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村を追放された元婚約者が、どうやら「世界を救った」らしいが信じていない。

作者: くまくま
掲載日:2025/10/30

五年前の朝、机の上に一枚の紙が置かれていた。


『追放された。すまない。必ず名誉を取り戻す』


たったそれだけ。


アリアは三度読み、紙をそっと引き出しにしまってから言った。


「……馬鹿ね」


いや、馬鹿である。疑いようのない阿呆である。


なぜなら、村の“魔術師見習い”に王都から正式な追放が下るはずがない。権限も地位も足りない。つまりこれは、勘違いか、もしくは自分で勝手に言い出しただけだ。


この男は、そういうところが致命的に残念だった。


それでも、五年前のアリアは、そんな残念さも含めて彼が好きだった。


……だった。


五年も経てば、人は落ち着く。恋より生活が大事になる。アリアは一人で水を汲み、薪を割り、焦がさずにパンを焼けるようになった。幾人かの求婚は、穏やかに断った。「もう少し一人に慣れたいの」と笑って。


嘘ではないが、真実のすべてでもない。心のどこかで「馬鹿が帰ってくるかもしれない」と思っていた。帰ってこないとも思っていた。どちらも本音だった。



その日も村の広場は穏やかだった。井戸端で洗濯をしていると、新聞売りの少年が走ってきた。


「アリアさん!これ、見て!」


大見出しにはこうある。


『勇者リオン、魔王を討伐す!』


「…………は?」


「リオンって、あのリオンだよね? 魔術の修行してた人!」


「ええ……あのリオンね」


紙面には「王国の新英雄」「聖杖を持つ光の賢者」と賛辞が並ぶ。アリアは洗濯物を絞りながら無表情で言った。


「立派になったのね」


桶の水面が、わずかに波打った。静かな人ほど、怒ると静かになる。



夜。パン生地がふくらむ匂いが台所に満ちるころ、扉が二度ノックされた。


まさか、と思った。いや、まさかでもなかった。


開けると、見覚えのある馬鹿が立っていた。


「……ただいま」


「おかえりなさい。どちらさま?」


「どちらさま!?」


「追放されたんでしょう? 今のあなたは、うちの戸籍にないはずよ」


「いや、その、あれは誤解で……」


「そうでしょうね」


リオンは情けない顔で頭を掻いた。相変わらず髪はぼさぼさ、マントの裾は土だらけ。手にした杖だけがやたら立派だ。


「それ、どうしたの」


「ああ、これ? 王様からもらった。聖杖アルミナっていうんだ。……あ、押すと光る」


杖の頭の宝石を押すと、ぱっと部屋が明るくなった。夜回りの子どもの遊びのようで、勇者の貫禄はない。


「魔王は?」


「倒した」


「本当に?」


「倒した……と思う」


妙な間。アリアはパンを切り分けながら問う。


「あなた、魔王と何をしたの?」


「話し合った」


「戦わなかったのね」


「うん。向こうも“もう疲れた、戦うのは飽きた”って。で、“じゃあやめるか”って」


「……平和的解決ね」


五年。五年も何をしていたのかと思えば、魔王と腹を割って話していたらしい。彼らしいといえば彼らしい。


アリアは皿を並べながら、針の先ほどの棘を刺す。


「で、王女様とはどうなったの?」


「……あれ? もう噂になってるの?」


「あなたの名前で号外が出てた。“勇者、王女と婚約”って」


「嘘だよ!」


「知ってる」


「ほんとだよ!? 勝手に周りが言ってるだけで!」


「嘘だって言ってるでしょう。信じてないとは言ってないわ」


アリアは椅子を引いて向かいに座る。リオンは戸惑いながらも隣に腰掛けた。


「……ねぇアリア。怒ってる?」


「怒ってるわよ」


「やっぱり」


「でも、許してるわ」


「ほんとに?」


「ええ。五年も経ったの。怒り続けるほど、私も暇じゃない」


アリアは小さく笑った。リオンは安堵して杖をテーブルに置く。


「よかった……」


「でも」


「でも?」


「その杖でパンを焦がしたら、叩くわよ」


「……気をつけます」



翌朝。村の入口に人だかり。王都からの使者が並び、立派な馬車が停まっている。


「勇者殿、王都へご帰還を。殿下もお待ちです」


家の戸を開けると、青ざめたリオンが突っ立っていた。


「ねぇ、説明してくれる?」


「え、えっと、たぶん誤解で……」


「その誤解、多すぎじゃない?」


馬車から王女が降り立つ。光るドレス、完璧な笑顔。


「勇者様。国王陛下の御前へ。英雄を村に留め置くわけにはいきません」


リオンがしどろもどろになるより早く、アリアが一歩前へ出る。声は静かだが、よく通る。


「殿下。勇者様は今、パンを発酵させております」


「は?」


「魔王討伐の次に、家庭の平和を守る“任務”がありまして」


ざわめき。王女の眉がわずかに動く。


「……勇者様は王国の英雄。朝食など——」


「英雄も朝食は召し上がります」


アリアはさらりと言い切る。そして正面から王女を見る。


「それに。あなた方の国を救ったのは、彼の“言われた通りに戦う力”ではなく、“自分で選ぶ優しさ”です。命令で動くなら、彼はただの兵。選んだから、勇者と呼ばれるんでしょう?」


王女が言葉を失う。空気が変わった。リオンは横で、ただ杖を強く握っている。


アリアは視線を杖に落とす。


「見せて」


「え?」


「それ、光るんでしょう? 今、つけて」


「いや、つけても意味ないけど……」


「いいから」


リオンが宝石を押す。杖は眩しく輝いた。村人たちが歓声を上げ、何人もが拍手した。王女も目を細めて光を見上げる。


アリアは微笑む。


「ね? 立派でしょう。魔王を退け、夜は村の灯りにもなる。あの人にとっての“勇者の仕事”は、そういうことです」


数拍の沈黙ののち、王女は顔をそらし、静かに馬車へ戻った。去り際に小さく呟く。


「……どうぞ、お幸せに」



夜。台所でパンの香り。杖の光が柔らかく揺れる。


「パン、焦げてる」


「うわ、ほんとだ……」


「ほら。杖が光るからって気を抜くから」


「でも便利なんだよ。夜も明るいし」


アリアは呆れた顔で笑う。


「まさか、世界を救った英雄の功績が、台所の照明になるなんてね」


「平和って、だいたいそういうもんだよ」


「そうね」


窓の外で星が瞬く。室内では杖の灯りが食卓を照らす。


アリアはその光の中で言った。


「——おかえりなさい、リオン」


「ただいま」


今度は、誰も追放されなかった。

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