ゼロ局
厚い鋼鉄の外壁が、鈍い威圧感を放っている。
幾重にも重なる検問をくぐり抜け、砲塔と監視塔がまるで灰色の空を睨みつけるように並ぶその場所――中央防衛管区・第01局、通称「ゼロ局」。
エストリアの心臓部は、今日も冷徹な機械音と、張り詰めた緊張感で満たされていた。
軍用トラックの列が、重苦しいエンジン音を地響きのように響かせながら門を通過していく。
レオンは、肩に食い込む巨大な鞄の重さに辟易しながら、その列を横目に敷地内へと足を進めていた。
その隣には、淡々と歩を進める、瓦礫の山で出会った少女――イリス・ヴェルナーがいる。
門を越える際、警備兵がこちらに視線を向けた。
だが、その視線がイリスの姿を捉えた瞬間、彼らはまるで電流でも流れたかのように表情を引き攣らせ、慌てて姿勢を正して敬礼を送る。
……どういう扱いなんだ、こいつ。
上官としての敬意か、それとも兵器としての畏怖か。どちらにせよ、居心地の悪さは拭えない。
「グラント少尉」
無機質な声が、隣から降ってきた。
「歩行速度が低下しています」
「……普通の人間はこれが普通なんだよ」
レオンは吐き捨てるように言い、肩に食い込む鞄の位置を持ち直した。
重い。ただの物資運搬の比ではない。物理的な質量とは別に、背中に冷たい鉛を背負わされているような、精神を削る重さだ。
ゼロ局の司令部棟に入ると、待ち構えていたかのようにガレット・コール少尉が腕を組んで立っていた。
「遅ぇぞ、レオン」
「……瓦礫の街で拾った」
レオンは短く答え、肩に担いだ鞄を軽く叩いた。
「拾っただと? お前、また面倒なもんを……」
「これごと、だ」
レオンが鞄を指すと、ガレットの視線がレオンからイリスへと移る。
その瞳に、興味と警戒が混じり合った色が宿った。
「……お前が、噂のA-13か」
「はい」
イリスは簡潔に答え、ガレットを真っ直ぐに見据える。その背筋の伸び方は、あまりに完璧すぎて逆に痛々しい。
「管理番号A-13。イリス・ヴェルナー。異能特化個体。現在、時相固定能力保持」
背後から割って入ってきたのは、小柄な身体に白衣を羽織ったエリオット・ヴェイン准尉だった。
眼鏡の奥の眼差しは、イリスを人間としてではなく、解析対象としてスキャンしている。
「時相……? なんだそりゃ」
「時間干渉能力です。局内でも極秘の、切り札ですよ」
エリオットは淡々と告げた。
「兵器ってわけか」
ガレットが苦々しく吐き捨てる。
その時、エリオットが急に視線をレオンの肩へと飛ばした。
「グラント少尉」
「なんだ」
「その鞄を床に置かないでください」
「……なんでだ。肩がもげそうなんだよ」
「それは彼女の生命維持装置です」
エリオットの声音は、温度を欠いていた。
「内部には、異能制御コアと生命維持ユニットが搭載されています。簡単に言えば――」
「彼女の心臓だ」
エリオットが言葉を切り、ガレットがそれを引き取った。
「つまり、お前がそれを落としたり壊したりしたら」
「彼女は、死にます」
冷酷なまでに事務的な説明。
レオンは言葉を失い、自分の背中にある鞄を凝視した。
これが、ただの重荷ではなく、彼女の心臓?
レオンは思わず、隣を歩くイリスを見た。
彼女は相変わらず、無機質な視線を虚空に向けている。
「……なんで俺なんだ」
レオンの問いかけに、答えたのはガレットでもエリオットでもなく、イリス自身だった。
「合理的判断です」
「何が」
「貴方は瓦礫の街で、私の鞄を持った」
「……ただの癖だ。誰か困ってりゃ助ける、ただの習性だ」
イリスは、人形のような顔をレオンに向けた。
「それが理由です。貴方は損な性格をしています」
イリスの瞳が、レオンを射抜く。
感情のないはずのその声が、妙に鮮明に鼓膜に焼き付いた。
「真っ先に死にますよ」
一拍置いて、続ける。
「安心してください」
イリスは、わずかに首を傾げた。
「その時は、私も死にます」
「……縁起でもねぇ」
レオンが天を仰いだ時、エリオットが手元の端末を操作しながら冷たく言い放った。
「雑談は終わりです。訓練命令です」
「来たか」
ガレットが口角を歪める。
「クロノス小隊、明日から軍事演習に参加です」
「新兵器の実戦テストだ」
✽✽✽
翌朝の司令部。
空は相変わらず鈍色に沈み、遠くでは機械の駆動音が低く唸りを上げている。
レオンは重い足取りで廊下を歩いていた。
肩には、昨日と変わらぬ質量を誇る「鞄」。そしてその隣を、昨日と同じ軍服に身を包んだイリスが、一切の揺らぎなく並走している。
彼女の金髪が、冷たい風を受けて淡く光った。
「グラント少尉」
「……なんだ」
イリスの無機質な声が、無遠慮にレオンの思考を切り裂く。
「貴方の歩行速度は平均より六パーセント低い」
「重いからだ。文句があるなら自分で背負え」
「重量は計測済みです。私の推測では誤差の範囲内です」
「俺の体力が誤差なんだよ」
レオンが毒づいた瞬間、角から一人の青年が駆け寄ってきた。傍らには、毛並みの整った軍用犬が寄り添っている。
「おはようございます!」
青年は軽やかな動作で敬礼した。
「通信担当のルーク・ハドソンです。……イリス少佐」
ルークはそう呼びかけると、少しだけ膝を曲げ、少女であるイリスの視線の高さまで身を屈めた。
「戦場では、僕があなたの『耳』になります」
「…………耳」
「はい。遠くの状況、微かな音、そのすべてを僕が拾って、あなたに伝えますから」
ルークは傍らの犬の首筋を撫でた。
「それと、こいつがコメットです」
「……軍用犬か」
レオンの視線に、犬が控えめに尻尾を振った。
「嗅覚は人間の四万倍。地雷だって見つけますよ」
ルークの言葉を聞きながら、イリスが不意に手を伸ばした。彼女の指先が、コメットの柔らかい耳に触れる。
「……柔らかい」
「生きてますからね」
ルークは屈託のない笑みを浮かべた。その表情に、イリスの瞳がわずかに揺らぐ。
「……怖くないのですか」
「……え?」
「貴方の目の前にいるのは、兵器です」
「そうですか。でも、犬を撫でる兵器って、なんだかあまり怖くないです」
ルークが笑って返した時、廊下の突き当たりから野太い怒声が響いた。
「いつまで散歩してんだ! ボンクラども!」
ガレットが腕を組み、仁王立ちでこちらを睨んでいる。レオンは肩の鞄を大きく揺らし、深い溜息を吐いた。
「……始まるってよ。行くぞ」
「作戦内容は?」
イリスの問いに、ルークが立ち上がり、真剣な面持ちで答える。
「模擬戦です。今回の演習は……少佐の能力を正確に測るためのデータ収集が主目的です」
「……嫌な予感しかしねぇな」
レオンの独り言を遮るように、再びガレットの怒号が飛ぶ。
「クロノス小隊! 集合!」
レオンは重い鞄を背負い直し、小走りでガレットのもとへ向かった。
背中の質量が、心なしか昨日よりも重く感じられる。
これはただの金属の塊か、あるいは運命の重さか。
灰色の空の下、エストリアの兵器たちは、それぞれの役割を背負って戦場へと踏み出した。
灰色の空の下、エストリアの「切り札」を背負って、レオンの日常は終わりを告げようとしていた。




