2:『実行委員』
さっそく多目的室へやって来た二人は、特に場所を指定されていない席に並んで腰かける。
泉美がふとこんなことを尋ねてきた。
「ねえアスカ、あんたなんで勝手にあたしのこと実行委員に他薦なんてしたのよ」
「やりたそーな空気出しといて言うセリフじゃねぇよそんなの」
「べっ、別にあたしはやりたいなんて……」
「……ふっ」
「ま、た鼻で笑ったコイツ……ッ!」
キッと睨みつけてくる泉美から、飛鳥は余裕の表情で視線を外す。怒った様子が見なくても伝わってくるが、この程度なら泉美も足をぺしぺし蹴ってくる以上の事はしないので、スルーに徹する飛鳥。
泉美も以前とは比較にならないほど感情を表に出すようになった。
こうなってみるととっつき辛いだ何だと言われていたのが嘘のようで、年相応と言うか、落ち着いている風を装っているのが逆に子供っぽく見える。
これまでの彼女を考えれば、学校でも恐らく気を抜くタイミングなど無かったのだろう。一人で屋上へ行って昼食を取っていたのも、周囲をアーク研究に巻き込みたくないという意思だけでなく、いっそ誰もいない方が泉美自身にとっても気楽だったからかもしれない。
未だ全ての事情を話してもらってはいないものの、彼女自身から聞いた話だけでも、泉美がずっと心を殺して生きてきたのだと飛鳥は理解していた。
いらぬ気遣いかもしれないが、彼女が肩の力を抜いて接することのできる相手が自分だとするなら、今足にぺしぺしぶつけられているつま先も、戯れとして流しておこうと飛鳥は思うのだった。
オーストラリアへの遠征から戻ってまだそう日は経っていないが、泉美はもうクラスではいくらか受け入れられている。
もともと泉美は最初のクラスメイトへの対応で距離を置かれていたという面が強く、気を悪くした生徒もいたとはいえ、そうはっきりと嫌われていた訳ではない。どちらかというと、どう接すればいいのかを皆が測りかねていたという部分が大きい。
あれから1ヶ月半以上と経ってはいるが、泉美が飛鳥や美倉への態度を軟化させたことから他のクラスメイトとも交流が生まれている。特に男子はスパッと切り変えて泉美に普通に接するようになっているし、女子も美倉を介してなど間接的ではあるが仲良くするようにはなっている。
まだ泉美自身が飛鳥や隼斗――と何故か伊達も――以外の生徒を「君」付けなり「さん」付けなりで呼ぶと少しよそよそしい部分はあるものの、文化祭を前にして概ねクラスの一員として受け入れられたとみていいだろう。
(ま、それも完璧じゃないっぽいが……)
想起するのは、飛鳥が泉美を文化祭実行委員に推薦した時に、鋭い視線を向けていた女子の表情。
水城悠乃。茶色に染めたロングヘアーと右耳のピアスが印象的な、やや不良チックなクラスメイトだ。普段から2人の女子と一緒に居ることが多いのだが、その二人は印象が薄く、飛鳥には名前すら思い出せない。
不良っぽいのは見た目だけで、これといってトラブルを起こしたりはしてないし、むしろ女子におけるクラスの中心的ポジションに居る生徒でもある。ちなみに男子のそれは伊達だ。
理由は明確ではないが、水城が泉美に対してあまり良い感情を抱いていないのは、ここ最近の彼女の態度で認識していた。飛鳥に分かるのだから、当人である泉美もまず理解しているだろう。
そんな水城の影響がいくらかあるのか、特に女子はやはり泉美に対してどっちつかずな振る舞いの生徒が多い。
そういったことを除いたとしても、泉美に友達らしい友達がいないというのもまた事実だった。あくまで避けられるということが無くなっただけのようなものなのだ。
今のままでも十分状況が改善されているのは間違いないのだが、飛鳥としては泉美に信用のおける友人の一人二人ができるまで面倒を見てやろうという感じだった。
おせっかいもいい加減度が過ぎている自覚はあったが、このまま「あとは自分で頑張れ」と言えないのも飛鳥の性格なのである。
二人がごちゃごちゃやっているうちに、多目的室の生徒の数がずいぶん増えていた。
来た時には4割程度の埋まり方だった席も、今はもうほぼ全ての席に生徒が座っている。
生徒会メンバーの居るクラスは2人が実行委員として選出され、それ以外のクラスからが3人だとすると、生徒会メンバーを含めて2学年12クラス計36人が文化祭を運営する事になるようだ。
1クラスに満たない程度の人数だが、多いのか少ないのかが飛鳥には分からなかった。
(といっても、遥さんならまず大丈夫か)
この文化祭に関しては教師側が必要以上に干渉はしていないようなので、運営に関する計画は生徒会主導で決めたものと考えて間違いない。人数設定も遥を中心とした生徒会で決定されたものなら、運営に支障をきたすこともないだろう。
ここで無条件に信頼できるというのが遥のカリスマ性と言うか、長所といったところなのだろう。
頬づえをついた飛鳥が視線を向けた先では、壁に掛けられた大型モニタの前に立つ遥の姿があった。
「みんな揃ってるわね」
遥は前から全体を見渡して、特に空席が無いことを確認した後そう言った。
「それじゃあ早速始めましょうか。簡単な説明だから、手短にね。まず初めに、各クラスから3人ずつ文化祭実行委員としてこの部屋に来てもらっているのは皆分かっているわよね? つまり今回の文化祭は、ここに居る実行委員と生徒会を含めた36人で運営する事になるわ」
遥はそこで一旦言葉を切る。
キョロキョロと周囲を見回したり、同じクラスだろう隣席の生徒と小声で話したりし始める生徒たちを見て、遥はこう続けた。
「本番までの期間を考えると人数に不安がある人もいるかもしれないけど、そこは大丈夫よ。準備から当日までの流れはあらかじめ生徒会で話し合いを済ませているから、皆にお願いするのは会場設営や各部活への連絡等の仕事になるわ。女子の皆には少し申し訳ないけど、肉体労働が中心になるわ。全員がそうなるとは限らないのだけど、設営関係の仕事にあたってもらう人が多いから、そのつもりでいてね」
隣でふんふんと頷いている泉美を横目に、飛鳥は少し意識を外す。
どうやら見る限り、ここに来ている生徒会のメンバーは遥と、飛鳥には覚えの無い小柄な女子生徒一人のようだ。
飛鳥達から少し遅れて教室を出たはずの隼斗がこの場に居ない辺り、残りの生徒会メンバーである隼斗と九十九はまた何か別の仕事があるのかもしれない。
生徒会自体はあらかじめ準備を進めていたようだが、それでもあと2週間と少しで文化祭本番だ。時間的な余裕はあまりないのだろう。
思考を巡らせていると、前方の男子生徒が挙手して口を開いた。
「会長さん、実行委員ってやっぱりクラスの手伝いってできない感じ?」
遥は頷く。
「ええ、今のところそうなりそう。全くクラスを手伝えないということにはならないけど、基本的には実行委員の仕事を優先してもらうことになるわ。だからクラスの出し物で役割を持つこと自体は問題ないのだけど、重要な役割や、時間的な拘束を受ける役割は担当しないようにしてほしいの。常に実行委員の仕事があるという風にはならないし、当日はシフトを組んで個人の負担が大きくなり過ぎないよう工夫はするけれど、いざというときはすぐにこちらに来られるようにしてもらえると助かるわ。各クラス担任にはあらかじめ説明してあるから、もう知っているとは思うけれど、一応ね」
「はい、わかりましたー」
質問をした生徒は適当に首を縦に振った。
遥はその生徒に向けていた視線を外し、改めて多目的室全体を見回して尋ねる。
「他に質問のある人はいるかしら?」
特に聞きたい事のある生徒はいないようで、飛鳥も一緒になって首を回してみるも、手を上げている生徒の姿は見当たらなかった。
「いないみたいね。それじゃあ今日は一旦解散ということにしましょうか。具体的な仕事についてだけど、それはまた今日みたいに集まってもらった時に伝えるわ。基本は生徒会の指示に従うことになるから、それは覚えておいて。仕事の振り分けはプリントにまとめているから、帰る前にそこの彼女から受け取ってね」
遥がすっと手を差し伸べた方には、先ほど遥の傍に居た生徒会メンバーらしき女子生徒が、プリントの束を抱えて立っていた。
「今はそれぐらいかしら。それじゃ、みんなお疲れさま」
遥はパンと手を叩いて、宣言通り手短に話を終わらせた。
続々と生徒が席を立って、雑談と共に多目的室から立ち去る中、泉美も座っていた椅子から腰を上げた。
「どうしよう、アスカ。一旦教室戻る?」
「そうだな。たぶんまだ話し合いしてるだろうし、ちょっと見に行くか」
答えながら自身も椅子から立ち上がった飛鳥は、そこでふと前に居る遥の横顔が目に映った。
「…………」
「アスカ?」
「……と思ったけどやっぱちょっとめんどくせぇな。泉美、お前先行っといてくれよ。俺は他のクラスの奴と駄弁ってから行くから」
「あんたねぇ……」
「いいだろ別に、どうせ積極的に関わってる余裕なんてないんだからさ」
不真面目全開の飛鳥の言動に泉美は顔をしかめる。呆れたように肩をすくめて、一つため息をついた。
「はぁ、わかったわ。あんたもさっさと戻って来んのよ」
「あいよー」
殊更適当な飛鳥の返事を背中に受けながら、泉美は部屋の外へと向かって行った。彼女が出口間際でプリントを受け取りながら肩越しに視線を寄こしたことに、飛鳥は気付かなかった。
くるりと軽くターンした飛鳥は、席についたまま喋っていた他のクラスの顔見知りではなく、前で余ったプリントを整理していた遥の方に歩み寄った。
「こんちわっす、遥さん」
「あら、アスカ君」
持ち上げようとしていたプリントをテーブルに置き直した遥は、振り返って笑顔を向けてきた。
「実行委員になったのね。本郷さんもいたけれど、立候補したの?」
「ええ、まぁ。俺は立候補であいつは巻き込みました」
「また乱暴なことしているわね……」
「うちのクラスの奴ら乗り気じゃなかったもんで。泉美がやりたそうにしてたんで、代わりに手を上げただけっすよ。それにほら、隼斗もこっちだし、まとまっておいた方が何かと便利じゃないすか?」
思いつきの口から出まかせだったが、意外と理に適っていたので飛鳥は内心で満足顔を浮かべた。
「とはいっても、研究の方は文化祭と準備期間の間はあまりしないことにしているのだけどね。やっぱり私と隼斗が忙しくなっちゃうから、あまり効率的じゃなくなるもの」
「あぁ、そうだったんすか。まぁいいでしょ、何かあったときのためってことで」
「ふふっ、そうね」
相変わらず何も考えていないような飛鳥の返答に、遥はくすりと笑う。
その笑みに、ふと陰りが見えた。
「……疲れてるんですか、遥さん?」
「え?」
驚いたように顔を上げた遥は、そこで自分が顔を俯けていたことに気付いた。張りつけたような微笑みで、彼女は答える。
「やっぱり、顔に出てたかしら?」
「ええ、まぁ。ただそうでなくてもわかりますよ、あの場には俺もいましたし」
オーストラリア遠征から戻って来た後のアストラルの解析で「Third Eve」の遺伝子データを発見した時のことを、飛鳥は思い出していた。
あれからそう日も経っていないというのに、遥はこうして生徒会長として文化祭準備に忙殺される状況にある。彼女相手に同情などする気もないが、飛鳥も心配に思っているのは間違いなかった。
「まだ分からないことも多いんですから、あのことは他の人に任せて、遥さんはこっちに集中したらいいんじゃないですか? どっちみち、これから忙しくなるんだし、少しは研究から離れてみてもいいでしょ」
「……ええ、そうね。……それ、いつだったか、私がアスカ君に言ったことじゃなかったかしら?」
「覚えてました? 確か6月の、神原財団の件の後っすよ。あのときは俺も冷静じゃなかったっていうか、少し荒れてたっていうか……。俺よりはマシだと思うけど、遥さんも、少し落ち着くまで待ってみたほうが良いんじゃないかと思いますよ」
「アスカ君……」
「っと、すいません。偉そうでしたね」
恥ずかしげに頭の後ろをガジガジと掻くと、飛鳥は一歩後ろに下がった。
「それじゃ、俺はクラスの方に戻ります。遥さん、生徒会は特に忙しいと思うけど、頑張ってください」
「ええ、ありがとう。アスカ君もね」
「はい、また次の時に」
そうして挨拶を交わして、飛鳥は教室へと向かって行った。