第四章 明かされる運命
翌朝、胡蝶は早くから父の手記を開いていた。これから読む部分は、最も過酷な記録になるはずだった。
『事態は思わぬ方向に進展している。花柘榴の失踪により、遊郭では大騒ぎになっているという。そして、その疑いの目が、出島の通詞である私にも向けられ始めた』
「おばあ様、これは……」
雪路が震える声で母の日記を読み上げる。
『此の記録は、我が子への伝言として、天草にて再び開くべし』
胡蝶は静かに目を閉じた。この時期の記録こそ、彼女の運命を決定づけた日々の記録なのだ。
「父上は、もう自分の運命を悟っておられたのですね」
雪路の言葉に、胡蝶は深くため息をついた。
『井坂玄瑞が、昨夜、自宅で捕らえられたという。老人に対する拷問は、既に始まっているとのことだ』
父の手記のその一節に、胡蝶の心が痛んだ。井坂玄瑞――彼もまた、信仰を守るために命を落とした一人だった。
「母の日記には、この時のことがどう書かれているのでしょうか」
雪路の問いに、胡蝶は母の日記を開いた。
『デ・ハーン医師が青い顔をして来訪。「井坂殿が捕らえられました」天草殿の身を案じる気持ちで、胸が潰れそう』
二つの記録は、同じ出来事を異なる視点から描いていた。父の冷静な筆致と、母の感情的な文体。しかし、その根底にある想いは同じだった。
『今日、ついに私も召喚を受けた。奉行所の役人が、出島の通詞部屋まで迎えに来たのである』
父の手記のその一節を読んだとき、胡蝶の手が震えた。
「これが、父上との最後の別れになったのですね」
雪路の声も震えていた。
『ついに、その報せが届く。天草殿が捕らえられたという。「お命が惜しければ、改宗なさるよう」医師の伝える言葉に、涙が溢れる』
母の日記には、その悲痛な想いが生々しく記されていた。
「父上は、最期まで信仰を守られた……」
胡蝶は、父の手記の最後の部分を開いた。
『わが子よ。父は御身を、直接その腕に抱くことは叶わなかった。だが、御身の人生の一歩一歩に、必ず私の祈りが寄り添っていることを忘れないでおくれ』
その言葉に、胡蝶は思わず涙を落とした。五十年の時を超えて、今やっと届いた父の言葉。
「母の日記の最後の部分も……」
雪路が、震える手で日記を開く。
『わが愛しき子よ。汝の父、天草朔夜殿は、最期まで信仰を守り、そして汝の誕生を心待ちにしておった。この記録に記されし符牒の意味を理解する時、汝は我らの血を引く者としての自覚を持つであろう』
窓の外で、一陣の風が吹いた。桜の花びらが、舞い散っている。
「父母は、きっとこの日を想像していたのでしょうね。私がこの記録を読む日を」
胡蝶の言葉に、雪路は静かに頷いた。
その時、古い数珠の中から、小さな紙片が落ちた。それは、母の筆跡で書かれた最後の暗号文だった。
『<月は満ち、新たなる夜明けを待ちて>』
「新たなる夜明け……それは、今この時なのかもしれませんね」
雪路の言葉に、胡蝶は深く頷いた。五十年の時を経て、父母の想いは確かに届いた。そして今、新たな世代へと受け継がれようとしている。
庭の桜が、静かに花びらを散らしていた。その一枚一枚が、まるで父母からの手紙のように思えた。




