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アークライセンス  作者: 植伊 蒼
第4部‐彼方の瞳‐
104/259

4章『陽炎色の思い出』:3

「――――っ!」

 口元を振るわせて硬直していた泉美は、飛鳥が視線を落とすと同時に背中を向けた。

「…………」

 飛鳥は何も言わない。

 何を言えばいいのかなんて彼には分からなかったし、そもそも痙攣した喉がまともな言葉を発せるはずもなかった。

 そんな彼から逃げるように、泉美は荒い足取りでスーツの男たちの元へと歩いて行く。

「……行くわよ」

「わかりました」

 それだけの言葉を交わすと、先導する二人の男たちの後について泉美はその場から立ち去ってしまった。

 たった一度でさえ、振り返ることも無く。

「なんなんだよ……」

 ぽつり、と。俯いたまま飛鳥は呟いた。

 自らの足元に投げかけた言葉は、もはや誰に尋ねればいいのかさえ分からないという彼の心情を表していて、それ故に誰ひとりとしてその言葉に答えることはできなかった。

「どういうことだよ……っ」

 きつく両手を握りしめて、絞り出すように言葉を紡ぐ。食いしばった歯の隙間から、崩れたリズムの呼気が漏れる。

「なんで……。あいつが、中国のアークなんかに……! なんで軍人なんかに……っ!」

 きつく瞼を閉じたまま、飛鳥は受け入れられないとでも言いたげに被りを振った。

 意味が分からなかった。

 なぜ。


 ――7年もたった今になって再会した相手が、よその国がもつアークのライセンス所有者になっていたのか。

 ――あまつさえ軍人なんかになっているのか。

 ――侵略行為を行った挙句、攻撃を加えてきていたのか。

 ――彼女はそれさえ当たり前のような態度を取っていたのか。


 理解ができない。

 閉じていた瞼を押し上げても、当然のように変わらない景色が視界を埋め尽くしている。

 悪い夢だなんていう馬鹿みたいなオチさえついてくれない。それは間違いなく現実だった。

「アスカ君……?」

「…………あ」

 混乱のあまり頭を抱えてしまった飛鳥の肩に手を置いて、遥が心配そうに声をかけた。

 飛鳥はドツボに嵌まりかけていた頭を軽く振って、なんとか意識を自分の周囲に向ける。

 よほど彼の態度が異常だったのか、そこにいたほぼ全員が彼に心配そうな視線を向けていた。

「アスカ君、彼女――本郷さんとは知り合いなの?」

「ええ、まぁ。……その、小学校のころの、クラスメイトで」

「…………そう」

 彼の言葉からおおよその事情を察したのか、遥は沈痛な面持ちで一歩下がると、それ以上口を開こうとはしなかった。

 形容しがたい沈黙が場を支配する中、それを破ったのは当の飛鳥だった。

「……あ、あの。大丈夫っすよ、ちょっと落ち着いたんで」

 ぎこちない笑みを顔に張り付けたまま周りを見渡す飛鳥の頬は、離れていても見て取れるほどに露骨に痙攣している。

 状況を受け止めきれていない彼の内心に気付いていたからか、誰も何も言おうとはしなかった。

 普段はそういった空気などまるで気にしないアルフレッドですら、今は飛鳥から顔を背けて唇を噛んでいた。

「は、ははっ…………。はぁ……」

 引きつった口元からこぼれた乾いた笑みを、湿ったため息が上書きする。

 無理矢理な作り笑いを引っ込めた飛鳥の顔を覆っていたのは、どうしようもない無感情な表情だった。

「……御影さん。事情、知ってるんですよね?」

「ああ。全てとは言えないが、おおよそのことは知っているよ」

「教えてもらえますか」

 懇願するようで、しかし有無を言わせぬ力の込められた口調。

 御影は一瞬視線を泳がせて思案した様子を見せたが、すぐに首を縦に振った。

「だがこの場でというのもね。……少し落ち着ける場所に行こうか」

「はい……」

 俯いたまま、歩きだした御影の背を追う飛鳥。去ろうとする二人を見送ろうとしていた隼斗が、そこで改めて声をかけた。

「僕も行くよ」

「隼斗?」

「話、僕も聞かせてもらっていいかい?」

「……おう」

 少しだけ足取りの軽くなった飛鳥は、前を行く二人についていく形でその場を去って行った。



 飛鳥は小さく頭を下げて、差し出された白いカップを受け取った。

 中に満たされたコーヒーの黒い液面に、生気の欠けた自身の表情がぼんやりと映り込む。

「ここなら、少しは落ち着いて話もできるだろう」

 飛鳥の対面のソファに静かに腰掛けながら、カップを握った御影が言った。

 飛鳥達が連れられて来たのは、彼らも普段からよく利用する研究所の一角にある休憩室だった。部屋全体に満たされたコーヒーの香りで、どこか時間の流れがゆったりとしているようにも感じられる。

 自分でも制御できていない焦燥感にかられていた飛鳥も、少しだけ落ち着きを取り戻していた。

 その飛鳥の隣に腰掛けて、隼斗は尋ねる。

「アスカ、もう落ち着いた?」

「ん……。少しは、なんとか」

 相変わらず視線だけは手元に落したまま、飛鳥は力なく頷いた。

 彼はもともと心情が態度に出やすいタイプではあったが、ろくな強がりも出来ないほどに動揺しているのは少し珍しい状態ではあった。

 振り返るなら、エンペラー戦のあとの飛鳥が今と似たような感じだったが、それでもある程度親しい仲でなければ気付けない程度には落ち込んだ様子は隠せていたのだ。

 今の彼は、初対面の人間が見ても元気が無いと分かりそうなものだろう。

「そうか、それならいいんだ」

 それでも、隼斗は飛鳥の言葉を認めた。

 せめて言葉だけでも強がろうとする飛鳥の意思を尊重して、隼斗はそれ以上何も言わずに視線を御影に向ける。

 言葉を促されたのだと受け取った御影は、浅く頷いてこう尋ねた。

「星野君、彼女とは知り合いなんだったね?」

「はい。……通ってた小学校が同じで。確か小3だったかのときに親が離婚したとかで中国に行って、それ以来は一度も…………」

「そうか」

 御影は穏やかな口調で頷くと、白衣を羽織ったその内側のスーツの中に手を突っ込んで、数枚の書類を束ねた資料を引っ張り出した。

「これは、日本政府が作成した本計画の計画書だ」

「っ! 計、画…………」

「やはり、これは最初から仕組まれたものだったんですね」

 差し出された書類を強く睨みつける飛鳥と、落ち着いた様子で確認する隼斗。

 御影は「その通りだ」と答えると、淡々と続ける。

「今回の件は最初から、中華人民共和国が所有するアークの一つであるアーク・ホライゾンを強奪するための作戦だったんだ」

 明かされたのは、そんな単純極まりない事実だった。

「強奪……? しかし、ホライゾンはアストラルに向けて攻撃を行っていたはずです。機体を奪うだけなら、ホライゾンが攻撃を行う必要など……。いえ、そもそもあんな目立つことをする必要などなかったのでは?」

「もともと今回の計画は中国側が予定していたアークによる日本海沖の哨戒計画に重ねて行われたものなんだ。軍属であるアークとそのパイロットが自由に動ける数少ないタイミングを利用して、政治的な観点からも安全にホライゾンを奪うために、ね」

「ということは、ホライゾンが領空侵犯をしたのも、攻撃行為を行ったのも……」

「ホライゾンのライセンス所有者である本郷君も含めて、最初から日本政府が示し合わせた通りのシナリオだ。中国側の軍属の兵器が突如として日本領空を侵犯。再三にわたる警告を無視して領空侵犯を続けた挙句、交渉にやってきた日本側の民間所有のアークに対して無警告の攻撃行為まで行った。……表向きどちらが悪いかは言うまでもないだろう?」

「……なるほど。ということは、それほどの危険行為を行ったアークとそのパイロットの身柄は拘束しなければならない、と。そういう形でアークを奪ったということですか」

「本郷君自身に日本へ亡命しようという意思があったからこその計画ではあるが、それでも強かだと感じるよ。国際司法の場に出たとしても、この計画の存在が明確な根拠を伴って示されない限り、中国側の一方的な暴走で片付けられるだろう。そもそもその根拠が無ければ、中国側としてもホライゾンのパイロットが自国の哨戒計画を無視して暴走したとしか認識できない」

「中国側からのアーク返還の要求は?」

「間違いなく来ているだろうね。そしてそれをはねのけるだけの立場の強みもある。何よりも、機体のパイロットが中国に戻る意思が無いのだから、求めるだけ意味はないだろうが。それにもし大事にしてしまえば、中国側が一方的に侵略行為を働いたということが全世界に知られてしまう」

 御影はテーブルの上に置いた計画書を引き寄せると、そのままテーブルの端へ滑らせる。

 胸糞悪いものを見続けていたくないとでも言いたげに、露骨に顔をしかめていた。

 その様子を視界の端に捉えていた隼斗は、声をひそめて尋ねる。

「……中国側が軍事力に訴える可能性もあるんではないでしょうか」

「断言しよう、まずありえない」

 慎重な態度の隼斗とは対照的に、御影はまるでそれが些事であるかのように軽く語る。白い湯気を漂わせるコーヒーのカップに口をつけて、一口呑み込んだ。

「ホライゾンは彼の国が持つ3機のうち最強のアークで、それはつまり単体では中国という巨大な国の中で最も大きな戦力だということだ。そして中国はいまその非常に重要な戦力を失っている状態なんだよ。それどころか当のホライゾンは日本の手に渡っている上に、日本側にはそのホライゾンを撃破した絶大な戦力がある」

「戦力って……アスト、ラル……?」

「……ああ」

 顔を上げた飛鳥が訝しげに尋ねるのを、御影は首肯する。忌々しげに唇を噛んだ隼斗が、眉を寄せたまま口を開いた。

「つまりホライゾンが撃破されるまでアストラルとの戦闘を継続したのは、ホライゾンという強大な戦力が日本側のアークとの戦闘で敗北するというシナリオを作るための演出……、そういうことですか?」

「恐らくは。ただ彼女も言っていた通り、あまり手は抜いていなかっただろう。この計画は仮に中国側に察知されてもホライゾンを奪うことだけは出来るように仕組まれていたが、その後の外交的なやりとりを有利に進めるためには、中国が認識する通りの最大戦力であるホライゾンに打ち勝つ戦力が、日本側にあるという状況が望ましいからね」

 結局のところ、それはうまくいったと言える。

 ホライゾンはそのほぼフルスペックを出し切って、その上でアストラルとの戦闘で敗北するという結果になった。

 つまり中国から見れば、現在日本には中国最強の一個戦力であるホライゾンと同等以上の戦力が、最低でも二つはあるという認識なのだ。

「……確かに、それでは手が出せませんね」

 アークはそもそも生半可な通常軍事力程度で止められるものではない。現代における全世界の対空防衛の要である防衛レーザー『アマテラス』が一切通用しない時点で、アークが本気で侵略行為を働いたならば、それを止められるのはそれこそ同じアークだけだ。

 少なくともホライゾンは中国最強。そしてアストラルはそれを撃破する力を持っている。

 勝てる構図がまるでない。

 完成された状況に、隼斗も思わず舌を巻いた。

 だが――

「んなこたどうだっていいんすよ……ッ」

 自分の膝に拳を叩きつけた飛鳥は、呻くように喉の奥から言葉を絞り出す。握りしめた自分の右拳を睨みつけて、言葉があれるのを必死にこらえながら続ける。

「なんで、なんでアイツがアークのパイロットなんかになってんのかって……! 中国のアークは軍隊の兵器なんだろ!? なのになんで……!」

 必死にこらえようとしても、抑えきれない感情が千切れて乗ってしまい、冷静さを欠いた言葉が彼の口から零れ落ちる。

 御影は掴んでいたカップをソーサーの上に静かに置くと、小さく息を吐いた。

「……中国政府は6年前に、大規模なアークの適合試験を行ったんだ」

 御影は視線を宙に向け、記憶を順番にたどりながら当時のことを慎重に語っていく。

「大勢の民間の子供を強制的に集めて、その中から最も適合レベルの高かった子をアークのパイロットに登録するための、適合試験をね。だから中国のアークのライセンス所有者は、総じて最初から適合レベルが高かったらしい。……ただ、これには拒否する権利が無かったという話も聞く」

「っ、強制ということですか!? そんなの子供相手に徴兵を行っているようなものじゃないですか!?」

「ようなもの、ではなくまさしくその通りなんだ」

 驚愕の事実に取り乱した隼斗に対して、御影は険しい口調で答えた。

「中国はアークを最初から軍直轄の、軍事的な兵器としての方向性で開発を行っていた。……本郷君にとっても望むところではなかったのだろう。日本に亡命するという選択をしたということが、その証拠だ」

「軍人に、させられた……?」

 飛鳥は俯いたまま、その目を大きく見開く。

 泉美は、望まずして軍隊に所属させられ、そこで兵器を操る軍人として――

「軍人ってやっぱり……」

「中国は先進諸国とは反対に、ここ十数年の間も軍拡を貫いてきた。アークの研究開始は世界の中でも遅い方だが、戦争や紛争が起こる可能性を考えていた以上、ライセンス所有者である少年少女にも、必要な訓練は積ませていただろう。肉体的にも、あるいは精神的にも」

 軍人としての、兵士としての訓練。

 それも、通常軍事を圧倒する絶大な戦力をたった一人で運用する兵士に対する訓練だ。

 望まれるものは、敵を圧倒する力。命令を受ければ、その力を振るうことを迷わない精神。

 強いて、言うならば。

「戦争するための訓練だってか……!」

「それも、有ったという話だ」

「くっ…………」

 そんなものを、彼女は強いられていたということか。

 家族の都合で無理やり連れて行かれたよその国で、望まぬ形で軍人に仕立て上げられ、兵器を扱うための戦力としての訓練を受けさせられた。

「なんだよ、それ……」

 泉美はただの、優しい少女だったはずだ。

 どこにでもいる普通の――――。

 それがこうして7年ぶりに再会した今、兵器を操る軍人になっていただなんて。

「なんで、そんなことに……」

 何がどう間違って、ただの少女が軍人なんかになってしまったのか。

 それとも、

「俺があのとき、止めれてれば……」

 無力だった星野飛鳥という少年に、その理由がありはしなかっただろうか。

 彼女のその狂った境遇に、星野飛鳥という人間の介在する余地はなかったのだろうか。

 7年前のあの日、飛鳥に日本に残りたいという彼女の望みをかなえるだけの力があったならば……。

「アスカ、どうしたんだ?」

 両手で頭を抱えて呻く飛鳥に、隼斗が驚いた様子で尋ねる。

 飛鳥は右手だけをだらりと落して、小さな声でポツリポツリと言葉を紡ぐ。

「俺、知ってたんだ……。あいつが親が離婚して中国に行かなきゃならなくなったとき、日本に残りたいって思ってたこと……。だからそれを止めようとして、でもできなくて……」

「アスカ……?」

「あの日それを止めれてれば、あいつは軍人なんかにならなかったのか。7年前のあの日、俺が何もできなかったから、あいつはそんなことに……っ!」

「違う。アスカ、そうじゃない。国がそんな方法でパイロットを選ぶなんてこと、その時の君が知っていた訳ないだろう? 止められなかったとしても、軍人なんかになったことは少なくともアスカが悪いんじゃない」

「わかってる……! 全部ただの不幸なんだって、頭じゃ分かってるよ……! でも、それでも止めれた可能性が自分にあるんだって思うと、俺は……」

 全て、偶然が重なっただけだ。

 何も知らなかった7年前の飛鳥に、こんな未来を予想するなどできるはずもない。

 そうでなくとも、泉美を引き留めるために、飛鳥はできる限りの努力を尽くしたはずだった。

 そう、これはただの積み重なった不幸に過ぎない。

(でも……)

 その原因の一つに、飛鳥の無力さがあったのならば。

(あいつにとって何の救いにもならなかったのかよ、あの時の俺は!)

 彼が、己の無力さを呪わぬ理由はなかった。


 あの日の飛鳥の足掻きが、泉美のためのものか、あるいは飛鳥自身のためのものだったとするのなら。

 この最悪の結末は、一体誰のためのものなのだろうか。


 痛々しい沈黙の後、飛鳥は絞り出すように言葉を紡いだ。

「誰なんだよ…………」

「…………」

 御影は、その様子を黙って見つめていた。

「教えてくれよ…………」

 俯いたまま、彼は力なく言葉を漏らす。


「誰が望んでこんなことになってんだよ…………」


 かすれた声に、答える者はいなかった。

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