5.入学式
ベッドから起き上がって時計を確認すると、倒れてから30分ほど経っているようだ。
時間に余裕を持って登校したので、まだ入学式には間に合うはず。トゥーリ様とマッキー様には付き合わせてしまって申し訳ないわ。
心配そうなお二人に体調が戻ったことを伝え、そろそろ入学式の会場へ向かうことにした。
ふと、保健室の鏡が目に入ったので、つい覗き込んだ。
そこに写っていたのは黒髪黒目の里奈ではなく、明るい金髪とロードナイトの瞳。悪役令嬢リズリー・アマンダルムだ。
15年慣れ親しんだその鏡の姿に、もう二度と映らないであろう黒髪黒目を重ね合わせて、なんとも言えない苦しさがこみ上げてきた。
「入学式は講堂で行われるそうですわ」
マッキー様があらかじめ入学式について調べておいてくれたようだ。彼女なら保健室から講堂への道順も調べてくれているだろう。初めて会った日に比べたら本当に頼りになるようになっていて感慨深いわ。トゥーリ様も私の体調を気遣うように寄り添ってくれている。私は、鏡の中の幻想を振り切るように歩き出した。
支度を整え保健室を出ようとしたところで、ノックの音がした。
「おや、体調はもうよろしいのですかな?」
トゥーリ様が対応して保健室に入ってきたのは、ひょろっとした体型で背が高い、若い神父だった。この世界の神官は回復魔法が使える。この神父も、女子生徒が倒れたと聞いて、治療するためにやってきたそうだ。
「ええ。わざわざお越し頂いたのにすみません。もう大丈夫なので、入学式に行きますわ」
よそ行きの笑顔を貼り付けてお辞儀をし、神父とすれ違いに保健室を退出した。
「そうですか。お大事に」
神父は人の良さそうな微笑みを浮かべ、私達を見送った。
保健室を出て扉を閉じたと同時に、私の背中に冷や汗が流れた。
さきほどの神父の顔を思い返す。――間違いない。あの神父はゲームの登場人物。ヒロインの後見人であるマナウ神父だわ。
こんなにすぐゲーム関係者と出会うなんて。そういえば、校庭で見かけたあの少女、後ろ姿しか見ていなかったけれど、間違いなくヒロインだった。後見人である神父が、彼女の入学式に同行ていたのか。マナウ神父って確か今はヒロインの味方だけど、問題を起こして教会を追放されて途中退場する人だ――。彼には、できるだけ関わらないようにしたほうがいいかもしれない。
***
入学式の会場となった講堂は、半円形の窓から陽光をふんだんに取り入れた開放感あふれる空間だった。
その室内に、たくさんの座席がきっちりと並べられていて、その殆どが埋まっていた。式にはなんとか間に合ったようね。
皆、少しの緊張とともに、これからの学園生活に対する期待に満ちた瞳をしている。
式が始まるまでにはまだ少し時間があるようだ。指定された席につくとようやくいろいろ落ち着いてきたので、乙女ゲームについて記憶を辿ることにしよう。
乙女ゲーム『プリンセスロードの乙女たち』、通称『プリ乙』は高貴で素敵な男性たちと恋愛をしつつ、ファンタジー世界で様々な体験をしたり、RPGのようにキャラクターを育てて戦ったりと、多彩な要素がふんだんに盛り込まれたゲームだ。やり込み要素が多すぎて『労働乙』なんて略して揶揄されるくらいに奥が深かったのを覚えている。
ヒロインは孤児院で育った平民だったけど、聖女の素質を見出され、とある伯爵家へ養子に出された。そしてこのウエストパレス学園に入学し、魔法を学んで戦ったり、クラブ活動に励んだり、そして、『プリンセスロード』を目指して、王子たちと恋愛をするのだ。
んん……? いまちょっと、何かひっかかったような?
気がつくと、すでに式は始まっていて、ちょうど学園長の挨拶が終わったところだった。そして学園長に続いて壇上に現れたのは――。
「新入生代表の挨拶を務めさせていただきます、アレクシス・ザ・ヒューグリフェンです」
落ち着いた色合いの金髪に、ラピスラズリの瞳。その穏やかな笑みを見て、私の心がとくん、と跳ねた。
第二王子殿下、アレクシス・ザ・ヒューグリフェン様。
『プリ乙』の、攻略対象者だ。
式場の新入生の令嬢たちが、頬を上気させ、彼の一挙手一投足に注目している。
幼い頃の悪評が何だったのか、というほど堂々とした姿だ。彼が変わったのはいつ頃だったか。聞いた話だけど、ある時、殿下は泣きじゃくって、自分の力不足を痛感したと奮起し、研鑽に励んだという。
壇上では、アレクシス殿下の代表挨拶が続いている。優しさが染み入るような声。挨拶がそろそろ終わりかと思われた頃、その声は、やや苦みが混じったものに変わり――。
「最後に、王室から連絡があります。皆もご存知のように、現在三名のプリンセスロード候補生が選出され、競い合っています。――そこに、この度新たに聖女として就任し、本日この学園に入学した聖女、レネ・アーデン嬢も……プリンセスロード候補生に加わることとなりました。これにより、現在のプリンセスロード候補生は四名となります」
式場は騒然となった。
それってつまり、『聖女だから』という理由で、選考会に通らずとも候補生に選ばれた、ということ?
全身の血の気が引いていくのを感じる。
そうだ……そうだそうだ! 『プリ乙』のヒロイン、聖女レネ・アーデン。ゲームでは、冒頭からすでにプリンセスロード候補生だと説明されていたからなんの違和感もなかった。だけど、だけどこの世界で15年生きてきた私には。あの、厳しい選考会を体験した、この場のほとんどの令嬢たちには。
――それはとうてい納得できる話ではなかった。