38.ミング山脈
ミング子爵一家には歓迎をもって迎え入れられた。
モニカ様は、トゥーリ様を見たときに一瞬ビクッとしていたが、マッキー様とは以前から知り合いだったみたいで仲良くしている。お茶会で何度か一緒になったらしい。
ミング子爵は裏表なさそうな笑顔のおじさまで、ご夫人と仲睦まじいご様子だ。夫人はおしゃべりが大好きみたい。私たちのことや学園のモニカ様の様子をしきりに聞き出そうと、とても朗らかにお話される。そんなご両親を見て、やれやれと呆れつつ苦笑しているのは嫡男のお兄様だ。お姉様もいるそうだが、すでに他家へ嫁入りしていらっしゃるとのこと。家族仲はとても良さそうで、食事の場も笑いが絶えない温かい雰囲気に包まれていた。高位貴族の立場からすると慣れない空気のはずなのに、そんなことも忘れて一緒に笑いあった。
明日にはアレク様も到着するそうだ。王族のアレク様だけど、きっとこの雰囲気も受け入れてくださるだろう。
そうだ。手土産として米俵を持参してきたんだ。モニカ様から事前に、ご家族でお米を召し上がったことがあると聞いていた。お渡ししたらとても喜んでもらえたわ。子爵領にも帝国からの商人が稀に来ることはあるらしいのだが、なかなかお米は手に入らないらしい。モニカ様にはクラブでお米の炊き方をみっちり指南して、もう失敗せずに炊けるようになっている。明日の朝食に出していただけるようなので楽しみにしよう。
寝室は私たち三人それぞれに個室を用意していただいた。寝る前にはモニカ様がやってきて、子爵領の良いところをたっぷり聞かされたわ。結局私の部屋で四人で眠ることになった。でもまあ、パジャマパーティみたいで楽しかった。
翌朝になってアレク様とジーマが到着した。子爵ははじめ堅くなっていたものの、アレク様の人柄に触れ、すぐに緊張がほぐれたようだ。
アレク様たちを迎えての朝食にはお米が出された。モニカ様が炊いたご飯はバッチリ満足できるホカホカ具合だ。アレク様はあれからお米がいたく気に入ったようで、とても嬉しそう。みんなで朝食の白いご飯を美味しく堪能したわ。こうなるとお味噌汁も欲しくなってくるわね。
アレク様たちは今日到着したばかりなので、旅疲れもあるだろうから探索は明日から。今日はモニカ様に街や名所を案内してもらって、観光地巡りをするのだ。現地ガイド付きの聖地巡礼だわ。
よく晴れた青空の下、目立たない街娘の格好をしてモニカ様を先頭に、私、トゥーリ様、マッキー様、アレク様、ジーマの六人で子爵領を巡る。山間いの街だからか朝の空気はとても澄んでいて、私たちは足取り軽く歩き出した。
中央市場やギルド街などの賑わっている区域から、古い建物郡を保全しているエリア、廃鉱山跡を観光地として整備している区画なんてのも見て回った。モニカ様の解説がとても充実してて、時間を忘れるくらい夢中になって見学した。
孤児院の慰問もプリンセスロード候補生としては外せないわね。施設長へ寄付金を渡して子どもたちと触れ合った。王都の孤児院と比べて、みんなの表情は明るいわ。食事もしっかり取れているようだし、建物や備品も不足はなさそう。モニカ様もしばしば訪れているようで子どもたちに大人気だ。
王都や東部地域では、戦後以来、孤児が増えているらしくてどこも運営に四苦八苦していた。資金繰りが厳しくなると、施設の職員たちもピリピリして子どもたちに悪影響を与えてしまう場面もよく見てきた。わたしたち候補生にできることは、できるだけ孤児院を回って、寄付したり子どもたちの息抜きになるような活動をしていくくらいしかできない。レネ様が候補生に加わってからは、レネ様の経験談を元にどのようなことが求められているかがより明瞭になり、その活動頻度も増えた。その頃になると候補生の貢献度稼ぎなんて思惑も忘れて、四人で手分けして子どもたちに会いに行くようになったわ。でも王都から離れた孤児院は、こういう機会でもないと来れないのだ。
孤児院の管理の責任者は各地の領主だが、その運営は教会に委任されている事が多い。
この地の孤児院も例に漏れず、教会の付属として運営されている。先ほど寄付金をお渡しした施設長は、教会の神父様だ。マナウ神父が会いに来たのは彼のことだろうと聞いてみたのだけど、まだ来てないみたい。仲は良いらしいが、毎回先触れもなく突然訪れるのでいつも驚かされるそうだ。今回は驚かなくて済みそうだと笑ってらしたわ。
日が暮れる前に最後に見せたい場所があるとのことで、モニカ様に連れてこられたのは、手入れされた山道だった。人がよく通る場所らしく木々を切り開いて楽に登れるように整備されている。
鍛えているアレク様やジーマは楽々登っているけれど、けっこうな急勾配で疲れそう。モニカ様は色んな人を案内して慣れているようで、私たちの様子を見て速度を落としたり、軽い休憩を挟んだりしてくれる。お陰でくたびれる前に登りきれそうだ。
40分ほど登ると、開けた場所に出た。
おそらくモニカ様は、このタイミングを計算しながら登ったのだろう。
ゆっくりと、茜色に染まりつつある空。
向かいの山脈が沈みゆく夕日に照らし出され、山頂の古代遺跡郡を浮かび上がらせる。
山の麓には、今日一日巡った領都の街並みが一望できた。あそこに子爵たちや、市場の店主たち、ギルドの職員、街の人々、子どもたちや神父様。今日会った人たちだけでなく、たくさんの子爵領の人たちが暮らしてるんだ。それは――視界に映る景色の、ほんの一部。大半は、人のいない山や森だ。
人々はこの大自然の中、寄り集まって街を築き、文明を育て、繋いできたんだな。
古代遺跡郡に視線を移すと、建物の基礎だけだったり、崩れかけた壁や石垣、柱だけが立っていたり。それらを結ぶ窪んだ道。かつては人の営みがあっただろう痕跡が、麓の街のにぎわいと対照的に、ひっそりと存在している。
それら過去も現在も、人も街も、山も森も区別なく、丸ごとまとめて真っ赤に彩る太陽。背後からはそれすら覆わんとする夜の帳が追いかける――。
頬にハンカチが当てられるまで、私がリズリーであることすら忘れて、立ち尽くしていた。
心配そうに見守ってくれていたアレク様に、私はめいっぱいの笑顔を向けた。