第16話 ノーチラスとタイタニック①
強くなってきた陽射しに顔を焼かれながら、駅前の広場で壁に背中を預ける。
土曜日、朝。
周りにも誰かと待ち合わせをしている人がぽつんぽつんと並んでいた。
約束の時間は10時。休日の朝に外へ出るのはいつぶりだろう。
大体金曜日の夜から休日に雪崩込んで、そのまま土曜昼まで眠るのが社畜のルーティン。
思い浮かぶのは先輩の顔。
なんでもない会社の帰り道から数日、事態はどんどんと前に進んでいく。まるで2時間に収まってしまう映画のように。
瑚夏ゆりは、どこか距離感がおかしい。
仕事以外では初対面なのに駅まで送らせたり、広報課に呼び出したり、休日に誘ったり。
いずれ仲良くなる親友の初対面でも、ここまで急速に距離を詰めてこないぞ。
この近さがモテる理由なんだろうか、なんて考察も、俺の経験値ではその正しさを証明できない。
「おはよ、立野くん!」
ぼんやりと空を眺めていると、今となっては聞き慣れた声が耳朶を揺らした。
ハープの弓の弦を爪弾くような、鈴を転がしたような甘い声。
あぁ、そりゃ彼女の顔を見に広報課へ行く人が減らないわけだ。
「……おはようございます、瑚夏さん」
挨拶とともに振り返って、思わず動きが止まる。
会社では下ろしている髪をアップにまとめたジュリエット。
だめだ、浮いた話がまったくない自分では、その素晴らしさを表す言葉が頭のどこを探しても見つからない。
清楚なワンピースを纏う彼女が眩しくて目を細める。
強くなってきた太陽の光は、いわば彼女を照らす自然のスポットライトで。
今日ばかりは彼女のことを「広報課のジュリエット」なんて呼ぶ人はいないだろう。演じなくても、綺麗だ。
完成された「瑚夏ゆり」は俺に、言葉を失わせるには十分で。
「どう……かな?」
こちらの考えなんてすべて見透かしたように目を細めて、彼女は首を倒した。
「……ずるいですね」
照れ隠しにかろうじて口から出た言葉は、きっとこの場には相応しくなくて。
誰が嬉しくて20代後半のツンデレなんて見たいんだ。
それでも瑚夏さんはにこにこと表情を崩すと、駅でティッシュを配っていた時と同じように俺の腕を取った。
広がる甘い匂いに柔らかい感触。
「ふへっ!ずるい、ずるいか〜〜!いいじゃない!私はずるい女ね。うん……うん、悪くない」
マイナスな言葉を受けたとは思えないテンションの上がりよう。
やっぱり俺の感想なんて初めからバレていた訳か。
「その言葉を聞けただけでよかったわ!じゃあ行こうかしら、ロミオさん」
いつの間にかここはイタリアのヴェローナになっていたらしい。
綺麗な川もなければ、オレンジのレンガもないのに……まぁ今から行くところにはとんでもないサイズの水槽はあるわけだけど。
「誰がロミオですか。死にたくないですよまだ」
そんな悲劇に身を置いてたまるか。
「そうよね、せめて死ぬなら同時に。今は、今はちゃんと毒も短剣もしまっておくから」
そう言って彼女は、自分が何も持っていないことを示すかのように、腕を広げた。




