第3話 ジュリエットは毒と称して酒を飲む③
オフィス街に植えられた桜をぼんやり眺めていると、自動ドアの音が静寂を破った。
振り返るとペットボトルを二本持った瑚夏さん。
不意にそよぐ風、舞い上がった桜吹雪が彼女の前に降り注ぐ。
それがどうにも映画のワンシーンのように見えて、心臓がどくんと跳ねた。
まったく、顔がいいのはずるい。
「お待たせ、立野くん」
画面の中にいるはずの女優は、まさに今目の前で口を開く。
「いえ」
「そこは『瑚夏さんのためなら待つ時間も楽しいですよ』って言わなきゃ」
途端にさっきの映画のワンシーンうんぬんの妄想がバカバカしく思える。女優はそんな卑近なこと言わない。
いじめか何かか?
ほぼ初対面の人にそんな薄い言葉吐けるわけない。
「一応聞いとくんですけど、酔ってます?」
「もちろん!素面でこんな恥ずかしいセリフ言える人間に見える?」
「…………。」
「ちょっと、無言は一番の肯定じゃない!」
ころころと変わる表情、こういうところが人気な理由なんだろう。
妙に納得しているとスポーツドリンクの青いペットボトルが視界に入る。
「あ、これ迷惑料だと思ってね」
差し出されるがまま手を伸ばす。
目線を上げれば、彼女も同じものを持っていた。
「水買うって言ってませんでした?」
「似たようなものでしょ」
飲料メーカーに怒られてくれ。
このスポーツ飲料だって数多の社畜による芸術品なんだから。
「これ飲んでたら二日酔いがマシになる気がしてさ」
「そもそも二日酔いになるまで飲まないでくださいよ……明日の元気を前借りしてるだけじゃないですか」
「人聞きの悪い、私はいつだって元気よ!」
「じゃあこの話はおしまいです」
キャップを開けてスポーツドリンクを身体に叩き込む。
はぁ、労働後の疲れた頭に人工甘味料は効く。
無論お酒を飲んだ後にも効くのだろう、目の前では腰に手を当てた瑚夏さんが豪快に喉を鳴らしていた。
「こんな感じでさっき焼酎のソーダ割りを飲んでたの。だけど毒を口にしたジュリエットは、やっぱりまだ生きたくて解毒剤をがぶ飲みするんだ」
自分からジュリエットをネタにするのかよ。
どこの戯曲にスポドリをがぶ飲みするヒロインがいるんだ。
「いや、毒を飲んだのはロミオでしょ……いや、一応ジュリエットもか……解毒剤ってかスポドリ……」
「冷静なツッコミなんて今要らないの」
無事彼女がうずくまっていた原因も解き明かされた。ただの飲みすぎじゃねぇか。
どちらからともなく、俺たちは歩き出す。
駅という名の来るべきゴールは、そんなに遠くない。
「やけ酒だったんだ」
不意に瑚夏さんが口を開く。
「何の」とは聞かない。そんな仲じゃないから。
俺たちは何かの拍子に出会ってしまっただけの、同じ会社に勤める他人だ。
そのまま数歩、気がつけば彼女は後ろに。
俺も同じように足を止めて振り返る。
「聞かないんだ」
ほんの少しだけ喜びが滲んだ声が耳朶を揺らす。
聞かないんじゃなくて、聞けないの方が正しいか。
「えぇ、でも瑚夏さんが話したいなら」
きっと俺には関係ない話だからこそ。
「じゃ、そのまま」
俺たちの距離は二メートルもないくらい。
きっとこれは、初対面にしては近くて込み入った話をするには遠い距離だ。
ペットボトルの底に残ったスポーツドリンクをぐっと煽って、瑚夏さんは話し出す。
「最近、私告白されたんだよ、会社の人に」
あぁ、同僚が言っていたあれか。興味もないけど。
「それでいつもみたいに振ったの。でもね、全部が全部嫌だったわけじゃないんだ。元々知ってた人だし」
意外だ。
たくさん告白されてうんざりしたから、話も聞かずにバッサリ振ったのかと思っていた。
一人一人、ちゃんと相手と向き合ってるんだ。
「いつもみたいに話してくれれば、この人と未来を想像できればって思ってたんだけど……」
徐々に言葉が沈んでいく。
「君は広報課のジュリエットだからだって!は?って感じ!私はブランド物のアクセサリーでもなければ、身体に振ってかける香水でもないわ!」
うがーっと恐竜のような声を出したかと思うと、スンっと真顔に戻る瑚夏さん。
「お聞きいただきありがとうございました」
まるでカーテシーをするかのように膝を折る。
「まぁ……なんというか大変っすね、モテるのも」
「ありがたい話だとはわかってるんだけどね」
月の光に照らされた彼女は、何かを諦めた顔をしていた。
「だからね、今日は久しぶりに話してて楽しかったの。ありがとね、立野くん」
「いえいえ、もう会うこともないですし」
偶然会って終わり。
俺と彼女では文字通り住む世界が違うのだ。
……まぁ、もし仕事で関わることがあれば、二日酔いになっていないか気にしてしまうくらいだろうか。
「それはどうかな……あーあ私、ジュリエットなんて嫌だなぁ」
彼女の呟いた言葉が、細められた瞳が、やけに心の奥に引っかかった。




