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第55話 広報課のシンデレラ③

 面倒事には首を突っ込まない、それが俺のモットーだった。


 そう、「だった」。過去形なのだ。社会人になって積み上げてきた価値観は、ほんの数ヶ月、たった二人の女性に粉々に破壊された。

 ありとあらゆる場所に連れていかれ、言葉一つで振り回されてしまうのだ、仕方がない。


 そのせいか最近は意外と面倒事も悪くないな、なんて思えてしまう。突発的に発生したイレギュラーにアクセル全開で突っ込めるくらいには。


 でも全速力で進むためには、誰かに道案内してもらわないといけない。


「えーっとスポドリとゼリーと風邪薬と……」


 人の少ないドラッグストアで支援物資を物色する。自分のためなら手が伸びない商品にも、他人のためなら躊躇なく買えてしまう。

 人間とはなんと不可解な生き物だろう。自己満足であることは否めないが、やらない善よりやる偽善、これが苦しんでいるジュリエットのためになるなら、苦でもなんでもない。


 ……ジュリエットが風邪ってちょっとおもしろいよな、自分から毒ですら飲んで仮死状態にもなるのに。


 それはそうとして、ここが有給の使い時だ、と息巻いて隣の小動物みたいにきゅるきゅるした目の同僚を置いてきてしまった。

 すまん、後は頑張ってくれ、お前ならできる。


 スーツに革靴でレジ袋を抱えて、一度だけ来たことのあるあの街へ。

 ポケットには、大人しく二匹のクラゲが収まっていた。


◆ ◇ ◆ ◇


 道に落ちていた記憶を拾って進んでは、見覚えのある景色に安堵する。まるで現代のヘンゼルとグレーテルだ。

 家の中にいるのは魔女でもなんでもない、風邪っぴきのジュリエットだけど。


 目の前には重そうなドアがそびえ立っている。

 俺からすると、まるで魔王に続く扉のように感じられた。


 インターフォンを押せば、何かが始まって終わる、そんな気持ちが腕に鉛でできた重しをくくりつけていた。


 千波が瑚夏さんにチャットしておくなんて言っていたが、結局瑚夏さんから直接は連絡が来なかった。寝込んでいて見ていないのか、それとも……。


 果たしてこのボタンを押してしまってもいいのか、迷惑じゃないかと、後ろ向きな気持ちが胸中に広がる。

 腕を上げるその瞬間、フラッシュバックするこれまでのこと。


 初めて酔いつぶれそうな瑚夏さんに会ったこと、コンビニで揶揄われたこと、社員証を人質(?)にされて呼び出されたこと、水族館に行ったこと、同じクラゲのキーホルダーをプレゼントしたこと、目の前の部屋に強制的に連れ込まれたこと……。

 いつも彼女に引っ張られてはいたけれど、どれもこれも自分の選択が招いた結果だ。


 ではなぜ瑚夏さんと一緒にいることを選んだのか。

 陳腐で難解で、とても大事な問いが頭の中を駆け巡る。言葉にするには少し熱すぎて、手に負えない気持ちはもうどこかでわかっていて。


 記憶の中の彼女はいつも笑っている。

 ここに立つ理由なんてそれだけで、たったそれだけで十分な気がした。


 震える指で真っ黒なインターフォンを押す。

 永遠にも思える数秒間。


『……はい』


 言葉に重さが乗ったような声、微かに聞こえる息遣いはしんどそうだ。

 さっさと手にもった支援物資を渡して帰ろう。


「た、立野です。風邪だって聞いて」


『ふぇっ!?立野くん?ち、ちょっと待ってね、え、どうしよう……』


 急に中でばたばたと音がする。顔だけ出してくれたらそれでいいのに……。

 いや待てよ、普通に失礼か。未婚の、しかも体調が悪い女性の家に押しかけるのは。

 既婚ならそれはそれで意味がわからないんだが。


 千波に発破をかけられてすっかり常識を忘れていた。うわ、どうしよう。

 気がつくとどんどん恥ずかしさが込み上げてくる。かと言ってこのまま帰る訳にもいかないし……。


 なんて一人反省会も虚しく、ガチャリと扉が開いた。


「ようこそ、立野くん。私のお城へようこそ!中へどうぞどうぞ!」


 しんどさなんて微塵も感じさせない佇まいで、モコモコのパジャマを着た瑚夏さんが両手を広げて現れた。

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