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エッセイ/創作論集

小さな脳みそと、チベットの教え。

作者: すっとぼけん太
掲載日:2026/05/19

――いつからだろう。


スマートフォンやPCの画面を開くたび、

世界の声が、ひどく尖って聞こえるようになったのは。


SNSや動画サイトを開けば、

そこには、溢れかえる情報の海が広がっている。


けれど、その海の水は、どれも妙に塩辛い。


かつて美徳とされた「協調」や「対話」は、

退屈なものとして脇へ追いやられ、

『それ、あなたの感想ですよね』とばかりに、

相手を言葉の刃で叩き伏せる「完全論破」ばかりが、

まるで英雄の凱旋のようにもてはやされている。


右とか左とか、そんなことはどうでもいい。


けれど私は、

相手を言い負かすことが出来ない優しい人や、

上手く言葉に出来ず、黙ってしまうような弱い人の方を愛する。


そして、中間のグラデーションに潜んでいる豊かな思考が、

ノイズとして切り捨てられていくことには、正直うんざりしている。


さらに恐ろしいのは、

この海には、見えない底引き網が仕掛けられていることだ。


溢れかえる情報。


その中から、

ほんの好奇心で、一つの主張をすくい上げる。


すると。


画面の向こうのシステムは、

「お前はこれが好きなのだろう」と言わんばかりに、

似たような色の情報ばかりを、雪崩のように集めて押し付けてくる。


――もう、たくさんだ。


そう思う。


けれど気がつけば、

自分の視界は偏った意見だけで埋め尽くされ、

それ以外の世界が、少しずつ見えなくなっていく。


エコーチェンバー。


あるいは、フィルターバブル。


気づけば、

自分と似た怒りばかりが並んでいる。


同じ色の言葉だけが、

延々と流れてくる。


アルゴリズムが作り出した、

「心地よくも狭い檻」の中へ、

私たちは、いつの間にか閉じ込められていく。


そんな極端な情報の嵐の中に長く身を置いていると、

心は少しずつ摩耗していく。


他者への不信感。


正体の分からない焦燥感。


そして、

何でもいいから敵を見つけて、

ずっと怒っていなければならないような、

妙な疲労感。


そんな時。


昔観た、一本の映画を思い出した。


ブラッド・ピット主演、

1997年公開の映画『セブン・イヤーズ・イン・チベット』。


第二次世界大戦中、

チベットの聖地ラサへ迷い込んだオーストリアの登山家ハラーが、

若き日のダライ・ラマ14世と出会い、魂を交流させていく実話ベースの物語だ。


傲慢だった主人公ハラーが、

まだ少年だったダライ・ラマの言葉をきっかけに、

少しずつ変わっていく。


その言葉を、私は今でも覚えている。


たしか、こんな感じだった。


『回答のある問題なら、悩む必要はない。

 回答のない問題なら、悩んでも仕方がない』


当時の若かった私は、

「回答」を「解決方法」だと解釈した。


つまり――


解決出来る問題なら、

考えても、どうせ決まった解決になるのだから、

考える必要はない。


そして、

解決出来ない問題なら、

それは自分の手の届かないことなのだから、

考えるだけ無駄。


……だと。


「いや、じゃあ一体いつ考えるんだ?」。


そう問われると、解釈が間違っているのかもしれない。


けれど私は、その時、本当に思ったのだ。


「いや、もう別に、そんなに考えなくていいんじゃない?」


「チベットの偉いお坊さんが、そう言っているのだから」


――と。


かなり雑な受け取り方だったとは思う。


でも。


私は、その言葉にずいぶん救われてきた。


その言葉を懐に忍ばせてきたからこそ、

ここまで、あまり余計なことに頭を悩ませ過ぎずに、生きてこられた気がする。


今、目の前では、

ネット社会の狂騒が渦を巻いている。


その問題に、本当に「回答」があるのかどうか、

私には分からない。


けれど、ひとつだけ言えることがある。


心を削ってまで向き合わなければならない問題ではない、ということだ。


世の中には、

自分一人で背負わなくてもいい問題がある。


人生の貴重な時間を、

怒りや不安だけに使わなくてもいい。


私は、そう思って生きてきた。


だから今でも、

誰かを鮮やかに論破する言葉なんて、私は持っていない。


けれど――


それでも私は、

誰かを静かに安心させられる言葉の方を、

大切にして生きていきたいと思っている。


そして、私の大切な人たちへ――


疲れた時くらい、

世界の全部を背負わなくてもいいと思います。

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