兵器の証明
演習場は、凍てつくような冷気に包まれていた。
整備された平坦な地面ではなく、あえて不整地を再現した区画。そこには無数のターゲットと、最新鋭の迎撃ドローンが配備されている。
「演習開始だ」
中央司令台から、ヴィクター・アイゼンベルグ大佐の声が響く。
彼の視線は、遠く離れた演習場の中心に立つイリスと、その傍らに控えるレオンたちを捉えていた。
その眼差しは冷徹な司令官のものだが、わずかにイリスの細い肩に置かれたレオンの手元を追う。
「今回の目的は、A-13の『時相固定』を実戦的環境下で測定することにある」
大佐の横で、エリオットが端末を叩きながら冷ややかな補足を加える。
「彼女の能力干渉区域は半径1〜2m。極めて限定的です。敵の包囲網を突破するには、彼女をいかに『敵の懐』へ送り込めるかが全て」
「つまり……彼女を運び込むのが、俺たちの役目ってわけか」
レオンが低く呟くと、ガレットが力強くその肩を叩いた。
「そうだ。彼女の背中を守り、最も有効な地点運ぶ。それがクロノス小隊の至上命令だ」
レオンは思わず、鼻で笑った。
「荷物係かよ」
「文句を言っている暇はないですよ、少尉」
エリオットが冷たく言い放つ。
「彼女はただの『核』だ。本来ならば、自力で歩く必要さえない。だが、その『核』が機能しなければ、我々エストリアの防衛線は一瞬で瓦解します」
その時、レオンの横でイリスが静かに一歩を踏み出した。
彼女の眼差しはターゲットの標的を捉えているが、そこには闘争心も、高揚感もない。
ただ、プログラムされた手順を遂行する機械のような静寂。
「耳、貸しますね」
ルークが小型の通信デバイスをイリスの耳に添える。
コメットが低く唸り、敵の位置を探るように鼻を鳴らした。
「全ユニット、配置につけ!」
ガレットの号令とともに、演習場が一気に加速する。
轟音とともにドローンが舞い上がり、無数の弾道がイリスたちを襲った。
「……グラント少尉」
イリスが小さく呼ぶ。レオンは反射的に、背中の鞄を抱えるように彼女の前に身を投じた。
「伏せろ!」
銃声が鳴り響く。
レオンにとって、彼女を運ぶことはもはや「荷物係」という自嘲を通り越していた。
気がつけば、その重さに文句を言う余裕もなくなっていた。この重さを落としたら、彼女は消える。それを落とすという選択肢だけが、頭から綺麗に抜け落ちていた。
「……展開します」
目的地へ走りながら、イリスが静かに呟く。
彼女の小さな指先が、空間を断ち切るように宙を舞った。
「時相、固定」
瞬間、世界から音が消えた。
彼女の一歩に合わせて、世界が順番に凍りついていく。
舞っていた火花が空中で停止し、ドローンの弾丸が金色の髪をかすめて静止する。
レオンは、止まった時間の中で彼女の背中を見た。
彼女の器は、今この瞬間も激しく消耗している。それでも彼女は、エストリアの「切り札」として立ち続ける。
「……荷物係の仕事だな」
レオンは銃を構え、イリスの歩幅に合わせるように走った。彼女の作った静止の隙間を縫うように。背中を守り、彼女と共に心臓を運び、彼女が「兵器」として機能するための場所へ。
瓦礫の街で拾った運命が、演習場という戦場で、嫌というほど激しく火花を散らしていた。
止まった世界の中では、風さえも凍りつく。
レオンの視界に映るのは、飛来の途中で空中に縫い付けられた無数の弾丸と、音もなく墜落していくドローンの残骸。
色彩を失い、静止した空間。
イリスが小さく喘ぐ声が聞こえた。
彼女の顔色が、急速に青ざめていく。高熱の兆候だ。十三歳の身体を無理やり「時間」という概念の固定点にしている代償。彼女の心臓である鞄が、微かに熱を帯びてレオンの背中に伝わる。
「……ッ、少尉」
イリスの言葉は、止まった時間の中では霧のように霧散する。だが、レオンには分かった。彼女は、もう限界に近い。
「分かってる」
レオンは止まったドローンの破片を蹴り飛ばし、イリスの傍らへ滑り込んだ。
通信機からは、ルークの震える声が――本来なら聞こえるはずのない、リアルタイムの警告が耳に届く。
「少佐! 前方より第二波、数不明! 範囲外に退避を!」
ルークの声は、レオンの意識の中だけで反響している。
イリスはふらりと体勢を崩した。レオンは反射的に背負っている鞄を背負い直し、その小さな身体を支えるように抱きかかえる。
「……あいつら、俺たちを潰す気か」
演習という名の査定。イリスの「兵器」としての限界値を測るため、あえて過酷な環境をぶつけている。
レオンは奥歯を噛み締め、抱きかかえたまま走り出した。
「ガレット!」
レオンの叫びに呼応するように、止まった世界の向こう側で、ガレットの愛銃が火を噴いた。
重火器の爆風が、時を止めていた結界の境界線を揺らす。
「イリス!」
ガレットの怒号が響く。
イリスの指先がわずかに震え、力を失う。
「解除……ッ!」
――世界が動き出した。
戻ってきたのは、耳をつんざくような弾丸の咆哮と、ドローンの回転音。
レオンはそのまま地面に転がり込み、イリスを隠すようにして壁裏へ滑り込んだ。
「ごほっ……」
イリスが口元を押さえ、赤い飛沫をこぼした。
レオンは自分の軍服の袖で彼女の口元を乱暴に拭う。
「おい、しっかりしろ」
「……すみません。計算より負荷が……」
「謝るな。クソが、訓練にしては派手すぎるんだよ」
無線からエリオットの冷徹な声が割り込む。
「少尉、退避する必要はありません。彼女の能力を再起動させてください。敵の心臓部へ突入するまで、あと二百メートル」
「ふざけんな! こいつは今、吐血してんだぞ!」
レオンは激昂して叫んだ。
背後で、アイゼンベルグ大佐が無線を奪い取った気配がした。
「レオン・グラント少尉」
大佐の声は、低く、しかし驚くほど穏やかだった。
「その『鞄』の中身と彼女を、最前線まで届けるのが貴方の任務だ。それを守るのではない。彼女という『兵器』の目的を完遂させろ」
「……大佐!」
「それが、彼女の、そして我らが国家の生き残る道だ」
回線が切れる。
レオンは、眼前の瓦礫の隙間から、圧倒的な数で迫る敵ドローンの群れを見た。
イリスの指は、まだ冷たく震えている。
「少尉」
イリスがレオンの軍服の裾を掴んだ。
その瞳は、さっきまでよりも少しだけ、人の熱を帯びていた。
「もう一度、運んでください」
「……」
レオンは鞄を前に回し、胸元で固定した。
そのまま膝を落とし、彼女の腕を掴んで肩へ回すと、イリスの力の抜けた身体が、背中へ落ちてくる。
「しっかり掴まってろ」
レオンは彼女を背負い、そのまま立ち上がった。
ブーツが瓦礫を噛み、粉塵が舞い上がる。
その背中で、イリスの呼吸が浅く、しかし着実に荒くなっているのがわかった。
彼女の心臓である鞄が、熱を帯びたままレオンの胸元に押し付けられている。
「……ルーク! 敵の配置を!」
「右翼から三機! 回避運動をとってください、レオン少尉!」
ルークの絶叫と共に、空中で反転したドローンから榴弾が放たれる。
レオンは身体をねじり、瓦礫の影に飛び込んだ。爆風が背中を叩く。背負ったイリスの身体が衝撃で大きく跳ね、彼女が苦悶の声を漏らした。
「ッ……ごほっ」
口元から零れ落ちた鮮血が、レオンの軍服の襟元を赤く染める。
「おい、イリス!」
「……問題、ありません」
彼女は震える指先を合わせ、再び冷たい光を宿そうとしていた。
そんな彼女の手を、レオンは片手で強く押さえた。
「もういい。一度下がれ」
「……いいえ」
イリスの瞳が、レオンの瞳を真っ直ぐに捉えた。
そこにあるのは、論理でも演算でもない。兵器として課せられた、逃げ場のない「義務」という名の諦念だった。
「私を運んでください」
その言葉は、命令というより、懇願に近かった。
この少女は、自分がただの「器」として使い捨てられる運命を知っているのか。それとも、単に任務を完遂することだけが、自分の存在価値だと信じ切っているのか。
「……分かったよ」
レオンは銃の弾倉を叩き込み、立ち上がった。
背中の重さが、より一層増したように感じる。だが、それはもうただの「負荷」ではなかった。彼女の命を繋ぐ心臓であり、彼女自身を構成する魂の残滓。
「ガレット! エリオット! 聞こえるか!」
「聞こえてるぞ、レオン!」
無線越しにガレットが怒鳴り返す。
「敵の集中防衛線を突破する。イリスの能力を最大出力で解放させる。俺たちが囮だ!」
「無茶言わないでください!」
無線越しに、ルークの叫び声が弾けた。
「そんな真似をすれば彼女の肉体が……!」
ルークが制止の声を上げたが、レオンは耳を貸さなかった。
「動けるか」
「……運搬を、要請します」
一瞬だけ、レオンの眉が寄る。
「……最初に言い出したのはそっちだからな。もう少し、頑張れ」
レオンは舌打ちをし、鉄屑の山を駆け上がった。
正面には、無数の銃口を向けた防衛ドローンの群れ。
「イリス」
「……はい」
背中で、イリスが小さく頷いた。
彼女の指先が、限界を超えて輝きを放ち始める。
周囲の空気が、まるで真空に吸い込まれるように凍りついた。
「時相固定――最大展開」
レオンは迷わず踏み出した。
止まった弾丸の間をすり抜け、敵の懐へと走る。
「……ったく」
小さく吐き捨てる。
「面倒なもん背負わされたな」
世界が、再び止まる。
今度は、先程よりもずっと深い静寂だった。
レオンは足を踏み出した。足元から時間が凍りついていく様な感覚が奔る。まるで彼女の進路だけが、静寂に塗り潰されていく。
止まった弾丸を階段のように踏み越え、敵の懐へと飛び込むと、手にした小銃でドローンを撃ち落としていく。
硝煙と埃が渦巻く演習場に、停止していた時間が完全に流れ戻った。
ドローンたちが墜落し、乾いた金属音と火花が至る所で弾ける。その中心で、レオンは荒い息を吐きながら膝をついた。
胸元にある鞄が、先ほどまでの異常な高熱を失い、冷たい無機質な質量へと戻る。
その重みに、レオンは脱力しそうになった。
「……おい」
振り返ると、イリスは力尽きたように彼の背中でぐったりと目を閉じていた。口元には吐き出した鮮血がまだ乾ききらずに残っている。レオンは彼女を優しく地面に下ろした。
司令部からの放送が響く。
『演習終了。全目標達成。対象A-13のスペックを承認する』
無味乾燥な事務的アナウンス。それがこの少女を「兵器」として扱うこの国の、冷徹な現実を物語っていた。
司令台から、ゆっくりと歩いてくる影があった。
大佐だ。その背後には、憮然とした表情のエリオットと、肩をすくめたガレットが続く。
「上々の結果だ」
大佐は、レオンの横に倒れ込むイリスを一瞥し、それからレオンへと視線を移した。そこに私情はほとんど見当たらない。
「敵の心臓部を、最短距離で抉り出した。貴方の適格性も証明されたようだ、レオン・グラント少尉」
「……人を殺す兵器の運搬が、適格性ですか」
レオンの言葉に、ガレットが苦い顔をする。
「レオン、余計なことを言うな」
エリオットはイリスの傍らに歩み寄り、慣れた手つきで鞄のモニターをチェックし始めた。
「心拍数、コア出力ともに限界値。……ですが、許容範囲内です。この個体はやはり、他のAシリーズとは次元が違う」
エリオットの口からは、イリスの命を心配する言葉は一切出ない。あくまで「数値」としての評価。
レオンはその言葉に苛立ちを覚え、イリスの手をそっと握りしめた。彼女の手は、まるで氷のように冷たかった。
「大佐」
レオンは大佐を真っ直ぐに見据えた。
「これは演習だ。だが、次は実戦だろ。この負荷をかけ続けて、彼女はいつまで保つんですか」
大佐は一瞬、眉をひそめた。だが、すぐに表情を仮面のように固める。
「彼女はエストリアの守護者だ。国家が存続する限り、その責務から逃れることは許されない」
大佐の背後で、風が吹き抜ける。
その風に煽られ、イリスが微かにうめき声を上げ、長いまつ毛を震わせた。彼女はゆっくりと目を開ける。その瞳は、先ほどまでの激戦を経てもなお、濁りのない金色の光を湛えていた。
「……少尉」
彼女の小さな声が、静まり返った演習場に響く。
「……生きて、います」
それは、自分自身の存在を確認するような、あまりに幼い声だった。
レオンはその言葉に、答えのかわりに彼女の肩の鞄を、もう一度しっかりと抱え直した。
「ああ。生きてるな」
大佐は背を向け、司令部へと歩き出す。
「休息を与えろ。……次の任務は、追って通達する」
その背中を見送りながら、レオンは思った。
この国が「守護者」と呼ぶ彼女の隣で、自分はこれからもこの重すぎる鞄を運び続けるのだろう。
たとえ、それが地獄への道のりだとしても。




