第20話 ノーチラスとタイタニック⑤
続いて俺たちはイルカショーに向かい……たかったが、なんと既に席がすべて埋まっていた。
恐るべし、土曜日。いくら先着順とはいえ座れるだろうと楽観視していた俺たちが馬鹿だった。
家族連れの本気度を見誤っていた。
「まぁまぁいいじゃない!イルカだけを見に来たわけじゃないんだし!」
残念さを微塵も感じさせない瑚夏さん。
人間ができてるなぁ……普段はあんなんなのに。
いや待てよ。「普段は」なんて言えるほど一緒にいないだろ、正気に戻れ俺。
「それはそうですけど……これ取材ってことは記事とか書くんですよね。やっぱりメインの見どころはあった方がいいんじゃないです?」
会社にお金を出してもらってる以上、成果は何かしら持って帰らねば。
いくら事業系の部署ではないとはいえ、それくらいはわかる。
こうなったら次のショーまで待つのも吝かではない。
「二人で来るってなった時はあんなに渋い顔してたくせに、仕事のことになるとやけに積極的じゃん」
「まぁ、仕事ですからね。プライベートならさっさと見て回って帰りますよ」
多分一人で来たらイヤホンをつけながらぐるっと一周して、そそくさと水族館を後にしただろう。
「えー!私はプライベートの立野くんと来たつもりなんだけどな〜!それとも真面目な後輩くんは仕事でも女の子と手を繋いじゃうの〜?」
あざとさとウザさのマリアージュ。
これだから魅力的な人は困る。イラッとする口調も、かわいさで全部カバーされる。
「ぐっ……」
そしてぐうの音も出ない。いや、出てるのか。
手を繋いでしまったという事実が重く肩にのしかかる。
こんなことなら目をつぶってでもあのトンネルを一人で歩けばよかった。
「どうしたの、一人で百面相して」
視界いっぱいに広がる彼女の顔。少し動けば触れてしまいそうな距離。
うわ、肌綺麗……まつげ長……!
「な、なんでもないです」
「ふーん、変なの」
「まぁジュリエットとか呼ばれてる人よりかは、まともかもしれませんが」
照れ隠しに口から出たのは煽り。
こんなところで自分のコミュニケーション能力の低さが露呈する。
「あーかわいくない!あぁ言えばこう言う!私一応先輩だよ?もっと敬意というものを……」
こっちはそれどころじゃないんだ。急にとんでもない偏差値の顔面を叩きつけられたんだから。
まったく、心臓に悪い。
この人は自分のかわいさを自覚して欲しい。
セクハラだし絶対調子に乗るから言わないけれども。
「せっかくイルカショー中で人も少ないんだし、さっき見れなかったところに行きましょ」
そう言うと彼女は、ぐいぐいと前へ進んでいった。
◆ ◇ ◆ ◇
水族館の歴史がポップに描かれた暗い廊下を抜けると、どんっと船の模型が現れる。
いわゆる豪華客船だ。
もちろん1/1スケールではないにしても、大人が四人ほど乗れるくらいには大きい。
最初に浮かんでくるのは、これを作るための費用。
嫌な大人になってしまったものだ。
「おぉ〜すごい!こんな豪華客船の甲板で風とか浴びられたら気持ちいいだろうな〜!」
想像する。
甲板の一番先で腕を広げながらカモメと戯れる瑚夏さんを。
うん、絵になるな。
それこそ今着ているワンピースで。主演は瑚夏ゆり、後は誰でもいい。
そう思わせてしまうほどに、彼女のヒロイン力は強い。
「……絵になりそうですね」
「もちろん立野くんも一緒に乗るんだよ?」
にへっと持ち上げられた唇はまるで港に留まるための錨で。
「またこうやって連れて来られるんですか」
正直、正直に言うと。
今日は楽しかった。社会人になってから充実した休日を過ごしたのなんて初めてかもしれない。
いや、流石に言い過ぎか。
「うーん、今回みたいに無理やり連れてきてもいいんだけど〜」
「無理やりって自覚はあったんですね」
「そりゃもちろん!」
悪びれもせずにこの人は……。
「でもね、次は立野くんから誘ってほしいな〜。今日が楽しかったって思ってくれるなら」
結局のところ、俺みたいなコミュニケーション弱者の考えることなんて全部バレているんだ。
「善処はします」
秘技、善処。
一定期間働いていると使えるようになる奥義だ。
「いやいやそこは全力出してよ!」
ぺしっとツッコミが入る。
どれだけハードルが高いと思ってるんだ。
噂によると、言い寄った男はバタバタとなぎ倒され、告白が成功することもない。
そんなみんなの憧れのヒロインに「豪華客船に乗りましょう」なんて言えるか?
無理無理、急な仕様変更や納期遅れ、どんな業務上のインシデントよりも厳しい。
「自分の立場、わかってくださいよ瑚夏さん」
「私は瑚夏ゆりだよ、立野くん。ただの疲れたOL」
やけに芯の通った声が返ってくる。
ハッとして彼女の方を振り向くと、真剣な瞳と目が合う。
「私はジュリエットでも主役のヒロインでもないから。他の誰がそう思ってても」
左腕に力を込められる。
「立野くんだけは、私のことを『ただの瑚夏ゆり』として見てね。初めて会社の帰り道に会った時みたいに」
ここは適当に流しちゃいけない。不意にそんな感覚が胸を満たした。
新しい世界に足を踏み入れる時は、いつだって緊張する。
でもその勇気ある一歩を踏み出した者だけが見ることのできる景色も、間違いなくある。
照明に照らされた舞台に上がった者だけが、自分の一挙手一投足、息遣いですら見逃すまいと意気込む観客を見ることができるのだ。
「もしこれがタイタニックだったとして」
最後には海の底に沈んでしまうのがわかっていたとして。
それでも。
「君は一緒に乗ってくれるかな?」
トランプタワーの一枚目を置くのは、果たして俺か彼女なのか。
わからない、わからないけど、俺はなんとなく左腕に力を込めた。




