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アークライセンス  作者: 植伊 蒼
第6部‐彼と彼女の心の距離は‐
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17:『自分を創るもの』

「……もう」

 迷いの無い足取りを見送って、遥は脱力したように溜息をつく。その表情は、奔放な母を見送る娘のそれに他ならなかった。

 困ったように眉を寄せたまま、遥は飛鳥の方を振り返った。

「ごめんなさい、アスカ君。あわただしい人でしょ?」

「そうですね。うまく言えないっすけど、今まで見たことないタイプです」

 強いて言うなら、アメリカのアーク・リンガーのパイロットであるバーナード=フィリップスの姉、フレデリカが雰囲気としては近そうだ。何にせよ、滅多にお目にかかれないタイプの女性ではあるだろう。

「なんつーか『速い』人っすね。単純に決断とか行動が早いってのもそうだけど……。必死になって追いかけてないと、あっという間に置き去りにされてしまうみたいな」

「……、よく見てるのね」

 飛鳥の何気ない呟きに、遥は少し驚いた様子だった。

「私もそう、似たようなものだったわ」

 ぽつり、と。

「小さい頃って、よく分からないバイタリティがあるでしょう? だから最初は深く考えなくても、母さんについて行くことはできてたの。だけどいつの間にか、意識して追いかけていないと追いつけなくなっていたわ」

「亜紀さんと離れて暮らすようになったのは、そういう理由ですか?」

「そうね。……追い続けることに疲れわけじゃないの。ただずっと追い続けても、いつか私があの人の枷になってしまうと思ったから。そうでなくても、私が傍にいることをあの人には望んでもらえないのは分かっていたから。……きっと私には、母さんほど迷わず進み続けることは出来なかったのよ」

 懐かしい記憶を思い起こしながら、遥は平坦な声で語っていた。

 しかし思い出を語るには、彼女の表情は陰りが濃すぎる。

「あの人は自分の目で見たものしか信じないけれど、自分で確かめたものは絶対に疑わないの。だから曇りの無い世界を広げるために、世界中を旅しているんだって、そう聞かされたわ」

 彼女はふと、空を見上げた。

 宝石のような瑠璃色に、千切れ雲がまばらに浮かぶ秋空が映る。

「私だって、そうできていると思っていたわ。自分が一度信じたものは、疑わずにいられていると思っていた。だけど『サードイブ』のことを知った時、やっぱり分からなくなっちゃったの。私が母さんの子で間違いないのか、そこに確証が持てなくなってしまった」

「遥さん……」

 まるで作り物のような横顔を見つめていた飛鳥は、そう言ってふと瞑目する。

 淀んだ沈黙が二人の間に横たわった時、瞼を押し上げた飛鳥の言葉がそれを払った。

「違いますよね?」

「え……?」

 目を見開いて、遥は振り返った。

 真剣な表情で遥を見据えて、迷いの無い口調で飛鳥は続ける。

「さっきと言ってること変わってますよ。遥さんらしくもない。……それに遥さん、亜紀さんと話をしてるとき、一度だって自分と亜紀さんの関係を本気で疑ったりしなかったでしょ?」

「それは……」

「全部言葉だけじゃないですか。本心では疑ってないっていうことは、見てればわかりますよ。あの、遥さん。……遥さんが本当に抱えてる不安って、そういうことじゃないんじゃないですか?」

 言葉の出てこない遥を見て、確信はより揺るがぬものになる。

 だから続く飛鳥の言葉には、有無を言わせぬ圧力に似たものがあった。

「亜紀さんに訊かれて答えたこと、あれ、別に冗談とかじゃないですよ。相談くらい聞きますし、力にだってなります。俺にできることならやるし、できないことなら出来るようになります。……抱え込んじゃダメだって、そう言われたばかりじゃないですか」

 深刻な悩みの切れ端を捉えていながら、飛鳥は敢えて笑って言った。

 そして付け加えた言葉は、亜紀が残した一言だ。遥の態度には、亜紀に対する憧憬のようなものが見え隠れしていた。打算的ではあるが、この場において最も威力を持つ言葉だと信じて飛鳥はそれに賭けた。

 あるいは、これを見越して残した言葉だったのかもしれない。

 だとするならばその目論見は果たされたことになるのだろう。

「……どうしてバレちゃうのかしらね」

 いつの間にか人気の無くなった川沿いの道。

 呟くような声音で、遥はおもむろに口を開いた。

「アスカ君の言う通りよ。私が不安に思っているのはもっと別のこと」

「……話してくれませんか?」

 促す飛鳥。遥は頷いて、ほんの少しの逡巡の後、ゆっくりと話し始めた。

「アークのパイロット適正の有無って、どうやって判断するかは……アスカ君、知っている?」

「…………? いや、俺は知らないですけど……」

 急な話で、何を訊かれているのかが一瞬わからなくなった飛鳥。理解してからなんとか思いだそうとしたが、そもそも飛鳥はそれについて聞いたことはなかった。

 戸惑う彼に構わず、遥は一方的に続ける。

「本来パイロット適正は、アークそれ自体が周辺をスキャンする事で、適正の有る人間をピックアップするの。隼斗はそうだったし、エンペラーの伊集院君もそう。泉美さんもきっとそうだったでしょうね」

「へぇ、そうだったん…………あれ、でも待って下さい、俺はアクエルで遥さんが遠隔操縦していたアストラルに出会うまで、アークを見たことなんてないはずですよ?」

「ええ、その通りよ」

「だったら……、ああいや、だけどアクエルで俺がアストラルと出会った時には、俺に適正があるってわかってたはずじゃ……?」

 遥は黙って頷く。噛み合わない時系列に、飛鳥が混乱を覚える。

 そしてアストラルのパイロットになることを選んだ日の記憶が、ぼんやりと蘇る。隼斗から聞いていたはずだ。飛鳥にアストラルのパイロット適正があることを見極めたのは――

「見えるのよ」

 遥はそう言った。

「その人を見るだけで、私は単なる五感じゃない部分で、アークに対する適正があるのかがわかってしまう」

「……どういうことなんです?」

「わからないわ」

 首を左右に振りながら、伏し目がちに遥は答える。

「わからないの……。ただ初めてアークを、バーニングを見たその時から、私にはアークへの適正が見えるようになった。それだけじゃない。適正を持たない人間にもアークを操れるようにと作られた『ダミーライセンス』というデバイスも、どうしてか私だけにしか効力を持たなかった」

「遥さん、だけ?」

 そう、それも聞いたことのあることだった。

 遥は特別だと、飛鳥自身適当に納得していたことだった。

「アークに関わるところで、私は他の人と違い過ぎるの。……最初はただそういうものだと思っていたわ。この髪や瞳と同じ、見た目が違う程度のことと同じ、単なる生まれつきのものだとずっと考えていたの。そう……」

 だがもしそれに何か理由があったとしたなら、どうだろうか。

 遥の特別さに、ただ個人の違いだけではない何かの理屈があったなら、それは恐らく一つだろう。

「『サードイブ』を知るまでは」

 胸の前で、遥は重ねた両手を強く握った。

「ただ見た目が同じだっただけじゃない。遺伝子レベルで、私と全く同じものだった」

「っ……だけど、まだ偶然だって可能性も」

「同じDNAになる確率なんて、低いなんてものじゃないのよ。あり得ないと言っていいほど。……それに私の母さんは、さっき見たでしょう? 父さんが誰かはわからない。わからないけれど、あの母との間にこの私が生まれると思う?」

 こんな話をするのは、きっと辛いはずだ。

 なのに他人事のように語り続ける遥に、飛鳥は言葉を失ってしまう。

「これが全部偶然だっていうなら、それもサイコロの出目の話だと割り切れる。だけどそう割り切ったとして、私自身が何なのかはわからないの。……母さんの子として生まれて、この世界で16年生きてきて……だけど私は、本当にこの世界の人間なの? 古代文明の遺物に記録されたものと全く同じ遺伝子を持っていて、人には見えないものが見えてしまう私はそれでも本当にただの人間なの?……できないのよ。そこで迷わず首を縦に振ることが、私にはできない」

「遥さん…………」

 感情が消失したようにすら見える遥の瞳が、果てなく深い瑠璃の深淵が飛鳥を捉える。

 きっと彼女が今言ったほど理論立ったことが、全てではないはずだ。わからないことに対する不安なのだ、言葉にできない部分こそが、彼女が感じている本当の問題だろう。瞳の奥からのぞく、どこまでも深い奈落のような闇色が、彼女の中に渦巻く混沌とした不安を表していた。

「…………」

 何を言えというのだ。

 わかるわけがない。

 せめてと視線を逸らさずにいても、そんな足掻きに意味など持たせられなかった。

「きっと何か意味があるのだと思う。アークがこの時代に突然現れたことと同じで、私が……いえ、この遺伝子を持った人間が生まれることに」

「意味……?」

「それが何かはわからないわ。だけどこうして私はアークに関わって、そしてアスカ君をアストラルに引き合わせている。……今になって、何か役割を与えられていたようにさえ感じるの。まるで自分が作られた人間のようにさえ感じてしまうのよ」

 悲痛な声だった。

 きっと遥は、ただ事実を述べるように淡々と語っているつもりなのだろう。だが出来ていない。

 貼り付けたような無表情と、引きつった喉から響く音のギャップが、彼女の偽りと本心のズレを示していた。

「だったら……」

 だが分かった。

 今の言葉で、遥が何の答えを求めているのかが飛鳥にはわかった。

「だったら何なんですか?」

「えっ……」

 理解して、飛鳥は憤りを覚えていた。

「ただの人間じゃなかったら、だったら何なんですか。遥さんじゃないですか。遥さんのしていることに、何か与えられた意味があったとして、それでも選んで行動したのは遥さんでしょう? それが……それが、何か間違っていたんですか?」

「そんなこと、私は……」

 遥が今苦しんでいるのは、飛鳥がコードを集め、そしてサードイブの情報開示に至ったからである。だとするなら、彼女を苦しめているのは、ある意味では飛鳥ではないか。

 もし遥が飛鳥をパイロットに選んだその選択を、仮に悔いているとするならば、今の、今の彼は一体何だというのだ。

 彼は否定してほしかった。この問いを。彼は肯定してほしかった。ここに自分がいることを。

「なら、それは!…………間違いなんかじゃ……」

 被りを振って、飛鳥は自分を落ち着ける。

 違う。

 意図を見失ってはいけない。苦しんでいるのは、飛鳥ではなく遥なのだ。

 深呼吸をひとつして、飛鳥はまるで似合わない笑みを、眼前の遥へ向けた。

「俺をパイロットに選んだのは、アストラルじゃない。遥さんですよ。たとえそこに遥さんの知らない意味があったって、遥さんの選択が俺とアストラルを引き合わせたんだと、俺は思ってますよ。そしてサードイブのことがわかったのは、俺がコードを多く集めたからでしょう?」

 何も言わず、ただ首肯して返す遥。

 飛鳥は頭の後ろを掻いて、息を吐いてから続ける。

「だから……あー、うまい言い方思いつかねぇ……。だから俺が言いたいのは、月並みですけど、遥さんは遥さんだってことです。作られた人間だとか、遺伝子がどうだとか、そういうことじゃないっすよ。今の遥さんがあるのは、遥さんが選んで、そして行動した結果じゃないですか。今の遥さんを創ったのは、他の誰かじゃない、誰よりも遥さん自身のはずだ」

 飛鳥は頭の悪い自分を、今ばかりは恨みたくなった。もっとうまい言い方は無かったか、そんな思いが、ぐるぐると頭の中を駆け巡る。

「……自分を創ったのは、自分」

 だけど遥は、俯けていた顔を上げていた。

 ほんの少しだけ肩の力を抜いて、飛鳥は続ける。

「生まれが何だとか遺伝子がどうだとか、関係なんてない。そんなことより、自分がどうしてきたかで今の自分が決まるはずだって。俺は、俺はそう思います。……だからその選択が間違いじゃなかったなら、胸を張って下さい。それが遥さんであることの証明になるはずだから」

 ぼんやりとした視線を向けてくる遥に真っ直ぐ向きあう。

 強く握りしめた右の拳を、自らの胸へと叩きつけた。

「それでもまだわからないことが有って、その不安が消えないなら、俺が戦います。俺が戦った結果サードイブのことがわかって、それで遥さんが苦しんでいるなら、俺が最後まで戦います。今よりも多くコードを集めて、全部がわかるまで戦い続けますよ。だから今は、強がりでいい、笑ってください」

「アスカ君……」

「そうして、いつもみたいに背筋伸ばして、真っ直ぐ前を見ていてほしいです。俺は……」

 そこで彼は、一度言葉を切った。

 心臓の拍動がかきたてる気恥かしさを必死に堪え、無理矢理に笑ってこう言った。


「俺はそういう遥さんが、好きですから」


 言うだけ言って、飛鳥はズバッと明後日の方向に頭を振り抜く。ガジガジガジガジ、と激しく頭を掻いた。

 勢い任せであることは否定できないだろう。意図が伝わったかどうかすら怪しいし、ここから何かを付け加える勇気は今の彼には足りていない。

 だがまぁ、それで良かったのだろう。

「……ありがとう、アスカ君」

 静かな声音。飛鳥は振り向く。横目に見えた表情は、いつもの彼女の、そう、飛鳥の好きな遥の表情ではないか。

 視線は遥か先を見据え、響いた声は凛として澄んでいた。

「よし、切り替えたわ! さ、帰りましょう」

 ほんの少しだけ、飛鳥は呆けたように動きを止めて、そして顔をほころばせた。

「……はは、長話が過ぎましたね。そうしましょう」


 吹き抜ける風が、並んでゆく彼らの背中を押す。

 答えは聞けなかった。

 それでもいいかと、飛鳥は思った。

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