4章『これまでの彼女、これからの彼ら』:3
飛鳥と泉美が甲板でいろいろと話をしている頃、船内ではカミラとラクランを交えて状況の整理が行われていた。
対面に座ったカミラとラクランの二人を交互に見て、遥はまずこう尋ねた。
「じゃあ私たちが、というよりこの船が東洞グループのもので、あなた達が所属する研究機関への遠征のために航行しているのは把握していたということかしら?」
「ま、そうなるさね」
椅子に腰かけていたカミラは腕を組み足まで組んで、臆面もなくそう答えた。見かねたラクランが彼女の膝をぺしぺしと叩くと、鬱陶しそうに顔をしかめて両足を床につけた。
「そして攻撃してきた理由は、なんだったかしら……腕試し?」
「そういうこと」
「…………はぁ」
遥は額に手を当てて、盛大にため息をついた。
本当に簡単な事情はあらかじめ飛鳥から隼斗経由で伝え聞いていたので、分かっていることではあった。ただこうも簡単に肯定されてしまうと、どこかやるせない感覚が残ってしまうのだ。
「まぁ、アスカ君も泉美さんも気にしていないようだから、私としてももういいのだけどね」
それを聞いて、カミラは感心したように頷いた。
「ほー、よかったなラッキー。話が分かる相手みたいだぜ」
「シー姉、せめて態度だけでいいから反省はしよう」
「んだよラッキーだって結構ノリノリだったじゃん。なんでウチにだけ反省しろとか言ってんのさ」
「ボクはいま全力で反省しているからだっ!」
身を小さくしているラクランは顔を俯けたまま、語気だけ荒げてそう言った。申し訳なさそうというよりは、どちらかというとこの状況に縮こまっている感じだ。
とはいえ彼らにとってはアウェーにあたる場所だし、仕方の無いことなのだろう。
「そんなに固くならなくてもいいんじゃないかしら? くつろいでくれていいわよ」
「は、はぁ……」
遥にそう促されて、ラクランはやっとほんの少しだけ肩の力を抜いた。それでも隣で尊大にソファの背もたれにもたれかかっているカミラとは対照的な態度である。
ちぐはぐな二人ねー、と心の中で呟きながら、遥は二人の顔を窺った。
「まぁどっちみちさ」
口を開いたのはカミラだ。
「戦闘演習かなんかで一度ぐらいは戦うことになってただろうし、ほら、ちょっと予定を短縮したって感じで」
「いずれにせよここで足止めを食らっているのだから、短縮は出来ていないんじゃないの?」
「それ『も』あるってことよ。どうせ模擬戦なんてしたってそこまで本気出してくれないじゃん? それじゃあお互い得られるものも少ないし、本気で来てもらわなきゃこっちも困るのさ」
「模擬戦でも彼らなら全力で戦っていたとは思うけど……これは考えるだけ無駄ね」
可能性の話をしても今更なにも意味は無い。
飛鳥はこれまでも結構な回数の実験を含めた戦闘を行っているが、どれもまずその時点での全力を尽くしている。泉美は泉美で実験関係で手を抜くということはない。実際にオーストラリアで模擬戦を行っても本気で戦っていただろう。
しかしそれらは付き合いのある遥だからこその判断だし、カミラ達はそう判断できなかったのかもしれない。
「オーストラリアのアーク研究って、これまでずっと予算が少なかったんでしたっけ?」
尋ねたのは、遥の傍らで立っていた隼斗だった。
ラクランがうんうんと頷くのを見て、何やら納得がいったように口元を緩ませた。
「オーストラリアではこれまで、アーク自体が大きく破損するような実験などは行われなかったんでしょう。そういう経緯があったから、模擬戦では本気で戦わないと思っていたものかと」
「そんなところでしょうね」
背後から耳打ちする隼斗に、遥は振り返らずに頷いた。
「災害対策技術開発局の方では、これまでに模擬戦や戦闘実験みたいな事はしなかったのかしら?」
「上の連中が企画してやったってことは無いね。ただウチとこのラッキーで勝手に戦ったことはあるけど」
「撃破の時にコードを二つ入手したのはそういうこと……」
「まぁその時にナチュラルをボロボロにぶっ壊しちまって随分ドヤされたけどね。さっきのはまぁ、その時の経験ってトコかな」
しれっと言ってのけるカミラ。遥も思わず頬を引きつらせる。
そんな相方をジト目で睨みつけた後、ラクランはため息をついてこう言った。
「ボクたちの研究機関、ほとんど予算がついてないんです。それこそ破損したアークの修理で与えられた年間予算の3割近くが失われてしまうほどでした。……正直、今回の中国がらみの件は渡りに船だったんです」
「ええ、その事情は把握しているわ。しかしこれまで一度も戦闘経験が無いのにあの二人を追い詰めるだなんて、センスの問題なのかしら」
「そっちはウチらがどうってより、アンタらんトコの二人の問題だと思うけど? 具体的にはあのホライゾンの嬢ちゃんか。といっても、いくらか途中でマシにしてきたみたいだけどさ。まさかああもあっさり落されるとは思わなかったよ」
「……まぁ彼女は、確かにそうね」
「でも個人の技量は明らかにウチらよりは上だった。そうだよな、ラッキー?」
「うん、あの辺りが経験の差なんだろうね」
横目で尋ねるカミラに、ラクランは特に迷う様子もなく頷いた。
負けたということに思うところがあるのではなく、あくまで負けた理由を冷静に分析している態度だった。
カミラのいかにも適当そうな態度からは違和感もあるが、本気で戦うためにわざわざ襲撃のまねごとをするほどにはアーク研究に対して真剣であるとも取れた。
「とはいっても、本当はもっと手も足も出ないってレベルで負けるつもりだったんだけどね」
「どういうこと?」
唐突なカミラの言葉に、遥は眉を寄せた。
カミラは両手をひらりと広げると、皮肉めいた笑みを浮かべてこう続ける。
「先の中国の件で、ウチの人間がやっとこさアークに対して軍事方面での研究を行うと決めたのはいいんだが……それでも大した予算が下りなくてね。いくらかマシになったとは言っても、劇的に改善されるってレベルじゃあなかった。危機感が足りてないのさ」
「……つまり、ハッキリと負けて戦力の不足を上層部に訴えかける目的があったということかしら?」
「その通り。ちょうど元中国のホライゾンも居たことだしさ、そいつ含めた相手に負けておけばいくらか説得力も出るだろう? 企業のスポンサーが付いてない時点である程度は仕方がないけど、腰が重いのは事実なんでね。荒っぽいことさせてもらったのはそれが主な理由さ」
カミラはそう言って、何やら考え込むように顔を伏せた遥を眺めた。
ラクランは再びジト目になって、カミラをチラリと窺った。
「シー姉、なんかさっきと言ってること違うんだけど……」
「ラッキーは黙ってろ」
「痛っ!? シー姉ぶった! 今ぶったよ!?」
「何言ってんのさラッキー。言われなくてもわかってるよ」
「じゃなくて何でいきなり殴ったのかって言ってるの!」
「うるさい。ウチの華麗な舌先三寸に水差すんじゃないよ」
げんこつを振り下ろされた頭頂部を両手で押さえ、あまつさえ涙すら浮かべるラクランに、カミラは全く悪びれもせずそう答えた。
「どれが本音なのやら……」
外野のポジションで話を聞いていた隼斗も、こればっかりは苦笑するしかなかった。
とそこで、俯いたまま考えごとをしていた遥が顔を上げる。
「今のやり取りはともかく、仮に単なる思いつきなのだとしても、確かに言っている内容は合理的ね。やり方が少し強引すぎるけれど」
「そっちに関しては大目に見てもらえると助かる。どっちにしろ政治面は水面下で事態が進行してると見るなら、多少強引にでもなんとかして対策を立てなきゃならない。そのためには早い段階から環境を整えておく必要があるし、今ウチらに必要な環境はすなわち予算と、根本的な技術だ。……実行したウチが言うことじゃないけど、今回の共同研究は中止にしないでほしい」
そこで初めて、カミラは真面目な顔になって頭を下げた。ラクランも慌ててそれに続く。
隼斗が遥の耳元に口を寄せた。
「会長、このままオーストラリアに向かいませんか?」
「ええ、そうね」
遥は頷くと、カミラ達に顔を上げるように促した。
「理由は分かりました。共同研究の中止はせず、この船は引き続きオーストラリアに向かいます」
「あ、ありがとうございます!」
顔を上げかけていたラクランは、笑顔を浮かべながらももう一度頭を振り下ろす。隣のカミラもほっと胸をなでおろしていた。
「ふぅ、話のわかるリーダーさんで助かったよ」
「リーダーは私じゃないのだけどね。……まぁいいわ、その旨で皆には伝えましょう。機能停止したクランブルはこの船の格納ブロックに乗せて運びます。ただ乗せられるのは最大4機だから、ラクラン君は動けるナチュラルに乗ってもらうことになるけれど、いいかしら?」
「はい、大丈夫です!」
快活に頷いたラクランが素早く立ち上がって、機体のある格納ブロックに向かって走り出してしまう。
その後ろ姿を肩越しに見送るカミラに、遥は真剣な口調で声をかけた。
「だけど解せないわね。予算が無いのは分かるけれど、だからってこう無理をしてまでけしかける必要があるのかしら。今回はタイミングの問題もあって短期間しか共同研究ができないとは言っても、いずれまた機会を持つこともできるのよ?」
「ああ、それね」
椅子の背もたれに腕を投げ出したまま、カミラは正面を向いた。すっと細められた目が、泉美の視線を捉える。
「ホライゾンの領空侵犯自体は外交圧力をかけるために中国が計画したことなんだろう? ウチの国の連中が慌ててるのはそれだしね。そしてホライゾンの鹵獲を計画したのは日本で、協力したのが韓国ってトコロか。北朝鮮は少なくとも直接は噛んでないと見えるが」
「あなた……」
「だがウチにも解せないと思えるところがある。そもそも日本政府はどうやって当のホライゾンのパイロットにアプローチしたんだ? 中国の軍人で、なおかつ存在そのものがトップクラスの機密のはずだぜ? 少なくとも外部から調べる程度じゃ個人の名前すら見つけられないようになってる。で、日本政府ってのはそんな相手と細かく計画を立てて亡命の手引きができるほどの諜報能力を持っているのか? ウチにはそこが疑問なのさ」
カミラは一方的にまくしたてるが、その口から放たれる内容はいずれも遥にとっても疑問だった部分だ。そしてその答えは、未だ彼女の中には無い。
つい先ほどまで見せていた適当な態度からは想像もつかない分析力に、遥は口をつぐんで警戒心をむき出しにする。
そんな彼女の態度など気にもかけないように、視線を外したカミラはこう続けた。
「そもそもコレ、計画の立案からして日本政府がやったんじゃないんじゃないか?」
「……どういうこと?」
「そのままの意味だよ。中国軍を出し抜き、その上で発生した外交上の大きな問題を全て水面下に押し込むようなウルトラCをキメたのが、完全な第三者組織の人間なんじゃないかって話さ」
「…………」
カミラの言葉を受けて、遥の脳裏に一つの言葉がよぎる。
「心当たりがある、って顔だねぇ」
沈黙した遥をチラリと窺って、カミラはニヤリと口角を釣り上げた。
「何が目的なのか、そもそもそんな奴らがいるのかさえもわかりゃしないんだけど、ウチはそういう連中がいると思ってる。目先で影響を拡大させようとしてる中国は、それでも緊急で問題になるようなもんじゃない。本当に問題なのは、その動きを裏から操ってる奴がいるって可能性だ。そこまで考えたら、足踏みしている余裕があると誰が保証できる? 何かあった時に力が足らないんじゃ話にならない……そう思うことが既に踊らされているのだとしても、だ。だから今の内から、できる対策はしておかなきゃならないのさ。死ぬ気も、死なせる気も無いんでね」
カミラはそれっきり、おしゃべりな口を閉ざしてしまう。
腹を刺すような静けさに、遥はありもしない視線を感じるようですらあった。