50.反撃!
パトリシア・メセニは落ち目だ。もう後がない。
世間では、今の私の評判はそんな感じよね。
それも仕方のないこと。究導会に惨敗し、期末の学力試験で成績を落とし、社交もおろそかにして魔法の訓練に没頭している。ときおり孤児院の慰問に訪れる程度で、対した功績も上げていない。
おそらく次、席次の入れ替えがあるときには、リズには抜かれるでしょうし、レネにだって後塵を拝する可能性が高い。
名門である我がメセニ家からは、プリンセスロード候補生は多数輩出しているものの、プリンセスロードはこれまで一人も選ばれたことがなかった。父からは今回こそ必ず選ばれるように、なんて厳命されているけれど、言われるまでもない。
今は停滞していても、最終的に勝てばいい、なんてふうに考えていた。
甘かった。
よもや、リズがあんなにブーストかけてくるなんてね。
隙を見せていい相手ではなかったのに。今やリズの評判は、大衆の間でも貴族の間でもうなぎ登りだ。
ただ、アイリス姉があんなことになって、リズも行方知れずだと聞く。気がかりではあるけれど――もう隙は見せない。彼女たちは、私が気にして情をかけるほど弱くない。
この騒動は、パトリシア・メセニの今までの汚名をそそぐ絶好の機会だ。さあ、表舞台へ返り咲くわよ。
そんな意気込みを後押しするかのように、一瞬、光が通り過ぎた。
今のは……レネ? レネの特性を纏った光が、私の体をすり抜けていったような。
特に変化した感じはなかったけれど、彼女が何かしたのかしら。
ほんの少し、心が軽くなった気がする。
雑念が消えて、魔法を覚えたての頃のような気持ちに似ている。魔法が好きで、楽しくてワクワクしていた頃。
つい最近も、そんな気持ちになったことを思い出した。
リズを魔法クラブに勧誘した時だ。あの時の魔法談義も楽しかった。リズの視点が新鮮で。それと襲撃の後の訓練もね。リズの魔法に触れるたび、新しい何かに変われるような発想が湧いてくるのよ。
――そんな楽しい記憶に浸っていたが、学園のグラウンドにたどり着いたときには全て掻き消えて、目の前の現実に愕然とした。
「何よ……これ……!」
グラウンドにひしめく魔物たち。以前と同じ狼系の魔物だが、大多数を占めているウェアウルフが猛威を振るっていた。
ユージーン先輩を始めとする学生たちはすでに手も足も出ず、後方へ下がっている。代わりに前に出ている王宮の騎士や魔法使いたちも、数に押されて倒すどころか学園内に押し留めるだけで精一杯だ。
そして魔物たちの中心にいるのは、あのローブの少年、レオ。奴は私に気づいたが、つまらなそうに吐き捨てた。
「何だ、あんたか。あまりに退屈すぎてもっと骨のあるやつが来てほしかったんだけど。もうあんた程度には用はないよ」
前回私の名を聞いて、楽しげに向かってきたあの少年はもういない。名すら呼ばない。
周囲の学生たちの反応も似たようなものだ。
――落ち目のパトリシア・メセニが来たところで。
――魔法が使えない状況なのに、何しに来たんだ。
そんな周囲の蔑んだ視線などは無視して、グラウンド中央へ歩いていく。不思議なことに、恐怖心は全く無かった。大好きな魔法をぶっ放せるというワクワクだけが、私の中を満たしていた。
あまりに自然に堂々と歩いているので、騎士たちも止めるのを忘れて呆然と見てるだけだ。だけど魔物たちは私を放っておくはずもなく、筋骨隆々のウェアウルフたちが襲いかかってきた。
私、筋肉質の男って苦手なのよね。
あのとき、リズはなんて言ってたかしら。そうそう、こうやって。
左手を掲げて、指をパッチンと鳴らした。
と同時に、襲いかかってきた周囲のウェアウルフが、まとめて豚の姿に変わっていった!
「あはっ。できた!」
その様子を騎士や生徒たちは目を剥いて見ている。ローブの少年もフードを跳ね上げて叫んだ。
「はああっ!? て、てめえ、一体何をやった?」
豚に変わったウェアウルフたちはもう襲いかかってくることもなく、ただ困惑した鳴き声を上げるだけだ。
口をモゴモゴっていうのはよくわからなかったけれど、この指パッチンはいいわね。気持ちいい!
調子に乗って右手、左手を交互に指パッチンしながら歩く。それに連動して、グラウンド中のウェアウルフどもが片っ端からただの豚の姿に変わっていく。
「一体、あれは何だ? 魔法、なのか?」
「わからん! けど、やはりメセニ令嬢は凄かったんだ」
「あれが本当の、『才姫』パトリシア・メセニか!」
「く、くそっ……それをやめろ!!」
破れかぶれにレオがファイアバレットを何発も放ってきた。私はそれを、ふっと吐息をかけて消してやった。
これは私のオリジナル。二番煎じばかりじゃないのよ。
続いてこんなのはどうかしら?
指パッチンすると、制服姿から王宮の騎士服に早変わり!
すごい。すごいすごい。魔法って、なんだってできるんだ! どうしてこれが今まで解らなかったんだろう。
「騎士だったら、剣が使えて当然ですわよね――豪炎の蒼剣!」
得意の魔法は以前よりも荒々しく、しかも蒼く燃えさかる剣となって現れた。
残った魔物も豚もまとめて次々と屠ってまわる。以前まで使っていた魔法と段違いだわ! 剣戟は広いグラウンドの端まで届き、魔物どもを一掃した。しかも、味方である騎士たちや学生たちには一切ダメージを与えずに!
これが本来の、私の憧れた魔法。願いを叶えてくれる魔法なんだ。
積み上がる魔物たちの屍の中、それでも、レオの奴はさすがに最後まで立っていた。
そこへ蒼剣を突き立てる。レオは、あの手を開く仕草の防御で防ごうとしたけれど、構わずにふっ飛ばしたわ。
通用する! そのやり方では、この魔法は防げないわ!
辛うじて立ち上がったレオは、聞き覚えのある詠唱を始めた。
憤怒の表情のレオが放ったのは、あの時私を吹き飛ばした魔術――宵闇の狂風。
それ、もう知ってるわよ。トゥーリ様が丸裸にしたのを聞いていたもの。知ってるから――効かない。軽く張った障壁で軽々と跳ね返してやった。
息をふっと吹きかけて、蒼剣を消す。
ああ、楽しい! これがリズが見ていた景色なのね。今だったら何でもできる気がする!
「どういうことだよ! 鐘の効果は? 魔法が使えないんじゃないの? つーか、それ魔法なの!? ああもう! 全然わかんねえ!」
地団駄踏んでいるレオに言ってやった。
「わからないから、それを『魔法』って呼ぶのよ」
***
パトリシア嬢が出ていって、再び病室に静寂が戻った。
未だアイリスは、目を覚ますどころか動く気配すらない。
アイリスの手を握って、光魔法を流す。呪術の抵抗を感じるけど、それを押しのけてアイリスの体中に光魔法を満たしておく。
これでしばらくは大丈夫だろう。
そういえばパトリシア嬢が出ていくときに、なにか言ってたな。
トランクケースを確認しろ、だっけ。
開けてみて、最初に目についたのは手鏡だった。他には着替えなどが入っている。
手鏡を手にとって覗いてみたら、そこには目の下にクマができた、ひどい顔が写っていた。天使だなんだとチヤホヤされていた面影はどこにもない。
なるほど、パトリシア嬢はこれが言いたかったのか。だったら顔でも洗ってくるかと、トランクケースの中からハンドタオル取り出す。
その時、ケースの中に一冊の本が入っていることに気付いた。気を紛らわすためにでも入れてくれたのかなと、本を手に取った。
本のタイトルは、『眠り姫と王子の口づけ』。これって……以前トゥーリ姉から借りていた本だ。
トゥーリ姉……まさか今の状況まで読んで、この本を渡したわけじゃないよね。こんなことで眠りを覚まさせられるんだったら、苦労はしない。――なんて言いながらも、僕はヒルマン王国の庭園での夜のことを思い出していた。
そんな時、窓の外から一瞬、光が入ってきて通り過ぎていったように見えた。
今の光……聖女レネ嬢か?
光が僕をすり抜けていった瞬間、リズリー嬢とパトリシア嬢を特訓していた時のことが頭の中によぎった。あの時、確かリズリー嬢に魔法のイメージについて聞いたんだ。
うーん、と考え込んだ彼女は、こんなふうに答えた。
『こう、指パッチンすれば制服からドレスに一瞬で着替えたり、口をモゴモゴってして嫌いな人を豚の姿に変えたり、あとは……愛の魔法で奇跡を起こしたり、とか?』
愛の奇跡を起こす魔法、か。
ついさっき、馬鹿馬鹿しいと一蹴したはずの考え。なぜだか今は信じられそうに感じた。もう一度、本を手に取ってページを捲る。
内容はタイトルそのまんま、呪われて眠りから覚めないお姫様を、王子のキスが眠りから覚まさせるという話だ。当然、愛の魔法のやり方なんて書いてない。伝わってきたのは、登場人物の感情だけ。でも、今僕はすっごく頭の悪いことを考えてる。
――物語の人物にできて、僕にできないわけがない、なんてことを。
本を置いて、アイリスへ近寄っていく。
もちろん眠っている女性の唇を奪うなんて破廉恥なことはできない。だから、いつも赤く染めていたその白い頬へ、唇を寄せた。
――起きて、アイリス。愛してる。
唇を離して、閉じていた目を開けた。
そこにいたのは、頬を真っ赤に染めて、目を見開いたアイリスだった。
***
王宮前広場は、未だ混乱のさなかにあった。
オーガの大群が押し寄せてきて、オーンハウル兄上の指揮でかろうじて場を持ちこたえさせている。兄上は数日間ろくに寝てもいないはずだ。疲労の度合いも尋常ではないだろう。病室にこもっていただけの僕は、本当に情けなくて申し訳なく思う。
だから、今から挽回するね。
手を繋いで一緒に来てくれたアイリスと頷きあう。二人で広場へ踏み出して、繋いだ手の反対側の手を空へ掲げた。
「「愛の奇跡と雪景色」」
僕たち二人の手から、キラキラと綺麗な粒子が際限なく溢れ出し、曇天も鐘の音も跳ね除けて、天に昇っていく。
広場全体を覆ったそれは、舞い散り降り注ぎ、魔物へはダメージを、怪我人へは癒やしを与えていく。
戦況は一瞬で逆転した。
魔物は全て倒れ伏せ、残っているのは激しくこちらを睨みつける、ジョシュア・マーベルだけだ。彼を守っていた魔物はもういない。騎士は即刻ジョシュアを捕らえた。
「ミエセスッ! 何をした!? 何故魔法が使えるッ! 沈黙の鐘はまだ鳴っているのに!」
取り押さえられながら叫ぶジョシュアに、にっこり笑ってこう返してやった。
「鐘の音? 愛があれば、そんなの関係ないよね」




