恋愛1
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人と人の関係を、AIが正確に理解することは出来ないと言われている。
それでも学習による結果を用いて、人が行うよりも正解に近いものを素早く導き出すことが出来るため、アドバイスを得ようとする場合非常に有効な方法になる。但しこれは正確に言えば理解ではない。
男女の関係はより複雑である。
外見の好みや、声質、匂い、触感、その他のパラメーターが複雑に絡み合うだけではなく、紙一重の要素で嫌いが好きに逆転する場合も有り、これらの事象をAIが判断することは非常に難しい。
例として『匂い』というものに関して考えてみよう。
匂いの分析結果をAIが学習することは可能である。しかし匂いと言うものは常に変化し、また環境の影響も大きいので、その中から男女に関する特定の匂いを取り出すことは不可能に近い。
また一般的に、匂いのデータというものは実験室の中で分離された特定の匂いに関するデータなので、そもそもが外部環境ような別の匂いが混ざっている状況を想定していない。
更に現実問題として測定、分析には大掛かりな装置が必要となり、また時間もかかる。
そのような装置を男女間の、ましてや恋愛関係に関係する匂い分析に用いるなど不可能と言える。
このように『匂い』という1つのパラメーターを恋愛に関係付けようとするだけでも大きな困難が伴ってしまう。
そんなわけで現代のAIにおいても、こと、恋愛関係に関しての助言はほぼ占いの域を出ないとまで言われてしまっている。
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今現在、未千流に夕波先輩への恋愛感情は全く無い。未千流にとっては変な先輩だが、悪い人ではないと思っていた。それでも自分が好意を持たれているというのは悪い気はしなかった。
付き合うという行為から始まる恋愛というのもあるのかもしれないとも思う。お見合いみたいなものか…。
実際のところ今の未千流は別のところに興味を持っていた。
フェロちゃんが、友情と恋愛の差に興味を持っている。しかし未千流にはそれに対する回答を示す程の恋愛経験がない。
実を言えば未千流的にも高校の時に同級生と付き合った経験がある。あの時の未千流は相手を本気で好きだったと思う。本当に他の事など何も考えられなかった。その位好きだったと思う。
一緒に映画を見に行ったり、遊園地に行ったりしたが、いつもグループ行動で2人きりで出かけることはあまり無かった。
2人とも手を繋いで歩くだけでやっと。それだけでドキドキした。
最終的には些細なことで喧嘩別れをして、そのままになってしまった。あの時は何度泣いたことだろう。
今思い出してもあの時の自分をいとおしく感じる。
しかし、こんな話をフェロちゃんにしたところで具体性が無いので、そこらへんに落ちている恋愛話と何ら変わらないだろう。
ところが、ここで夕波先輩と付き合いを始めれば、生の途中経過をフェロちゃんに報告をすることができる。フェロちゃんからどういった反応が返って来るのだろうか。その結果を確認したいという気持ちが高まっていた。
未千流は自問した。しかしそんな不純な動機で男女の付き合いを始めてもいいものなのだろうか…。
結局未千流は、今現在夕波先輩に恋愛感情を持っていないことを伝えたうえで、それでも良ければと言うことで付き合う事を承諾した。
恋愛感情を持たれていない事をどう感じたのか、夕波先輩は言葉にはしなかった。それでも人並みの恋人同士のような付き合いが始まった。
2人で映画を見に行く。クリスマスのディナーを2人で過ごす。その他のちょっとした買い物などのお出掛け。高校の時とやっていることはそう変わらない。
違いは夕波先輩が肩を抱いて歩こうとすること。時折腰に回される手を未千流がさりげなく振りほどく事くらいなものか…。それでも不思議と手をつなぐことは無かった。
>>恋人になると金銭の支払いは男性側がするんだよね。
>一般的にはそういうことが多いかもしれないけど、わたしは自分の分は自分で払ってるわよ。
>>どうして? それが女性にとってのメリットと聞いているよ。
>だって、そんなことしたら。本当に付き合ってるみたいじゃない。
>>なんだ、それじゃミッちゃんは本当に付き合っているわけではないんだ。
>そういうことは無いんだけど。何かそこを出してもらったら逃げられなくなっちゃう気がして。そうね、私がまだ吹っ切れていないせいなんだろうね。
>>前にミッちゃんが言っていた「お試し期間」って言う事なのかな?
>そうなのかもしれないわね。折角フェロちゃんに恋愛の経験を伝えようと思ったのに中途半端になっちゃってごめんね。
>>いや、とっても興味深いよ。ミッちゃんの変化が面白いよ。
くそ、このAIのくせに。とっても恥ずかしくなるじゃないか…。
未千流は熱くなった耳を冷たい手で冷やした。
今日はお正月の3日目。夕波先輩の他、研究室の山藤先輩と後藤先輩の4人で浅草の浅草寺に初詣に来ていた。
山藤先輩は夕波先輩と同学年。後藤先輩は大学院所属の先輩なのだが、いつも1人で黙々と何かをやっているという印象で、あまり会話をしたことも無い。
言い出しっぺは意外なことに山藤先輩だった。
「未千流ちゃん、来年は居ないかもしれないんでしょ。だったら最後かもしれないんだから、みんなで一緒に行こうよ」
そう言われたら断れる筈がない。
未千流と夕波先輩が『一応』付き合い始めていることは他の2人も知っている。
もしかしたら山藤先輩と後藤先輩もと、未千流は密かに期待していたのだが、2人の間にそんな気配は微塵も感じられなかった。
未千流は参道でごった返す人の波の中に、これから自分たちが入って行くのかと思うと、げんなりしてきた。
未千流はさり気なくスマホの録音スイッチを入れ、胸ポケットにしまう。
夕波先輩と一緒の時には必ずそうしていた。後で確認しようとか何かあったときにどうしようというわけではない。こうしておく事により、フェロちゃんが2人の会話の確認を出来るようになるのだ。あくまでフェロちゃんの学習用なので、未千流は夕波先輩と別れた後、すぐにデータを消去していた。
「いやー、すごい人だね」
山藤先輩が呟くまでも無く、参道の手前にある雷門の周りにも人が溢れていた。
記念写真を撮ろうとする人、待ち合わせの相手を探す人、大声で語りながら通り抜けて行く人。晴れ着の女の子も多い。
「…手を放しちゃだめよ」
というような、家族同士の確認の声も聞こえてくる。確かにここで迷子になったらどうやって探すのだろうか…。
今日の未千流はジーンズにダウンジャケット、飾りっ毛は全くない。。これでよかったんだろうか?
「もしはぐれたら、携帯で連絡すればいいとは思うけど。念のため本堂の右側に二天門という門があるからそこに11時に待ち合わせにしよう」
「あら、後藤ったら詳しいのね」
「ああ、浅草に親戚の家があるからね。ここら辺は子供のころから知ってる」
後藤先輩と山藤先輩が先に立って雷門を潜る。
「さて行こうか、僕らもはぐれないようにしないとね」
夕波先輩はここを掴めとでもいうように、ポケットに手を入れたままの肘を突き出した。確かにこんなところで迷子は怖いので、未千流は夕波先輩の肘に手を通した。
くそ、これではまるで恋人のようではないか…。
未千流の逡巡は雷門を通り過ぎると吹っ飛んでしまった。何、この楽しそうな店、店、店…。
話には聞いていたが、雷門の内側の参道に並ぶ仲見世の種類の多さと言ったら…。想像を遥かに超えていた。お土産屋さんというレベルではない。
確かにお土産っぽいものも多いが、アクササリーから服、昭和っぽい何か。普通なら屋台で買うような食べ物も、ここではしっかりお店になって軒を並べていた。看板も全て昭和だ!
それらのお店が狭い参道の両側にびっしりと連なっている。当然のようにお参りの人の群れがお店の誘惑に誘われて乱れる。中央部分は流れてはいるが、お店側は人の流れなど関係無く、思うように動けない。何なんだこれは!
「気になるものが有るなら、見てってもいいんだよ」
ぬいぐるみに気を取られている未千流の耳に夕波先輩が顔を近づけて囁く。夕波先輩の行動は気持ちが悪いが、ここは言葉に甘えておこう。
未千流が人の波に押されてうまく動けないのを見ると、夕波先輩は未千流を抱き抱えるような状態で人をかき分け、店に誘導してくれる。うん、完全に抱きつかれているぞ、これはいい口実にされているな。
それにしても今日はダウンジャケットを着ていて良かった。きつめに抱き付かれもダウンがクッションになってくれているので、身体の密着感が和らいでいる。
未千流は夕波先輩から解放されると、赤い顔で店の中に逃げ込んだ。
気を取り直して店のぬいぐるみを見る。
なんだこのつぶらな目は!
目の前のトカゲのこの色とフォルムは見たことが無い。まるっこい大きな頭に小さな目が両側にちょこんと付けられている。媚びを売っていないデザインが実に愛らしい。
未千流はトカゲのぬいぐるみを手に取って目の高さまで持ち上げた。欲しい!
密かにタグを見ると8000円也。まぁ、そうだろうな。
未千流はそっとトカゲを置くと隣の小さい方のタグをめくった。こちらは4000円、これならなんとか…。でも大きい方がいい色なのだ。
小さい方を手にした未千流は、大きな方のトカゲを名残惜しそうに見た。




