新説・桃太郎
昔々あるところ、平野よりも少しばかり高い土地に一軒の家が建っておりました。平屋で、だが広大な土地を有し、大きな畑を持つ家にはまだ若い一人の女が住んでおります。
彼女の夫は名高いとは言えないが、それでも割合に高い地位を持つ武士。二人は出会い結婚し、間も無く二人の間に子が出来るのですが、彼女は死産してしまいます。
――――それから数十年と経った頃。平屋は健在ではあるものの、貧相なボロ屋への変貌を遂げ、畑のあった土地を売り払って生活を送っていく夫婦はそれでも幸せに暮らしていました。
武士であった頃のおじいさんの資産を細々と使いながら暮らして暮らして行く日々。後は死を待つだけの身となる彼女らに転機が訪れるのは、とある日、近くの川から大きな桃が流れてきてからでした。
おじいさんは山へ芝刈りに。おばあさんは川へ洗濯に行った、いつもの日常を送っていたある日、いつものようにボロ切れと見間違うような衣服を洗っていると――――不意に視界の端に、巨大な桃色をした何かを捕らえました。
彼女はなんだろう? とそちらへ顔を向けると、およそ信じられぬ大きさを持つ桃が川上からドンブラコドンブラコと流れてくるではありませんか。
その時彼女の脳裏に、とある知識が蘇ります。仙桃と呼ばれる桃のことでした。
誰も見たこともないのですが、名だけは立派に遠く広い土地へと響く代物。その桃は巨大で、食べれば若さはおろか、不老不死の力さえも手に入れることが出来るといわれている、神の産物。
だが悲しきかな、彼女の老いた身体ではその巨大な桃を捕らえることは到底できません。仮に掴み、陸に引き上げたとしても彼女はそこで息絶えてしまうかもしれない。
それでも、彼女は決意しました。まだ幼き頃、若き頃は金こそが至上だと思っていたが、老いればその若さこそが至上の財産である。そう理解したのはあまりにも遅すぎたので――――彼女はそれを取り戻すべく、流れてくる桃に必死に抱きつきました。
川の流れは緩慢です。おばあさんにはなんとか掴み止めることが出来ますが、それより後の仕事が大変です。
力いっぱい引っ張りました。腰が悲鳴をあげ、指先の力は瞬く間に抜けてしまいます。川に立ち、桃を全身で受ける彼女はそのまま倒されて流されてしまいそうな格好になりますが、彼女はそれでも耐えました。
小さな悲鳴が喉から漏れます。これ以上は無理だと本能が叫んでいました。冷たい川の水は彼女の足を冷やし、やがて全身の体温を奪っていきます。
老いた彼女の身体はそれだけでも致命傷だと言うのに、その上桃がのしかかってくるのはなんという拷問でしょうか。
しかし彼女、腐っても人間です。おばあさんは頭を使いました。
老いた体のまま桃を抑えるのは難しい。ならば、若返れば良いのではないか、と。つまり、そのまま桃を食べてしまえば良いのではないかと。
考えるや否や、彼女は歯欠けが多い口を大きく開き、桃にかぶりつきました。
手に触れる表皮はある程度の柔らかさを持つそれですが、彼女の歯でも身は容易に裂く事が出来ました。
中の果肉に歯が通ります。果汁が滝のように流れてきて、その芳醇な甘みは舌と鼻腔を刺激し、彼女に至高を覚えさせました。
この時代、果物なんて高級品はただでさえ食すことは難しい。彼女は懐かしい味を口に含むと、見る見るうちに、身体の奥底から力が湧いてきました。
もしもコレが噂の仙桃でなかったら、という一抹の不安はそれにて払拭。肌には張りが出て、着物は彼女の若々しい肢体に張り裂けそうになるくらい引っ張られます。
白く染まる毛髪は黒く、長く育ち、彼女の表情はより生き生きとしたものへと変わりました。
最早川の冷たさ、桃の重さなど辛くなどはありませんでした。一つ、短く息を吐いて両腕に力を込め、がっしりと掴んだ桃を陸へと放り投げると、桃は思惑通り洗濯物の方向へと転がり、やがて落ち着きました。
先ほどまでそこに居た老婆は、最早跡形もないようでした。
――――洗濯物を洗い直し、やっとの思いで桃を家まで運ぶと空は既に紅く。おじいさんは帰宅していた様子で、彼女を出迎えるなり驚いた表情で腰を抜かしてしまいました。
お爺さんはお婆さんが若返ったことをにわかに信じがたい様子でしたが、その彼女の風貌があまりにも若かりし頃のお婆さんに似ていたので、仕方なく、彼女に進められるまま、桃を一齧り。
お爺さんも若返ります。そこで、彼らは桃を名高い領主に高値で売りに行こうと考えました。
これほどのものを、強欲な領主に売りに行けば大金が手に入るであろうし、その上世に出回ることは無いと思ったからです。
考えるが速いか、食べた形跡をなくすためにお爺さんは桃を解体し始めました。
包丁では不安なために、芝刈りへと持って行く鉈を大きく振りかぶり、一閃。桃は綺麗に切断されましたが――――彼らは再び驚くことになりました。
その中には、一人の立派な男が眠っていたからです。
それが出生の秘密だと、老いの知れぬ私の母は嬉々として語っていた。いや、確かに成長期のまま止まっている私の身体と、その両親の尋常ではない若さを見れば信じざるを得ないだろうが、何か、負に落ちない。
そんな私がこの家の子供になってから早十年が経とうとしている。世の中は未だ貧しいが、私はお爺さん、もとい父の武道や剣術の教えで逞しく育っていた。
肉体成長は戦闘に特化した時代で停止しているが、筋力増加などは可能らしく、また老いぬお陰で様々な力を手に入れた。特殊な力などではなく――最も、不老不死というのは別である――その実力である。
今の私ならば誰にも負けない。謙虚な私がそう自負できるほどであるからだ。無論、父は三年も昔に打ち勝っている。
そんな私が旅立つ事となったのは、父のひょんな一言から始まった。
「最近、鬼が村人を困らせているらしい。この間南の、芳亥河の村があるだろう。あそこが廃村になったらしい。領主が困っておったわ」
それは大変なことで。私は人事に聞いていたのだが、父の眼光が鋭くなったのを感じて、佇まいを直した。
「時に、『桃太郎』。お前は儂の全てを受け継ぎ、その仙桃から貰い受けた肉体は人智を凌駕しておる」
ありがとうございます。そうに深く頭を下げると、私と然程、歳が変わらぬような外見を持つ父は嬉しそうに顔をほころばせた。
「お前には少しばかり合わぬだろうが、太刀がある。儂のとっておきじゃ。ソレに服と、『旗』を用意してある」
旗? 私が聞き返すと、父は席を立った。
そもそも一体何の話だろうか。大体の予測が出来ている中で呟くと、隣に居る母は一言「お前なら大丈夫よ」と肩を叩いていた。
うな垂れるしかない。父が来るまでに心の準備くらいはしておこうと大きく息を吸い込んだところで、奥の襖の中へと入っていった父は言ったとおりの『旗』を手にしてやってきた。
そこには達筆な文字で『日本一』と。
恥ずかしいことこの上ない話である。確かに実力は私自身認めるが、誇張するつもりはないのだ。
父はついでとばかりに持ってきた、妙に派手な衣装と私の身の丈ほどは在るのではないかと言う、騎馬戦用の野太刀を手渡した。
私は他の人間より長身である。それ故に、その武器が普通の人間に対してどれほど規格外なモノか良く分かった。
下手をすれば、父を振り回す事と同じような事になるのだ。私の口からは溜息しか出なかった。
「仙桃は切ると劣化が早くてね。蜜に漬けてもその劣化が止まらなかったから、その果肉と果汁を使って団子を作ったのよ。残念ながら、仙桃の不死と、傷の治療くらいしか効果が残らなかったけど」
十年も昔に作った団子などを息子に持たせるつもりであろうか。そもそもそれほどに効果があるとは思えない。
あったとしても、腹痛を起こすという大層な効能だろう。
だから、母が家の床下に冷保存した団子を袋に詰めて手渡そうとしたのを、私は断固拒否した。
「分かった。だったら、お供にするような人間で試して見なさい」
昔鳥に食べさせた際、喉に通せば効果が得られるが、不死にするには一度、食した後死なねばならぬらしいとの話であった。
団子を食えば死ぬだろう。むしろ団子を食った後の運命は死しか無いだろう。私が呟くと頬に鋭い拳が降り注いだ。
「旅立ちなさい桃太郎! 海の向こうに在る鬼ヶ島の鬼どもを全て殺し、奪った財宝で私たちを楽にするのよ!」
「十年待ったのはお前が実力をつけるのを待つためではない、鬼が十分に財宝を蓄えるのを待ったのだ。行け桃太郎! お前の明日は明るいぞ!」
なんて狡い連中だ。息子にそんな事を言うのもアレであるが、息子にこんなことを言わせるのもどうかと思う。
結局私は、その日の内に旅立つこととなってしまった。持ち物は背負う太刀と恥ずかしい旗。腰から下げる黍団子の――――恐らくダメになった物。
食料は節約しても三日分で、路銀は街で、その節約して三日分の食料を買える程度。
私はホントにコレでよいのか。仙桃の中に生まれた運命を怨みながら、慣れない髷を弄って道を進む。
平穏では在ったが幾分か静か過ぎて、幾分か寂しい気がした。
夜通しで私は道を歩き、朝を迎えた。仙桃出身の私にとってそれくらいでは疲れは感じない。
転んでも傷は直ぐ治るし、ともかく万能であるのだ。自分で言うのははばかられるのだが。
そんな中で、道の脇から一人の男が飛び出てきて、その筋肉質な身体で私の行く先をとうせんぼし始めた。
何事だろうか。恐らく盗賊か何かだろう。このように目立つ格好をしていれば仕方の無いことだが、などと父を半ば怨むようなことを考えていると、男の身体は膨れ上がり始めた。
筋肉が膨張するように、その肌は張り裂けんと張り詰め、身体は青い体毛に包まれ――――指先の爪は鋭く尖り、口を裂いて前に伸ばす彼は狼のような顔になっていた。
そう、彼は巨大な狼を立たせたような姿で私と対峙しているのだ。
呪い憑きか。昔父に聞いたことの在る姿と完全一致した男を眺めて呟くと、男は犬が唸るように口を開いた。
「それなら話が早い……、貴様の、金目のものを置いてゆけ!」
呪い憑きとは、その名の通り呪いが憑いてしまうのだ。誰かに呪われたり、仏罰を与えられたりなどをして。
多くのものは盲目になったり、口が利けなくなったり、半身が痺れたりなどと実害が被るものばかりであるが、稀に獣の姿を与えられたものが居るらしい。
彼がそうであるように。私はわかったと頷くと、腰の布袋から黍団子を差し出した。
これを喰えばお前の呪いは落とされるぞ、と。毒々しくカビが生えたソレを差し出すと、鋭い爪は私の手を強く弾いた。
珍しく私の長身に近き獣は、手に深い傷を与え、その上母が丹精込めて作ったであろう腐り団子を踏み潰したのだ。
「二度は言わんぞ……?」
いくら腐っているからとは言え、問答無用で捨て、潰すことは無いだろう。もし私が差し出されたら同じ事をするであろうが――――兎も角私はこの状況を逸するために、太刀を抜いたのであった。
この男とて、こんな追いはぎをするようでは行く先が無いのだろう。この姿なら、聞くまでもない。だったら、私の、もとい、両親のために役立ってもらおうと考えたのだ。
身の丈ほどの刀身は私の尋常ならざる膂力によって地面と水平に向けられる。鋭い切っ先は朝日に照らされて美しく煌めいた。
男の妖しく歪む口元から言葉が紡がれる。脅すような声を受けながら、私は太刀を肩の高さまで引き上げた。
およそ太刀としての使い方が間違っているであろう。そもそも、普通の人にはこんなに重い代物をあれよいと言う掛け声如きでこんな風に構えることは出来ないのだから。
だからこそ――――男はそんな私に怯えていた。妖しく歪む口は、震えを隠すためにわざと力を込めたのだ。
怯える瞳だ。だが退く事は許されないと理解っている眼差しだ。それが分かっただけで私は満足であった。彼は役に立つと、認識できたから。
予想外に大きな拾い物となりそうだ。思うと同時に、男は駆け出した。
ただ長いだけの道、彼は強く地面を蹴って私に迫る。獣の如き速さであり、到底私では追いつけない素早さであった、が。
軽く腰を落として、眼にも留まらぬ速さで私は切っ先を突き出した。風を切る。先から柄へと撫ぜるように風が流れる中で、それを見極める彼は高く飛びあがった。
息をつく間もなく、私は太刀を片手に構えなおすと、そのまま振り上げるようにして――――ソレを投げて見せた。
高く飛びあがる彼の体は、その身体能力を見て驚くべきであったのだろうが、私にはその余裕は無く、真っ直ぐ上空へ、彼へと迫る太刀は大した間も無く、驚きも、感慨も置かずに彼の胸を突き刺した。
肉の裂ける音は私の耳には届かない。だがしっかりと、男の断末魔は空気を震わせ私の心の臓を揺るがせていた。
暫くしてから、彼は地面に叩きつけられる。その衝撃で半身を切り離したが、私の太刀のせいではない。折れていない太刀を抜き、彼の衣服で血を拭い、鞘へと収めてから、彼の呼吸を確認した。
僅かで、酷く細々としたものだが、確かに生きている。流石は獣といったところだと、誉めるように彼の口に先ほど踏み潰された黍団子を詰めて飲み込ませた。
見る間に胸の傷は塞がり、地面に流れる血は粘着質に下半身を引きずって結合。やがて血の一滴さえも逃さずに身体に戻すと、彼はふと、起き上がった。
元の人間の姿である彼は、驚くように自身の身体を眺めながら、何かを言おうとして私を見ると、先ほど傷つけたはずの手を見てまた、驚いたように言葉を失った。
存外に現役だった仙桃の効果と、全くの捏造だった腹痛の噂に私自身も驚きながら、追うように、丁寧に説明してやる。
不死の能力と、それを食したものは黍団子の持ち主に従順になるという嘘を。
「桃太郎さん」彼は渋い声で私を呼んだ。「鬼ヶ島に行くには恐らく、敵も多いでしょう。貴方がどれほど強くとも、くたびれる。だから私もお供させてください」
名前は? 私が聞くと、彼は困ったように首をかしげた。
「俺は幼い頃から憑かれてて、そのせいで捨てられました。だから、名前はありません。よかったら……桃太郎さん。貴方がくれないでしょうか? 私の名を」
わかりました。貴方の名前はイヌです。
「い、イヌ……ですか」
これからよろしくお願いします。イヌさん。極力私の弾除けになってください。
イヌは困ったように笑んだ後、
「まったく、桃太郎さんには敵わねぇな」
大きく笑って、強い握手を交わした。
私の旅路は少しばかり賑やかなモノとなる。
それから数日が経った頃。私たちはゆっくりだが確かに、如実に鬼ヶ島に近づいている……気がした。地図などは無い。だが道もまっすぐなので迷うわけが無いのだ。
途中でしっかりと街もあったので、私は安心して宿に泊まっていたのだが……。
「ヒャッハーッ! 貴様、中々やるようだが――――甘いィッ!」
夜の事である。私は旅愁症候群となり、恥ずかしいことに眠れないのでお供のイヌと夜散歩に出ていたのだが、その道で、妙な男が現れた。
彼は何も言わずに襲い掛かってきたので、イヌが憑きモノ状態と化して相対していた。最初は完全無欠と言うほどに押していたのだが――――何故だか、途中から巻き返されてしまい、先ほどの叫びとともに放たれた正拳突きによってイヌは倒されてしまった。
やれやれと、私は息を吐きながら、暗い影とだけしか認識できない彼に、口を開いた。
『猿真似』だな、と。彼は聞くなりぎょっとして大きく飛びずさる。図星だ。私はほくそ笑んで、邪魔な太刀をイヌの傍に寝かせて拳を構える。
猿真似とは、その名の通り相手の真似をすることである。敵の一挙一動、それを脳に刻むことにより、対峙する相手の全ての動き、呼吸を予測することが出来、返すことが可能となる。それを身に着けるものはこの世に数えるほどしか居ないという。
聞いたことは在るが、見たことは無い。イヌの彼と同じ存在である。私は続けて口を開いた。
もし私と共に来るのであらば――――私の力を教えてやろう。私は『日本一』だぞ?
「口だけならば、なんとでも言える! 貴様とて、この戦闘で全てを我に学ばせて終わりよォッ!」
さて、学ぶ程の暇があると思っているのかな? 私は不敵に口角を引き攣らせながら男へと駆け出した。
瞬間、鋭い拳がブレることなく顔面に目掛けて突き出された。私はその影を見切って顔を動かし、避けてみせ、その放たれた腕の手首を掴む。
また逆の拳が私の腹に穿たれるが――――手首を掴まれる事によって停止。両腕を掴まれ、離せと言わんばかりに大きく腕を振り回す男の唸り声が聞こえる中、私は手首を掴むまま彼の懐に大きく踏み込んだ。
そのまま彼に背を向けると、彼は両腕を肘の辺りで交差させる。骨が軋む音がした気がして、私はそのまま、その両肘を私の片肩に重ね置き――――大きく身体を前に倒した。
両肘の確かな悲鳴が私の耳に届く。彼の足がふわりと浮き上がり、体重が背中に掛かるのを感じ、それはそう時間も掛からずに、地面に叩きつけられた。
全身が揺さぶられる強打。小刻みに動く彼は、これ以上戦闘を続けることは不能であるようだった。私はそんな彼の口に一つの黍団子を無理に飲み込ませ、それが食道を通過したのを確認した後――――指先で、強く喉を掻っ切った。
粘る紅い液体が手に纏わりついた。出せるはずも無い断末魔が彼の喉を震わせている。口からは血が泡となって吹き出ていた。
甘いような、酸っぱいような血の匂いが鼻につき――――それは意思を持つかのように、彼の身体へと戻って行く……。
――――明くる朝。予定通り街を出ることとなった。
「先日は悪かった。いやあ、アンタみたいな強い奴が居るとは思わなくってさァ」
猿野郎。これからは私の言う事を聞いてください。そうすれば私の力を少しずつ教えてゆきます。
「猿? ハッハ! そりゃいいや、そいじゃ狗野郎、桃太郎さん。これからよろしくお願いします」
「あぁ? 貴様、俺を侮辱する言い方しやがったな? 桃太郎さんがつけてくれた、この名をォッ!」
図らずして、旅は次第に賑やかさを増して行く。気のせいか、私の口から出る溜息の数は増えてきたような。
鬼ヶ島は近い。芳亥河村跡地を過ぎた私はそう確信していた。海が近いのか、潮の香りがする。
背負う『日本一』の旗も実感が湧いてくるようであった。コレを考えていたのなら、父は中々頭が回るらしい。
近くの、まだなんとか生きていた村を訪れると、その近くに在る森を抜けると海で、その海岸に在る船ならば好きにしていいとの事であった。
イヌやサルの所持金を使ったお陰で懐が未だ暖かい私にとっては嬉しいことであったために、歩調が軽くなるのを感じる。
そんなこんなで、私は森へとやってきたのだが。
「テメェ、どこの遣いだが知らねェがなァ、この俺たちをつけるとはいい度胸だ……手前等、この女を引ん剥いてマワしてヤれ!」
森の、割と手前のほうで何者かの悲鳴の出来損ないのような声と、男の低い声、歓喜の叫びが交錯して私の耳に届いた。
酷く下劣だと、それだけで分かる。私は珍しく進んで良いことをするために、声がする方向へと走り出した。
イヌは着物の上を腰の辺りに止めて、早くも憑きモノ状態へ。サルは髪を一つに纏めた三つ編みを振り回しながら私の後をついて来て、それを目の当たりにすると足を止めた。
黒い……忍者服のような格好をする女は、身に着けている網シャツを引き裂かれて豊満な胸をむき出しにされている真っ最中であった。
「糞共がァ――ッ! 桃太郎さんッ!」
「あの程度の下衆ドモに、学ぶものなどない。桃さん!」
両隣から怒りを孕む呼びかけを受けて、私は頷いた。
イヌさん、サルさん、懲らしめてあげなさい。
次の瞬間、イヌの咆哮が森の中に住む動物を全て退却させた。同時にサルが高く飛びあがり、女に手を掛ける男の喉元、その喉仏の下に指をめり込ませた。
上げる悲鳴も出ないまま、男は首を掻っ切られる。私の技であった。そうしてイヌも参戦し、男たちを瞬く間に命の灯火を手放した操り人形へと変えていった。
普段、嫌になるくらい仲の悪い二人であったが、やはり旅の仲間か、これほど頼もしい二人はおそらくこの日本中を探しても居ないだろう。
「てンめェ等ァッ! 誰の許可を得て俺の邪魔を――――」
先ほど大声を出していた男の喉下に、私の太刀の切っ先が冷たく恐怖を覚えさせる。剃り残しのある髭を、私は善意で剃りながら、喋りかけた。
『日本一』の、英雄の私が許可を出しました。
「に、日本一……、じゃ、じゃあテメェがあの桃――――」
下衆な声が私の名を紡ぐ前に、太刀は彼の首を切り裂いた。この男は要らないので。
倒れる男の首を薙いで胴と切り離す。その頃には、イヌ達の方も終わっているらしかった。
「あ、あの……ありがとうございます」
諜報員だろうか。忍者というのは――――やはり聞いたことがあっても実際に見たことは無い。最も、忍者がそう何度も姿を見せるのはいけないのだろうが。
私は気にしないでくれとだけ言って格好よくその場を去ろうとすると、
「ま、まってください! あの、桃太郎さん……ですよね。その旗に、太刀は、情報通の忍者でなくとも、誰でも知ってます。街の子だって……」
そこまで有名だと少しばかり照れてしまうのは、やはり私はどうあっても人間だからだろう。
「だから、その……お、お腰につけた黍団子。一つ私に……下さい。噂は聞いています。ソレを食べれば、不死になると。その代わりに、桃太郎さんに全てを奉げると……。だから……ッ!」
彼女の雇い主などはどう考えるのだろうか。最も、私は個人の意思を尊重する人間である。腰の布袋から黍団子を一つ取り出すと、私は彼女に放り投げた。
しかし、私のお供になる上では、一度死なねばなりません。それでよろしいですか?
「はい! いつも死を覚悟していました。故に、覚悟していたものならば、いつでも受け入れることは可能です」
彼女は言って、それを一口に飲み込んだ。私はその喉がなるのを確認して――――流れるように放った太刀で、彼女の首を、痛みを感じさせぬように切り裂いていった。
「――――よろしくお願いします! 私の名前は木羽ツツジです」
それでは略してキジですね。私は冗談っぽく言うと、何故だか、そんな間の抜けたようなあだ名が気に入ったのか、瞳を輝かせ、また頬を紅潮させて喜んでいた。
黒く長い髪を馬の尾にして揺らす彼女は可愛げのあるものだったが、果たして鬼の巣窟でも大丈夫だろうか。少しばかり不安になると、サルが肩を叩いてきた。
「桃さん。あの娘、桃さんに『ほ』の字ですぜ」
誰が桃さんか。そしてやかましいと、私は彼に肘打ち、鳩尾に衝撃を与えると、「勉強になります」と胸を押さえながら頭を下げていた。
イヌがソレを見て笑うとケンカになり、キジはソレを見て楽しそうに笑う。
いつしかこの旅が少しでも長く続けばいいなと、無意識に考えている私が居た。
拝啓、父上様母上様、私は現在、鬼ヶ島本土に上陸いたしました。なぜこの島の上空だけが暗いのか、なぜこの島の空気だけ淀んでいるのか、なぜこれほどまで容易に船をつけることができるのか、などなど疑問ばかりが浮かんできますが、何はともあれ、私は鬼ヶ島本土に上陸いたしました。
「桃太郎さん、俺の嗅覚が唸ります。この匂いは、人の肉が腐った臭いだと」
「桃さん、鬼は桃さんより大きくてさらに巨大な金棒を持つ化け物らしい。気をつけないとな」
「桃太郎さん……、地の利は確実に向こうにあります。私が伝えるのも、言葉だけでは難しい……、なので、私が先頭に立って道を案内します」
キジ、私、サル、イヌという直列になって進む事となる。私は辺りを十分に警戒しながら歩くのだが、イヌの聴力に勝てるはずも無く、直感的に探ろうにも場数を踏んでいるサルに勝るはずも無く、結局は大人しく、キジが襲われた際機敏に動けるよう準備するしかなかった。
広い、石だらけの海岸から進むとそこは荒野で――――その正面には城のような建物。
なぜだか、大勢の鬼が待ち構えていたかのように整列している光景を見て、私は思わず唸り声を上げてしまう。
ざっと数えて……五十名ほどは居るだろうか。私の奇形と呼ばれそうな高身長を遥かに凌駕し、その筋肉はイヌの数倍はあろうかという量。肌は黒く、鉄で出来ているのかと錯覚を及ぼした。
頭からは二本の角を生やし、禍々しい牙を黄色く染める鬼は薄い笑みを浮かべていた。
「おぉい、桃太郎……だっけか? よく来たな、歓迎するぞ」
友好的、とは到底言えない彼等は大きく金棒を振り上げて駆け出してきた。巨体な割には身軽な彼等は大きく地面を揺るがせながら、素早く迫ってくる。イヌは駆け出し、サルも後を追っていく。キジはその背後からクナイを投げ――――先頭の、一体の鬼の両目を奪っていた。
鬼の鈍い咆哮が大気を震わせる。肌にビリビリと届くそれを感じながら、私も一拍置いて駆け出した。
その背後からキジの援護が頼もしく飛び、過ぎる。続々と視界を奪われる鬼が現れ、その隙を突いて急所を狙われ、地に倒れる鬼が増えてきた。
激しく揺れる大地。少数であるが奇襲じみた作戦により私たちは在る程度有利に事を進ませていた、が――――前衛集団、総数六体を倒すと突然、彼等は実力を上げていた。
振り下ろされる金棒。イヌは飛び上がって避けるが、その無防備な体勢の腹に巨大な金棒の先が突き刺さる。イヌは断末魔を上げながら、彼等の足元に叩きつけられた。
飛び散る鮮血を一身に受けながら、サルは鬼の身体をよじ登り、耳に腕を突っ込んで命を奪うが――――近くの鬼が、その鬼の頭ごとサルを金棒で叩き潰した。
醜い、肉の潰れる音が耳に障る。やはりいつ聞いても良い音などではない。私は思いながら彼等の元へと駆け出した。
「桃太郎さん、こいつ等――――強いッ!」
吼えるイヌに私は頷く。妙に、コンビネーションが良いのだ。鬼の頭から飛び出したサルはまた次なる鬼へと向かうので、私たちも模倣し、鬼に向かう。
また、金棒が振り下ろされた――――が、私はそれに対し、大きく太刀を振るい返す。
金属音が重なった。それは大反響となり私の鼓膜を打ち破る。腕に確かな重みを感じ、ミシリと、砕ける感覚がした。
それでも太刀は砕けない。私は仙桃出身。イヌサルキジは死亡から復活まで数十秒とかかるであろうが、出来損ないでそれほどまでの速さだ。私ならば――――無論、一瞬である。
故に、砕けた骨は随時再生し、私は金棒を押し返す。強く踏ん張り、火事場の馬鹿力で弾くと鬼に大きな隙が生まれ、私は大柄な身体に、強く踏み込み、横一閃。
身の丈ほどの太刀は、その長さが応援し、見事彼の胴を二つに分かつことが出来た。父はこのことを考えていたのであれば、ほとほと頭が上がらない。
疲労は全く無い。私は仲間の断末魔が幾度と無く聞こえる中、鬼の群の中で一等頭角を現わす者を探して回った。
一閃、腕を切り裂き、一撃、油断した胸を貫いて息の根を止める。サルは敵の動きを学び、イヌは怒りでその力を強める。キジは地味ではあるが、確実に助けにはなっていた。
頼もしい仲間たちはまた鬼を押し返している。素晴らしい。感嘆しながら私はその場を任して、城へと向かった。
――――傲慢そうに私に立ちはだかる扉を蹴破り、その陰気臭く生臭い中へと立入った。悪臭が鼻につく、洒落にならぬ、肉の腐った臭いであった。
「おお、桃太郎。よもや貴様が、ここに来ることとなろうとは思わなんだ」
だだっ広い空間。ただ紅絨毯が真っ直ぐ引かれ、その正面奥に偉そうな玉座があるだけの城。
辺りには『人間の食い残し』と思わしき骨や、蝿や蛆が蠢く肉片が散らばっている。反吐が出る。『鬼が悪さをしている』どころ話ではない。
「だが、知らぬだろうな。貴様は。鬼がなぜ鬼として、絶対悪に立っているか。何故悪役がこうも体よく、人が忌み嫌う化け物なのかを」
知ったことか。どちらにしろこの惨状を見れば、どれ程善良な心を失念している者でもソレが奮い立つのだ。理由など、大したことではない。
「我が喰らう人間は、わざわざ攫ってきた人間ではない……。コレは、言っておくが事実だ。命に賭けて――――そして、何故船が、体よくこの島の正面の岸に置かれ、何故船がここまで簡単に島につけるか、貴様は疑問に思わなかったのか?」
……口減らしか。だがこの貧しい時代では――――。続けようとして、私は続けることが出来なかった。貧しかったら口減らしのために子を鬼にくれて良いのか。貧しかったら鬼を悪に仕立て上げて、汚い部分を全て被せればよいのか。私の自問には答えが出そうに無い。短い時間では在るが、そう感じさせられるほどの疑問であった。
「貴様は賢い。分かるだろう、本当に裁くべき者を。そして、この後、今、この瞬間、貴様が取るべき行動は……分かるだろうッ!?」
鬼は手を広げて熱弁する。確かに、分かる。私は賢い。それは自負している。無論、自分で言う事ではないのだが。
だから私は太刀を抜いてこう答えてやった。
『知ったことか』と。
私は自問する際に、思い出してしまったのだ。この旅は何のために始まったのか。
人間のためだったか? 世の平和のためだったか?
違う。両親に鬼の奪った、否、人間が献上した財宝を奪い豊かにしてあげるためだ。勿論、イヌサルキジも招いてやるつもりである。両親がどう言っても。
だから私は容赦しなかった。鬼がその返答を、いかにも出来た芝居のように、だが恐らく本気なのだろう――――驚いたように眼を見開くので、私は思わず、駆けて飛び上がり、彼の頭に大きく振り下ろす太刀に力が入ってしまった。
頭蓋骨が砕け、中に刃が入り込むとそこからは流れるように鬼は両断されて行く。その時点で既に彼の息は無かったが、私は構わなかった。
太刀の重量。私の力量。肥えた肉体の柔さ。全ての幸運、いや、悪運が重なり、その鬼ヶ島領主らしき大鬼は漆黒の身体を赤黒い血で染め上げながら左右に分かれ、両端の肘置きにもたれかかり、やがて落ち着く。
中から悪臭の根源となりそうな内蔵がでろりと漏れ出るが、流石にそこまでは知ったことではなかった。
彼の吐く、黄色と黒のストライプ調のパンツで血を拭っていると、やがて荒野での戦闘を終えたのか、イヌ達は城へと乗り込んで、警戒した後、私の姿を確認すると胸を撫で下ろしていた。
「こ、こんな馬鹿デカイ鬼を……やっぱ、桃太郎さんにゃ敵わねぇな」
イヌが愉快そうに笑って私の肩を抱いた。
「ハッハ! 桃さん、これで俺も日本一、いや、日本二になれるわけだなぁ?」
サルが反省でもするように私の頭に手を載せる。
「桃太郎さん、やはり、貴方は只者ではありません……全てを奉げても、後悔しないほどの人です」
キジは私に可愛らしい笑顔を向けてくれた。
そんな彼等に、私は私なりの言葉を送ろうと、必死に考え、悩み、そして陳腐な言葉が一つ、頭に浮かんだ。
皆さん、私が日本一ではないのです。皆さんを含める私たちこそが日本一。それ故に、皆がこうして手を添えられる旗に、記して在るのです。
ですが、と。私は大鬼の股間部分に旗を突き刺して指を指した。
在る意味、これが日本一かもしれません。
綺麗に、だが醜悪なまでに汚く締めくくられた旅はそこで終焉を向かえる。
持ちきれぬ財宝を抱えていた鬼は、その全てを運べる船を隠していた。我々はそこに全てを運び込み、私が流れてきた川の、下へと船を止めたのであった。
――――父、母はその財宝で家を立て替え裕福に暮らし始める。目的を果たした私はそこでお供と共に、再び旅を始める。
もし生きていたらまた会おうと、両親に別れを告げて。仲間の寿命が尽きるその時まで、私は誰かが記憶に残す限り、日本一であろうと前を進むのである。
いつしか願った旅の延長は、図らずとも続いた。全く持って、良く出来た話だと私は嘆息すると、キジは嬉しそうに私の肩を叩いた。
「さあ行きましょう、日本一の親孝行さん」
上手くはないな。首を振ると残念そうに肩を落とす。ソレを見てイヌとサルは仲がよさそうにはやし立てた。
だが、まあ――――この私が求めるハッピーエンドを実現させたあたり、やはり私の生みの親、仙桃は恐ろしい。そう思いながら、私はなんの変哲も無い白桃を齧っていた。
芳醇な甘さが舌と鼻腔を刺激する。これはもしかすると、未だ仙桃の中で眠る私の夢なのかもしれない。そう思うと背筋に悪寒が走って――――空が割れた、気がした。