第14話 マッチ売りのジュリエット①
特大の欠伸を人目もはばからずに世界へとお見舞いする。俺が無駄にした二酸化炭素は、街路樹が何とかしてくれるはずだ。
それにしても電車の席でPCを取り出して仕事をする人は尊敬に値する。
朝の社畜なんてIQがサボテンと同じくらいなので、難しいことはわからないからな。
なんてことを考えながら駅の階段を上がると降り注ぐ太陽光。俺に光合成しろってか。
世界は残酷だ。どれだけ苦しくても社会の歯車たる俺たちにも平等に光を投げかけるんだから。
「ティッシュどうぞ〜」
ふわふわした意識がバッサリと一刀両断される。
左側から、絶妙に取らざるを得ない位置に差し出されるティッシュ。
いつもなら軽く会釈して通り過ぎるところだが、躓きかけながら受け取る。というか目の前のティッシュに手を伸ばさなければ転けてしまう。
この人、やり手だな?絶対に配ってやるという意思を感じる。
「もうひとついかがですか?」
およそティッシュ配りをしている人から聞くとは思えない言葉に思わず振り返ると、そこにはにこにこと笑う瑚夏さんがいた。
こんなところで何やってんだ。
「……おはようございます」
「はい、おはようございます、立野くん!これもあげるね、あとこれも」
挨拶と同時に差し出されるポケットティッシュたち。
全部受け取ったら箱ティッシュくらいの量になるじゃねぇか。
「いやそんなに使わないですって」
「でもティッシュなんてあればあるほどいいでしょ?たとえばお茶をこぼした時、手が汚れた時、鼻水が止まらない花粉の季節……」
唐突にプレゼンが始まってしまった。
いくら聞いてもティッシュ用途の羅列だろこれ。
「デスクには箱ティッシュっていう便利な物があるんですよ」
おそらく二度とは言わない言葉の羅列。
「出先なら?」
「あぁ言えばこう言う……」
「『愛してる』って言った?」
「微塵も言ってないです」
瑚夏さんに口で勝てる気がしない。いや、他で勝負する意味も意思もないけれども。
「むぅ、手強いわね。じゃあ泣き落としでもしようかしら」
「こんな白昼堂々……というか朝イチから?」
「あーあ、せっかくメイクしてきたのに崩れちゃうな〜!広報課でどうしたって聞かれたら立野くんに泣かされたって言うしかないな〜!」
たちが悪すぎる、風評被害甚だしい。
自称ロミオたちに顔の原型がなくなるまで殴られたらどうするんだ。
自分で思ったことだが、自称ロミオってなんだ。
「泣き落としって言うか泣き脅しじゃないですか」
「おぉ〜!上手い!そんな上手いこと言えた立野くんには賞品としてこのポケットティッシュ詰め合わせを……」
スススと差し出される、大量にティッシュが詰められた箱。これ瑚夏さんのノルマだろ。
「結局大量のティッシュを押し付けてるだけじゃ」
「ままままさかね、これ配り終えないと戻れないとかそんなまさか」
語るに落ちるとはこのこと。
なんで春先のこんな時期からティッシュ配りをしてるんだ。
近々我が社のイベントでもあるのか?
「この際どうしてティッシュ配りをしてるのかは聞きませんが」
「いやいや聞いてよ!立野くんが出勤するまで待ってたんだから!」
「しーっ!大きな声で滅多なこと言わないでください。どこで誰が聞いてるかわからないんですから」
「そんなに敵が多いのね……かわいそうに……お姉さんが守ってあげましょうか?」
「余計に風当たりが強くなりそうなので結構です」
「まったく、つれないわね。誰が育てたの?ちなちゃん?」
「どうしてあいつの名前が出てくるんですか」
千波に育てられた覚えも育てた覚えもない。
むーんと唇を尖らせる瑚夏さん。
歳上とは思えない仕草に心臓が跳ねる。
ちょっと単純すぎやしないか、俺の情緒は。学生時代の時もこんなに異性に耐性がなかったっけ。
「お?」
「どうしました?」
「今ときめきの波動を感じたんだけど」
どっから出てるんだその波動は。
大元をつきとめてキツく栓をしてやるわ。それがもし泉なら斧のひとつでも放り込んでやる。
「ねぇねぇ見て」
ティッシュが綺麗に整列した小さな籠を胸元にぎゅっと寄せて、彼女はこちら側へ一歩踏み出した。
「こうやったら絵本に出てくるマッチ売りの少女みたいじゃない?」




