32.子爵の訴え
「このような手段でお会いしたこと、お詫び申し上げます。ですがこうでもしないと、聞き入れてもらえないかと」
ボードイン子爵は大して悪びれもせず、ルドック大使を睨みつけながら弁明した。年はルドック大使と同じくらいか。一応身なりは整えているものの、雑に撫でつけた髪や無精髭が荒々しい印象を受ける。
ボードイン子爵っていえば……、あっ、シエル様のお父様じゃない!
ボードイン家については以前、トゥーリ様とマッキー様に調べてもらったことがあるわ。たしかさっきの話題に出てた王国と帝国との戦争で、活躍した方だ。ジーマたち若い騎士の間でも語り草になるくらいの猛者だったらしい。当時は男爵だったボードイン家の若き当主として戦場に赴き、剣に魔法にと獅子奮迅の働きをして子爵に陞爵したという話だ。だが、その戦争で奥方を亡くされたそうなのだ。数年後に後妻を迎え、シエル様が生まれたそうだが、その扱いは決して良くなかったとか。
「私は武人なので回りくどい話し方ができません。率直に言わせていただきます」
そう言って子爵はルドック大使に指を向けた。
「帝国は――再び戦争を始めるつもりです!」
え――?
とんでもないことを言い出したと驚いたが、周りの方々は予想がついていたのか、やはりか、といった面持ちだ。
ルドック大使などは目をつぶって首を振り、やれやれと呆れている。
「ありえませんね。父たちが必死の思いでこぎつけた停戦協定です。わざわざそれを破棄しようなどと考えるはず無いじゃないですか」
誰もが子爵に冷たい視線を送っている。以前から同じような訴えをしていたということか。
「子爵。貴方はかつて王国を守った偉大な方だ。王国を思う気持ちは誰よりも強いのだろう。だが、その気持が少し、違った方向に向いているのではないか?」
アレクシス殿下もボードイン子爵をなんとかなだめようとしている。
「貴方が究導会に肩入れしているのもそのためか。帝国に対抗して、王国の武力を高めようと究導会に支援しているのだな?」
子爵が否定する様子はない。アレクシス殿下が指摘した通りなのか。究導会の研究に支援している貴族がいるとは聞いていたが。
そうか。シエル様が究導会に関わったのも父である子爵の指示なんだ。
マッキー様が集めた情報によると、シエル様も、彼女と仲が良かったアリー様も子供の頃は快活でよく笑う子だったそうだ。だけどある時期から、二人とも姿を見せなくなった。おそらくその頃から究導会で訓練させられていたのだろう。ウエストパレス学園に入学して再び姿を現したときには、あの冷徹な、笑わない表情の令嬢に変わってしまっていたのだ。
子爵は、実の娘を戦争に送り込むために組織に加入させたのか?
ずっと対立状態だった帝国に対して、良くない感情を抱いている人が大勢いることは知っている。ましてボードイン子爵は戦争で奥方を亡くされているのだ。帝国を恨むな、なんてとても言えない。だけどその感情を次の世代まで持ち込むのはやめてくれ。
「――ウォリック侯爵領の難民街だ。そこを調べてみてください」
ボードイン子爵は諦めずに新たな提言を出してきた。
ウォリック侯爵領といえば、ラースロー帝国と国境を接した領地だわ。帝国からの移民や亡命者が、王国内でひっそりと暮らしている場所があると聞いたことがある。
「帝国からやってくる商人たちの一部が、王都に来るまでに必ずその難民街を通っているのです。そこに、密かに帝国から武具や兵士を送り込んでいるはずだ。頼みます、難民街を調べたら分かるはずなんだ!」
帝国からの商人? そういえば以前アレクシス殿下と東地区に行った時、妙に帝国からの商品が増えているという話をした。たしか衣類を中心とした嵩張らない日用品だ。……何かを運び込むための偽装、と考えれば……辻褄は合う。それに難民街を通っているというならば、それは結構な遠回りになるはずだわ。大して儲かりそうもない難民街を商人がわざわざ通るだろうか?
「子爵、それは難しいんだ。ウォリック侯爵領の難民街は、帝国の領事館が管理している。武具を持ち込んでいるか調べさせろなんて言えば、外交問題だ。それこそ戦争を始める口実にされてしまうぞ」
「だがそれで武具が出てきたら帝国を追求することができる!」
「出てきたら……だろう?」
そこへルドック大使が割り込んできた。
「アレクシス殿下。私が話を通しましょう。難民街を調べてもらっても構いません。武具など絶対に出てこない!」
いや、それはそれで問題だ。武具など出てきませんでした、良かったねで終わる話ではない。疑いをかけたという事実は残るし、ルドック大使に再び借りを作ることになる。こちらとしては何のメリットもないし、逆に万が一武具が出てきてしまったら、帝国との関係は急速に悪化してしまうだろう。
それらを全て分かっていてルドック大使は申し出たのだとすれば……?
「難民街は調べない。ボードイン子爵、この話は以上だ」
アレクシス殿下はそう決断を下した。
「畜生! やっぱり噂通り第二王子は腰抜けだった! こんなことならオーンハウル殿下に陳情するんだった!」
暴れ出した子爵を公邸の衛兵が取り押さえる。
「静かなところで少し頭を冷やすといい。連れて行ってくれ」
アレクシス殿下は衛兵にそう指示を出した。おそらく子爵を王都で見ることはもう無いだろう。さすがに大使公邸で騒動を起こしては擁護のしようもない。
「腰抜け、か。ルドック卿もそう思うかい?」
連れて行かれる子爵を横目に、苦笑いで問いかけるアレクシス殿下。ルドック大使は大げさに首を振った。
「英断ですよ。これで帝国と王国の平和は保たれました」
そんな大使をアレクシス殿下は――冷めた目つきで見た。
「ルドック卿。今回いくつかの品目の関税を下げさせてもらったよね。その際、代わりに積み荷の検閲を厳しくするように指示したんだ。関税が下がったんだからと一部の商人には納得してもらえたが、何故か衣類など増えていたはずの商品の輸入が著しく減ったんだ。せっかく関税を下げたのに。何故だろうね?」
ルドック大使は表情を崩さず、分かりかねます、とだけ答えた。