2章『お節介のやり方』:6
星印学園地下研究所のメンバーが乗る船が襲撃される、その数分前。
彼らが邂逅した場所の南の方角には、太平洋を北へ向かう2機のアークの姿があった。
一方はコードC、アーク・クランブル。そしてもう一方はコードN、アーク・ナチュラルである。
それらはオーストラリア災害対策技術開発局が研究対象として管理しているアークだったが、この海を渡る現在においては、その管理下で許可された行動を逸脱していた。
海上を時速500kmを上回る速度で飛行しているその二機、正確にはそのコックピットにいる二人のパイロットには、ある目的があったのだ。
『ホントにこんなことしていいのかなぁ』
ナチュラルのコックピットより、クランブルに向けて通信が届いた。
音は高い、だが少年のそれとわかる声である。人によってはひ弱に感じられるかもしれない。
自動操縦に設定された機体のコックピットでそれを聞いていた女性は、頭の後ろで手を組んだ。
女性の名はカミラ=キャンベル。アークと同様にオーストラリア災害対策技術開発局に所属する女性で、アーク・クランブルのパイロットである。ライセンス所有者の中では年齢が高い19歳だ。
釣り目気味の目を閉じて、カミラはぶっきらぼうに答える。
「問題ねーさ、ちょっくらデータ取りに行くってだけなんだから」
『そこが既に言い訳なんだもん……』
「あーん?」
ババッと足を組んだカミラはふとももの上に肘をついて、モニタに映った少年の顔に向かって威嚇するような視線を向ける。
「なーんだラッキー、ウチのやり方にケチ付けるってか?」
『そうじゃなくてぇ』
ラッキーと呼ばれた少年の名は、ラクラン=オスカー=ウッド。カミラと同じ組織に所属する、アーク・ナチュラルのパイロットだ。
彼もまた自動操縦に設定した機体のコックピットの中で、カミラとは正反対にあたふたしていた。
「今日って午後に日本からお客さんが来るって研究所の人が言ってたでしょ。勝手に出てきて良かったの?」
「あー……あれ?……あそっかそっか、言ってなかったっけ、てへへ~」
片手で頭を掻きながらぺろりと舌を出したカミラだったが、ラクランは思いきり頬を引きつらせていた。
「シー姉、笑い方気持ち悪いよ……」
「あぁん!?」
途端にモニタに頭突きでもしたのかと思うほどの勢いで画面にどアップになったカミラの鬼の形相に、ラクランもビクゥ! 身を強張らせる。
ラクランは身体を思いきりモニタから遠ざけながら、画面に映ったカミラを横目に見つめる。
「言ってなかったって、何を?」
「このお散歩の目的」
「聞いてないよ! だから文句言ってるじゃないのさ!」
「おーうラッキー、やっぱウチに文句言ってやがったか。覚悟しときな、あとでシメてやらーよ」
「うっ……。こ、今回ばかりはボクだって引き下がらないぞ! いつもいつもシー姉が勝手に話進めちゃうしそれはもう慣れたけど、今回ボクは何も事情を聞かされてないんだ! おとなしくプロレス技なんて食らってやらないからな!」
ラクランは涙目でコックピットのシートにしがみつきながら、ブンブンと片手で作った握りこぶしを振り回した。口は達者だが態度はまるっきりヘタレのそれである。
ラクランの態度に嗜虐心が満たされたのか、カミラは満足そうに鼻を鳴らすと、ストンとシートに腰かけなおした。
「これから会いに行くんだよん。その日本の連中にさ」
「えぇ!? でも迎えに行けだなんて言われてないよ?」
「たりめーよ、これはウチの独断だしな」
「やっぱりダメじゃないか! もう、どやされる前に戻ろうよー」
「なぁに情けない声上げてんだいラッキー。説教の一つや二つでごちゃごちゃ言うんじゃないよ全く。だいたいそんなのいつものことじゃない。いい加減慣れたら?」
「そのお説教っていつもシー姉が勝手に始めたことに僕が巻き込まれてるだけなんだよ! もうこりごりだ!」
いい加減本気で泣きだしてしまいそうなほどに手足をバタバタさせているラクラン。
その様子をモニタ越しにぼんやりと眺めていたカミラは、数秒経ってはっと意識を取り戻した後、口元を拭ってこう言った。
「やっと頭の悪い上司が重い腰を上げたんだ。これまでおとなしく狭い箱に缶詰やらされてたぶんも含めて、ちっとは憂さ晴らしでもさせてもわにゃ割に合わないからねぇ」
「シー姉さっきから何言ってるの?」
「愚痴だよグチグチ。ったくさー、何のために19歳にもなってデカイお人形遊びなんてしてたかってな話よ。ドンパチの一つもないんじゃぜんっぜん面白くないね!」
やたらと悪役じみた、しかし満面の笑みを浮かべるカミラ。その様子を見て、ラクランは徐々に彼女の言いたいことを察し始めていく。
「せっかく中国のバカどもがやらかしてくれたおかげでこっちも軍事開発だなんて大層な御題目を掲げ直したんだ。ならウチらにも派手にやる理由ぐらいはできたってもんさ」
「シー姉、まさか……」
「そうよそのまさかっさぁ! これから日本の船に襲撃かけて、出てきたアークと一戦ヤろうってのよヒャッハー!!」
両手を全開にしてとことんハイに叫ぶカミラの態度に、ラクランは思わず両手で頭を抱えた。
「やっぱりそう来るのォ!? いやだいやだ! 絶対にいやだ!! こんなのお説教で済まないよ! 国際問題だよ! カバーできる範囲とか遥かに超えてるよ! 無理無理無理無理!! ボク返る! 絶対帰る!!」
「駄々こねるんじゃないよラッキー。夜一人で眠れない子供じゃないんだからさ」
「子供はシー姉の方だ!! こんなワガママ付き合いきれるわけないよ!」
「適当なところで切りあげるから、そう心配しなくていいって」
「そんなこと言って、いざ始まったら熱中しちゃって決着付くまで戦うんだ! もう騙されないからな! シー姉のその言葉に騙されてナチュラルがボロボロになった時なんて1日部屋に閉じ込められたんだから! そのくせシー姉はどっか逃げちゃってあとでへらへら笑って戻ってくるし!」
「だーいじょうぶだってその時ウチなんて3日間研究所の人間から逃走劇繰り広げてたから。黒服マジ怖ぇ」
「全然大丈夫じゃなーい!!」
まぁ最終的には乗ってたバイクぶっ壊れて捕まったんだけどさ、などと補足するカミラだったが、ラクランからしたらそんなこと知ったこっちゃないのである。
これまで幾度となくカミラの悪ふざけには付き合わされてきたし、そのたびに謂れの無い説教アンドお仕置きを受けてきたが、今回はそのレベルで済みそうもない。断固として止めなければ。
「シー姉、今回はマズイって! いつも相手はボクだから遊びが過ぎたでなんとかなってるけど……いやなってないけど! でも日本の船ってこれから共同研究する相手でしょ、もし向こうが怒って帰っちゃったりしたら今回の企画とん挫だよ? 分かってるの?」
「分かってる分かってる。でもたぶん大丈夫だよ」
「根拠が無いんだよ……」
カミラが鬱陶しそうに手をひらひらと振ると、ラクランは酷く疲れた様子でシートにもたれかかった。
「それにさ」
カミラは続ける。
「どの道どっかしらで模擬戦か何かをやることにはなるんだ。ただそれじゃあ盛り上がらないじゃん?」
「……それで?」
「向こうには元中国最強だとかいうホライゾンが居て、そいつを倒したアストラルって奴までいるみたいだしね。どうせなら本気で戦いたいじゃない」
「やっぱりそういうことだよ……」
呆れかえった様子のラクランだったが、カミラはフォローするそぶりはまるでなかった。
ほんの少し沈黙すると、カミラはおもむろに口を開いた。
「だけどラッキーこれは無駄じゃあないんだぜ。ウチらがどれだけやれんのか、知っとくことに意味はあるんだよ」
「どういうこと?」
「ここから先、世界は大きく動くんだってことさ。偉い連中がこぞって慌ててんのも的外れじゃないの。いいかいラッキー、その時戦わなきゃならないのはウチらなんだ。これまではそんなんじゃなかったし、ラッキーみたいな子供を戦場に引っ張り出すなんてなったらそりゃあ普通の奴らは反対するだろうさ。だけど普通でいられるか? 対抗手段がそれ一つしかないって時に、切り札切らなきゃそのままぶっ殺されるって時に、それでも人間って奴はテメーの安っぽい倫理に従えると思うかい?」
「……わからないよ」
「なら教えてやる。答えはNOだ。本能って奴は強いのさ、人が思ってるより遥かにね。例えば極寒の雪山で恋人の肉を食って命を繋ぐ程度やってしまえるぐらいに。例えば船から投げ出された救命ボートを奪い合って親兄弟を海に沈めてしまえるぐらいに、さ」
「っ、やめてよシー姉!」
「おっと、悪いね、言い過ぎたか」
まるで反省していないと言わんばかりにぺろりと舌を出すカミラだったが、顔を俯けたラクランにはその表情は見えなかった。
硬く拳を握りしめるラクランに向けて、カミラはこう続けた。
「ラッキー、ウチらは災害対策なんてやっちゃあいるけど、ホントはこっちにあるべきだったんだ。本当に怖いのは火山噴火でも地震でも津波でも台風でも竜巻でもない、人間なんだよ。第二次大戦で何人死んだか知ってるかい? 6000万人以上だぜ? 狂気の沙汰だね、神様でもやらないよ。……なぁラッキー、ウチらがこれから戦わなきゃなんないのはそれなのさ。ちっとは腹くくってかないと、奇跡はそう何度も起こるもんじゃないんだ。生き残れないぜ」
「……はぁー、わかったよ」
深く息を吐いたラクランは、それまでとは違う低い声音でそう答えた。
俯けた頭に、着ていたパーカーのフードをばさりとかぶせた。
「事故の時にはシー姉には助けられたし、もう決めてた。……やるっていうなら、やるけどさ」
「ひゅー、いいねぇ、スイッチ入ったじゃん。そうこなくっちゃさ」
「でもボクは責任取らないからね。今度は1週間でも2週間でも逃げ続けて、エアーズロックの上で干からびてくるといいよ」
「くっくっく、言うねぇ。……ま、見せてやろうじゃない。日本の連中に、ウチらの力をさ!」
その言葉を皮きりに、二機は自動操縦の設定を解除し、より一層の速度を伴って太平洋を駆けて行く。