1章『銀枠の空』:6
生徒会室の隣、古代技術研究会の活動場所である部屋に入って数分ほど時間をおいて、飛鳥と一葉は隠しエレベーターに乗り地下研究所へとやってきた。
古技研の部屋から直接向かうので、外から見ると部屋の中の人間が忽然と消えてしまったみたいなことになる。移動に少し時間をおいたのは、前の廊下の生徒の行き交いが無くなるのを待っていたからだ。
遥は早々にこちらに来ていたようだが、あまりにも早過ぎて逆に他の生徒がいなかったのだろう。
研究所に下りると、二人はいつも利用している休憩室へと一直線に向かう。
今や休憩室は研究所での学生組の待機場所のようになっている。元々はここに来た頃の飛鳥がずっとそこでダラダラしていたのに、遥や隼斗が付き合っていたことに始まる。
ここで働いている研究者が飛鳥達に直接連絡をしようとすると、必然この場に真っ先に向かうようになる。そういう慣習が出来あがってしまうと、今度は伝達の利便性のために飛鳥達は基本ここに待機せざるを得なくなる……というわけだ。
そうしてまっすぐ向かおうとしたその途中で、片手に持ったケータイを眺めながら歩いてくる遥に出会った。
「あらアスカ君、一葉、早かったわね」
手元の画面から目を離して、遥は二人の方に手を振った。
「一応、授業終わったらすぐに来たんですよ。まぁ、上で少し時間は潰してからですけど」
「それよりも、遥はなぜ私たちより先にいるのですか?」
「てへっ」
「質問に答えましょうよ……」
棒読みの遥の回答から察するに、どうやら最後の授業はサボったようだ。生徒会長であり、一応は生徒の模範となる存在だが、基本的に彼女は自分の興味を最優先させている。
一葉ならともかく、飛鳥は共感こそしてもたしなめる意思など欠片もない。直前の話など気にせず、飛鳥はこう切り出した。
「そだ、遥さん。泉美は来てないんですか?」
「え、泉美さん? さあ、私は見てないけど……」
そう言いながら遥は手元のケータイを指先でパッパッと操作する。何かしらの情報を呼び出した後、改めて首を横に振った。
「やっぱり、今日はまだ来てないみたいよ。今日の人の出入りは私とあなた達、あとは研究者たちだけど全部記録があるし、その中に泉美さんのものはないわ」
「そっすか……」
すぐに教室を出て行ったので先に来ているかと飛鳥は思っていたわけだが、どうやらそういうわけではないらしい。学校のどこかで時間を潰しているのか、そもそも既に帰ってしまっているのか。
「もともと本郷さんは、研究者の方が依頼しない限り自分から来ることは滅多になかったですから、仕方がないですよ」
「そりゃそうですよね。……でもまぁ、まだ学校に残ってるかもしれないか」
飛鳥は念のためにと付け足しておいたが、自分で言っていてまず無いだろうなと思っていた。そもそも彼女に学校に残ってすることなどないはずなのだ。
便宜上、飛鳥達の同好会のメンバーということになっているが、彼女が能動的に同好会の部屋や研究所に来ることはほとんどなかった。
予想はしていたことである。飛鳥は話題と気持ちを手早く切り替えた。
「ところで、遥さんはこっち来て何やってたんすか? 急ぎでやることでも有ったんですか?」
「やることというか、研究者に任せておいた機体の解析と改良が完了したみたいなの。それを早く確かめたかったから、早めにこっちに向かったのよ」
そう言って、遥は手に握ったケータイを軽くゆすった。
機体の、恐らくはホライゾンのものだろうデータが表示されていることまでは飛鳥にも分かったが、その詳細までは分からなかった。
「ホライゾンですよね、それ。もう解析終わったんですか?」
「ある程度ね。もともと中国で研究されていたデータも泉美さんが機体ごと持ちこんでくれていたから、かなり手間は省けていたの。ただ今回は火器管制やセンサーみたいな電装系がメインだったから、どうしても時間は掛かってしまったけどね。そこはアストラルのクロッククラッカ開発でのノウハウがいくらか役立ったわ」
飛鳥もアークに関わることを最近になってやっと真面目に勉強し始めたので、今の話程度なら理解もできる。ちなみにクロッククラッカというのは、アストラルの性能を一時的に強化するシステムである『オーバークロック』発動に必要な小型の外付け量子コンピューターのことだ。
遥の言うことからもわかる通り、ここ最近の研究所はホライゾンの解析がメインで進められていた。
バーニングは他の機体と比べると非常に長い期間研究が行われていた上、技術的に現代技術に似通ったところが多かったため、既にアークの根幹に関わる謎を除けばほとんど解析が完了している。アストラルもオーバークロックやハンドストライクの開発と最適化が一応の完成を見せたので、今は落ち着いている。
「中国のアーク開発は分かっていたことだけど、アークをどう利用するかが中心で、アークそのものの研究はかなり浅い部分までしか行われていなかったから、そこは少し大変だったかしら。私も可能な限り研究につきっきりになっている状態だったの。最近はあまり家にも帰ってなかったわ」
「そりゃまた大変っすね……。お疲れ様です」
「とは言っても、研究に直接関わるのは久しぶりだったから、大変というよりは楽しかったのだけどね」
今日の遥の饒舌っぷりは、研究が一段落ついたことによる喜びからだろうか。
今は研究所の副所長という管理者側のポジションに就いている遥だが、元々はアーク研究がしたくてアメリカの大学からこちらに来たと語っていた。今回は本領が発揮できたというところなのだ。
「ああ、そうそう。実はホライゾンの制御系の解析で得られたデータを使って、アストラルとバーニングの火器管制システムも改良してあるの。だからアスカ君と隼斗にはできれば今日か近日中に、システム最適化のために研究に協力してほしいって」
「火器管制……っすか」
「どうかした?」
「ああいえ、何でもないです。……分かりました。後で向かいます」
「ええ、よろしくね。ホライゾンも改良はしたのだけど、あっちは解析と並行して最適化も済ませてあるのよねぇ」
「つか泉美、ちゃんと来てたんすか? なんかあいつのせいで研究に余計な時間がかかったりとかしてません?」
「ふふっ、大丈夫よ」
お節介なことをのたまう飛鳥だったが、遥は穏やかに笑ってこう続けた。
「泉美さん、意外と技術関係にも造詣は深いみたいね。普通に研究者にあれこれ意見しているのを見て驚いたわ」
「あれ、それって……」
言葉通りの意味ならば、泉美は自ら研究者と交流を行っていたということになる。飛鳥が現状抱いている泉美の印象と噛み合わない。同じことを思ったのか、遥がこう答えた。
「ええ。……私も少し不思議に思ってるのだけど」
二人して首をかしげていると、一葉がおずおずと片手をあげる。
「あの、私も気になって聞いてみたんですけど、この研究所の方針を知って考え方を改めたと言っていました」
一葉が言うには、この研究所の人間は『アーク技術を研究し、そこから得られた技術によって人々の生活水準を向上させる』という東洞グループのアーク研究の目的に対して真摯である、と。泉美はそう評価したらしい。
「本郷さんが研究に対して積極的ではないなりに協力を渋らないのは、そういう理由があるからだと思うんです」
「あいつがなぁ……」
飛鳥としてはどうもうまくイメージし辛いものだが、泉美には泉美なりの理論が有るのかもしれない。
いずれにしても、アークそのものに対して悪いイメージを持っているのではないのだろうか。
(いや、でも……)
彼女は転入してすぐのときに、飛鳥がアークのパイロットになっていたことに対して強い反発の意思を見せていたはずだ。その部分がどうしても噛み合わなかった。
それについ最近、飛騨からも「アーク関係者への警戒が強いからお前何とかしろよ」という旨のことを言われたばかりなのだ。
あるいは、言葉通りではない想いがあるのだろうか。
眉をひそめる飛鳥に、一葉はこう言った。
「きっと本郷さんも、こちらに来てからアーク関係の印象は変わったのだと思います。元々の彼女の環境は……」
一葉は一瞬言葉を詰まらせるが、それで二人が意図を察したと信じてあえて笑みを浮かべた。
「だから初めは良い印象はなかったんだろうと思います。でも今は最低限この研究所の事に関しては信用してくれている。……それはきっと、十分に喜ばしいことなんじゃないでしょうか」
「今は、か……。でもあいつは今もあんな感じだしなぁ」
「分かっていても、理屈以外の部分で納得できないことがあるんでしょう。それに考えを変えることができても、態度まで変えるのは難しいのかもしれないじゃないですか。強く思っていたことなら、特にです」
「…………そっか」
「はい。だからアスカくんのやり方で何も間違ってないんだと思いますよ? 本郷さんは決して、目を閉じて耳を塞いでいるわけではありませんから」
「ちゃんと見てる、というわけね」
補足する遥の言葉を、一葉は頷いて肯定した。
語りかけて、関わろうとする飛鳥の事を泉美はしっかり分かっているということなのだろう。そしてそれはただのクラスメイトである美倉もそうだ。
泉美が彼らを受け入れられないのは、そういう理屈ではないもっと別の場所だとしたら。
(今は俺が正しいと思うことを、かな)
結局のところ、泉美の気持ちは泉美にしか分からない。それをどうこうしようと思うなら、性急な結果を求めるのは相手の意思を無視するのにも等しい。時間はかかっても、彼女自身の答えを導くのが最善だと飛鳥は結論した。
「じゃあとりあえずはこのままでやってきます。最後は、あいつの出した結論が全部だと思うし」
「ええ、それでいいんじゃないかしら。……ごめんなさいね、このことはアスカ君に任せるしかないから」
「いやぁ、言われる前からやってたことっすから。自分なりにつけなきゃならないケジメでもあるんですよ、こいつは」
遠い目をして、飛鳥はそう締めくくった。
言葉の止んだその場に、スタスタという足音がその場に響いた。
やって来たのは、この場にいなかった隼斗だ。
「あれ、皆こんな場所で何をしているんですか?」
「あら、隼斗。いえね、研究の進展を確認しながら歩いてたら、ここで二人にばったり会って話込んでしまったのよ」
そう答えた遥に軽く会釈をして、隼斗はそこにいるメンツを見渡す。
「やっぱり、本郷さんは来ていないみたいだね」
「お前も会わなかったのか?」
「ああ、まぁそんなものだろう」
分かってはいたことだが、隼斗は肯定した。今はこんなもんだろうと、飛鳥もそれ以上は言及しなかった。
「ところで、研究の進展というのは?」
「ホライゾンの解析がメインと、そこから得られたデータをもとにホライゾンを含め全機体のシステム面の改良を行っていたの。主に火器管制システムをホライゾンのものをベースにした発展型を組み込んだわ」
「システム面ですか……となると最適化が必要ですね」
「ええ。そのために近いうちに時間を取ってもらいたいって、アストラルとバーニングの専属研究班からお願いされているの」
「それは、今日でも?」
「オッケーよ」
「了解しました」
流れるような会話は流石分かっている二人といったところか。こういうところでちょいちょい年季の違いを感じる飛鳥なのだった。
「さて、と。泉美さん以外は全員揃っちゃったんだし、もうここで連絡しちゃいましょうか」
「あれ、まだなんか話あるんすか?」
「ええ、今は一応決定したことってレベルなんだけど……」
言いながら、遥は全員の顔を窺った。一葉と飛鳥が頷き、隼斗が目で促す。
「ま、身構えるようなことでもないわ。再来週の休日、ああテスト明けね。テスト休みと土日を含めた5日間だけ、研究の協力をするためにオーストラリアへ遠征? に行くことになったわ」
「オーストラリアっすか?」
「そうよ。……そっか、アスカ君にはまだ言ってなかったかしら。ウチはアメリカ以外にも特にオーストラリアの研究にも協力をしているのよ。あとはEUの研究機関と少し協力関係があるくらいかしら」
ほへー、とアホみたいな顔で言う飛鳥に、遥も流石に苦笑いを隠せない様子だった。
念のためと、隼斗が補足する。
「オーストラリアは災害救助への技術転用を主な目的にアークの研究を行っているんだよ。東洞グループのアーク研究機関と仲が良いのは、そういう理由もあるだろうね」
「とは言っても、今度のは軍事開発になってしまうのだけれど……」
遥はやや言い辛そうに続ける。
「ホライゾンが日本の領空を侵犯した以前の件でね、オーストラリア側も緊張を高めているようなの。恐らく今回の協力依頼は、今後アークを自国の防衛手段として利用するための準備だと考えていると思う」
「オーストラリアが、軍事として……」
「え、でもその件って日本政府が手引きしてたんじゃなかったんすか?」
飛鳥の問いに対して、遥は神妙な面持ちで頷いた。
「それは間違いないわ。でも日本領空でのアークを用いた哨戒計画は、そもそも中国が独自に立てた計画なの。それ自体に日本側の意思はない。こちらは単に、立ちあがったその計画に便乗しただけだから」
「……そういうことか」
「大丈夫よ、そんなに気にしなくても。少なくとも今度の遠征は協力関係であるオーストラリアに行くのだから」
遥のその言葉に、飛鳥は釈然としないながらも頷いてみせた。
「詳しいことはまた近いうちに連絡するけれど、テスト休みからの休日は予定を入れないようにしておいてちょうだいね。あと、このことを泉美さんにも伝えないといけないのだけど……」
誰か引き受けてくれないか、というメッセージを視線に込めて、遥が3人を順番に見る。そこで目が合った飛鳥が2度ぱちくりと瞬きをすると、すっと片手をあげた。
「あ、それなら俺がやりますよ。ちょうどあいつが越してきたの、俺と同じアパートで俺んちの真上の部屋なんで。連絡無視したら最悪自宅に突撃してやります」
「あはは……。じゃあ、お願いするわね。迷惑にならないようにするのよ?」
「了解っす」
ことさら軽く答える飛鳥だったが、ふざけていると言うよりは気負いが無いという態度を見て、遥も笑って済ませた。
「じゃあこれで私からの話は終わり。皆は何かある?」
「あ、さっき言ってた実験って、いつもの場所でいいんですよね?」
「ええ、アストラルの格納ブロックよ。バーニングもね」
「わかりました」
ビシッと敬礼してみる飛鳥と、軽く頭を下げた隼斗。
「はい、それじゃあさっそく行ってきます」
「あ、俺も俺も」
歩きだした隼斗についていく形で、二人はその場を去って行った。
「さて、じゃあ一葉は少しデータ整理を手伝ってくれる?」
「はい。機体の……制御システム系のデータですか?」
「正解。行くわよ」
遥と一葉の二人もまた、並んでその場を去っていく。
足りない一人の姿はなくとも、研究所はいつも通りに回っていた。