第21話 ノーチラスとタイタニック⑥
side:瑚夏ゆり
はぁ〜っと息を吐いて腕をぐるぐる回す。
日曜日の昼下がりは、焦燥感と安心感が混ざって変な感じがする。
目の前にはノートPC。画面には社内向けマガジンの原稿が写真と共に映っている。
せっかくの楽しい思い出を週明けまで寝かせておくのももったいなくて、自宅で記事を書いてしまった。
タイトルは「私の休日の過ごし方」。
内容はもちろん水族館。
これを社内に公開したらどんな反応をもらえるだろう。
前に家族と出かけた記事を出したときは、やれ「彼氏と行った」だのなんだの言われたけど、今回は写真に気をつけたから大丈夫だろう。
いや私だって彼氏が……というか結婚したくないわけじゃないし、これまで恋人がいたこともある。
ただ、長く続かないのだ。
私が無理になることも、ペースが合わずに振られることも。
結局誰の前でも「誰かに誇れる自分」を演じなきゃいけないのだ。
数年前の私にとって、それは絶望だった。
思うままに生きる自分の隣に立ってくれる人なんて、この世にいないのだという残酷な事実を叩きつけられたも同然だったから。
まぁ流石に数年も経てば納得……というか諦めが理想に勝った。
だから演じることにした。みんなが求める「瑚夏ゆり」
を。
なに、難しいことじゃない。いつもみたいに、舞台に立った時と何も変わらないのだから。
口から漏れる息は重い。
そのまま地面に落ちて積み重なっていく。
でもいつかは、いつかは「本当の私」を好きになってくれる人が現れるとどこかで期待している。
幕が降りて普段着に着替えて、楽屋から出た「ただの瑚夏ゆり」を好きになってくれる誰かが。
……夢の見すぎかしら。
もういっそ妥協して舞台上の私を好きでいてくれる人と付き合えば楽で幸せなのかもしれない。
そうして少しずつ舞台裏の私を見せていけば……うっ、それで何回失敗したんだろ……。
それはそうとして、この週末は収穫しかなかった。有り体に言えば、楽しかった。
「あ〜無理やりにでも引っ張っていってよかったなぁ」
今でも手に残るのは彼の腕の感触。
冗談を言えば同じ温度で冗談が返ってくる。
同じ文化圏で話せることのなんと貴重で幸せなことか。
別に行先なんてどこでもよかったんだ、今回がたまたま水族館だっただけ。
彼は、立野くんは昔付き合っていたどの男性とも違った。
私を迷惑そうに見る目、でもどこかで気遣っていて、オフィシャルとプライベートのラインを守ろうとする姿は、見ていて不覚にもキュンときてしまった。
年甲斐もなく、えぇ、年甲斐もなくね。
記事に載せた写真が目に入る。
誰もいないトンネル水槽に大迫力の豪華客船、そして小さなクラゲのキーホルダー。
「ふへっ」
気持ち悪い笑い声が自分の口から漏れる。
あぁいけないいけない。
水族館を出る間際、私から提案したんだ。
今日見た中で一番印象に残ったものをプレゼントし合おうと。
我ながら幼いと思うが、もしかしたら最後かもしれないデートの思い出が欲しかった。
蓋を開けてみればびっくり、お互いがお互いにまったく同じものを選んでいたのだ。
袋から出した瞬間、思わず笑ってしまった。
「最後の思い出を」なんて思っていた自分が馬鹿らしい。
この子は鍵にでもつけておきましょう。毎日見られるように。
これがいわゆる恋なのかはわからない。もうわからなくなってしまったのだ。
でも私は待てる女。
だからゆっくりと、着実に。
ジュリエットの名を背負うにはあまりにも実力不足だけど、最後には幸せになりたい。
連れ出してくれるのが彼とは限らない。
……限らないけど、心の奥底ではちょっと期待している。
私は彼を好きになれるのか、彼はこんな何の変哲もない自分を好きになってくれるのか。
今は難しいことを考えなくていいのかも。
種は蒔いた。あとは気持ちを丁寧に育てていくだけだ。
もちろん彼と、そして私の。
立野くんにした質問が頭を過ぎる。
ノーチラスとタイタニック。
どちらに乗ったとしても海底に落ちるなら、沈む間も踊り続けて、海底を舞台にもう一演目するのが役者ってものじゃない?
こんにちは、七転と申します。
こちらでは初めましての方が多いでしょうか。
いろんなところで社会人ラブコメを書いている社畜です。
何冊か本も出てるので、よかったら見てみてくださいね!
さて、本作は実は完結まで書いています。
ですので安心して最後まで読んでいただけたら嬉しいです。
ここで第1幕は終わり、水族館デートっていいですよね。
社会人ラブコメが刺さりましたらぜひ、評価していただけたら幸いです。
ではまた、どこかのあとがきでお会いしましょう。




