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アークライセンス  作者: 植伊 蒼
第5部-Bluff and Brave-
114/259

1章『銀枠の空』:1

 聞きなれたアナウンスの音に、少年はまどろみから引き戻された。

 久坂隼斗クサカハヤト。普段は人の良さそうな笑みを浮かべている彼の整った顔には、今はどこか陰りが伺えた。

 隼斗はぼんやりとした思考の中で、自身が眠っていたことを認識した。

(疲れてる、のかな……)

 普段は通勤通学でほぼ満員の電車も、休日の昼前ともなると席に空きがあるほどに人は少ない。

 目的地まではほんの数駅だが、隼斗は開いていた椅子に腰掛けていた。その短い時間で、どうやら眠ってしまっていたらしい。

 軽く頭を振って眠気を払った隼斗は、肩越しに窓の外に視線を向ける。

 そこでは見慣れない景色が続いているが、とはいえ初めてというわけではない。やや曖昧な記憶と照らし合わせても、すぐに目的の駅へ到着するだろうと予測はできた。

 もう一度のアナウンスが聞こえると、全身を緩やかな慣性が包み込む。ブレーキの感覚が数秒続くと、車両が大きく揺れて完全に停止した。

「よっ、と」

 膝に乗せた鞄を手にとって、隼斗は椅子から立ち上がった。

 それなりに綺麗な駅のホームに降り立つと、彼は辺りを見渡すこともなく歩き始める。駅の構造やこの辺りの地理に明るいわけではないが、彼の目的地へ向かうのは今日で2度目。

 それほど大きな駅でもないし、目的地に近い改札の場所も分かっていた。

 迷いの無い足取りで駅の改札へ向かい、そこを抜ける。

 切符や定期は磁気カードのあとに一時期、非接触型のICカードを近づけるというタイプが主流になったが、今は改札を通るだけでVNATという最新のケータイが勝手に清算などを済ませてくれる。

 建物の屋根から出ると、真昼特有の強い日差しが降り注いでくる。

 反射的に手でひさしを作った隼斗の前には、それなりに活気に満ちた街並みが広がっていた。

「よし、行くか」

 隼斗は背負っていた鞄を肩に掛け直して、できるだけ軽い足取りで歩き始める。

 彼の頭の中では、電車の中で見ていた短い夢の内容が想起されていた。


 記憶は彼が在学中の星印学園に入学して間もないころのものだった。

 隼斗は今でこそ容姿も良ければ物腰もやわらかで人当たりもいいと、コミュニケーション能力の塊のような少年だが、星印学園に入学した当初は今よりもっと人付き合いが苦手な人間だったのだ。

 しかし実際のところ、彼のそんな性質に気付いた者は少なかった。

 世渡り上手というほど大仰なものではないが、隼斗も人に嫌われない程度の愛想の振り方はよく知っていた。遊びの誘いの上手な断り方もしかりだ。

 そんなものだから、彼はクラスにいても、やや目立たない程度のごくごく一般的な生徒にしか見えなかったことだろう。

 故に彼の本当の性格のようなものに気付いた人間は、入学以前から面識のあった星印学園生徒会長である月見遥ツキミハルカと、そのころはあまり関わりの無かった同級生の星野飛鳥ホシノアスカくらいのものだった。

 つまりその程度には、隼斗は傍目には普通に人当たりの良い生徒に見えていたのだ。

 そういったことを踏まえると、飛鳥が隼斗の性格に気付いたのは、隼斗としても驚くべきことだった。

(今にして思えば、アスカがそういう人になったのは、あの本郷泉美さんが中国へ行ってしまったことも理由なのかな)

 駅前よりいくらか静かに感じる街を歩きながら、隼斗は一人、頭の中で呟くように考える。

 本郷泉美ホンゴウイズミとは、元中国人民解放軍に所属していた少女で、現在は東洞グループ所有のものとなった古代兵器アーク・ホライゾンのパイロットだ。

 今はまた日本に戻ってきており、隼斗や飛鳥と同じ星印学園に在学中だが、過去の経験からかうまく周囲と馴染めず、転入から一ヶ月程度にもかかわらずクラスでも孤立してしまっている。

 飛鳥は泉美とは小学生のころ同級生であり、彼女が中国へ引っ越すことになった際に少し首を突っ込んでいるのだ。

 そういった諸々の事情があったにせよ、隼斗は隠していた本心の一部をクラスメイトだった飛鳥に見抜かれ、それを指摘された。

 だが結局のところ飛鳥は深く踏み込むことはせず、それ故に隼斗は飛鳥に強い信頼を寄せるようになった。

 そうして高校入学以降初めて親友という存在が出来た隼斗は、人付き合いに対する小さな忌避も自然に克服し、今や生徒会役員であることも合わさって学校でもかなり顔の広い人間になっている。

 自身の性格を克服したのは間違いなく隼斗という人間の人間性があればこそだが、そのきっかけを与えたのは飛鳥の『友達でも全部を知っていなければいけないわけじゃない』という言葉だった。

(飛鳥にしてみればその時の思いつきかもしれないし、そもそもそんなに深みのある言葉じゃないけど、僕はその言葉で随分と考え方が変わったんだよなぁ)

 隼斗はそう考えて、そこでとりとめもなく続けていた思考を切り上げた。

 彼がこんなにも懐かしいことを思い出していたのには、いやそもそも電車であのような夢を見たのには、今日の目的が強く関係していた。

 彼は一人の少年に会いに来たのだ。

 久坂隼斗という少年と似た境遇にある、一人の少年に。


 隼斗が見上げる先には、8階建てほどの大きなマンションが建っていた。場所は駅から徒歩10分程度の距離にある。

 さらに20分ほど歩けば、鞍馬大学という大きな大学がある。日本でもかなりの規模になる大学で、外部組織としてアーク研究機関でもある鞍馬脳科学研究所も併設されている。

 この国でアーク研究に関わる者としては決して無関係な施設ではないのだが、今日の彼の目的はそちらではなく、目の前に建つマンションだった。

 あらかじめ受け取っていた、一度限りの電子キーをVNATから使用して、建物に足を踏み入れる。

 清掃の行きとどいた明るいエントランスが隼斗を出迎える。その前方では建物に入った隼斗を出迎えるように、既にエレベーターが止まっていた。

 彼は周囲に軽く視線を巡らせて、そのまま眼前のエレベーターへ乗り込んだ。

 中に入って6のボタンを押す。上階を目指すエレベーターは中の隼斗にまるでその実感を与えないまま、ほんの数秒で目的の階へと到達した。

 静かに開いた扉から外へと出た隼斗は、右か左かと少しだけ視線をさまよわせるが、すぐに左に曲がって2つ目の扉の前に立った。

「…………」

 一瞬指先を迷わせて、それでもすぐにインターホンに指先を触れた。

 カチッ、という軽いスイッチ音。

 扉の防音が優れているのか、中にインターホンの音が響くのは全く聞こえなかったが、ドアノブか傾くまでに十秒と掛からなかった。

 一歩退いた隼斗の眼前で、黒い扉が内側から押し開けられる。

 狭い隙間から顔をのぞかせたのは、眼鏡をかけた気の弱そうな顔立ちの少年だった。



「しかし、変な時間に来てしまってすまない」

「いえそんな。僕は予定もありませんから、時間はいつでも大丈夫です」

「そう言ってもらえるとありがたいよ」

 挨拶もそうそうに部屋に招かれた隼斗は、この家の住人である少年と小さめのテーブルを挟んで向かい合っていた。

 少年の名は、伊集院正太郎イジュウインショウタロウ

 日本におけるアーク研究機関の一つでも『あった』神原財団が所有するアーク、アーク・エンペラーのパイロットだ。しかしアーク・エンペラーはその初起動時に大きな事故を起こしたため、機能を停止させた状態でアメリカの管理下に置かれている。

 そのため神原財団による研究は既に凍結されており、現在正太郎はアーク研究には関わっていない。

 それでも事故の後に彼の家庭環境の悪さや学校でいじめを受けていたことが発覚し、それが事故の要因であったことや、またそれに関わるメンタルケアのために、今は親元を離れて生活している。

「どうだい? こっちでの生活は。両親と一緒の時とは何かと勝手が違うのだろうけど、何か大変なことはあるかい?」

「大変というほどの事は特に……。ただ、転入先の先生と一緒に暮らすのは、まだ少し慣れないです。よくしてくれているんですけど、どうしても落ち着かなくて……」

「あはは、まぁそれは確かに落ち着かないだろうけど、慣れるしかないね」

「そうですよね。頑張ります」

 笑顔を交わす二人からは、随分と打ち解けた様子がうかがえた。

 彼らが直接会うのはこれで2度目なのだが、それ以外にもメールやら何やらで割と頻繁に連絡を取り合っていたのだ。

 正太郎という少年がアーク研究に巻き込まれ、生活を一変させてしまったことに隼斗は思うところがあった。 東洞グループというか星印学園地下研究所は、少なくとも事故には直接関与していない。ただ東洞がアストラルの研究を開始したという情報が露見したことが、神原財団の研究を焦ったことの大きな要因であったこともまた事実。

 間接的とはいえ、ただの一般人が悪い影響を受けてしまったということを考えると、隼斗は東洞に属する人間の一人として責任を感じていた。

 しかし、そこには共感という感情もある。

「僕も、近しい状況ではあったから」

 唐突に呟く隼斗。しかし正太郎は戸惑う様子を見せず、それどころか神妙な面持ちで頷いた。

「お金っていうのは、どうしたって人を振り回すものだからね。踊らされていると感じていても、一度もってしまった人はそれに囚われて手放せなくなる」

「……はい。僕の父さんや母さんもそうでした」

「それを助長させようとする神原の働きかけもあったんだ、そこは仕方がないことだよ。ただ大人の身勝手だと考えると、僕も他人事だとは思えなくてね」

 呟くように言って、遠い目をする隼斗。

「……東洞はまだ創業当時の在り様を見失ってはいないけど、それでも大き過ぎる力を持ってしまっているんだ。今となっては社会に誠実ではあっても、その傍らで不幸になっている人達がいる。神原が焦って君に無茶な実験をさせたのも、東洞の技術開発の加速に危機感を抱いての事だとすれば、君もまたその被害者なんだ」

 テーブルの下で両手の指先を組んだ正太郎は、視線を外して答える。

「それでも、久坂さんが気を回してくれたから今僕はこうして普通の生活を送れています。きっとアークと関わって事故を起こしたりしなければ、両親と一緒に暮らしたまま元の学校でいじめられていたまま……そんな生活だったと思うんです。だから僕は、凄く感謝しています」

「だが僕も東洞の人間だ。果たすべき責任はある」

 頭を下げる正太郎だったが、隼斗は頑なに首を横に振った。

 隼斗もまた、正太郎同様に自身以外の意思によってアークのパイロットに選ばれた人間なのだ。今はもう受け入れた事実とはいえ、身に余る重責だと感じることはままあることだった。

 正太郎にアークから離れて普通の生活を送ってほしいと願うのも、隼斗が正太郎という一人の少年に自らを重ね合わせているからこそだった。

(矮小だな、僕も……)

 それでも自嘲を口にはしない事が、彼の強さのあらわれでもあった。

 数瞬瞑目して、いつもの柔和な表情を浮かべる。

「よし、辛気臭い話はもう止めよう。話を変えて…………うん、学校生活はどうだい? 一応はアーク関係者だからサポートできる環境が限られていて、勧められる学校があそこしかなかったんだけど……」

「学校は楽しいですよ。一緒に暮らしている先生だけじゃなくて、他の先生もよく気に掛けてくれますし。まだ、そんなに仲の良い友達は作れてませんけど……」

「夏休み明けから転入したから、今で一ヶ月ぐらいになるのかな。でもまぁ、それぐらいなら僕が高校に入学したときもそんな感じだったし、気にするほどの事じゃないよ」

「そう、でしょうか?」

「そうとも」

 不安げに尋ねる正太郎をまっすぐ見据えて、隼斗は自信たっぷりに頷いた。

「ただそうだね、結局のところは自分の心がけ一つだ。君の境遇からすれば難しいことかもしれないけど、まずは相手を信用するところから始めればいい。そうすれば隠し事の一つや二つ、気にせず付き合ってくれる友人もできるよ」

「そうなったら、いいです」

「なるさ、僕はそうだった。……僕にそのことを教えてくれた人が、僕の高校で最初にできた友人で、今は親友と呼べる相手なんだけどね。みんながみんな好意的に接してくれるわけじゃないだろうけど、自分から積極的に関わろうとすれば、きっと君の事も受けて入れてくれるだろう」

「……はい。頑張ります!」

 確信を伴う隼斗の言葉は、正太郎を力強く頷かせるに足るものだったようだ。隼斗も満足気に顔をほころばせた。

 ふと、正太郎が表情を曇らせる。

「学校で思い出したんですけど、少し心配事があって……。如月さんのことなんですけど」

「如月……如月愛さんだよね? 彼女がどうかしたのかい?」

 如月愛キサラギアイとは、鞍馬脳科学研究所が所有するアーク、アーク・インターンのパイロットである少女だ。実は鞍馬脳科学研究所の所長の娘で、この近くに住んでいることから、正太郎と同じ中学にも通っている。

 いや、違う。それでは順序が逆になってしまう。

 愛がこの近くの中学に通っており、彼女がアークのライセンス所有者であったことから、アークの関係者をサポートする環境がその中学には作られていたのだ。そのため学校を変えることになった正太郎の転入先の一番の候補として、その学校が上がったのである。

 両者は同い年で共に3年生。その中学での生活でも、そしてアークのライセンス所有者としても先輩であった愛は、正太郎の学校生活を支える役目もおっていた。

「如月さん、僕が学校生活で分からないところがあったらいつも力になってくれてるんですけど……。何だか最近元気がないみたいで……」

「元気が無い? 病気か何かなのかい?」

 訝しげに首を傾げた隼斗を見て、正太郎は慌てて両手を振った。

「いえ、そういうんじゃないと思います。元気が無いというか、僕にはどうも疲れているみたいに見えて……。何かあったのかなって」

「疲れている……か。まぁ彼女も鞍馬研究所でアーク研究に深くかかわっているし、何かと忙しいのかもしれないよ」

「それだけなら良いんですけど……」

「心配しなくても、如月さんはあれで結構器用な子だよ。自分なりに上手にセーブをするだろう。君も今は、自分の事を優先させていいと思うんだ」

「……はい、そうですね」

 きっと正太郎は自分のことでいっぱいいっぱいなのだ。そう考え、隼斗は彼に優しく告げる。正太郎もまた、躊躇いはあったものの素直に頷いた。


 彼らの談笑はそれから2時間ほどが経って、隼斗の腹の虫が鳴き声を上げるまで続いた。

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