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第5話 ジュリエットは悪戯好き②

 窓の外を眺めれば日もとっぷり暮れている。

 それなのにオフィスではカタカタとキーボードの音が鳴り響いていた。


 おかしい、春も中頃に差し掛かってきて夏も見えてきた。

 日照時間は延びているはずなのに……。


 隣の同僚も大口を開けて宙を見つめている。

 これはもう限界だな!骨は拾ってやる、安らかに逝けよ。


 さてさて、ミイラ取りがミイラにならないよう俺も気持ちをリセットしたいところ。


「下のコンビニ行くけど来るか?」


 一応同僚にも声をかける。十中八九来ないだろうな。

 ゾンビのように緩慢な動作で首をこちらに向けると、彼は口を開いた。


「歩く元気ないから行けないけど、コーヒーとチョコを買ってきてくれ」


 パシリじゃねぇか。しかも「行けない」じゃなくて「行かない」だろ。

 何を外的要因がありますみたいな顔してるんだ。


 しかし俺も鬼ではない。戦友が甘さと苦さをご所望なら買ってきてやろうじゃないか。


 PCをスリープにして立ち上がり、俺はぐぐっと腕を伸ばした。


◆ ◇ ◆ ◇


 とぼとぼと廊下を歩きながら思い出すのは昨日のこと。


 そもそも広報課のジュリエットってなんなんだ。

 自分にとって彼女は、少し距離の遠い課の先輩、瑚夏ゆりでしかない。

 ……たまに「広報課のジュリエット」という道化を演じているのはおもしろいが。


 俺も別に文学作品が好きだとかあの時代に詳しいとか、舞台に造形があるわけじゃないが、今までああいう会話ができたことなんてほとんどなかったから。

 少しだけ、ほんの少しだけ魅力的に映ってしまうのだ。


 しかし肝臓をアルコール漬けにしてすぐに、腰に手を当ててスポドリをがぶ飲みするジュリエットなんて解釈違いもいいところだ。


 名前やイメージが先行して、本来の彼女の性格とかけ離れていることがなんとも笑える話で。

 やっぱり昨日見たのは幻だったんじゃないか……?うん、そうだ。きっと幻だ、忘れよう。


 まるでアリの帰巣本能のように、ルンバに見つかったホコリのように、身体が自動ドアに吸い込まれる。


 会社の入っているビルにコンビニがあるのはありがたい。急な空腹に何かしらをぶち込めるから。

 さて、哀れな同僚に魂の救済(支援物資の供給)をしなければ。


 陳列された商品を眺めていると聞き覚えのある声が耳を通り抜けて言った。


「だから行かないって」


「いいじゃん、別に今日予定ないんだろ?」


 ため息が聞こえる。

 もし空気に色があるなら、あの息はきっと灰色なんだろう。


 やっぱり有名人は大変だなぁ、なんて他人事のような感想が頭の中を走り抜ける。

 自分には関係ない話だと同僚のチョコ選びを再開すると、視線を感じた。


 振り返れば男性の背中越しに、瑚夏さんと目が合う。

 今まで心底迷惑そうに歪んでいた彼女の顔が、いたずらを思いついた子どものように晴れやかなものになる。

 まずい、ここに留まると確実に巻き込まれる……!


「んーん、ちょっと法務課の人と会議の予定なんだ〜」


 喜色の混じった声に不審そうな顔をするお相手。

 頼むからこっちを見ないでくれよ……。変にターゲットにされても困るし。


 というか会議なんて嘘じゃねぇか。


「なんでそんな嬉しそうなんだ……」


「やっぱり新しい企画が形になるのって嬉しいじゃない。企画課のあなたもわかるでしょう?」


「そ、そうだな」


 それから少しのやり取りの後、引き気味で帰っていくお相手さん。企画課だったのか。

 あんまり見覚えないな……企画課ならよくうちに出入りしているはずなのに。


 なんてどうでもいいことを考えていると背中に衝撃。


「どーん!」


「ちょっ……やめてください、瑚夏さん」


 さっきまでの雰囲気はどこへやら、どこかぽやぽやした空気を纏う瑚夏さん。


「やめなーい!ほら、やっぱり言った通りでしょ?すぐに会えるって」


「会社のビルなんですから、これはノーカンでしょ」

 

「そんなルールどこにもないもん」


 もんって言える歳でもないでしょうが!って言いたい気持ちは心の中に留めておく。

 事なかれ主義の俺は知っている、口は災いの元だと。


「あ、人待たせてるんでここで……」


 秘技・手刀を切りながら彼女の横を通り過ぎようとしたところで、腕をガシッと掴まれる。


「行かせるわけないよね〜」


「ひえっ」


「さすがにその反応は傷つくんだけど……これでも私、会社内で人気らしいんだよ?」


「瑚夏さんと話したい人がたくさんいるってことですよね?じゃあその人たちにここは任せて……」


「どうしてそうなるかなぁ〜!ちょっとくらいは付き合ってくれてもいいじゃない〜」


 改めて彼女に目を向ける。

 小動物のように揺れる瞳、尖った唇に心臓を持っていかれそうになる。


 コンビニの眩しすぎる蛍光灯ですら、彼女にとってはスポットライトになり得る。


 なるほど、これは危険だ。


「……ちょっとだけですよ」


「へへっ、そうこなくっちゃ」


 そう言って表情をころっと切り替えると、身体を緩く傾けた瑚夏さんは後ろで手を組んだ。

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