第五章 真実の行方
夜も更けた天草の屋敷で、胡蝶は最も重要な記憶へと語りを進めていった。月が西に傾き始め、庭の木々が深い影を落としている。
「あれは、確か一週間ほど前のことじゃった。古い蔵の整理をしていた時のことじゃ」
雪路は息を呑むように聞き入る。
「黒漆の箱を見つけたのは、雪路、あなたじゃったな。『天草家記録』と記された、長年誰にも開かれることのなかった箱」
胡蝶は古い数珠を握りしめながら、その時の記憶を辿る。
「箱の中から出てきた二つの記録。『ある殉教者の手記』と『花柘榴の日記』。その文字を目にした瞬間、私の手は震えが止まらなかった」
「お父様とお母様の……」
「そうじゃ。父・天草朔夜の手記と、母・花柘榴の日記。五十年の時を超えて、やっと私の手元に届いた真実」
胡蝶は立ち上がり、月を見上げた。
「父の手記には、出島での日々が克明に記されていた。通詞としての表の仕事と、密かな信仰を守る裏の顔。そして、母との運命的な出会い」
夜風が、二人の間を静かに通り過ぎる。
「そして母の日記。丸山遊郭で遊女として生きながら、ひっそりと信仰を守り続けた日々。そこには、私を身籠った時の喜びと不安も記されていた」
「まさか……」
「そう、そしてさらに驚くべき事実が、その記録の中にあった」
胡蝶は雪路の方を向いた。
「母の日記の中に、『山本篤志医師』の名前があった。彼は母の出産を産婆とともに助け、そして密かに私を天草へと運んでくれた人物。そして雪路、それがあなたの父のお名前じゃ」
雪路の顔が青ざめる。
「私の……父が?」
「そう。あなたもまた、同じ信仰の系譜に連なる者じゃった。そして、それは決して偶然ではない」
胡蝶は古い数珠を雪路に差し出した。
「この数珠に刻まれた暗号『月は満ち、新たなる夜明けを待ちて』。これは、世代を超えて受け継がれてきた、私たちの魂の記録なのじゃ」
雪路の手が震える。
「では、私とおばあ様の出会いは……」
「そうじゃ、これは単なる偶然ではなかったのじゃ」
月の光が、二人の姿を優しく包み込む。
「雪路、あの雨の日の出会いを覚えているかい? あの時、私の差し出した傘の柄が月の形をしていたこと」
「はい……」
「あれは、きっと導きだったのじゃ。私たちの魂が、互いを見出そうとした証なのかもしれない」
胡蝶は窓辺に立ち、遠くの山々を見つめた。
「そして今、私たちは新たな時代の入り口に立っている。もう、信仰を隠す必要はない。でも、先人たちの想いは、しっかりと受け継いでいかねばならない」
雪路は静かに立ち上がり、胡蝶の傍らに寄り添った。
「おばあ様。私、やっと分かりました。本当の親とは、血のつながりだけではないということを」
「そうじゃ。それは魂のつながり、信仰のつながりなのじゃ」
夜空に、一筋の流れ星が煌めいた。
「さあ、物語はまだ続くのじゃ。今度は私たちの手記を、次の世代に残していかねばならない」
胡蝶の声は、静かな決意に満ちていた。庭の木々が風に揺れ、月の光が銀色の波紋を描く。その光は、まるで未来への道標のように、二人の前で静かに輝いていた。
(了)