18:『泉美なりのやり方』
学校へ戻って来た飛鳥と遥は、とりあえず買い出しを依頼してきた中崎に購入物を押しつけた。
その後の微妙な空気はお互い感じるところだったようで、どちらともなく自然に別れてそれぞれの持ち場へ戻ることとなった。
遥の母親、亜紀との遭遇という突発的なイベントが発生したせいもあって、学校に戻る予定だった時間から大幅に遅くなってしまった。
飛鳥は都合がつけば、遥を誘って外で適当に食事でもしようかと考えていたのだが、時間的な問題でそれも叶わなかった。
とはいえあの場の流れから、彼にそれを切りだすことが出来たかというと怪しいところだが。
午後2時からの設営班の仕事までにはまだ少し時間がある。
本来はこの時間に食堂にでも行って昼食を済ませるべきなのだろうが、ついさっきまでちょっとした運動をしてきた割には、飛鳥はいま一つ空腹が感じられなかった。
中途半端に余った時間をどうしようかと、悩みかけたものの、手持ち無沙汰にうろつく気にもならず、結局飛鳥は教室に向かうことに決める。
泉美にはサボりだとしっかり伝えてしまっているため、少し教室に行くのは気が引けるのだが、他に行く当てがあるわけでもない。
一つため息をついた飛鳥は、面倒そうな表情を引っ込めると、無表情気味に眼前のドアをスライドさせた。
「うん。だからそこは、もう少し声を張るようにしたらいいと思う。今のままじゃ前後の話し方とあんまり違いが無いから、観てる人に伝わりにくいんじゃないかな」
「うん?」
扉を開いた飛鳥が見たのは、赤いスカーフを纏った美倉に、片手で台本を開きながら何やらアドバイスをしているらしき泉美の姿だった。
今は休憩中なのか、あるいは各人別々に練習をしているのか、なんにせよ簡易な衣装を身に付けた生徒達が、教室全体をまばらに使用していた。
ドアをスライドさせた音で振り返った数人の生徒に片手を上げてあいさつ代わりとする。
どうやら教壇の辺りで話をしていた泉美と、やや覇気の無い表情でそれを聞いていた美倉が、飛鳥の入室に気付いた様子はなかった。
わざわざ声をかけてアピールする気など飛鳥には当然なく、伊達と篠原が練習ではなく談笑を続けている方へと近付いて行く。
「あれ、アスカ? サボったんじゃなかったのか」
「あ、やっぱそうなってんのね。まぁ自業自得だけど」
泉美はフォローしてくれなかったか、と少し脱力する飛鳥だったが、そもそもサボりと宣言した以上、言い訳の余地などないのだから仕方がないかと諦めた。
「本郷さんだけ先に来てたけど、星野は何かやってたのか?」
尋ねてきたのは、伊達の対面に乱雑に置かれた椅子に腰かけた篠原だった。飛鳥はそちらに視線を向ける。
「あー……、まぁいいか。いんや、サボるつもりでうろついてたら、たまたま実行委員の先輩につかまってな。買い出し頼まれたもんだからついさっきまで学校の外にいたんだよ」
なんとなく遥に会いに行っていたとは言う気にならず、適当にはぐらかして答える飛鳥。
篠原は特に気にした様子もなかった。
「ふぅん。実行委員って大変なんだな。んで、買い出しってどんなの?」
「さあ? たぶん飾りつけとかに使うものだと思うけど、詳しくは分からん」
「相変わらず適当だなぁ……」
どうもこの三人だとツッコミ役に回りがちな伊達の、呆れたような声で一旦会話が止まる。
飛鳥はふと、前で話をしている泉美達の方へ視線を向けた。
「あとは、そうね。あんまり表情で演技をしても、見てる人には伝わらないと思う。だから話し方か、身振りで伝えるしかないんじゃないかな」
「でも本番は講堂だし、遠くに届くような声じゃ、話し方で細かい表現は難しいかも……」
「だったら、全体的に身振りを大きくすればいいと思う。そうしたら逆に、動きが無いところで相対的に落ち込んだ雰囲気なんかを出せるよ」
舞台に立つどころか、クラスでの出し物に役割を与えられていないにもかかわらず、泉美はやけに丁寧なアドバイスをしている。押しつけるような指示ではないこともあり、美倉は素直に助言を受け入れていた。
「凄いよな、本郷さん」
傍らで同じほうを見ていた篠原がポツリと呟いた。
「俺も演技でアドバイスされたけど、普段から練習してる奴にも気付かないようなことをさらっと指摘されてちょっとびっくりしたぜ」
「ああ。まぁあいつどうも時間があったら台本呼んだりしてたみたいだからなぁ」
「それ、なんでなんだ?」
尋ねてきた伊達の方に振り返って、教壇で話を続ける二人を横目に見ながら答える。
「なんだったかな……、いざというときのためにとか言ってた気がするけど、それ以上はよく分からん。まぁ、こうして役に立ってのならそれでいいだろ」
相変わらずやや適当気味な飛鳥の回答だが、こればかりは本当に知らないのだからこれ以上のことは言えない。憶測で勝手に補足する事も出来るが、それは泉美にとっても不本意だろう。今は、彼女は行動で意義を示せているのだし、その裏の考え方などは外野にはさほど重要ではない。
その辺の意図を汲んだか、あるいは飛鳥に気を遣ったか、伊達はそれ以上追及をしてこなかった。
逆に、今度は飛鳥が尋ねる。
「そんで、お前らえらくのんびりしてるけど、練習はそろそろ詰めなきゃいけないんじゃないのか?」
「いや、もう通し練習とかは何回かやってんだよ。まだ少しミスは出るけど、それでもかなり減ったからな。今はアレだ、単なる休憩時間だ」
「へぇ、意外と順調に進んでるんだな。やっぱ準備いいなぁ。実行委員で他のクラスの進行も見る機会はあるけど、そこまで形になってるのはあんま多くなかったと思うぜ」
「形になってるっつっても、まだセリフと動きをだいたい覚えたぐらいだよ。細かい演技が出来るところまではいってないんだ。だからほら、本郷にもアドバイスしてもらってるんだよ」
「ああ、そういうことか」
当然泉美が積極的であったのも要因の一つだろうが、何にせよクラスとして彼女を受け入れる形になっているのは好ましいことだ。
とはいえ、美倉も含めて女子達はややよそよそしい感じがある。それはクラスの女子の中心的存在である水城が、泉美に対してあまり良い感情を抱いていないことが原因だろうと飛鳥は見込んでいた。美倉に関しては別に何か有りそうではあったが。
「あれ……」
ふと気になって、飛鳥は教室を見渡す。
どうにも水城と、彼女とよく一緒に居る女子生徒達の姿が教室に見当たらなかった。
「そういや、水城達はいないのか。あいつら結構重要な役なんじゃないのか?」
飛鳥の問いに答えたのは、篠原だった。
「部活か何かで用があるみたいで、そっちの方に行ったみたいだぞ。すぐ戻るっつってたけど。まぁ悠乃達がいないと始まらないし、だから今は休憩ってこと」
「ああ、そういうこと」
得心したと頷く飛鳥。
ちなみに話しぶりからわかるだろうが、篠原は水城と多少ながら交流があるらしい。中学が同じだったと篠原は語っていたが、本当にそれだけなのかは飛鳥にもわからない。とりあえず、双方名前で呼び合う仲ではあった。
そんな想起は適当なところで終わらせて、飛鳥は気になったことを口に出す。
「つか、なんで水城が中心にクラス準備進んでんだ? クラス代表は伊達と美倉だろ」
「いやまぁそうなんだけど、美倉がなんか最近調子よくないから、流れで水城が仕切ってるんだよ。それで問題なんて出てないし、まぁいいだろ?」
「伊達がいいってんならそれでいいんだろうけど、美倉はともかく伊達は別に調子悪くないんだろ。ちょっとは自分で仕切ろうとは思わないのかよ」
練習はほどほどに、あちこちで歓談の声が響きちょっとしたガヤになっている教室を見渡して、飛鳥はジト目になる。伊達は露骨に視線を逸らすと、小さく肩をすくめた。
「俺はほら、セリフ覚えるので必死だし」
「練習しろよ」
「だから、今はその休憩中なんだって――――」
伊達がそこまで言ったところで、教室前側のドアが勢いよく開かれた。
ローテンションに飛鳥がこっそり入って来たときとは違い、今回はクラス全体の視線が一気に集まる。
堂々と教室に入って来たのは、ちょうど話題に上っていた水城と、彼女の2人の友人だった。どうやら部活は同じなようだ。
水城は教室に入るなり、近くの机に置いてあった鳥の羽根などで飾り付けられた青いつば広の帽子を手に取ると、すぐに全体に向けて声を発した。
「待たせてごめん。それじゃあさっそく練習再開しよう!」
妙に体育会系じみた号令を受けて、歓談を続けていた生徒達は会話を止める。不満げな声が聞こえないあたり、クラスの全体的なモチベーションは高いようで、それが今の順調な進展に繋がっているようだった。
教壇の前に真っ直ぐ歩いて行った水城は、並んで立っていた美倉と泉美に目を向けた。
「……何やってんの、本郷さん」
「私は、その……練習してるのを見たから、アドバイスしてたのよ」
「へぇ。役当たってるわけでもないのに、アドバイスなんてできるんだ?」
「台本はもらって、それはちゃんと読んでるから」
水城の挑戦的な視線と言葉を受けて、泉美は居心地悪そうに答えていた。
「あっそ」
そんな彼女の応対が気に入らなかったのか、水城はつまらなさそうに鼻を鳴らして、泉美を視界の外へと追いやった。
ふとこちらへと視線をくれた水城は、ビシッと指を指した。
「ほらそこ、佑介! いつまで駄弁ってんの! さっさと練習始めるよ!」
「何で俺だけ……、伊達もだろ~」
指名された篠原は不満げな声をもらしながらも、のらりくらりと立ち上がった。
「悪いなアスカ。というわけだから練習いってくる」
「何がというわけなのかはよく分からんが、まぁ頑張れよ」
やっつけ気味な言葉で伊達を見送って、飛鳥は教壇の方に再び視線を送る。
続々と役のある生徒が前に集まる中、急に立ち位置を失った様子の泉美がこちらへと近付いてきた。
「アスカ、来てたんだ」
「ああ、まぁついさっきな」
「……練習、見てく?」
「そうしたいところだけど……」
顔の向きを固定したまま、飛鳥は黒板の上にかかった時計を眺める。
指し示された時間は午後2時前だった。
「残念、そろそろ実行委員の仕事だ。行くぞ、泉美」
「うん」
いくらか元気が無い様子の泉美を連れて、飛鳥は教室の外へと出て行った。
ややあって、廊下を歩く二人の背中に、芝居がかった声が続いた。