51.暗闇の中で
ハイサンド大聖堂の尖塔の最上階には、王都中に響き渡る、大きな鐘が設置されている。
尖塔を上っていくと、ちょっとした小部屋に出る。そこにある階段をのぼれば鐘のある最上階へ行けるのだが。その最後の階段の手前に、アクア・ボードインは陣取っていた。
今も鳴り響く鐘は、この小部屋のすぐ真上にある。耳が痛くなるほどの轟音だ。よくこんなところで何日もいられるな、と思う。
聖騎士たちが彼を捉えようと挑んではいるが、相手だけが魔術を使える状況で、劣勢を強いられていた。しかも腐っても彼は英雄の子息だ。魔術だけではなく体術にも優れ、旗色は悪い。
聖騎士たちも無駄に抗っていただけ、というわけではない。アクアが連れてきていたアンデッドモンスターは全て斬り伏せた。残ったのはローブの男だけという状況だ。そこへ、聖女である私が現れ、彼らの士気は再び盛り返していく。
とはいえ私は、人間に対する攻撃手段は持っていない。そのことを理解しているシエルちゃんとアリーちゃんが前に出て、アクアと対峙した。
「無駄だ、失敗作。帰れ」
この男……妹に対してなんて言いざまなの!? でもシエルちゃんは全く気にした様子もなく、むしろ少し、笑っているように見えた。
「ああ、ようやくお兄様にお礼をする機会が巡って来ましたわ。ルーベラに売り渡され、その後も散々弄ばれたお礼がッ! ファイアバレット!」
シエルちゃんが魔術を放ったけれど、アクアは面倒そうに片手を払っただけでそれを消し去った。
「無駄だと言っている。これ以上邪魔をするなら、たとえお前でも容赦はしない」
アクアが何か言ってるけれど、今のファイアバレットはただの時間稼ぎ。本命の魔法は今、アリーちゃんが唱え終わったみたい。
「堕天使の邪幕ッ!」
黒い煙幕があたりを包み、私たちを覆い隠していく。闇属性の不可視魔法だ! それを見たアクアは狼狽え叫んだ。
「何だと!? それは、お前らごときが使える魔法ではないッ!」
煙幕が晴れたとき、私たちや聖騎士たちの姿はすっかり消えて、その場に残ったのは――アクアとシエルちゃんだけだった。
「クソ、どこにいやがる! ええい、お前だけでも!」
シエルちゃんに襲いかかっていくけれど、シエルちゃんは平然と待ち受けている。
その間に、姿が消えた私たちは階段前の位置を確保しにいく。
「これで終わりだよバカ兄貴。――宵闇の狂風」
私は直接見てなかったけれど、レオ少年がパトリシア様を打ち負かしたという魔術だ。アクアもこれには耐えきれず、攻撃を受けて尖塔の壁に叩きつけられた。
そこをすかさず、見えない聖騎士たちが取り押さえる。
「バ、バカな……。何故お前が? それは究導会の機密魔術だ! 何故使える!?」
ふふ、とシエルちゃんが不敵に笑った。
「以前から、とある方に頼み込んで、使い方を教えていただいておりましたの。もっとも、発動できたのは今のが初めてでしたけれど」
先ほどとは打って変わって優雅に応えるシエルちゃん。その態度にアクアは目を白黒させている。妹のことをなんにも知らないのでしょうね。私もびっくりしてるけど。
「組織に、内通者がいたのか?」
「いいえ。先の戦いを見ていた人に、桁外れて頭脳明晰な方がいらっしゃったの。究導会の失敗は、驕って全てを曝け出した、あの時から続いていたのですわ!」
聖騎士に連れていかれる項垂れたアクアを、少しの間だけ、シエルちゃんはじっと見ていた。
姿を現した私たちのところへ、何事もなかったみたいにすぐ追いついてきた。
「これで終わりじゃない。行こう」
最後の階段を昇った尖塔の最上階は、屋外になっていた。
風が強くて、落ちないように気をつけないといけない。音も、ものすごく大きい。慌てて耳をふさぐ。
最後に大きな問題が残っている。
ここの鐘は一旦動かしたら、止めるのに魔法を使うんだ。誰も魔法が使えない今、あの鐘はもう誰にも止められない。シエルちゃんとアリーちゃんなら魔術があるけど、先程の戦いで無理をして、すっかり魔力切れだ。そもそも魔術は究導会が創り出したものだ。この鐘を止めるための魔術なんて存在しないだろう。
魔法を使わず、どうやって止めたらいい? 巨大な釣り鐘は左右に豪快に振れていて、力ずくでは止められそうもない。止める道具みたいなものが何かないかと思って周囲をキョロキョロと見回したら、とんでもないものが目に入った。
尖塔の外壁を、登ってきている人がいたのだ!
うわあ、こんな高くて風が強いところで、よくそんなことができるなあ。って関心してたけど、その人物が顔の見えるところまで登ってきたとき、誰なのか気付いて、慌てて手を伸ばした。
なんとか鐘の下まで引っ張り上げたら、彼はそのまま床にへたり込んだ。
「ひええ、怖かった……。ありがとうございます、レネ様」
「もう! なんであんな危ないところを登ってきたのですか、マナウ神父!」
一息ついたマナウ神父は、懐から丸い玉を取り出した。少しだけ光を放っている。
「私の妹のことだから、ルーベラが何をしようとしているかくらい、見当がついていました。沈黙の鐘を止める方法はこれしかありません。厄災を肩代わりしてくれる秘宝、ブライトストーン。使ってください」
いろいろ聞きたいことはあるけれど、今は鐘を止めるのが最優先だ。ブライトストーンを掲げると、魔法の行使を邪魔していた感覚が、すっとそちらへ吸い込まれていく。
これなら普通に魔法が使える! 魔法が使えるなら、鐘を止めるなんて簡単だ。
さあ取り戻すわ、静寂と平穏を!
***
まぶたの向こう側が、チカチカと点滅している。
その小さな光に、急激に意識を引き上げられて、目を覚ました。
――そうだ、ルーベラに攻撃されて……!
辺りを見回すものの、ルーベラどころか誰一人いない。がらんどうの王都地下聖堂だ。
ルーベラの攻撃を喰らったけれど、なんとか無事みたい。高い魔法抵抗力のおかげで、打撲傷が少しできた程度で済んだ。
どれくらい倒れてたんだろう。時間も、ここからどうやって出たらいいのかも分からない状況だ。
ゲームでは、聖女の隠れ家からこの場所へは一方通行で、こちらから戻ることはできなかった。つまり、ダンジョンを通って別の出口から出なければならない。
でも、たった一人で、しかも魔法が使えない状況でダンジョンを通り抜けるなんて自殺行為だ。
急に怖くなって、胸元へと手を伸ばす。
そこにあったはずのペンダントが――無い。
ルーベラに取り上げられたんだったわ。絶対、取り返さなきゃ!
思い切って一人でダンジョンへ挑む決意をした。どうか無事に出られますようにと、そこにあった女神像に祈りを捧げた。こんなことをするなんて、ハイサンド大聖堂でプリンセスロード候補生に就任したとき以来ね。
そういえばあのとき、女神像の胸元が光ってたような気がしたことを思い出した。――そして今も、目の前の女神像が同じように、小さな光を浮かべていた。
ん? 何だろう。目を凝らして見つめると、ふわふわと近づいてきて、ぐるりと私の周りを一周して、反対側へ飛んでいった。
私はそれをぽけーっと眺めて見送った。しばらくすると小さな光が戻ってきて、怒ってるみたいに上下に震えた。
え、何? 何か言おうとしてる? わかんないんだけど!
こんどは光の玉は前後に震えて前に進もうとする。ええと、もしかしてついてこいって言ってるのかしら? でも、なんか怪しげな玉だし、敵の罠かもしれないし……。
光の玉は苛立ってその場をぐるぐるしだした。
突然、豆電球が浮かんだみたいに一瞬光が大きくなって、私のお腹にぽすんとパンチを入れるみたいに突進してきた。
なんだ? これって……私がジーマによくやってるやつ、かな?
次に光は、空中を動いてハートマークを描き出した。
ん? ジーマに……ラブ? あっ! もしかしてレネ様! あなたレネ様に関係してるのね!
満足して頷いた光の玉は、もう一度前に進みだした。レネ様に関係してるなら信用できるかも? 今度はしっかりついていこう。
今歩いているところは、ゲームで見たダンジョンと同じ景色だ。でもルートなんて記憶していないので、今はこの光の玉に頼るしかない。
この光の玉、なんだか見覚えあるなあって思ってたけど、よく見たら『プリンセスロードの乙女たち』のゲームカーソルに似てる気がする。
ヒロインにコントロールされている元プレイヤー、なんて面白い構図よね。
けっこう歩いたものの、未だ魔物には出会わない。この光の玉がそういう場所を選んでくれてるんだろう。このままいけば戦闘せずに出られるんじゃないか、なんて希望が見えてきた。
でも、そんなことを考えた途端に、魔物に出くわすんだよね。
ゲームではエンカウント率の高いダンジョンだったから、むしろここまで出会わなかったのが不思議なくらい。
魔物は問答無用に襲ってきたので、戦わざるを得ない。
「アイスジャベリン!」
おなじみの魔法を放つけれど、沈黙の鐘の影響でいつもより弱々しい。倒すどころか、怒らせただけだった。
どうしよう!
襲ってきた魔物から助けてくれたのは、さっきの小さな光。
魔物に突っ込んでいって吹き飛ばしてくれた。助かった……けれど、それで力を使い果たしたのか、徐々に小さくなっていって……消えてしまった!
その途端、周囲が暗くなって周りが見えなくなった。
そんな……! 命綱の光なのに……。
私は暗闇に、ひとりぼっちで取り残されてしまった。
次にいつ、魔物が襲ってくるかわからない。
向かうべき方向もわからない。
ろくな魔法も使えないし、武器もない。
そんな暗闇に、取り残されてしまった。
もし、あの光の玉を最初から信じてついていっていれば、もっと光は長持ちしていたかもしれないのに。
もし、トゥーリ様やマッキー様といっしょに行動していれば、ダンジョン攻略に必須の探知魔法や地属性魔法が役に立っていたかもしれないのに。
もし、ペンダントを奪われないようにしっかり身に着けていれば、それをたどってミエセス殿下が見つけてくれたかもしれないのに。
ああ、私は間違ってばかりだ。情けなくて、とうとう泣いてしまった。
「ぐずっ……うえっ、誰か、助けて……」
こんなところで泣いてたら魔物に見つかるかもしれない。わかっているけど涙は止まらず、ぐっと顔を伏せて息を潜めながら泣いた。
泣き出してしまうなんて、いつ以来? ずっとプリンセスロード候補生として、公爵令嬢として気を張ってここまで泣かずに生きてきた。だからそれ以前。候補生になる前の……そうだ、あの二次選考の、王宮でのつらい日々。同じように、庭の植え込みの陰に逃げ込んで、その時。
――暗闇の向こうから、何かが聞こえてきた。
「…………、…………」
それは、温かい歌声。
「ラーラーラーラ、ラーラーラ」
それは、小さな子が文字を覚えるときの、歌。
心地いい、ずっと聴いていたい、そして懐かしい歌声。
「ラーラーラーラ、ラーラーラ」
暗闇の中から、ひょっこりと金髪の男の子がやってきた。
一瞬小さな男の子に見えたけど、暗闇に目が慣れて姿がはっきり見えてきた。
ずっと、ずっと心の中にいた人だ。
「リズ! やっと見つけた!」
「アレク……様!」
不安が全部消し飛んで、晴れやかな気持ちになってアレク様の胸に飛び込んだ。
どうしてここが分かったの? アレク様の顔を見上げると、いつもの優しい笑顔を見せてくれた。
「泣いてる君を見つけるのは、昔から得意なんだ」
アレク様は笑って、私を優しく抱きしめてくれた。




