第56話 広報課のシンデレラ④
side:瑚夏ゆり
「はぁ……立野くんとちなちゃんか……」
掛け布団を手繰り寄せてため息をつく。
突然の高熱で今日は仕事を休んでしまった。上司や同僚は優しく「ゆっくり休んでね」なんて言ってくれたけど、心は依然晴れない。
そう、ここ数週間ずっと気持ちは曇り空だ。どんよりとした重い重い雲がいまにも雨を降らしそうな曇天。
花火の日まではあんなに太陽が輝いていたのに。
理由なんてわかりきっている、自分が認めたくないだけ。
花火大会に男女二人だけで行ったらそれはもう……付き合うでしょ。
あの夜、ちなちゃんと立野くんを見かけた時の衝撃はすごかった。薄々感じてはいたんだ、立野くんに花火の誘いを断られたときから。
でも自分の中で、それは最悪のパターンで。それを最悪だと認識できるということは……だめだ、これ以上考えるとただでさえ悪い体調がさらに悪くなってしまう。
ちなちゃんが立野くんを好きなことなんて、見ればわかる。自ずと明らかとさえ思う。そしてその逆も、おそらく然り。
「いいなぁ……」
他の人と話す時のちなちゃんと、立野くんと話す時のちなちゃんはテンションがまるで違う。ついでに言うなら、身体的な距離も違う。
半歩どころか一歩分、距離が近いのだ。
そんなちなちゃんが立野くんと花火大会に二人で行ったらどうなるか、想像に難くない。いつもは綺麗にまとめているポニーテールもしまい込んで、身体を密着させて。
ちなちゃんってば名前で呼ばれてたなぁ……。
思い出すだけで涙腺が破裂しそうになる。
何が「正々堂々いきましょう」よ、恥ずかしい。
でもまさにあと一手で王手になる盤面を前にして、手加減してねなんて言えなかった。
あれが私にできる最大の見栄っ張り。
ちなちゃんは私の方が有利だなんて思ってるけど、逆よ逆。ぽっと出の女じゃ積み上げた時間には勝てない。
あーあ、私もあそこに立ちたかったなぁ。一緒に焼きそば食べて、花火見て、綺麗だななんて言われて……いや、立野くんは言ってくれないか、自分からは。
前までならくすっと笑えた妄想も、今じゃ心臓を蝕んでいく。
あったかもしれない未来の消えることが、こんなに悲しいなんて。ほんとに好きだったんだな、私。
やだやだ、どうせ会えないのに立野くんのことなんか思い出しちゃって。
あのクラゲのキーホルダーを落としたのも運命だったんだ。私と彼の関係が切れてしまう合図だと思えば合点もいく、納得は一生できないけれど。
耐えきれなくなった目の泉から水が流れ出す。
枕にできた小さな水溜まりは、私の気持ちを映す鏡だ。
この風邪が治るまでは……せめて頬に当たる風が冷たくなるまでは、彼への気持ちを持っていたい。
捨てようと思って簡単に捨てられるものでもないのだ。
恋とはそれほどに熱くて重くて、融通が効かない。だから貴くて美しい。
振られるなら、せめてちゃんと告白して振られたい。
彼にとってはいい迷惑だとしても、そうでもしなけりゃ整理がつかない。勝てない勝負だとわかっていても、挑まないと気が済まない。
ふと思い出す。
今まで私に告白してくれた人たちも、こんな身を引き裂かれるような、心のど真ん中にぽっかり穴が空くような経験をしてきたんだろうか。
だとしたら大いに反省しなければ。簡単に断るだけじゃなくて、ちゃんと言葉と気持ちを尽くすべきだった。
心の中でごめんなさいごめんなさいと唱える。
ぼんやりとした頭でこれまでのことを思い出してしまう。
居酒屋でやけ酒して潰れかけていたら彼が声をかけてくれたこと……あの時はお人好しだなぁなんて思ったけど、まさか好きになっちゃうなんて。
それから社員証と引替えに水族館に来てもらって、あーあ、やっぱりクラゲのキーホルダー落としちゃったの悲しいな。
風邪が治ったら総務課に聞いてみよう、もしかしたら優しい人が届けてくれてるかもしれないし。もし、そんな偶然はないだろうけど、立野くんが拾ってくれてたら私に直接渡してくれるかな……いや、もう仕事以外では逢いに来てくれないか。
ちなちゃんっていうかわいいかわいい彼女がいるんだし。
それから一緒に採用説明会に行って、服も似合うって言ってもらって……。
なんだかあの服ももう着れないや、思い出しちゃいそうだし。
彼と過ごした時間を楽しく思い出せるようになるまで、もう少しかかりそうだ。
……今はとりあえずこの風邪を治して出勤しないと。
ごちゃごちゃした頭の中を整理するためにもそう意気込んで、今度こそ眠りにつこうと私は無理やり目を閉じた。
どれくらい経っただろう。ピンポーンとインターフォンが鳴っている気がする。
その音で意識が深海から引き上げられる。
「宅配なんて頼んでないけど……」
面倒な勧誘とかだったら居留守しよう、そう思ってインターフォンのモニターを覗くと、スーツにネクタイ。
やっぱり業者の勧誘とかだろうか……でもやけに見覚えがあるような。
「……はい」
回らない頭で返事する。
しかし、返ってきた言葉は予想とはまったく違うもので。
『た、立野です……風邪だって聞いて』
どうして、一体誰が、今はまだお昼のはずなのに、というか立野くんは彼女がいるんだから女性の部屋に来るのはやめた方がいい。
熱に浮かされた頭では処理しきれないほどの情報が走り抜けていく。多分最後のは理性が叫んでる。
モニターに映った彼は申し訳なさそうな、困ったような顔で持っているレジ袋が見えるように腕を持ち上げた。
何はともあれ、家の中に入れないと……!
でもこんなぼさぼさの髪、ダサい格好じゃ会いたくない。
ほんの少し残ったプライドが、体調不良を吹き飛ばす。
「ち、ちょっと待ってね……」
何とかそれだけ言い放って、私は部屋の奥へと走りクローゼットを開けた。




