7:『胡乱な気配』
「アスカ、これってどこまで運べばいいんだっけ?」
「3階の資料室だったはずだ。つまり階段で3階まで。行けるか?」
「なん……とか、なると思うっ」
「……まぁ、キツかったら途中で休憩挟めばいい。俺達が任されてる仕事はこれでひとまず終わりだから、急ぐ必要もないしな」
先に縦に二つ積んだ段ボール箱を持ち上げた泉美に続いて、飛鳥も足元の段ボール箱を拾い上げた。両手にずっしりと重い箱の中には、外から覗いても目に痛いほど鮮やかな布や紙の束が敷き詰められていた。
これは文化祭の会場設営で使用する飾り付けのための材料で、ついさっき飛鳥達が買い出しに行って来たものでもある。
川を渡った先にある商店街の、さらに向こうにある大きめのホームセンターで適当にまとめて購入したものだ。
本来ならばいくつかの店を回って条件を満たす商品の中で安いものを選ぶ、というプロセスが必要になるだろうが、この文化祭準備においては金額の安さよりも時間の早さが優先されていた。クラスに関してもそうだが、予算関係はかなり甘いというか、融通が効くようになっているのだ。
それも星印学園を運営するのは日本最大企業である東洞グループだということを考えれば、無理があることでもない。
そうして購入してきた飾り付け用の材料と釘やねじの類を、職員室で飛騨をせっついて手に入れた段ボール箱につっこんだのが飛鳥達のもつ荷物だ。
ちなみに飛鳥達は生徒会ではなく、文化祭実行委員における設営班の班長である生徒の指示に従っている。資料室は言わば物置であるため、この荷物をそこへ運ぶのは、生徒会の指示を受けるまでの先送りに近い。
いずれにしてもまだ骨組み等の肝心の材料が集まっていないので、設営に本格的にとりかかることはできないため仕方がないのだが、この荷物を抱えて3階までの階段を上るのは少々つらい。
自分から巻き込んだ手前、泉美の前で弱音を吐くこともささやかなプライドが許してくれず、飛鳥は意地の無表情でそびえ立つ階段に臨むのだった。
ほぼ口数ゼロで3階まで登りきった飛鳥は、そこでやっとこさ荷物を下ろして資料室の扉を開けた。
「あんた鍵なんていつ貰ってたの?」
「こっち来る時渡されたの。ほれ、さっさと中入って適当なとこに荷物置いてくれ」
「はいはい」
肩を回しながら言う飛鳥の脇を抜けて、泉美が薄暗い部屋の中に入る。
いつぞや飛鳥と隼斗が職員室とこの部屋を何往復もした時と比べても、いくらか荷物が重い。泉美の足取りにほんの少しの疲れが見えるが、それも仕方の無いことだろう。
飛鳥は足元に置いた荷物はそのままに、泉美に続いて部屋の中に入る。
両手がふさがっている彼女の代わりに、壁に付けられたスイッチを叩いて部屋の明かりをつけた。
「うわっ、埃っぽい!」
バチッと照明が部屋を照らした瞬間、そこらじゅうでフワフワと舞っていた埃が光を浴びて姿を現す。泉美は荷物を抱えたまま顔をしかめた。
飛鳥も不快感を表情に出しながら、顔の前のパタパタと仰いで部屋の外へ出る。置いてあった二つの段ボール箱を抱え直して、再び埃まみれの部屋へと乗り込んだ。
「これどこ置く? 割とすぐ使いそうだけど」
「とりあえずわかりやすいとこ、つか見えやすいとこに置いとけばいいんじゃね?」
「じゃあこのへんでいっか。スペースあるから4つまとめて並べておきましょ」
その場に落とすような勢いで、抱えていた箱を地面に置いた泉美は、重ねていた物を横に並べる。床から舞いあがる埃にせき込んで、泉美は小走りで部屋の窓を開けに行った。
パタパタと窓へ向かう背中と後を追うように舞いあがる埃を、頬を引きつらせながら見送りつつ、飛鳥は泉美の置いた荷物に、自分が抱えていた荷物を並べた。
縦横2つずつ並べて、足で強引に奥へ通し込んだところで、ちょうど泉美が部屋の奥の窓を勢いよく開く。
途端舞いこんできた風に、久々に新鮮な空気を浴びた部屋中の埃がハイテンションに踊り狂った。
「うん、これでちょっとはマシになるかな」
「バッカ、地獄絵図だよ!」
飛鳥は顔の前で腕をぶんぶん振り回す。それでも呼吸器に絶え間なく襲いかかる埃の群れに耐えかねて、目を細めたまま開いた窓へ向け一目散に駆けだした。
窓枠に乗せた片手に体重を預けていた泉美を押しのけるようにして、窓から身を乗り出した飛鳥が激しく咳き込んだ。
気管がひっくり返る勢いで喉を震わす飛鳥の背中を、泉美がさりげなくさする。飛鳥は10秒近く経ってやっと咳を止めて、大きく深呼吸をした。
顔を上げた飛鳥は窓枠に腰掛けて、疲れ切った表情で部屋の中を眺める。
「泉美、一言言ってくれ……」
「悪かったわよ」
部屋の扉も開いたままだったので、窓が空いたことによって空気の流れはできていた。
あちこちを舞う埃も時間の経過でいくらがマシになったようには感じられるが、完全に解決するならば、一度簡単にでも掃除をする必要があるだろう。
「前来た時とあんまり置いてる物の量が変わってないようだし、この埃っぽさ。……たぶんほとんど使われてないな」
「この部屋来たことあるんだ?」
「半年前とかそんなレベルだ。それでも見たところの物の配置が変わってないようだけどな」
飛鳥は遥がしていた生徒会の仕事を手伝って、職員室からこの資料室へ荷物を運んだことがある。その時に部屋の様子は見ているが、今ここで部屋を眺める限りその時からほぼ代わり映えしていない。正真正銘の物置と化しているようだ。
「これ、掃除でもする?」
とりあえず呼吸に苦労するほどではなくなった部屋の中心で、周囲をぐるりと見渡した泉美が提案した。
飛鳥は露骨に顔をしかめる。
「えぇ、面倒くさすぎるだろ……。マジでやんの?」
「だってこうして荷物運んで来たってことは、この部屋は文化祭準備で使うってことでじゃない。それなら早いうちに軽くでも掃除しておいた方が良いと思うけど」
「……まぁ、一理あるか」
面倒臭げに深くため息をついた飛鳥は、ピョンと窓枠から飛び降りた。
「つっても荷物どけてやるような本格的なのはナシだぞ。そこまでは俺のやる気が追いつかん」
「それはあたしも同じよ。床と、あとは置いてあるものの表面の埃ぐらいを落とせれば十分でしょ」
「じゃ、教室行って掃除用具取ってくるか。はたきか何かが必要だろうけど、そっちは生徒会にでも借りられるだろう」
「そうね」
窓と部屋の鍵を閉めて、飛鳥達は一旦教室へと向かった。
「お?」
教室のドアについた窓から部屋を覗き込んだ飛鳥の口から、ふとそんな声が漏れた。
「練習、やってるみたいね」
「だな」
肩越しに教室を覗き込んだ泉美の言葉に、飛鳥は短く答えて頷く。
ドアの窓の奥では、台本を片手に演劇の練習にいそしむクラスメイト達の姿が見えた。
教室前側のドアの取っ手にかけていた手を離して、飛鳥達は教室の後ろ側と移動した。できるだけ音が立たないようにゆっくりとドアをスライドさせて、練習をしている生徒の邪魔にならないように教室へと入りこむ。
続く泉美が後ろ手にドアを閉めて、二人並んで練習をしているクラスメイトを眺める。
台本片手とはいえかなり集中しているのか、前で練習をしている5人の生徒がこちらに気付く様子は無かった。
演じているのは冒頭のシーン。5人の人物が、乱闘寸前の緊張感を漂わせているところだ。
一人の男子生徒が見つめていた台本を下ろして、別の生徒のセリフに続く形で、大きめの声でこう言った。
「剣を抜いたまま話し合いだと? はっ、ふざけるな。おいお前ら、行くぞ!」
なかなか迫力のある声で言った生徒がぐっと拳を突き上げたところで、パンと掌を叩く音が響いた。
「オッケー! とりあえず一旦はここまで、少し休憩してからもう一回同じところやろうか」
脇から見ていた伊達がそう言ったことで、教室の前に居た生徒たちが一斉に肩の力を抜いた。
「おっしゃ、休憩! なんか疲れるぜー」
「やべぇ、練習なのに超緊張するんだけど」
「緊張とか、だっせ」
「しょっぱなから噛んでた奴が言うことじゃねーよ、だっせ」
「だっせ」
「台本から一度も目離せなかったお前らに言われたくねーよ!」
口々に言いながら横に並んだ椅子の方へ向かう生徒たちから目を離した伊達は、そこで飛鳥達の存在に気がついた。
「よ、アスカ。もう仕事終わったのか」
「よっす。いや、ちょっと用事があってな」
わざわざ正確に伝えるようなことでもないので、飛鳥は適当にそう答えた。
「調子良さそうじゃないか。っていうかもう台本できてたんだな。案外間に合いそうか?」
「案外言うな。でも1時間程度の劇だし、結構うまく台本ができてるから修正もいらないって考えると、覚えるだけなら簡単かもな。小道具とか手が空きやすい奴の中からも何人か舞台に上がるようにして、役一つに一人が当たるようにしてるから、一人あたりの負担も軽めだしな」
「そっか。ちょっと心配だったが、言いきるなら大丈夫なんだろうな。それはともかく、なんか伊達がまともなこと言っててすげぇ違和感」
「おい」
「ま、俺台本持ってないから詳しいこと言われてもよく分からないんだけどな」
両手を広げて見せる飛鳥に、伊達は露骨にため息をつく。そこでふと何かに思い当たったようにポンと手を打って、小走りで教卓の方へ向かった。
「そういや、台本一冊余ってたような…………あったあった」
教卓の奥から引っこ抜いて、伊達はそれをひょいと差し出した。だが飛鳥は首を横に振る。
「いや、別にいらねーよ。使う予定もないし」
「ん? そうか? でもまぁ余ってんだし持ってけよ」
「いやいいよ……。あぁ、そうだ。だったら泉美、お前もらっとけよ」
「え、私?」
特に脈絡もなく話を振られた泉美は、自分を指さしてキョトンと首を傾げる。
「ほれ」
飛鳥が伊達から取り上げた台本をそのまま手渡され、泉美は胸に抱えるようにそれを受け取った。
「え、いいの?」
「うん、まぁ、いいんじゃないか? さっきも言ったけど、余ってた奴だし」
わざわざ許可を求められると思っていなかったのか、伊達は曖昧ながら頷く。
「そっか、ありがとう」
泉美の頬がほんの少しだけ緩んでいるのを見て、飛鳥はそれとなく笑みを浮かべた。
だがそこにとげのある声が届く。
「意味無いと思うけどね」
眉を寄せた飛鳥がそちらに目を向けると、ウェーブのかかった茶髪と右耳のピアスが目立つ少女の姿があった。
「水城……」
無意味に水を差すようなことを言う水城に、飛鳥は鋭い視線を向ける。
意に介さぬというように、水城は視線を外した。
「伊達、時間無いんだから練習再開するよ」
「あ、ああ。それじゃ休憩終了! 最初からもう一回同じように練習するぞ!」
伊達の号令に、椅子に腰かけていた生徒が一斉に立ち上がる。前に集合して何かを話し合うクラスメイト達を横目に見ながら、飛鳥は泉美に声をかける。
「じゃ、俺達も仕事に戻るか」
「……うん」
俯けていた顔を上げて、泉美は頷いた。
飛鳥達が教室の後ろにある掃除用具入れに手を伸ばしたところで、またしても声がかけられた。
「あの、星野君達は、今何してるの?」
「美倉か。実行委員の仕事の延長だよ。資料室が汚いから軽く掃除しに行くんだ」
「それ、本当?」
「……は?」
意図の知れない美倉の言葉に、飛鳥は思わず怪訝な表情になる。
美倉は慌てて両手を振った。
「あ、な、なんでもないよ。気にしないで。二人とも実行委員のお仕事がんばってね、それじゃ!」
言うだけ言って、美倉は前で打ち合わせをしている生徒たちの方へかけて行ってしまう。
「…………」
細めた目でその背中を見送って、飛鳥は小さくため息をついた。
「アスカ?」
「なんでもない、行くぞ」
掃除用具を手にとって、二人は教室から出て行った。