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廻る、世界。  作者: tana
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プロローグ 始まりの鞄

鉄屑と砂塵が混ざり合う、乾いた風が吹き抜けていた。

かつて街と呼ばれていた場所は、今や無残に骨組みを晒した廃墟の群れへと姿を変えている。空は地上を灰色に塗り潰していた。


その、瓦礫の山の上に、場違いな影が一つ。


軍服を纏っているが、それは周囲の兵士の装備とは、明らかに作りが違っていた。

戦闘用というより、儀礼装に近い。


細部に施された意匠、独特の裁断。

深いフードが顔を隠し、膝下まであるスカートの裾が風に煽られて不規則なリズムを刻む。

足元を固める編み上げのブーツは、この足場の悪い場所にはあまりに不釣り合いなほど、汚れ一つなく磨き抜かれていた。

その背には、少女の細い身体には到底不釣り合いなほど大きな鞄が背負われている。


「おい、あぶねぇだろ」


背後から投げかけられた声は、低く、どこか投げやりな響きを含んでいた。

少女はゆっくりと振り返る。

指先がフードの縁に掛かり、滑り落ちるようにそれが脱げた。

露わになったのは、曇天の下でさえ淡い光を放つような、濁りのない金の髪。

彼女は、感情の読み取れない瞳で声の主を見つめ、静かに首を傾げた。


「危ない、とは?」


問い返す声には、恐怖も緊張も、あるいは好奇心すらも混じっていない。ただ純粋な、定義の確認。

声をかけた男——レオン・グラントは、そのあまりに浮世離れした反応に、咥えかけていた煙草を止めた。


「見て分からねぇのか。地盤が緩んでる」

「物理的な落下による損傷を指しているのであれば、問題ありません。計算上、この角度なら私の強度は維持されます」

「……計算? 逃げ遅れた一般市民かと思えば、えらく理屈っぽいガキだな」


レオンは溜息をつき、重い足取りで瓦礫を登り始めた。彼の首元で、使い込まれたドッグタグがカチリと音を立てる。

少女は逃げる風でもなく、ただ彼が近づいてくるのを、精密機械のような静止を保って見つめていた。


「それ、持ってやるよ」


レオンが彼女の傍らに立ち、その巨大な鞄に手を伸ばす。少女の華奢な肩に食い込むストラップを見れば、放っておける性分ではなかった。


「必要ありません。私の管理は私で行います」

「いいから、貸せ」


レオンは拒絶を無視して、強引に鞄を奪い取った。

その瞬間、彼の腕に予想を遥かに上回る質量がのしかかる。


「……なんだこれ」


あまりの重さにレオンの眉間に皺が寄る。大の男が片手で持つにも骨が折れる代物だ。これを背負って、こんな不安定な瓦礫の山を平然と登ってきたというのか。


「私の生命維持に必要なものです」


少女は事も無げに答えた。


「………………?」


レオンが理解の追いつかない顔で固まった、その時だった。

背後で軍靴の音が弾けた。

血相を変えた軍の現場指揮官が、数人の部下を連れて、足早に駆け寄ってくる。


「貴様! 何をやっている! その方に触れるな!」


指揮官の怒声が響き渡る。レオンは反射的に鞄を肩に掛け直し、不機嫌そうに指揮官を睨み返した。


「何って……保護ですよ」

「貴様のような一介の少尉が触れていいお方ではない! さっさとその鞄を離し、礼を尽くせ!」


指揮官の形相は、単なる規律違反を叱責するそれではない。何か恐ろしい禁忌に触れた者を見るような、怯えを含んだ怒りだった。


レオンが口を開きかけた、その瞬間。


「黙りなさい」


遮ったのは、凛とした、冷徹な少女の声だった。

その場に冷気が走る。指揮官がびくりと肩を震わせ、言葉を飲み込む。

少女はレオンに向き直った。

彼の胸元で揺れる、一枚の金属板。


「管理番号A-13。イリス・ヴェルナーです」


彼女の視線が、レオンのドッグタグに刻まれた文字列をなぞる。


「レオン・グラント少尉」


名前を呼ばれたレオンの背筋に、得体の知れない震えが走った。彼女の瞳には、自分という人間が見えているのではない。まるで、データの束を読み取っているかのような、透徹した視線。

イリスは一歩、レオンに歩み寄った。

その距離感は、親愛を示すにはあまりに近く、威圧を与えるにはあまりに静かだった。


「…………貴方に、決めました」

「は……?」

「本日より、貴方を私のハンドラーとして指名します。拒否権は、現時点での私の権限において、貴方には与えられていません」


イリスの金の髪が、再び吹いた風に揺れる。

レオンは肩に食い込む鞄の重さを感じながら、目の前の「生命維持が必要な」少女を見下ろした。彼女の背後で、指揮官たちが青ざめた顔で立ち尽くしている。

瓦礫の山の上、灰色の空。

出会うはずのなかった二人の運命が、不協和音を奏でながら噛み合った瞬間だった。


「……おい、ちょっと待て」

「拒否権などありません」


イリスは一瞬だけ、唇の端を微かに動かした。それが微笑みなのか、あるいは単なる筋肉の弛緩なのか、レオンには判別がつかない。


「これは、共謀です。グラント少尉」


そう言って、彼女は自ら、レオンの隣でゆっくりと瓦礫を下り始めた。

一歩一歩、その足跡が刻まれるたびに、世界は少しずつその形を変えていく。

レオンは天を仰ぎ、一度だけ大きな溜息を吐き出すと、重い鞄を背負い直して彼女の後に続いた。

重苦しい金属の音と、軽やかなブーツの音。

それが混ざり合い、崩壊した街の静寂の中に消えていった。


その日、その瞬間。

世界はゆっくりと廻り始めた。

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