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アークライセンス  作者: 植伊 蒼
第5部-Bluff and Brave-
124/259

2章『お節介のやり方』:5

 潮の香りが鼻腔の奥へツンと突き刺さる感覚に、飛鳥はすんと軽く鼻をすすった。

 南へ向け航海を続ける船の甲板の上には、船首が切り裂く波の速度とは不釣り合いな穏やかな風が吹いていた。

 おぼろに浮かぶ雲にさえぎられることなく甲板に降り注ぐ陽の光は、赤道直下を少し過ぎた程度の現在地にふさわしく、真夏のそれを思わせるほどに眩しい。

 オーストラリアへ向かうこの船、出発したのは前日の夜だった。つまりはテストが終わったその日だったのだ。ようは船の中で一睡したということでもある。

 もともと日数的に余裕のない中での共同研究ということで、時間的ロスはギリギリまで削って行く形になっており、それには移動時間も含まれている。

 船でありながら、日本から半日程度でオーストラリアに到着する予定であることを考えると、とてつもないスピードが出ていることはわかるだろう。

 実際、洋上の船とすれ違う大なり小なりの波は、めまぐるしいスピードで遠方から手前、そして視界の外へ走り抜けている。

 大型の船でこのスピードというのは、当然ながら単なる推進力だけの問題ではない。

 甲板の上で感じる風が随分弱いというのにも現れているのだが、この船の前方を覆うように、アーク技術を応用した装置によって力学干渉フィールドを展開しているのだ。

 それによって水の抵抗を大幅に弱め、まるで船とは思えないほどのとてつもないスピードを生みだしている。空気抵抗に関してもその対象であり、甲板で感じられる風が弱いのはその副産物的なものだった。

 どうやら船自体は既存の大型船を改造した物のようだが、例えばアークの簡単な整備も行える大規模格納区画があったり、例えば前述の力学干渉フィールド発生装置や高速推進システムが搭載されているなど、おおよそ魔改造の領域に頭から飛び込んだような代物である。

 力学干渉フィールドの理論自体はずいぶん前からあったモノのようで、アメリカでの共同研究によってアーク波の存在が知られたことにより、本格的に開発が始まったのだ。一葉専用のシミュレーション用機体、アナザーアーク・タイプリーフに搭載されているキネティックエナジーブースターもこの開発計画の一環として作成されたものである。

 開発自体は星印学園地下研究所とはまた別の、東洞グループが持つ施設で開発されたのだが、それが今回のオーストラリア遠征に間に合ったので、搭載した船に乗ってこうして海を渡っているわけだ。

 力学フィールド装置や専用の推進システムがどうやらかなりエネルギーを食うようで、実は非稼働状態のアークのジェネレーターが放つ出力をそれらの動力源にしているというのも、技術的に注目すべき部分だろう。

 今回、飛鳥達パイロットメンバーまでもがアークと同じ船で移動しているのは、この船自体のテストも兼ねているというのが実際のところだった。

 とはいえ、事情はどうあれなんだかんだで船の居心地は良いものだった。飛行機ほど狭いというわけでもないし、その気になれば甲板外周でランニング程度ならできる程度に開放感もある。飛鳥としても全く不満はなかった。


 甲板の上でも、普通に目を開ける分にはそれほど困難でもない。飛鳥は船首の辺りで手すりに身体を預けている泉美の方へと歩いていった。

「何やってんだ?」

 泉美はピクリと肩を動かすと、しかし振り向くことなく答える。

「別に。ちょっと外の風浴びに来ただけ」

「そうか」

 飛鳥もすげなく答えると、自らも手すりに背中を預けた。

 風に揺れる泉美の明るいポニーテールから、潮のそれとは違う香りがふわりと舞った。

 彼女の端正な横顔を眺めながら、飛鳥は特に理由もなく口を開いた。

「なぁ、泉美テストどうだったんだ?」

「……まだ返ってきてないんだけど」

「手ごたえ」

 ぶっきらぼうな言葉ながら、飛鳥は泉美の横顔から目を逸らさない。

 反対に、泉美は途方もない海の向こうを見つめていた。

「普通、かな。……あんたは?」

「……俺も普通だったよ」

 しれっと答える飛鳥だったが、そこで視線は完全に泉美から逸らされていた。

「ならあたしの方が上ね」

「お前のそのよくわからん自信はどっから湧いてくるんだよ」

「あんたの自信の無さからよ」

 ちらっと視線を寄こして、鼻でも鳴らしそうなほどの上から目線で言ってのける泉美。

 顔に出てたか、と額に手を当てて俯いた飛鳥は、そこであることに気付いた。

「ていうか、お前って勉強できんの?」

「……バカにしてんの?」

「じゃなくて」

 今度こそ顔を向けて苛立った声を上げる泉美。飛鳥は両手を振って続ける。

「こっち来てから1ヶ月だろ? それでどうやってテストで普通なんて言えるほど点取れるんだよ」

「ああ、そのこと」

 つまらなそうに息を吐くと、泉美は再び水平線の向こうに目をやった。

「向こうでも最低限の教育ぐらいは受けてたわ。独学でいくつかは穴埋めもしたけど」

「マジ? それでどうにかなるもんなのか?」

「ま、当然日本の指導要領とは内容も合ってなかったから、こっちに来てから2週間で詰め込み直しもしたわよ」

「地力が違う、だと……!?」

 今度こそふふん、と得意げな顔をする泉美を、飛鳥は驚愕の表情で見つめていた。

 独学とやらでどの程度フォローできていたかは知りようもないが、それでも普通に2週間勉強すればカバーしきれるほどではないだろうし、逆にそうなら独学とやらが凄まじすぎる。

 涼しい顔をして裏で猛烈な努力をしているパターンなのだろうが、結局飛鳥には具体的な想像はできなかった。

「べ、勉強なんてできなくたって……」

「困らないわよ。できても困らないけど」

「うぐぐ……」

 負け惜しみでは毛ほども揺るがない勝者の余裕に、飛鳥は歯噛みするより他になかった。

 というかまだ負けが決まったわけではないのだが、残念ながらクラスでも下から数えたほうが若干早い飛鳥には、なんというか勝てる気がしない。

 腹の立つドヤ顔だが、不思議なことに説得力だけはやたらとあったのだ。

「でも、少し安心した」

 飛鳥は、唐突にそんなことを言った。

「は? 何が?」

「勉強、向こうでも出来てたんだなって。それだけだ」

 怪訝な表情を浮かべる泉美に対し、飛鳥は本心から、しかしひとり言のようにそう言った。

「……あっそ」

 ぷいと顔を明後日の方に向けた泉美。飛鳥からは窺えない彼女の瞳には、飛鳥には見えない感情が滲んでいた。

 ふいに下りた沈黙の帳が二人の間を遮った。

 この数分でほんの少しだけ近付けたような実感も、船首が砕く波の音にかき消されていく。

 海鳥の声が聞こえた気がしたが、あまりにも場違い過ぎて、飛鳥には幻聴にさえ思えた。

 頬を撫でる風は温い。

 日に照らされた海面をなぞる潮風は、相応の熱を孕んだまま、甲板の上を前から後ろへと走り去っていく。

 湿っぽい臭いに、いつかのバス停の記憶がふと重なる。

 船を軋ませるエンジン音が、まるで走り去るバスのマフラーから響く音のように聞こえて、心が手招く海に引きずられる錯覚をした。

 身体を船に置いたまま、瞼を閉じた飛鳥の意識がふらりと宙を舞う。

 空の青は記憶と同じように澄んでいて、朧な雲の形さえ瓜二つと見紛うほど。

 だが身体を包む不規則な揺れはゆりかごのそれとは似付かぬ乱暴さで、船の上で船を漕ぐような愚行を飛鳥には許さなかった。

 こんなときでも睡眠不足にはならないマイペースさを微かに恨みながら、飛鳥は変わらず冴えた頭で前を見つめた。

 背中を手すりに預ける飛鳥は北の空を見ていて、手すりに両腕を乗せた泉美は南の空を見ていた。

「中国であったこと、俺に教えてくれないか?」

 知りたいと思った。

 でなければここが、この隔たる2メートルが、彼の歩み寄れる限界になってしまうから。

 泉美は、

「……嫌よ」

 首を横に振った。

「そっか」

 飛鳥は静かに頷いて、そしてそれ以上を求めなかった。

 誰のための拒絶かは飛鳥には分からなかったが、それが泉美の優しさ故の選択だと、今はそう信じることにしたのだ。

 飛鳥に全てを打ち明けるには、彼にはまだ何かが足りないと彼女が考えているのだとすれば。

 そうではないと示すのは、きっと言葉ではなく行動であると飛鳥は確信していた。

 空を見上げ、聞こえるか聞こえないかの微かな声で呟く。

「あの日も、こんな空だったっけ」

「…………」

 二人が想い浮かべた景色は、きっと同じものだっただろう。

 その上で、泉美はきっぱりこう答えた。

「違うよ」

 左の掌を空に掲げて、泉美は焼け付くような白い光を見上げた。

「太陽、高すぎるもん」

「……はっ、そりゃそうだ」

 何を急にアホな質問をしたのだろうと飛鳥は自分のシリアス顔を思い浮かべて、それを鼻で笑ってみせた。

 だがそこで、泉美はふと眉を寄せる。

「……?」

「どうした?」

 妙な気配を感じた飛鳥が泉美に目を向けると、彼女は目を細めて前方の睨みつけるようにしていた。

「……っ、あれ!」

「あれ……っておい、泉美!!」

 驚愕に目を見開いた泉美の反応に、慌てて飛鳥が海の向こうに目を凝らした瞬間、泉美が弾かれたようにその場から走りだした。

 気付いて振り返った時にはもう船の中に入ってしまったのか、既に泉美の背中は見えない。

「ったく、何だってんだよ!」

 飛鳥も手すりを蹴り飛ばすような勢いで階段に繋がるドアへと走り出す。

 振り向き際、視界の端に移った黒い影が、彼に妙な胸騒ぎを覚えさせた。



 飛鳥がついさっきまでいたエントランスのような広い空間の一角は、来る前とは違う妙にあわただしい空気が流れていた。

 ただ、泉美が突然走り出したような嫌な緊迫感は感じられない。

 飛鳥は努めて落ち着いた態度で、立ったまま壁に掛けられたモニタを眺めていた遥に声をかけた。

「遥さん、泉美みなかったですか?」

「あらアスカ君。いえ、私は見ていないわ。デッキの方にはいなかったの?」

「いや、居て普通に話してたんですけど、さっき急に走ってどっか行っちまって……。つか、何かあったんですか? 妙にあわただしいっすけど」

「何かあったというか、ほら、あれ」

 遥はそう言って見つめていた壁のモニタを指さした。

「あれ……っ、アーク!?」

「あー、アスカ君、身構えないでいいわよ。あれ、オーストラリアのだから」

「え、と。オーストラリアのってことは……」

「クランブルとナチュラルね。出迎えかしら。でもそんな話はしていなかったのだけど」

 モニタに移る二機の機影は、もう随分と大きく見えていた。かなり船に近いところまで来ているらしい。

 一方は海面スレスレを飛行する水色の機体で、もう一方はそこから少し高いところを飛んでいるオレンジ色の機体だった。

 二機は高速で船に接近すると、そのやや手前数百メートルで急停止した。

 そして機体のスピーカー越しに、直後にこう言い放った。

『そこの不審船、ちょっと止まってもらおうか』

 オーストラリア英語だろうが、飛鳥の使うアメリカ英語とはいくらか違っているが、辛うじて聞き取れるレベルだった。

「不審船って……」

「とすると、海上警備だったのかしら。まぁいいわ」

 遥はそう言って、モニタ近くに歩み寄ると、そこに設置されていた通信機のようなものを手に取った。マイクの取り付けられた装置を口に寄せて、本体のボタンを何度か叩くとこう言った。

「この船は日本の、東洞グループアーク総合研究機関、星印学園地下研究所所属の貨客船よ。我々はオーストラリア災害対策技術開発局との共同研究のためにそちらに招かれているの。不審船ではないわ」

 遥は相手に合わせて英語に言葉を変え、極めて事務的な対応で彼らに対しそう答えた。

 だが、

『東洞だァ? 知らないね』

 相手は、そう言った。

「はぁ!?」

「知らないですって……?」

 驚愕の表情を浮かべる飛鳥をよそに、遥は顔をしかめて続ける。

「どういうことかしら。そちらのアーク研究機関との共同研究のはずなのだけど、あなた達には伝えられてなかったのかしら? なら今からでもあなた達の所属組織に確認を取ってもらえれば――――」

『御託はいいから止まれってんだよ』

 ドスの利いた声で遥の言葉を遮った直後、モニタに映っていたオレンジ色の機体が左腕を前に掲げた。

 その腕には、ギラついた金属光沢を放つ先のとがった巨大なドリル状の武器が装備されていた。

『じゃねーと、ぶっ壊しちまうぜ?』

 戦闘意欲全開の言葉に、飛鳥は思わず硬く拳を握った。

 漠然としていた胸騒ぎが確信へと変わる。

「……どういうことなの?」

 マイクから口を離し、茫然とした表情を浮かべる遥に歩み寄ると、飛鳥はこう言った。

「遥さん、俺が一旦アストラルで出ます」

「……ええ、わかったわ。許可します」

「はい!」

 ダッとその場から駈け出した飛鳥は、エントランスの階段を一気に下まで駆けおりて、一番下の階にある格納ブロックを目指す。

「アスカ!」

「隼斗!」

 途中であらわれて、階段を駆け降りる飛鳥に並走を始めた隼斗に、飛鳥は尋ねる。

「そうだ隼斗、泉美は見なかったか?」

「本郷さん?……あ、さっき下の階に走って行く人影が見えたけど、あれやっぱり本郷さんだったのか」

「ちっ、てことはあいつ勝手にホライゾンの方に……。わりぃ隼斗、あのバカがドンパチ始める前に俺も出る」

「なら僕も――」

「お前は万が一の時のために、船の守りをしててくれ。流れ弾なんて冗談にもならねぇからな」

「……わかった。ならそっちは頼むよ、アスカ!」

「オーライ!」

 パン! と小気味よい音を立てて手を叩きあった二人は、最下階に辿り着いた瞬間、即座にターンして真逆の方向へと走り出す。

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