42.第三王子ミエセス2
プリンセスロード選考会の二次審査は、半年後にようやく終わった。
久しぶりに会ったアイリスは、本当に綺麗になっていた。
だけど、僕の顔を見たときに嬉しそうに薄っすらと頬を染めるのは変わってなくて。
それから、会えなかった分の時間を取り戻すようにたくさん話をした。
もう誰も、僕たちの間に割り込まない。割り込ませない。
僕もアイリスもそれなりの立場になったから、役割も責任もたくさん背負っている。なんとか合間を縫って、顔を合わせる時間を作った。春になると、真っ先に庭に咲くアイリスを二人で眺めた。ここは、僕たちが出会った場所だから。
そんな穏やかな日々が過ぎていき、僕は宮廷魔法使いに任命されて、アイリスはウエストパレス学園に入学した。僕の入学は二年先だから、また少しアイリスとの距離が開いた気がした。
宮廷魔法使いになって、いろんな仕事を任されるようになった。
魔物退治や魔法の研究、ポーション製作など。忙しくなってきたので、サポート役の助手をつけてもらえた。
それが、ジョシュア・マーベルだ。
メガネを掛けた優しそうなお兄さんで、長い緑の髪を一纏めにしている。いつも笑顔だけれど、その切れ長の目は時折、笑っていないように感じられた。
魔法の先生が、以前天才だと話していた一人だ。
ウエストパレス学園を卒業して、宮廷魔法使いの見習いとして二年目になった19歳。かなりのエリートのはずだけど、13歳の僕の助手なんてプライドを傷つけられたかもしれない。だけど僕に反発したり逆らったりなんてせずに、よく手伝ってくれている。
最初はうまくやれてたと思ってたんだ。
彼は物覚えが早く、指示を出す前に動いてくれるとても優秀な人だった。だけど、彼は技術も理論も質が高かったけれど、魔力量は平凡だったんだ。これまでは技術で補ってこれたけれど、宮廷魔法使いになるには絶対的に魔力が足りない。僕も彼のために、なんとか魔力量を補うための方法を考えていた。
ジョシュアの笑顔は日増しに薄れていった。そんな彼に、頻繁に接触している貴族がいるようだ。
ウォリック侯爵だ。
オーンハウル兄上からも要注意だと言われていた狡猾な男。ジョシュアに限らず、王宮や学園で伸び悩んでいる魔法使いに接触しているようだ。調べていくうちに、彼が究導会なる組織に支援し、深く関わりを持っているということが分かった。その究導会という組織を調べて驚いた。宮廷魔法使いや王立研究所から辞職した者たちが幾人も所属していたのだ。それに気付いたときにはすでに遅く、ジョシュアも辞任した後だった。
ぼくは究導会に殴り込みに行こうとしたけれど周りに止められた。究導会に移籍した者たちはみんな自らの意思で去り、法的にも何も問題は無かったのだ。
それからは究導会の動向は逐一監視していた。だが特に目立った動きもなく、よくある研究組織の一つに過ぎないだろうという結論に落ち着いた。
ジョシュアが去っていったのは悲しかったけれど、受け入れるほかはないんだ。それから僕は頻繁にウエストパレス学園に足を運ぶようにした。
学園で魔法に伸び悩んでいる学生に指導したり、教師たちと指導方針を話し合ったりした。これも宮廷魔法使いの役割の一つだ。もちろん、アイリスと会う目的もあったけれどね。
***
冬が近くなってきたとき、オーンハウル兄上に呼び出された。
「ヒルマン王国の王太子の就任パーティですか?」
ヒルマン王国は西側にある、農業と鍛冶が盛んな国だ。その国の第一王子が王太子に就任し、記念パーティに我が国も招待を受けた。その王太子が、なんと招待客に僕を指名したそうなのだ。
「パートナーにはプリンセスロード候補生から誰かを連れて行くといい。だが、まだ全員デビュタントを済ませていないのか。取り急ぎデビューさせられるのは、そうだな、バルコデ公爵令嬢くらいか」
オーンハウル兄上もアレクシス兄上も頷いて、僕の背中を押してくれた。ああもう、こういうときは二人とも優しいんだから!
その年の社交シーズンに突入してすぐに、アイリスは社交界デビューを果たす。
残念ながらエスコート役はバルコデ公爵に譲った。何度も交渉したが、父親としてこれだけは譲れないと言われれば引き下がるしかない。代わりにヒルマン王国のパーティに連れて行くことを了承してもらった。
その舞踏会は事前に噂が広まり、バルコデ公爵令嬢の初お披露目ということもあって大盛況だった。
アイリスに似合うと思って僕が贈った白いドレスは、後から聞いたら少し型遅れだったらしい。だけど舞踏会の翌日には、王都中の店からそのタイプのドレスが売り切れた。それくらいアイリスのデビューは社交界に衝撃を与えたんだ。
嫉妬することすら許されない圧巻の美。
若い令嬢からは、もうプリンセスロードは決まったようなものだなんて噂まで出てきた。だけど年配のご婦人方は冷静だね。彼女たちは僕の母上、プリンセスロード・キャサリンを直に見てきた人たちだから見る目は厳しい。美だけでマナーはまだまだだとか、才能はメセニ侯爵令嬢の方が上だとか。
――でもね、アイリスの魅力は、こんなものじゃないよ。
ちょうど公爵とのダンスが終わったようだ。すかさず次の相手として僕が名乗り出る。
いつものように白い肌に赤みが増した笑顔で、ダンスを受けてくれた。
王子と公爵令嬢のダンスだ。会場中が注目してるだろう。ちょうど僕とアイリスの身長は同じくらい。ダンスのカップルとしてはアンバランスだけど――。
曲が始まると同時にできるだけ大きく一歩を踏み出す。
それだけで、予想外の動き出しに会場が沸いた。僕の身長から予測していた動きと違うでしょ。
さらに、スウィングとターンを使ってアイリスを自在に振り回す。いつも鍛錬を見てるから、アイリスの可動域、体幹、筋力などはすべて把握している。難なくついてこれるはずだ。僕が、アイリスの魅力のすべてを引き出してあげる。
そこからスウェイで縦の動きも加えて、三次元的な演出へと発展させた頃には、厳しいご婦人方も息を呑んで目を見開いていた。
何より、アイリスがとても楽しそうなんだ。その笑顔に、老若男女関係なく釘付けになる。
一曲踊り終えたとき、まだまだ舞踏会は始まったばかりなのに、すでに会場は最高潮に達していた。
***
そんな熱気も冷めぬ間に、ヒルマン王国のパーティの日はすぐにやってきた。
「おお、ミエちゃーん。久しぶりだなあ!」
僕を指名したヒルマン王国の王太子。会うなり彼は親しげに話しかけてきた。
子供の頃、ヒューグリフェン王国に留学していた幼馴染。よく遊んでいたおともだちのケニーだ。抱き合って再会を喜びあった。あの頃は僕と同じくらいの身長だったのに、すっかり大きく育っている。ケニーは女の子大好きだったから、アイリスを紹介するのは少し躊躇した。だけど彼にはもう婚約者がいて、仲睦まじい二人を見て杞憂だったなと安心した。
ケニーもその婚約者も、僕とアイリスのことを気に入ってくれて、両国の友誼に大きく貢献できたと思う。
ヒルマン王国での滞在期間を延長して、四人で子供の頃のように遊んだ。ケニーもこの期間が終われば王太子として忙しくなるだろう。今のうちに精一杯羽根を伸ばしておこうと、僕たちを色んな所へ連れ回した。
また一つ、アイリスとの思い出が増えていく。
滞在期間が終わって、アイリスはケニーの婚約者と抱き合って別れを惜しんだ。僕もこれからはケニーとは滅多に会うこともできなくなるだろうけど、ガッチリ握手を交わして、再会を約束した。
帰りの馬車は、二人になって静寂が際立ったように感じた。
外を見たら、ヒルマン王国では珍しく、雪がちらついていた。
ケニーに、帰りに立ち寄るといいとお勧めされた庭園。
着いた頃には夜になって、雪も薄く積もっていた。おかげでヒルマン王国自慢の庭園も、さらに洗練された、優雅な眺めになっていた。
寒くなってきたから、馬車から眺めるだけにしようかと聞いてみた。アイリスは歩きたいって、珍しくわがままを言ったんだ。
馬車を降りて、アイリスと二人で雪を踏みしめた。
星と雪と魔力の粒子がないまぜになって、アイリスを彩り飾り立てる。そんな幻想的な儚さが、いつか消えてしまうんじゃないかって、怖くなって、必死に追いかけた。
幻想を掻き抱いて、無くさないように、壊さないように、大切に腕の中に閉じ込めた。
いつも見上げていた彼女の視線は、いつの間にか少しだけ見下ろすようになっていて。
腕の中の彼女は、わずかに震えていた。
アイリスの瞳も、僕と同じように不安を湛えていた。
ずっと彼女を追いかけていると思っていた。舞踏会で称えられ、プリンセスロード候補生として活躍する彼女に、置いていかれないように必死に駆け抜けた。でも、アイリスはなぜプリンセスロードを目指している? なぜさらに自らを磨き続けている?
僕が、王子だから。僕が、宮廷魔法使いだから。
僕が、綺麗なものが好きだって言ったから。
アイリスも不安なんだ。アイリスも、僕を必死に追いかけてるんだ。
――僕は、ここにいるよ。
思いを、手に、瞳に、体全体に込めてアイリスを抱きしめた。
ようやく、アイリスも笑ってくれた。
そしてどちらからともなく、目を閉じて。
雪が照らす夜の庭園で、初めての口づけを交わした。