44.ゴドア司教からの呼び出し
シエル様とアリー様に急かされて、ハイサンド大聖堂へやってきた。
見上げれば今にも降り出しそうな曇り空。にもかかわらず、大聖堂前の入口付近には多くの参拝者が行き交っている。
大聖堂の洗練された外観は、迫力と美しさを兼ね備えた見事な建築物だ。それを目当てにした観光客もそれなりに混じっているだろう。
信徒に見られないように裏口へ回る。顔見知りの守衛さんに挨拶をして、大聖堂へと入った。今日はゴドア司教から大事な話があると言われている。
ここのところ、ゴドア司教とは距離を置いていた。
聖女に成り立てのころ、ずっと司教の指示に従っていた。聖女として何をすればいいのか、プリセスロード候補生として成果を上げるにはどうすればいいのか。
だけどリズリー様と出会い、自らが目指すべき標を定めたとき、これで良いのかと何度も自問したんだ。
確かにゴドア司教の言う通りにしていれば、聖女としても候補生としても功績を得られてきた。それについては感謝している。
でも本当に、それが私のあるべき姿なのだろうか?
考えなくていいっていうのは、思っている以上に――楽。
体を動かしていれば怠けていないと。成果は上がっていると。先人に従っていれば間違えることはないと。
何の疑念も抱かずに、そんなことを正しいと信じ続けていた。けれどそれ自体が、考える苦しみから逃れる言い訳だったんじゃないか?
考えを委ねていたら、結局その人を超えられないし、畢竟、操り人形に過ぎないんだ。
リズリー様、パトリシア様、アイリス様。
みなそれぞれ強みがあって、強固な意思を持っている。私なんかよりずっと先を行っている。
追いつきたい。負けたくない。
今、何をすべきか。そんなことくらい自分で考えて自分で道を切り開いていかなければ、彼女たちには到底追いつけないんだ。だから、ゴドア司教の指示よりも自分の考えを優先して、思うがまま駆け抜けてきた。
意外なことにゴドア司教からは何も言われなかった。私の行動を黙認してくれているようだ。彼は私が聖女になってから態度を変えた一人だが、媚びへつらうわけでもなく、序列に従った規律通りの対応だった。
実は教会で定められた聖女の地位は司教よりも上らしいのだ。もちろん教会内では私は経験も知識もゴドア司教と比べて全く足りていない。教会内で権力を握りたいわけでもないので、自身の活動以外についてはゴドア司教に頼ることになる。
執務室に招かれ、久しぶりにお会いしたゴドア司教は少し、やつれているように見えた。
席を勧められて着席するなり、司教は本題を切り出した。
「レネ様の後見人を任せていたマナウ神父、いやマナウ・トロアーバは――破門となりました」
思わず立ち上がりそうになった。マナウ神父は私が孤児だった頃からお世話になっていた方だ。彼が破門だって? 何が起きているの?
「王家の秘宝を盗み出したそうです。今、王宮の騎士が必死に彼の行方を探しています」
マナウ神父が? そんな悪いことをするような人じゃない。まだ騎士が探している、ということは罪が確定している状況ではないはず。それなのにもう破門って……まさか教会は、彼を切り捨てたのか!?
マナウ神父が本当に罪を犯したのであれば、教会にとっても私にとっても大きな痛手だ。特に後見人として頼っていた私の、候補生の地位は終わったといっていいだろう。教会の、彼を切り捨てるという判断は、正しい――はず。
いや、しっかり考えろ。ずっとお世話になっていた人を切り捨てて、正しいだって?
それが聖女? それがプリンセスロード?
――判断を、委ねるな。
「マナウ神父に、会いに行きます!」
立ち上がってゴドア司教の執務室を辞する。司教はそれを止めようとはしなかった。
マナウ神父がどこにいるかは分からない。いくつかある心当たりを思い浮かべながら、シエル様とアリー様を引き連れてハイサンド大聖堂を出た、その時。
多くの参拝者の中で、背の高いローブの男がこちらへ向かってきているのが見えた。ただの参拝者だろうけれど、何だか妙に引っかかった。男のローブに描かれた紋章が目に入ったと同時に、シエル様とアリー様が私をかばうようにすぐさま前に出た。
――究導会が、こんなところに現れた?
ローブの男は私たちを一瞥したが、気にも留めずに通り過ぎて大聖堂へ入っていく。
すれ違ったときに一瞬見えた青い髪。鍛えているであろう大柄な体躯。
放置するわけにはいかない。あの男は以前学園に襲撃にきた連中の一人だ。その正体は、シエル様とアリー様の報告を受けて知っている。
シエル様は、立ちすくんだまま青ざめていた。間違いない、今の男は、アクア・ボードイン。シエル様のお兄様だ。
男は大聖堂内の尖塔の方へ向かっていった。マナウ神父も気になるが、こちらも放っておけない。追いかけようとして、けれどアリー様に止められた。何故、と思って振り返ると、アリー様は別の方向を見ながら、驚愕に目を見開いていた。
アリー様が震えながら指差す方をたどった。
そこには……いつの間にか大聖堂を取り囲む、大量のアンデッドモンスターが蠢いていたのだ。
「そんな……! 何、あれ。なんであんなのが……」
周囲の参拝者たちは逃げ惑い、それに反応してアンデッドモンスターが追い回している。
見ている場合じゃない! 我に返ったシエル様とアリー様が、いつもの早い魔法でモンスターに攻撃する。だけど威力が足りない。多少足止め効果があるくらいだ。
アンデッドモンスターの大半は、体が骨だけで構成されたスケルトンと、腐肉のような体のグールのようだ。二人が足止めしてくれている今、私は詠唱を急ぐ。
「広域聖祈浄化!」
アンデッドモンスター相手の対戦なら何度か経験している。弱点である聖属性の浄化魔法を広域に展開した。体から放たれた魔力が、煌めくドーム状の聖域となってモンスターたちを覆っていく。
スケルトンやグールは、浄化ドームに取り込まれると同時に動きが止まって、溶けるように消えてゆく。
このまま魔法を維持していけばここにいるモンスターたちは全て浄化できる……そう思っていたら、突然、轟音が鳴った。
これは……ハイサンド大聖堂の鐘の音だ。
だけど何かおかしい。いつもより鈍く尾を引くように響いている。その耳慣れない鐘の音の響きは――大聖堂を覆っていた浄化魔法のドームを、瞬く間に掻き消していった。