2章『お節介のやり方』:4
そうして2週間後と時間はぶっ飛ぶ。
なにやらスパンが短過ぎて逆にやる気の起きなかったテスト期間が過ぎたその翌日、飛鳥達はオーストラリアへ向かう船の中にいた。
オーストラリアの国営の研究機関である災害対策技術開発局では、その名の通り災害対策のための技術開発が行われているわけだが、ここの研究にはオーストラリアが持つアークが用いられている。
災害対策をアーク研究の目的にしているのは、現状各国に存在するアーク研究機関としては珍しく、またそれ故に独自のアドバンテージを持つ組織でもある。
ただ研究目的がやや偏っていることもあり、彼ら自身の研究だけではどうしても技術的に追いつかない部分がいくつかあるのだ。
そのため『アーク研究によって得られた技術を用いた製品開発』を主とするという一点において、世界の中でもトップクラスの技術力を持つ日本の東洞グループアーク総合研究機関と、数年ほど前から簡単な協力関係を結んでいる。
「技術交流自体は以前から活発に行われていたのだけど、それも研究者の間だけだったわ」
遥はそう語る。
もともと日本とオーストラリアの研究機関の間には、日米間のような政治に絡んだ国家的なつながりの強さはない。日本の東洞グループ、鞍馬脳科学研究所とアメリカの3つの研究機関のような大掛かりな共同研究などは行われていなかったのだ。
基本はアーク研究に携わる研究者同士が行き来したりして技術的な交流を行うのがせいぜいだった。
東洞側からはオーストラリア側と協力するメリットはそこまで大きくないが、それでもある程度は技術交流には積極的だった。しかし当のオーストラリア側が、アークそのものを運んで施設を借りるといった大規模な交流を望まなかったのだ。
ここには、オーストラリアのような国営機関特有の制約がある。
東洞グループはそもそもの財力が莫大であり、研究に掛ける予算もケタ違いなのでわかり辛いのだが、全世界で見ればアーク研究というのはそれほど大きく力を入れられている分野ではないのだ。
もともとが未知の塊。研究の進展への予測や、得られた技術の利用に対する展望などを明確に示しづらく、なおかつ説明しても理解され辛い。そのためあくまで一企業である東洞などに比べて、国営機関はあまり大胆に予算を掛けられないのだ。
アメリカにしてもそうだが、アーク研究に関して国が直接ではなく、研究に携わる企業をバックアップするような形を取っているのは、そちらの方が資金の確保でも臨機応変な運用でも有利になりやすいからだ。
とはいえ必ずしも国内にアーク研究に積極的な企業が存在しているとも限らないし、それがなければ国が直接研究を行わざるを得なくなる。
そういった研究機関は結局のところ、他の機関の研究成果などを例に出すことでお偉い方から理解を得て、他から一歩遅れる形で研究の規模を拡大していくという方法を取っていた。オーストラリアの技術開発局が東洞に協力を求めたのも、そういった成功例の獲得が一つの目的だったわけだ。
だがそれも1ヶ月ほど前に中国が政治的な駆け引きにアークを使用したことにより、少々事情が変わってきている。
中国は先の世界恐慌をうまく切り抜け、多くの先進国家が多大なダメージを受ける中、相対的に国力を高めていた。その一端は、様々な市場のシェア上位に中国の企業が散見されることからも伺えるが、他のところでは、アジア諸国に対する軍事的・政治的な圧力の増大にも表れているのだ。
一時期は中国がアジアの支配者になる、とまで言われていた程だった。
ただそこでネックになるのは、アマテラスの製造販売などによって中国同様に世界恐慌をうまく切り抜けた日本の存在だった。というよりそもそも、ここ数年で関係が悪化した対日本の構想としてアジア圏への影響拡大があるのでは、というのが識者たちの見解である。
なんにせよその影響は既に東南アジアの国々にまで及んでおり、環太平洋地域であるオーストラリアは、アジアにおける中国の台頭に警戒を強めていたのだ。
そこにきて、当時は中国の軍属だったアーク・ホライゾンによる領空侵犯が起こった。この時点で、中国にはアークを政治的、ひいては軍事的に利用する意思があると、特にアークに関わる国々はそう判断した。
外交上表向きにはされないという日本との密約のもと、中国側はホライゾン引き渡しの要求をひっこめた訳だが、アークに関わる国々の特化した諜報網を潜れるようなものでもない。そこに関しては日中両国が妥協の範囲としており、またその事実を知る者もそれを公には漏らさないことを暗黙の了解としている状態だった。
ともあれ結果として、先進国家群と同様に徐々にだが軍縮を進めていたオーストラリアも、防衛のためにアークに対抗しうる力を求めることになる。
当然その手段として挙げられたのは、オーストラリアが持つ二機のアーク。つまりはコードCのアーク・クランブル、そしてコードNのアーク・ナチュラルだ。
そしてそこに、予算不足に悩んでいた災害対策技術開発局が自ら手を挙げた。
軍事費には新たな兵器を開発するための開発費も含まれている。彼らはそこに目をつけたのだ。
兵器開発費として、アーク研究のための費用を捻出する。アーク研究が少しでも軍事方面に触れているところならば、どこでもやっているような手法である。
そうして予算獲得と共に新たな研究目的を得たオーストラリア災害対策技術開発局は、以前から交流のあった東洞グループに、兵器開発のための基礎を作るべく共同研究を申し出てきたというわけだ。
人命救助のための災害対策に従事してきた研究機関が兵器開発を行うというのはなんとも皮肉なことだが、これも世情である。
種々の思惑が入り乱れているのかなんなのか、面倒なあれやこれやがうずまいて波立つ太平洋を、それには似つかわしくない子供たちを乗せた船がどんぶらこと泳いでいた。
「ということなのだけど、わかったかしら?」
一通りの説明を口頭で一気に片付けた遥が、ちょっと得意げな表情でそう言った。
その前方で椅子に腰かけていた飛鳥は2度ほど首を傾げてから、カクカクと頷く。
「あぁ、はい。なんとなくだけど、大体はわかりました」
「相変わらず曖昧だなぁ」
率直な感想を述べたのは、遥の傍らで立っていた隼斗だ。
遥はくすりと小さく笑うと、視線を再び飛鳥に向けた。
「でもアスカ君、最近こういう話は真面目に聞くようになったんじゃないかしら? 前は少し難しい話をすると分からないって言ってしまうことが多かったもの」
「俺も正直、頭こんがらがりそうですよ? でもこれまでは適当にしてたことだけど、よく考えたらやっぱ自分にも深く関係してくると思うし、ちゃんと理解しておくに越したことはないと思ったんすよ」
「……アスカが殊勝なことを言ってる」
飛鳥の発言に愕然とする隼斗。
「オイなに失礼なこと言ってやがんだ」
素早くツッコミを入れた飛鳥は、一つ息を吐いて肩の力を抜いた。
「んでも、案外急なもんすね。言っても1ヶ月前じゃないですか。国家予算なんてそんなすぐに自由になるもんなんすか?」
「単純に今後の予算にメドが立ったから、今使える分を使用しているってことじゃなかったかしら。あと今回の研究に関しても、東洞からある程度の出資はされているから。全てがあちらの負担というわけじゃないのよ」
「ああ、なんだ、てっきりオーストラリアの方に頼みこまれて渋々みたいなもんだと思ってましたよ。研究の進み具合ってだいぶ差がついてたんじゃなかったでしたっけ?」
飛鳥の質問に、遥は首肯して続ける。
「その通りではあるのだけど、全てにおいてこちらが上回っているというわけではないの。アクチュエータ関係では一時期あちらの方が技術的に上だったこともあるのよ。……まぁ、今ではウチがぬかしちゃった形になるけど。それ以外にもいろいろとね」
「研究の方向性が違うから、具体的にどちらが上か下かというのは単純に比較できるものでもないんだよ。僕らは基本的に、応用の利きそうな技術は何でも全部研究するようにしているけど、他のところは大抵研究対象も取捨選択をしているからね」
隼斗の補足を聞いて、飛鳥はなるほどとうなずく。
結局のところ、隼斗の今言ったことが東洞グループのアーク研究における弱点なのだ。
あまりに手広くやり過ぎているがために技術者が分散しがちで、一部遅々として進まない分野が出てきてしまう。特に成果の上がらない分野では、より進展の明確な分野に人手を取られてしまい、余計に進みづらくなる、という負のスパイラルが起こりかねない。
さまざまな組織と研究の協力関係を気付いているのは、外部からアイデアや技術を取り込むことでそういった研究の根詰まりを解消するためでもある。
一見メリットは薄そうに見えても、長期的にはしっかりとリターンを得ているというのが日本最大企業の強かさだった。
「ところで、今回の共同研究ってやっぱ兵器開発の関係になるんすか? それで増えた予算使って企画されたんですよね、これ」
飛鳥はそう尋ねた。
遥は若干申し訳なさそうにしながらも、きっぱりとした口調で答えた。
「ええ、そうなるわね。特に余所の事情では、本当はこういうことには関わらせたくないのだけど、東洞グループ自体の決定だと逆らえないから。直接私たちに交渉を持ちかけてきたならいくらかやりようはあったのだけど、梯子を外された形になるわね」
遥が言っているのは、オーストラリアの技術開発局が星印学園地下研究所に直接共同研究を提案してきたのなら、研究内容に対して星印学園地下研究所の方からある程度指定ができたのに、ということである。
そうではなく上の組織である東洞グループに対して話を持って行かれたので、こうして概ねオーストラリア側の求める形になってしまったというわけなのだ。
「実際中国の脅威は増しているから、彼らの対応も間違いではないんだよ。好ましいものでもないけどね」
「ふぅ~ん……」
気の無い返事をして、飛鳥はふと視線を横に向けた。
さほど広さの無い船の一室、テーブルを囲む一同からやや離れた窓際に泉美の姿があった。
先ほどから何度も話題に上がっている中国で、ついひと月前まで軍属のアークパイロットをしていた彼女だったが、窓の縁に肘をついた姿勢のままぼんやりしている。飛鳥達の会話にはまるで興味が無いといった様子だった。
眉を曇らす飛鳥を見ては、遥も隼斗も何かを言うことはできなかった。
そこで飛鳥の背後から、一人の少女が姿を見せた。
ドアを押し開いて入ってきたのは、いつもの如く手に何かの資料を持った一葉だった。
「あら、一葉じゃない。どこに行っていたの?」
「少し、アストラルの整備状況を確認してきたんです。新しいシステムの導入はしましたけど、テスト期間の間は最適化が進まなかったみたいで、ついさっきまで格納ブロックの中で機体の調整をしていたんですよ。それが一応終わったらしいので、現在の設定の資料だけ頂いてきたんです」
「それはいいのだけど、あなたにばかり雑用を任せてしまっては申し訳ないわ」
「いいんですよ。私にはこれぐらいしかできませんから」
一葉はそう言ってほほ笑んだ。
遥も余計な謝罪を重ねるのは野暮と考えたのか、一葉の好意に甘える形でそれ以上の言及はしなかった。
一葉は振り返っていた飛鳥の隣に腰掛けると、持っていた3枚ほどの紙の束を飛鳥に差し向けた。
「頂いてきた仕様ですけど、確認します?」
「ああ、読みます読みます」
一葉の手から資料を受け取りつつ、飛鳥は言う。
「それで、今って機体の設定どうなってるんでしたっけ?」
「とりあえず新しい火器管制システム以外は全て既存の物のままです。火器管制も最後にアスカくんに協力してもらって動作のチェックをした状態から、何度かプログラムが変更されているみたいなんですが、今は最低限の動作が確認されている中での最新バージョンに戻されています」
「ってことは照準精度がちょっと上がって、微妙にラグが残ってたあのバージョンかな?」
「はい、そうなりますね。ですので、運用の際にそれを打ち消すために、現在痛覚リンクが4に設定されています。運用には問題ないですが、操縦の際に少し違和感があるかもしれないとのことです。とはいえ、オーストラリアについたらすぐに火器管制システムの最適化作業に移るとのことなので、あまり関係はないかもしれませんが」
「はい、了解っす」
飛鳥の手元の資料にも、今一葉が言ったことと概ね同じ内容の事が書かれていた。
機動射撃戦闘における照準精度が以前から4.7%ほど向上しているデータを見るに、最適化が甘くとも十分高い性能を発揮していることが伺えた。
ホライゾンのシステムを調整して移植したとのことだが、そう考えるとホライゾンの火器管制システムは余程高性能なのだろう。
資料を前のテーブルに置いた飛鳥は、ふと周囲を見渡した。
「あれ?」
するとどういうわけか、先ほどまで窓際にいたはずの泉美の姿が無かったのだ。
「あいつどこに……」
「本郷さんなら、さっき向こうのドアから出て行ったよ。外の風でも浴びに行ったんじゃないかな?」
「何やってんだアイツ……。つか、外って出てよかったのか?」
「問題ないよ」
「そうか」
頷く隼斗にむしろ背中を押されているように感じながら、飛鳥は椅子から立ち上がった。
「じゃ、ちょっと行ってきます」