳥は慌ててエレベーターに駆け込んだ。
それを確認した遥が、手近なところにあった下矢印の模様に手を触れる。それに従って相変わらず何の音もないまま、エレベーターの扉が閉まり本体が下に向かって動きだした。
独特の浮遊感に身をまかせながら、この先に何があるのかを飛鳥はぼんやりと考える。ほどなくして、小さな揺れと共にエレベーターの降下が止まった。
乗っていた時間は30秒ほどで、飛鳥の感覚としてはそれほど早く下りた感覚はない。実際それほど深くはないかもしれないが、今日日のエレベーターは体感と実際の速度がほぼ対応しないのであまりあてにはならない。
だがいずれにしても地下であることは間違いなさそうだ、と飛鳥は結論した。
乗るとき以上に重い音を立てて、エレベーターの扉が開く。
底に広がっていた光景に、飛鳥は言葉を失った。
「なっ――――――!?」
果てが伺えないほどの巨大な空間。そこに見たこともない機械がところ狭しと設置されており、またあちこちに小さな四角い部屋が点在している。そして、その部屋や機械の間を行ったり来たりする私服や白衣、作業服の人の群れ。
絶句する飛鳥の前で、エレベーターから一歩踏み出した遥がくるりと振り返る。片手を腰に当て、いつもの自信たっぷりの顔で口を開いた。
「ようこそ、星印学園地下研究所へ!」
そこにあったのは、巨大極まりない地下研究施設だった。