12:『舞台の衣装』
飛鳥達が生徒会の仕事のためにあちらこちらを奔走している頃、彼らのクラスメイトもまた、クラスでの出し物の準備に駆けまわっていた。
学園全体がちょっとした狂騒感に満ちていて、それは彼らのクラスも例外ではなかった。
それがどのくらいの忙しさなのかと言うと、クラス準備の代表であり、出し物の演劇では主人公を担当する伊達ですら、ちょっとした雑務に駆り出されるほどであった。
クラスの予備の準備室として臨時に割り当てられた1階の空き教室で、伊達は小道具担当の男子生徒と話をしていた。
「とりあえず、今できてるのはこんなところだな」
小柄な男子生徒が、屈んだままひょいと段ボール箱を差し出す。受け取った伊達は足元にその箱を置いて、蓋を開いた。
彼の眼に移ったのは、鮮やかな布などで形作られたいくつかの簡易な衣装だった。
「へぇ、意外としっかり出来てんじゃん。でも、衣装は作れないって言ってなかったか?」
「だからそれは服って意味の衣装じゃなくて、身につけるタイプの小道具って意味での衣装なんだよ。マントとか髪飾りとか、あとは簡単な上着とか、そういう感じの登場人物を見分けられるようにするための飾りってとこかな。これなら採寸とかはある程度適当でいいから、こっちで勝手に作れるんだよ」
分かっているのか分かっていないのか、首を縦に振る伊達の表情はずいぶんと曖昧だった。
こんなのがクラス代表で大丈夫なのだろうか。ふと不安がよぎるが、さすがに男子生徒は口には出さない。
代わりに箱の中の衣装の束、その一番上にあった青い布を指さした。
「とりあえず伊達。その青いマントがお前の、というかロミオ役の衣装だよ」
「おお、これが俺のか!」
「って、今ここで引っ張り出さなくても――ああ、聞いてないし……」
制止の言葉など意識の端にも引っ掛けず、伊達はバサッと取り出したマントを広げる。
構造などは簡単な衣類だ。伊達も始めてみるような代物だったが、特に迷わず身にまとうことができた。
腰に手を当てて、無駄に恰好をつけてみる。
「ドヤ顔すんな」
「1秒くらいいいじゃねぇかよ」
鼻をふんと鳴らした途端、脊髄反射ばりの速度で強く言った男子生徒に、伊達は思わず肩を落とす。
伊達はすぐに気を取り直して、俯けていた顔を上げた。片腕をひょいと肩の高さまで上げると、纏ったマントがふわりとなびいた。
「おー、結構似合ってんじゃん」
「マジ? いいねぇ。つか鏡無いのか?」
「鏡? ここにはないな。トイレ行ってこいよ、鏡ぐらいあるだろ」
男子生徒は適当な調子で答えるが、伊達は両腕を軽く持ち上げて首を左右交互に向けると、小さく眉を寄せた。
「このカッコでトイレまで行くのはちょっとなぁ」
「当日は舞台に立つっていうのに、今更何言ってんだか」
「それとこれとは別ってさ。まぁ、似合ってるならそれでいいや」
伊達が演じる人物に合っているかはまた別として、細身ではないが長身の男が目立つマントを羽織っているのは、制服の上からでも意外と絵になっていた。
「ちなみにそれ作ったの俺なんだ」
製作者である男子生徒としても実は意外だったのか、少し驚いた様子ながらも、誇らしげな表情をしていた。
「へぇ…………あ、ドヤ顔すんな」
「思い出したように言うぐらいなら言わなくてもいいだろ!」
やっつけ感全開の伊達の応対に、男子生徒は憤慨して語気を荒げる。ただその声も、若干自分の格好に酔いしれ気味の伊達には届かないのだった。
男子生徒はため息をついて、脇に置いてあった紙きれを一枚差し出した。
A4サイズの手書きのメモだ。
「これは?」
「それぞれの衣装が誰のものかまとめたメモだよ。書いてあるだろ、伊達はそのマントって。あとはそれぞれメモの通りに受け取ってくれればいいよ」
「おう、了解。えーと……ふぅん、ジュリエット役は赤いスカーフか。派手だな」
受け取ったメモを眺めた伊達の感想は、そんなものだった。
「そっちはもしかしたら、委員長には似合わないかもな。といっても、重要なのは似合うかとかおしゃれかとかじゃなくて、目立つことの方だからな。それでも見栄え良くしたいなら身に着け方を工夫することぐらいだけど……そうだな、それは水城さんにでも相談すればいいと思うぞ」
「水城? なんで?」
「水城さんは結構こっちにも顔出してて、いろいろ意見出してくれてたから、たぶんこういうのには詳しいんだろう。そういう意味では、本郷さんもかな」
「へぇ、本郷もなのか」
意外な表情を浮かべる伊達。泉美は実行委員であり、一般生徒よりもいくらか忙しいことを思い出したからだ。
「実行委員で忙しそうだったけど、暇があったらたまに見に来てくれてたぞ? 水城さんと同じで、いろいろアイデアもくれたし」
「なるほど。ちょっとイメージ浮かばねぇな」
「俺も最初はびっくりしたなぁ。あの子変わったよな。それもけっこう急だったから、俺とか未だにあんまり馴染まないんだけど」
「だな」
共感するところがあったのか、男子生徒の言葉に、伊達は苦笑交じりながらも頷いた。
いつぞや飛鳥が担任に答えた通りではあったのだ。テキトーだと飛鳥は付けくわえていたが、また別の意味で適当だったということである。一つ違うとするなら、飛鳥の見えないところで、泉美は自分に似合わないなりにクラスメイトとは積極的に関わっていたことだった。
伊達は手に持っていたメモを箱の上に置いて、身につけていたマントの首元のボタンを外した。
「だけど、よくこんな短期間で全員分も衣装そろえられたよな。衣装ってほどでもないっぽいけど、他の小道具もあるし大変だっただろ?」
「そりゃまぁな。でもその中の全部自作したわけでもないから、実際それほどでもないかな。ほら例えば、そのスカーフとかは店で買ってきた奴だしさ。全員分のハッキリわかるようなアイテム考えるところが、むしろ大変だったなぁ」
「ああそっか、そのまま買ってるものもあるのか。金の方が結構かかってそうだな」
脱いだマントを折り畳みながら、伊達はよく分かっていなさそうな調子だった。
「予算っていう概念が無いからな。やっぱり期間が短すぎるし、お金よりは時間を優先する方向でやってるよ。つっても、さっきのマントみたいなのは探すぐらいなら作ったほうが早かったし、流石に自作したけどな」
雑に畳んだマントを箱に押し込む伊達を見ながら、男子生徒はしゃがみこんだ体勢で肩をすくめた。
「期間的に仕方ないっていうのを分かってくれてるからこういう形なんだろうけど、予算が実質的に上限なしってのもどうなんだろうな。すげぇ金使ってるクラスとかありそうだ」
「そこら辺はもうそれぞれの生徒の常識に任せるって形だろうな。別に気にしなくていいと思うぜ」
「気にするほど俺らに余裕はないって。ていうか、それは伊達達もだろ。お前早く行かなくていいのか? 主人公が居ないんじゃ練習できないだろ」
言われて、伊達ははっと顔を上げる。だが空き教室の黒板の上には、まだ時計は設置されていない。
気を利かせた男子生徒が、自分の腕ごとそこにつけてある腕時計を差し出した。
それを覗き込んで、伊達は曖昧に首を傾げる。
「いやまぁ、今は主人公が出てこないところの練習をしてたんだよ。だから俺が来させられたわけだけど……まぁ、そろそろ戻ったほうがいいか」
「ああ、そうしとけ。こっちはまだいくつか小物が残ってるけど、作業の人数は減らせそうだ。予定通り、あとで女子を4人ぐらいエキストラに寄越すよ。残りは大道具の男子だっけ?」
「そうだな。男子4人が残りのエキストラで、そっちは大道具から借りる予定だ。そうそう、大道具の方はどんな具合か分かるか?」
尋ねられた男子生徒は、少し不満げに顔をしかめて肩越しに背後を伺った。
そこで今、大道具の仕事をしている生徒は係の半分ほどだ。残りは自分達の部活の方に向かっている。
「どうだろうな、余裕あるっぽいけど……。ちっ、桐生が急に大道具に変更になったから、小道具が最初大変だったんだぜ? しかも向こうはさっさと終わらせて、分担して部活の方まで行ってるし」
「ああ、どおりで人数が少ないと思ったよ。部活の方に行ってたのか。まぁでも、エキストラ担当は後でケータイで呼び出せばいいか。それじゃ、俺はクラスの方に戻るよ」
「おうわかった。頑張れよ、ロミオ」
「だれがロミオだっつの」
「お前だよ」
箱を担ぎあげる伊達に一つ指さしをして、男子生徒は班の集まりの方へと戻っていく。
「よし!」
と荷物を担ぎ直して、伊達は足早に空き教室を去って行った。