15.聖女レネ・アーデン1
物心ついたときには、すでに孤児院で暮らしていた。
「これもーらいっ!」
「あっ、かえしてよ~!」
意地悪な男の子が私のお皿からおかずを取っていく。私がちびだからそんなに食べなくていいだろう、なんて言いながら。
ご飯は食べさせてもらっているけど、いつも取られるから腹ぺこだし、ちびのままだ。
ある時その意地悪な男の子が、庭で棒切を振り回しながら年下の男の子を追い回していた。本当に嫌な子だ。大人の人を呼んでこようとしたら、叫び声が聞こえた。どうやら追っかけてた方の男の子が、転んだようだ。
ちょっと心配になって駆け寄ったら、転んだところにちょうど大きな岩があったようで、そこにぶつかったのか、額から血がものすごい出ていた。大変だ! 追っかけられてた子は血を見て青くなって腰を抜かしている。他の子も遠巻きに見てるだけだったが、私はすぐさまお気に入りのハンカチを取り出して彼の額に当てた。
ハンカチは一瞬で真っ赤になった。
「止まって! ねえ、止まってよ!」
ハンカチはすぐに使い物にならなくなったので、履いてたスカートを引っ張り上げて額に当てる。
「誰か来て! 死んじゃう! 誰か! 大人の人呼んで!」
周りの子はどうしていいかわからず、おたおたと顔を見合わせるだけ。
怪我をしたのは嫌な子だけど、今はそんなこと気にしてる場合じゃない。助けなきゃ! だけどどうしていいかわからない。お願い助けて! 祈りを込めてスカートで男の子の額を押さえつけた……その時。
「「わあああっ!」」
私を中心にして眩しいくらい光が溢れた。そして私の意識はそこで途切れた――。
目を覚ました時、そこはいつもの孤児院ではなかった。
どうやら、少し離れたところにある教会の寝室のようだ。いつもお話を聞かせてくれるマナウ神父がそばで寄り添ってくれていた。神父の話によると、あのあと大人が駆けつけた時、私と男の子は、血まみれになって折り重なるように倒れてたんだって。そして不思議なことに男の子は傷一つなかったらしい。
それから、日常が慌ただしく変化した。
私は孤児院から教会に移り住み、教会の偉い人が何人もやってきて、いろんなことをやらされた。透明なガラス玉に力を込めたり、怪我人を連れてきてあのときと同じようにさせたり。日によって怪我人は治ったり治らなかったりしたけど、教会の人たちはしだいに興奮するように慌ただしく駆けずりまわっていくようになっていった。
「レネちゃん、あなたには聖女の素養があるわ」
教育係になった優しそうなシスターが、嬉しそうに教えてくれた。聖女って何? よくわからない。
聖女になるには確かな身分が必要になるから、私は領主様の養女になるんだと言われた。別に聖女とかになりたくない。孤児院に帰りたい。そう言うと、あの孤児院も領主様が建てたんだって教えてくれた。ということは、領主様は私の恩人になるんだ。と、そんな訳で、私は領主様の養女になることを了承した。
私が住んでいた孤児院や教会があったのは、アーデン伯爵領だ。
そこの領主様、アーデン伯爵夫妻は40代で未だに子がおらず、私のことをとても歓迎してくれた。
「まあ、こんな可愛らしい子が私たちの娘になってくれるの!」
出会った瞬間、品の良いご夫人に抱きしめられた。旦那様も夫人と私の背中に手を当て、笑顔で迎え入れてくれた。与えられた個室はとても広くてフカフカのベッドや可愛らしい家具が揃っていた。淡いピンクのカーテンはすぐにお気に入りになった。使用人の方々も、元孤児の私を見下すこともなく、とても親切にお世話してくれた。貴族令嬢のマナーを覚えなければならなかったけど、夫人が優しく丁寧に教えてくれたので全然苦にはならなかった。
アーデン伯爵家に来てからずっと幸せだった。孤児院からこちらに来て本当に良かった。思えば、この伯爵家で暮らした一年が、私の最も幸せな時期だった。
伯爵家に来てから一年と少し経った時、寄り親であるウォリック侯爵がやって来た。
侯爵は私の暮らしを見て、アーデン伯爵夫妻を厳しく叱りつけた。どうやら私のマナーが全然基準に達していなかったらしい。怒鳴り声を上げ、夫妻や使用人を罵倒し、なだめようとした伯爵を殴りつけた。
「おやめください! 私が、私が至らないのが悪いのです! 夫妻にはとても良くしていただいてます!」
「ええ、聖女様。何も心配いりませんよ。これからはもっと良い教育係をつけますからね」
侯爵は、アーデン夫妻と接する時とはガラリと態度を変えて、私にはにこやかに、卑屈なくらい平身低頭に接した。
そして私は夫妻から引き離され、王都に移り住むことになった。
与えられた個室は広くはあるものの無機質で家具も少なく、全体的に白で統一されていた。クローゼットには飾り気のない白いワンピースが数着あるだけ。本棚には聖書や、読めそうもない難しい書物が並んでる。
ここで毎日勉強することを義務付けられた。アーデン夫人とは真逆の、一切笑わない教育係の夫人がやって来て、マナーや教育を一からやり直しさせられた。教育は朝早くから日が沈むまで毎日行われた。何度も叱られて、時には鞭で打たれることもあった。外に出ることも、手紙を出すことも許されず、教育係の夫人にアーデン家のことを何度も聞いたが、教えてくれなかった。
「聖女様の出来が悪いと、アーデン夫妻が罰を受けることになりますよ」
失敗した。私を鞭打つより、アーデン夫妻への罰をちらつかせた方が効果的だと気づかれてしまった。これ以上世話になった夫妻に迷惑をかけるわけにはいかない。私は本格的に教育に向き合うことにした。それからは必死になって勉強した。
ウォリック侯爵は私を養子にしようと唆してきたけれど、私はこれだけは断固として拒否した。アーデンの名前だけは捨てるわけにはいかないんだ。侯爵は、まあどちらでもかまわんか、と最終的には引いた。これが、私が伯爵家を出て通した唯一のわがままだ。
貴族令嬢としての教育が一通り済むと、今度は正式な聖女になるための教育が始まった。それに伴い、あの白い部屋から王都の大きな教会に住居を移した。ハイサンド大聖堂というらしい。そこの責任者はゴドア司教という教会内でもとても偉い人のようで緊張した。大きな体で人の良さそうな笑顔を浮かべていたが、その目は笑っていないと感じた。
聖女の力を引き出すため、清貧を求められた。
日が昇る前に起床し、大聖堂内の清掃。食事は一日一回、薄いスープと硬いパンの朝食のみ。午前中は聖書の朗読や勉強、マナーのおさらい。午後からは参拝者への対応。怪我人の治療や穢れた品の浄化など、魔力が空っぽになるまで働かされた。日が沈むと祈りの時間だ。ただ一人、目を閉じ両手を組んで、女神像に向かって延々と祈り続ける。いつまで、とは指示されていない。長ければ長いほど良いとされ、監視されているわけではないけれど、毎日眠気に耐えられなくなるまで続けた。一度だけ、二時間程度で切り上げた時があったが、ゴドア司教の胡散臭い笑みを向けられただけで何も言われなかった。次の日の朝食は無かった。
はっきり言って孤児院時代よりもしんどい生活だった。孤児院といえば王都の孤児院の慰問にも訪れたが、そこはアーデン伯爵領の孤児院と比べてかなり劣悪な環境だった。ゴドア司教によるとこれが平均的な孤児院の姿らしい。伯爵領の孤児院では量は少なかったものの毎日二食は食べられたし、たまにデザートが出ることもあった。世話係の人も怒ると怖いけど親身になって世話をしてくれた。王都や他の領の孤児院では食事は一日一回だし、世話人は子どもなど放ったらかしか、しつけと称して殴ったりするらしい。つくづくアーデン伯爵領の孤児院は恵まれていたんだな、と感じた。
そんな生活を続けてまもなく15歳になろうかという時、ようやく聖女と認められた。
100年ぶりの聖女誕生に、王都は大きく沸いたそうだ。就任式も催され、盛大に祝福された。
そして、春からウエストパレス学園に通うことになった。