4章『陽炎色の思い出』:2
現れた二人のスーツの男達。
顔を見ればアジア系の、というか普通に日本人であろうことはわかるが、それにしては背が高くやけにガタイが良い。荒事が仕事とでも言いそうな彼らは、どちらも鋭い緊張感を発していた。
「そっちの人たちは……?」
「彼らは政府の……まぁ、この件の後始末をしてくれる人たちだよ」
訝しげに尋ねた飛鳥に、御影は誤魔化したように答える。
あまり詳しく説明されてもそれはそれで分からなかっただろうが、だからといってこれほど適当な説明では怪しいという感想はぬぐえない。
しかし彼らスーツの男たちはまるで最初からそのつもりだったかのように、飛鳥達には目も向けずにホライゾンの方へと歩み寄って行く。
「……失礼ね」
「……っすよね」
ここは意見が一致した飛鳥と遥。
思うことは同じだったが、御影が文句を言わない以上は飛鳥達にもどうすることもできない。彼らの目的もよく分からない上、恐らくそれを知っているだろう責任者の御影がその様子を静観しているのだ。
そうこうしているうちにホライゾンの傍まで近付いていた男たちの内の一人が、スーツの襟もとに取り付けていたマイクに触れて何事かを呟いた。
数秒後、最低限以外の機能を停止していたホライゾンのコア部分から、その近くの床に向けて青白い光が放たれた。
アークに搭乗するときに使用するテレポートと同じ光だ。
「中国最強、か。一体どんな奴なんだか……」
ちゃっかり日本語の話せるバーナードが、妙に流暢な日本語で小さく呟く。振り返った飛鳥に向けて軽く肩をすくめてみせると、バーナードは視線を前に戻した。
ついさっき戦闘を行っていた自分に何か言いたいのだろうかと邪推する飛鳥だったが、バーナードの表情からは何も読み取れない。
険しい表情で向けられた彼の視線の先で、光の中に人影が一つ現れた。
「ん…………っと」
ふわり、と残像のように現れた少女。
身体のラインのはっきり分かる、タイトな黒のライダースーツを身にまとった彼女は、瞼を閉じたまま小さく息を吸った。
横顔だけで美人だと分かる整った目鼻立ちと長い睫毛。薄桃の唇が呼気に震え、数瞬の沈黙の後にその瞼がゆっくりと持ちあがる。
2,3度瞬きをした彼女は天へ向けていた視線を前に戻すと、その存在に気付いたかのように飛鳥達の方に向き直った。
つま先でターンするように振り返った彼女に遅れて、ポニーテールに纏められたライトブラウンの長い髪が振り子のように揺れる。
年齢は飛鳥達とほぼ同じぐらいか。アークのパイロットである以上それほど大きな年齢の差が無いのは当然だが、大人びて見えるからか少なくとも年下のような雰囲気は一切ない。
片手を腰に当てて立つその姿からは、確かな実力に裏打ちされた自信のようなものが伺える。直前まで戦っていた相手が所属する組織の施設内で、たった一人でありながら、立ち姿だけで尊大な印象をも抱かせた。
飛鳥はその姿に、ふと遥と似たものを感じ取っていた。
「なんだ、思ったより大勢でお出迎えされるのね。歓迎されるとは思わなかったわ」
ある程度の距離を置いて立つ飛鳥達にぐるりと視線を向けると、彼女は不敵に笑ってそう言った。
(日本語……?)
飛鳥の感じた違和感はまずそれだった。
アークに乗っている間は、互いに使用する言語は初期登録時の固有言語法則に従って翻訳された状態で相手に送られている。
戦闘時に一方的に送られてきた言葉が日本語だったのは、彼女の使う言葉がアストラルに設定した言語に翻訳された結果だと飛鳥は考えていたが、そうではなかったのかもしれない。
不審がって眉を寄せる飛鳥の前で、スーツの男たちが無言で彼女に歩み寄った。
「…………」
「計画は?」
「全て問題ありません」
「そう、ならいいわ」
つまらなそうに答えると、彼女は軽く鼻を鳴らしてその男たちとすれ違う。しかしそのとき、男の一人が歩いていた彼女の肩に手を伸ばし、
「これから確認しなければならないことがありますので――――」
「――触んないで」
触れる寸前、彼女の一言で男の指先がぴたりと止まる。
ぞわり、と。空気を伝う濃密な感情の切れ端を浴びて、飛鳥は総毛立った。
(殺、気…………)
いつかバーナードが姉のフレデリカに対して怒鳴った時に感じたものの、もっと強烈な恐怖感だった。言葉が物理的な圧力まで持ったかのように、あるいは首元にナイフでも突きつけられたかのように、彼女が放つ雰囲気だけで飛鳥は圧倒されていた。
それだって彼だけの話ではない。
一葉は完全に縮こまってしまい、隼斗は飛鳥同様に身を強張らせている。普段こういうことを一切気にしないであろうアルフレッドですら、硬く拳を握りしめていた。
バーナードは一見動じていないようにも見えたが、よく見れば訝しげに眉を寄せている。飛鳥達のように恐怖を感じたというわけではなさそうだったが、それでも彼女の言葉から何か異質なものを感じ取ってはいたのだろう。
遥は彼女らしいというか、それらが一切気にならないとでも言うかのように無表情で腕を組んでいた。
ライダースーツの少女は固まったスーツの男を一瞥すると、放っていた殺気を引っ込めて呆れたように言う。
「別にちょっと話するぐらい大丈夫でしょ? 危ないことなんてしないわよ」
隣のスーツの男が無言で頷くのを見とめて、彼女は満足そうな笑みを浮かべると、くるりと背を向けて飛鳥達の元へとやってきた。
「あなたが、ホライゾンのパイロットなのね?」
「ええ、そうよ」
事務的に尋ねる遥に対して、ライダースーツの少女はきっぱりと答えた。
快活ではあるがどこか尊大な印象を抱かせる口調は、高い実力に裏打ちされた自信から来るものだろうか。ちょうど入学式のときの遥の姿がダブるようで、しかしどこか作り物めいた高圧的な態度。
飛鳥とほぼ同じ、ないしは少し低いぐらいか。遥よりほんの少し高い身長の彼女は、背筋を伸ばして腕を組んでいた姿勢から軽く腰をかがめると、下から覗き込むようにして遥の顔を見つめる。
「銀の髪に瑠璃の瞳……、ついでに作り物みたいに出来過ぎた容姿、ね。そっか、じゃあアンタが月見遥、この研究所の副所長ってことでいいのよね?」
「……。よく、わかったわね」
「そりゃアンタ有名だもの、見た目にも目立つし。あんまり自分とこの情報管理能力なんて過信しない方がいいわよ」
「そうね、気をつけるわ」
和やかに見えるが、言葉の端々に剣呑さを孕んだ言葉の応酬は、周りにいる人間までその雰囲気に呑み込んでしまう。
不気味なものでも見るかのように頬をピクリと震わせた遥だったが、次の瞬間には作り笑顔を浮かべていた。
「それで、あなたはどうして領空侵犯なんて真似をしたのかしら?」
「なに、そこから? そういうのは後で勝手に事情を聞いておいてよ、そこの人が全部知ってるから。――――ですよね、御影博士」
「あ、ああ……」
突然話を振られた御影が戸惑った様子で頷く。
やはり、御影はこの件に関して事前に知っていたとみて間違いないようだ。
ライダースーツの少女はふと上を見上げると、ひとり言のように呟く。
「でも計画自体はあたしにもいろいろあったわよ。大きな事情はたぶんあたし自身も知らない事はあると思うけど、少なくとも自分の事情ぐらいは分かってる」
「あなたの、事情?」
「あたしも生まれはこの国だったから、帰りたくなったってだけよ。……久しぶりに、会いたい奴もいるしね」
そうして彼女は、寂しげな笑みを浮かべる。
(――――えっ?)
何か、飛鳥の視界に違う物が映り込んだ。
(なん、だ……? なんだ、この既視感みたいな奴は……)
過去にどこかでそれを見たことがあるかのように、彼女の微笑みを見た瞬間に脳裏をよぎった何かのイメージ。
だが飛鳥には思い当たる人物はいない。
そもそも中国のアークのパイロットに知り合いがいるということ自体あり得ないのだ。飛鳥は親に連れられてアメリカなど欧米諸国には何度か行っているが、中国に行った経験などない。
それに彼女の容姿にもだって心当たりはない。知っているはずがないのに。
(いや、まて……。中国って…………)
何かが引っかかる。あってはいけない偶然を受け入れまいとする心が、記憶のどこかを強く押さえつけているような感覚。
ぐにゃりと世界が歪む強烈なめまいに、飛鳥は思わず額に手を当てて俯く。
だが混乱した様子の飛鳥をよそに、今度はバーナードがライダースーツの少女に声をかけた。
「貴様、軍人なんだろう? 個人の都合で随分好き勝手できるのだな」
「だから手引きがあったって言ってるじゃない。それにこれでも中国最強やってたのよ? 戦力で見た個人価値なら一艦隊ぐらいは余裕で超えてるつもりだけど」
訝しげなバーナードに対し、少女は不遜な態度を崩さぬままそう返した。本当のことを言っているのか嘘を言っているのか、どうにも判別がつかない態度だった。「っていうか」と彼女は続ける。
「そういうアンタはどこの誰なの? この研究所の人間じゃないんでしょ、アメリカ?」
「アルケインフォース社所属のコードLライセンス所有者、バーナード・フィリップスだ」
「コードL……。ああ、アーク・リンガーね。……あたしは本郷泉美、よろしく」
言うだけ言って、既に興味を失くしたかのように泉美は視線を逸らす。とりあえずといった風に告げた自身の名前。
だがそれを聞いた飛鳥は、強烈な衝撃を受けていた。
(軍人……? ホンゴウ……イズミ…………!?)
聞き覚えはある。
そして、それが自身の既視感の元の記憶に、頭の片隅に残る過去にあった出来ごとの記憶に繋がっていることに、彼は思い至る。
7年前、この国を去った少女の名は――。
飛鳥が引きとめられなかった少女の名は――。
「そうそう、さっき戦ったあの機体、アストラルだっけ? アレのパイロットって誰なの? ちょっと話がしたいんだけど」
「ああ、それはそこの彼だけど……」
ライダースーツの少女――本郷泉美の質問を受けて、遥は飛鳥の方に手を差し向ける。それを見た泉美は、軽快な足取りで飛鳥の正面に回り込んだ。
「そう、アンタがアストラルのパイロットなんだ。やるじゃない。とはいっても、あたしだって全力だったわけでもないし、あんまり調子乗らないでよね」
「…………」
一方的にまくしたてる少女の前で、飛鳥は額に手を当てたままゆっくりと顔を上げた。
映り込んだ彼女の顔も、今となってはどこか面影を感じさせるものに見える。
「泉美、なんだよな……?」
「は? あんた、一体……………………っ!?」
何かに気付いたらしき泉美の目が大きく見開かれる。
呼吸が止まる。
「……本当に、泉美なんだな。――俺だよ……星野、飛鳥だ」
「う、そ……!? あ、アス……カ…………」
指先の震えが、全身に広がったように感じた。
表情の凍った泉美が、口元を抑えてふらつくように後ろに数歩下がる。その正面で、飛鳥は額に当てていた手をだらりと下げた。
間違いない。
あの日とは姿も雰囲気もまるで違うが、それでも。
その少女は、本郷泉美。
飛鳥がいつか、救えなかった一人の少女。
「なんで……」
「どうして……」
俯いたまま放たれた飛鳥の感情を押し殺した低い声。
震える口元からこぼれ出た泉美の泣き出しそうな声。
数瞬の沈黙が、彼らの『最悪な想像』を肯定していた。
俯けていた顔を勢いよく上げた飛鳥と、泉美の視線がぶつかる。
「なんでお前がここにいるんだッ、泉美!!」
「どうしてアンタがここにいるのよッ、アスカ!!」
悲鳴のような声が、二つ重なった。