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第9話 罠だらけの泉③

「千波さーん!」


 ほどなくして、奥から千波を呼ぶ声が聞こえる。

 広報課は多忙、特に相手がある仕事が多いから急な予定変更もしばしば。


「っと、もうちょっと愛しの立野と話したかったんだけどね!」


「やめろよ話をややこしくするな」


「えっ……ちなちゃんと立野くんってそういう……?」


 ほら、この人は悪ノリが好きなんだから。

 ちょっとしょんぼりした演技すら迫真なのは、流石元演劇部と言わざるを得ない。


「何もないですよ、ただの同期ですって」


 微妙な空気だけを残して千波は足早に去っていく。くそ、あいつ掻き回すだけ掻き回しやがって。


 入口に残されたのは俺と瑚夏さん。

 相手が俺だからか、それとも普段から広報課はそうなのか、周りを歩く人の目線が痛い。


「やりづらいですね、ここ」


「そう〜?私たちはもう感覚が麻痺してるかも」


 法務課なんて部屋に入ったところに内線があって、用事がある人を呼び出すスタイルだから、あんまり入口付近で話すこともないんだよなぁ。


「じゃあさじゃあさ、こっちおいでよ」


 カウンターの中へと手招きする瑚夏さん。

 そんな敵地(?)に足を踏み入れるなんて……というか早く社員証さえ返してくれたら帰るんだけど。


「そんなにすぐ返すわけないでしょ」


「え?」


「『すぐに社員証かっぱらって帰ろう』って顔に書いてたよ」


 ポーカーフェイスだろ、俺はどう見ても。

 この人には何が見えてるんだ。


「随分と余白の多い顔で」


「額より上じゃなくてよかったね!」


「それ絶対大きな声で言ったらだめですからね……」


 手招きされるがまま、見たことはあるが名前は思い出せない人たちの間を縫って広報課の奥へ。

 どうしてこんなに物が多いんだ。


 脚に当たりそうな段ボールを何とか避ける。


「はい、じゃあここ座って!」


 指し示されたのはキャスター付きの椅子。


「ここって」


「そう、私の席!」


 殺風景な机だった。

 支給されたノートPCにデザイン関連の書籍が数冊、飾り気のないペン立て。


 まさに仕事特化。


「かわいくないでしょ?」


「いえ……いや、かわいくはないか、うん」


「正直に言いすぎ!」


 肩をバシバシと叩かれる。

 じゃあどうすればいいんだ。道路とかエレベーターとかにも「かわいい!」って言えばいいのか?


 そりゃkawaii大国日本だもんな。


「でも、機能的でいいと思います」


 正直な感想が口から洩れる。

 こういうの好きなんだよな、機能美って言うんだっけ。


「……へぇ〜見る目あるじゃん」


 一歩後ずさった瑚夏さんが短く息を吐いた。


「誰視線なんですか」


「そりゃ泉の女神よ」


「あぁそこに戻ってくるんだ……自認女神って結構やばくないです?」


 世が世なら叩かれてるぞ、知らんけど。


「あ!そういうこと言っちゃうんだ!社員証を人質に取られてるくせに!」


 人質……というか物質?

 広い机の上にポツンと置かれていた俺の社員証。


 さぁ返してもらおうか。


 手を伸ばすと、真っ白な指に阻止される。

 滑らかな感触がつーっと伝う。


 人の熱に触れるのが久しぶりすぎて、変に緊張してしまったのはここだけの話。


「んへっ、昨日君がそれを落とした時思ったんだ」


 コロコロコロと椅子を引っ張ってきて、彼女は腰をすとんと下ろす。


 目線の高さが揃う。

 一瞬、ほんの一瞬、周りの音が遠くなった。


「2回会うのが偶然だとして、3回目はなんて呼ぶんだろうね?」


 人はそれをきっと。

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