4章『これまでの彼女、これからの彼ら』:1
多少は興味もあったものの疲れの方が勝った飛鳥は、面倒な話は全て遥達に任せて船の甲板へとやってきていた。
アストラルとホライゾンは元の通り船の格納庫に戻してある。クランブルは機能を停止してしまっているため海上に機体を放置したままだが、ナチュラルは船の横に寄り添うようにして動きを止めている。
一応飛鳥達が乗って来た船のキャパシティはアーク4機なので、場合によっては機能を停止したクランブルを乗せて、ラクランのみアークに搭乗した状態でオーストラリアに向かうことになるらしい。
とはいえそれも遥達の話次第だ。
事情はともかく、カミラとラクランが行った行為は正真正銘単なる襲撃だ。飛鳥達は怒ったりしていないものの、度が過ぎているというのが遥の言い方だった。彼女個人としてはそれほど不満があるわけでもないだろうが、それとは別のモラルやマナーの問題である。
東洞側にも少なからず被害が出ていることもあるし、そういった損害に対する補償等をどうするかも問題らしい。わかりやすい被害としては、爆装したアストラルのフォトンブレードなどだ。
ちなみに当のフォトンブレードだが、一部のパーツが壊れていながらもそれ自体は海中ですぐに発見された。
クランブルのドリルの影響により高速で刀身が欠損したために、それを補てんするため形状維持装置が過剰に動作し、重光子放出部が仕様外の制御をされた結果、セイフティが起動する前に放出部付近で圧縮重光子が連鎖崩壊を起こしてしまったことが今回の破損の原因だったらしい。
つまり破壊されたのは武装の外側部分のみで、アストラルの腕から武器が脱落したのは、単に誘爆によるダメージを避けるためにシステムによって強制パージが行われたからのようだ。
重光子生成機や重光子圧縮機、形状維持装置といった基幹部にはほとんどダメージは無かったようで、同行していた虎鉄曰く「適切な設備があれば修理には半日もかからん」とのことだった。幸い予備パーツもあったようで、それ次第では今日中に修復ができるらしい。
何はともあれ、それほど被害が大きくなくてよかった、というのが飛鳥の本音だった。
停止した船の上、かっ飛ばす船の甲板を駆け抜ける空気抵抗的なそれとは違う、純粋な潮風を浴びていた飛鳥。手すりに両腕を乗せて背中を預ける彼の前で、甲板と船の内部を繋ぐ扉が開いた。
「ん?」
閉じていた目を開けると、ライダースーツから学校の制服に着替えたらしい泉美が扉を後ろ手に占めるところだった。
どうやらあのライダースーツは彼女の言葉通り戦闘服という表現で間違いはなく、アークに搭乗する際のみ身につけるようにしているもののようだ。
彼女は船のへさきで手すりにもたれかかっている飛鳥を見とめると、無言でスタスタと歩み寄っていく。
泉美が手前数歩の距離に来たところで、飛鳥は手すりに乗せていた右手をおもむろに掲げた。
パァン! とすれ違う泉美と手を叩きあう。
「お疲れさん。大勝利じゃん」
「辛勝よ。まったく、笑えないわ」
「即席であれだけやれりゃ充分だと思うけどなぁ」
「ま、それもそうね。……あんたもお疲れさま」
飛鳥の隣にやってくると、泉美は両手を手すりに乗せて潮風を深く吸い込んだ。目を閉じて深く息を吐く。
「しっかし、よくもまぁ戦闘中にプログラムなんざ構築するもんだよお前」
「単に2機の火器管制をリンクさせて射撃タイミングを合わせたり、照準を相対位置から修正するだけのシステムよ。大したものじゃないわ」
「戦闘中にできるもんか? そうでなくても俺には無理だ」
「まぁほら、あたし凄いし」
「臆面もなく……。けど確かに否定のしようもないか。今回は8割方お前のおかげだ」
「殊勝ね、もっと敬ってもいいのよ」
「褒めがいの無い奴だなホント……」
船を走らせている時よりはいくらか静かなさざ波の音が鼓膜をくすぐる。昼下がりの温い風が頬を撫でる。
二人の間に張り詰めた緊張のあとはもう見られず、それよりは放課後の教室にも似た、どこか穏やかな沈黙に包まれていた。
船首で砕ける波の音に、二人分の吐息の音が混ざる。不規則なリズムと規則的なリズムが、瞳を暗闇で覆う飛鳥をまどろみへと引っ張っていく。
思ったより疲れがあったのかもしれない、と振り払うべく飛鳥は口を開いた。
「俺さ、やっぱずっと後悔してたんだ」
「何の話?」
「ガキの頃のこと。お前のこと止めれてたらって、ずっと思ってたんだよ」
「……そう」
泉美は頷く。
いつもならそれで興味を失った態度を取るところだろうが、泉美は顔はそっけなく前に向けたまま、視線だけを飛鳥の方に向けた。
飛鳥は続ける。
「正直アークがどうこうは関係なくってさ、大口叩いて何もできなかった事にずっと後悔があったんだ」
「あれは……」
「ああ、お前はそれで十分だって言ってくれた。だけどさ、それとは別に口先だけで約束が守れなかったってことがどうしようもなく悔しかった。……覚えてんだよ、俺はお前の引っ越しの事知った時に『絶対になんとかする』って、そう言ったはずだ」
「……うん、言ったよ」
「だから俺の、少なくともあの『絶対』は、やっぱりただの嘘だった。できなかったあの日、お前があのバスに乗り込んだ時点で俺の言葉は嘘になってたんだよ。お前の、嫌いだっていう嘘にだ」
フォローはいらない、とばかりに断定的な口調で話す飛鳥の言葉に、泉美は何も答えなかった。
手すりに預けていた体重をその二本の足で支え、飛鳥は泉美の方を向く。
すっ、と。静かにその頭を下げた。
「ごめん」
「アスカ……」
噛みしめた唇は見えなかっただろうか。握りしめ震える拳は見えなかっただろうか。過去の失敗に怒りを覚える自分の弱い心は彼女に見えなかっただろうか。
不安は、頬に添えられた指先によって拭われた。
「もういいよ。それで十分」
優しい声音で、それだけを泉美は言った。
「……うん、ありがとう」
添えられていた手が頬を離れると、口の中でそう呟いて、飛鳥は頭を上げる。そのときにはもう、辛気臭い顔は引っ込めていた。
「アスカやっぱりお節介だよ。あのときから変わってない」
「かもな。……そっか、あのときも俺のやったことはお節介だったか」
「うん。でも嬉しかったよ」
「っ……」
さらっと放たれた泉美の発言に、飛鳥は思わず言葉を詰まらせた。目を見開く飛鳥を横目で見ながら、泉美は淡々と続ける。
「自分で誰にもバレないようにはしてたんだけど、いざ誰も気付いてくれないとそれはそれで寂しかったから。アスカがなにか隠し事してるだろって言って来た時は、驚きもしたけどやっぱり嬉しかったんだ」
「……泉美」
「あたしこれでも嘘つくの得意でさ、演技も。……あんまりそういうところ好きじゃなかったんだけど。あれ、なんで気付いたの?」
「さぁな。ただ、俺も昔から親に連れてかれてあっちこっち飛び回ってたから、なんとなく似たような雰囲気でも感じたんだと思う。……悪い、そこまで完璧には思い出せねーや。とりあえず、なんかすごい気になったとしか」
「ぷっ、なにそれ」
飛鳥が曖昧に答えると、泉美は噴き出した。
「あたしはさ、あのときまで全然話したりもしてなかったのに急に話しかけてきて『何こいつ?』って感じになってたよ」
「……おいその暴露いらなくねぇか?」
「そのくせこっちがはぐらかそうとしても何か確信があるみたいに追及してきて、もうほんとしつこいったら」
「うぉい!」
「でも今更になって考えてみれば、やっぱり嬉しかったんだよ。引き止められると辛くなるからって自分で隠してたくせに、誰もあたしが苦しんでるのに気付いてくれないって、勝手なこと思ってたから」
「……ま、ガキなんてそんなもんだろう」
彼女の気持ちなど考えずただただ自分の感性のみで行動した結果、走り去るバスを這いつくばって見送ることしかできなかった自分を思い出して、飛鳥は答える。
泉美は笑う。
「ならアスカは、そこは変わってないね。ガキのまんまよ」
「変わったさ」
口の端を釣り上げて、飛鳥は続ける。
「誰かのためってのはただの言い訳だって、今ならちゃんとそう言える。仕方ないで済ませていいのは、自分の気持ちだけなんだって」
自嘲気味な呟きに、泉美は言葉では答えなかった。ただ視線を外して、揺らぐ水平線に顔を向ける。
「なぁ、お前から見て、あの日から俺は変われてるか?」
飛鳥がポツリと尋ねると、泉美はそちらを振り返った。
「変われてるよ。……今度の『絶対』は、アスカちゃんと守ってくれたもの」
「……そっか」
呟く彼を横目で窺って、泉美は顔を俯ける。
「それに、なんていうか……うん。カッコよくなったと思うよ。あの日より、ずっと」
「はっ………………?」
予想もしていなかった言葉に飛鳥の思考がフリーズする。泉美は泉美で自分で言って恥ずかしくなったのか、頬を朱に染めていた。
気まずい沈黙が二人の間に満ちたところで、飛鳥が「ぷっ」と噴き出した。
「は、はははっ! お、お前、よっくそんな恥ずかしいこと言えるなぁ、俺ちょっと感動したわ。うははは!」
「くっ、ぬっ、ぅぅ~~~~~~~~~~~~~~!!!!」
真顔で煽る飛鳥と、思いきり歯を食いしばってガンガンと手すりを殴りつける泉美。
魔が差したが故の発言だったのだろうが、こう笑われてしまうともうどうしようもない泉美だった。
腹を抱えてプルプル震える飛鳥と拳を手すりに押しつけたままプルプル震えていた泉美も、さすがに十数秒と経てばそれも収まる。
やがて口から零れた深いため息は、二人同時についたものだった。
「ねぇ、アスカ」
「ん、なんだ?」
「あんたから見て、あたしはあの日から変わってるかな?」
同じ質問を返されて、飛鳥は口を閉ざした。
泉美の方に体ごと向き直ると、顎に手を当てて下から上に視線を辿らせる。
「……髪切った?」
「ぶっ飛ばすわよ」「冗談」
素早く腰の位置に構えられた拳を見て、飛鳥も素早く否定した。一度深く息を吸って、彼は続ける。
「ま、7年も前だ、そりゃ変わっただろ。お互い知らない場所で知らない生活してたんだし」
「……そういうのが聞きたいんじゃないんだけど」
「背かなり伸びたよな。あと髪染めてるし。つかなんで染めたんだ?」
「別に。今は黒よりこっちの方が似合うし、あたし。それに今どき染めたぐらいで髪なんて痛まないから」
「ふぅん。……似合ってんじゃね」
「……ん」
「あと、まぁ、な。……やっぱ、綺麗になったよ」
「あ…………」
どもりながら飛鳥がそう言うと、泉美はわかりやすく顔を赤くした。次いで鼻をふんと鳴らすと、無理矢理嫌味っぽい笑みを張りつけて口を開く。
「ふ、ふん! あんたもよくそんな恥ずかしい――」
だが泉美がそこまで言ったところで、頭の後ろで手を組んだ飛鳥の言葉が割り込んだ。
「まぁちょっと可愛げがなくなった気はするけどなぁぁぁぁぁあッ!?!?」
ドシュウッ!! と、どう考えても人間が出せるはずの無い風切り音を響かせて、泉美の放った地獄突きが飛鳥の喉仏の手前でピタリと静止した。
「あ・ん・た・は! 一々余計なことを言わないと気が済まないワケ!? 本気でぶっ潰すわよ!!」
「ののの喉元数ミリに殺気を突きつけながらとか冗談に聞こえないからやめてぇぃ!?」
ガクガクブルブルと目一杯恐怖に包まれた表情を作る飛鳥の頬を、冷たい汗が伝った。
数秒ほど完全静止していた飛鳥だが、泉美がため息をついて貫き手をひっこめると大きく息を吐いて脱力した。
「締まんないったらないわ……」
手すりにもたれかかって、泉美は疲れたように呟いた。同じ手すりに背中を預ける飛鳥。
なにはともあれ、だ。
「いいんじゃねぇの? 俺たちらしくてさ」
彼は一旦、そう締めくくった。