配当日和
『配当日和』
――二〇五〇年、ある春の一日――
序章 ここに至るまで
楠木俊介、五十二歳。目覚まし時計に起こされなくなって、もう十九年になる。
彼が最後に「出勤」したのは二〇三一年の三月だった。勤めていた損害保険会社の査定部門が、まるごとAIに置き換わった日のことは今でも覚えている。上司は泣きそうな顔で「君の仕事がなくなるんじゃない、仕事という概念のほうが先に死ぬんだ」と言った。当時は負け惜しみにしか聞こえなかったが、いま思えばあれは正確な予言だった。
振り返れば、すべては二〇二〇年代の後半に始まっていた。AIがAIを開発するようになり、研究の速度が人間の理解を置き去りにした。二〇二七年、ほとんどの知的作業で専門家を超えるモデルが登場したとき、世間はまだ「便利な道具が増えた」程度に受け止めていた。変化が牙を剥いたのはそのあとだ。二〇二八年から三五年にかけて、事務、経理、法務、翻訳、デザイン、プログラミング――ホワイトカラーの仕事が、音を立てて崩れていった。俊介の失業はその大波のひとつの飛沫にすぎなかった。
「大再編」と呼ばれるあの時代、失業率は二割を超え、街にはデモが溢れた。給料として人々に流れていた金は消えたわけではなかった。AIを所有する企業の利益に、そっくり付け替わっただけだった。金は、あった。ただ、届く場所が変わってしまった。経済学者たちはテレビで繰り返し説明した。「失業を生む力と、財源を生む力は、同じものなんです」と。
二〇三七年、度重なる政治危機の末に「国民配当法」が成立した。財源は膨れ上がったAI企業の利潤への課税と、政府が国策ファンドを通じて保有するAIインフラ企業の株式配当。優しさからできた制度ではない。どれだけAIが生産しても、買う人間に金がなければ経済が止まる――企業側にとっても死活問題だったから通った法律だ。アラスカが石油でやったことを、日本はAIでやった。それだけの話だと教科書には書いてある。実際にはあと一歩で別の未来だった、と俊介は思っている。
三〇年代の末、AI企業の利益は国境を越えて逃げ回っていた。タックスヘイブンに溜め込まれた利益は課税の網をすり抜け、「プラットフォーム貴族」という言葉が生まれ、一握りの企業城下で配給を受けて生きる未来――のちに歴史家が「テクノ封建制の淵」と呼んだ崖っぷちまで、世界は確かに近づいた。潮目が変わったのは二〇四一年、主要国が「グローバル最低AI利潤税」で手を打ったときだ。かつて法人税でやった国際合意の拡大版。あれが五年遅れていたら、と俊介は時々考える。配当を受け取る国民ではなく、施しを待つ領民になっていたのは自分たちだったかもしれない。
物理の世界は、もう少しゆっくり変わった。頭脳がAIに置き換わっても、手足はロボットの製造速度に律速された。介護も、建設も、配管工事も、二〇四〇年代に入ってようやく波が来た。そして二〇四四年、核融合の商用炉が初送電。電気代がほとんど意識されなくなったのは、ここ数年のことだ。
いま、二〇五〇年。生産は資本主義、分配は社会主義。教科書は今の体制を「配当資本主義」と呼ぶ。企業は相変わらず血眼で競争し、その利益の三割弱が配当と公共サービスになって国民に還る。共産主義でも、昔の資本主義でもない。誰も名前を決めきれないまま、世界はとりあえず、回っている。
一
四月の朝、七時半。カーテンが勝手に開いて、俊介は目を覚ました。
枕元の端末が今日の体調を読み上げる。「睡眠の質、良好。血糖値、正常範囲。左肩の炎症マーカーがわずかに上昇。道場で無理な指導対局をしないでください」
「はいはい」
家庭医AIの「泉さん」は、二十年前なら人間ドック一回分の検査を、毎朝寝ている間に済ませてしまう。医療費はほぼゼロだ。診断も投薬設計もAIの限界コストはただ同然だから、水道水と同じ扱いになった。かつて金持ちしか受けられなかった水準の医療が蛇口から出てくる。教育も同じだ。娘の咲は、専属のAI教師に十二年間つきっきりで教わって育った。昔の言い方をすれば、国民全員に家庭教師と主治医と弁護士がついている。
台所で味噌汁を作る。作ってくれる機械はあるが、自分で作る。三十年前の自分が見たら笑うだろう。「時間がないから」と毎朝コンビニのパンを齧っていた男が、出汁を引いている。時間なら、ある。売るほどある。
朝食をとりながら、壁のニュースを流し見る。月面のヘリウム採掘基地の拡張。老化抑制治療の第四世代が保険収載――「保険」という言葉も今や形骸だが。そして月末の国民配当の通知。今月は一人あたり十三万四千円。数字だけ見れば昔の手取りより少ないが、家賃と光熱費が四分の一、医療と教育がただ同然の世界では、暮らしはむしろ厚い。物価が沈んだから配当が生きる。逆ではない。
「配当日和だな」と俊介は呟いた。晴れた月末を、人々はそう呼ぶ。
二
九時、俊介は駅前の雑居ビル二階にある自分の将棋道場「楠木道場」の鍵を開けた。
将棋AIが人間を超えたのは、もう半世紀も前のことだ。それでも、いや、だからこそ、人間同士の対局人口はこの三十年で三倍になった。完璧な正解がいつでも見られる時代に、人間が間違えながら考える姿は、かえって値打ちが出た。チェスも、囲碁も、同じ道をたどった。
道場の収入は微々たるものだ。だが俊介の暮らしは配当で立っている。道場は金のためではなく――と言いかけて、俊介はいつも言い直す。金のためでもある。ここで得ているのは、金では買えないほうの通貨だ。子どもたちが自分の名を呼ぶ声、常連の爺さんたちの憎まれ口、「先生のおかげで初段になれた」の一言。経済学者は「意味の経済」だの「関心の経済」だのと呼ぶが、道場ではただ「張り合い」と呼んでいる。
物質は飽和した。しかし他人からの評価は、原理的に希少なままだった。だから人は今も競う。将棋で、畑で、歌で、手打ちの蕎麦で。駅の反対側の蕎麦屋は「人間が打っています」の一枚看板で、機械打ちの十倍の値段を取って行列を作っている。誰も味の差を証明できない。それでも並ぶ。人間がやった、という事実そのものが商品になる時代だ。
昼前、小学生の颯太が飛び込んできた。学校は午前で終わる。知識はAI教師に習うほうが速いと分かってから、学校は「人間同士でいる練習をする場所」に作り替えられた。
「先生、仕事って何?」
対局の途中、颯太が唐突に訊いた。学校で「昔のくらし」の授業があったらしい。
「毎日決まった時間に決まった場所へ行って、言われたことをやって、月に一回まとめて金をもらうことだ」
「なんで皆そんなことしてたの?」
「そうしないと飯が食えなかったからだ」
颯太は、江戸時代の身分制度の説明を聞いたような顔で「へえ」と言った。この子にとって労働は、俊介にとっての年貢と同じくらい遠い。生存のための労働が消えたのは、狩猟採集から数えて一万年で初めてのことなのだと、颯太はまだ知らない。
三
午後、俊介は母の入る介護レジデンスを訪ねた。
施設の力仕事はほとんどロボットがやる。入浴介助も、夜間の見守りも。それでも各フロアには必ず人間のケアワーカーがいる。四十年代に入って分かったことがある。「人間にやってほしい」という需要は、技術がどれだけ進んでも最後まで残る。手を握るのは人間がいい。愚痴を聞くのは人間がいい。いまケアワーカーは、社会で最も尊敬される職業のひとつだ。俊介が子どもの頃、その仕事が低賃金の代名詞だったと言っても、若い職員は本気にしない。
「俊ちゃん、今日は配当日かい」と母が言う。九十四歳。老化抑制治療のおかげで、まだ将棋盤を挟める。
「月末はまだだよ。ただの見舞い」
「働かないで金をもらって、あんた、恥ずかしくないのかね」
母は月に一度、同じことを言う。昭和に生まれ、平成と令和を働き詰めた人の、それは骨に刻まれた倫理だった。俊介はいつも同じ答えを返す。
「母さんの年金と同じだよ。国が株主になって、機械が稼いだ分の配当を皆で分けてるだけだ」
「株なんてやったこともないよ」
「国民全員が、生まれた時から株主なんだ。今はそういう国なんだよ」
帰り際、廊下の窓から中庭が見えた。ロボットが花壇に水をやり、その隣で入居者の老人が、たぶん必要のない手伝いをしていた。ロボットは老人のペースに合わせて、わざとゆっくり動いているように見えた。
四
夕方、娘の咲が久しぶりに家に来た。二十四歳。一度も「就職」をしたことがない世代だ。
咲の暮らしは三本立てだ。国民配当。深海探査プロジェクトの市民研究員としての報奨――AIが仮説を量産する時代、どの問いを面白がるかは今も人間の仕事で、咲の「問いのセンス」には値段がつく。そして手織りの布。人間の手仕事はいまや立派な贅沢品で、咲の織った布は関心経済の海の向こうから注文が来る。
「今日ね、耕平が接続手術の日程決めたって」
夕食の席で咲が言った。脳とAIを直結する神経インターフェース。四十代後半から実用化が始まり、若い世代の一割がすでに「接続派」だ。記憶の外部化、思考速度の拡張。咲はまだ生身でいる。
「咲はやらないのか」
「うーん。速く考えられるようになるのは分かるんだけど、速く考えて、それで何をするのかが先じゃない?」
俊介は笑った。技術が問いに答える速度ばかり上がって、問いを立てるのは相変わらず人間の――しかも案外のんびりした――仕事のままだ。人類はこの先、接続する者としない者に分かれていくのかもしれない。それが新しい格差になるのか、ただの好みの違いで済むのか、まだ誰も知らない。俊介の世代が「移行期」を綱渡りで越えたように、咲の世代には咲の世代の崖がある。豊かさは問題を解決しない。問題を、より高級なものに置き換えるだけだ。
「ねえ、お父さん」帰り際に咲が言った。「来週さ、道場手伝いに行っていい? 私が布織ってる間、ずっと考えてたんだけど、私、お父さんが人に将棋教えてるとこ見るの好きなんだよね」
「……おう。いつでも来い」
娘が行ってしまってから、俊介は一人で盤に駒を並べた。
物が満ち、金が配られ、病が減り、寿命が延びた世界で、最後に残った希少なものは何か。俊介は知っている。今日一日で、いちばん贅沢だったものを思い返せばいい。颯太の「仕事って何?」も、母の憎まれ口も、咲の「見るのが好き」も、全部それだ。
他人の時間と、関心。どれだけAIが進歩しても、娘が自分のために使う一時間だけは、どこの工場でも複製できない。
窓の外で、配達ロボットが月明かりの下を静かに走っていく。明日も道場を開けよう、と俊介は思った。誰に命じられたわけでもない、自分の仕事を。
終章 あとがきに代えて
後世の歴史家は、二〇二六年から二〇四一年までを「大移行」と呼ぶ。
技術は指数関数で走り、社会は線形でしか歩けなかった十五年。給料が利益に化け、利益が国境を越えて逃げ、それを人類がぎりぎりのところで捕まえて、皆で分ける仕組みを間に合わせた十五年。あの時代の人々は知らなかった。自分たちの議論――ロボット税ごときで賄えるのか、社会主義になってしまうのか、二〇三五年に間に合うのか――そのひとつひとつが、崖のどちら側に降りるかを決める投票だったことを。
結局、未来を分けたのは技術ではなかった。
誰が、何を、誰と分け合うと決めたか。それだけだった。
(了)




