トタングワック
キャサリン・フォードは、あやとりが好きだ。三度の食事より、友達との会話よりも。両親はそののめり込み方を心配し、度々あやとり禁止令を出す。しかし、禁が解かれると、またすぐにあやとりを始めるのだった。
ところで話は変わるが、カナダやアメリカの、あやとりが好きな子供達の間では、ある恐ろしい噂が広まっていた。夜遅くまで一人であやとりの練習をしていると、『トタングワック』がやってきて、哀れな子供を攫っていくというのだ。
大方の子供は、すっかり怖がって、夜更けの一人遊びを控えるようになった。だが、少数派ではあったが、勇敢にもわざとあやとりを寝る前に始め、トタングワックを待ち受ける子供もいた。
トタングワックはどうやら本当にいるらしい。大のあやとり好きのジェイムズやナンシーが行方不明になった。夜、両親が寝ている間に。子供達は寄ると触るとその話ばかりをしている。空っぽの寝室に、あやとりの紐が落ちていただとか、子供を袋に入れて運ぶ怪しい男を見ただとか。そして、誰もあやとりをしなくなった。
キャサリン・フォードを除いて。
キャサリンは、町のあやとり仲間が学校に来なくなった後、一層あやとりに精を出した。せっせと新しい技に挑戦し、習得した。図書館からあやとりの本を沢山借りた。
トタングワックの話は、キャサリンにあやとりを教えてくれた祖父からも聞いていた。そいつは、子供とあやとり勝負をしようとするらしい。最初は簡単なお題を出して、子供を勝たせる。だが最後には、とんでもなく難しいお題を出して、降参した子供を……。
キャサリンは、そのお題の中身も知っていた。あやとりの技の中でも最高に難しい。その名も……
「トタングワック!」
キャサリンが呟いた時、窓の向こうの月が俄に雲に隠れ、彼女のいる部屋は暗くなった。
それでも、彼女は手を休めなかった。ダイヤモンド、エッフェル塔、蜘蛛の巣……次々と飛ぶように形を変えていった。
手元に丸い影が落ちた。彼女が顔を上げると、見知らぬ男がすぐそばにいた。
「あやとりが好きなのかい?」
キャサリンはどきりとしたが、きっぱりと答えた。
「ええ、そうよ」
「では、私と勝負をしないかい?」
「ええ、いいわ」
キャサリンは、男の目を見て言った。不思議なことに、こんなに近くにいるのに、彼の顔は少しも頭に残らないのだった。
「勝負の前に、取り決めよ。わたしはキャサリン・フォード。あなたの名前は?」
「トタングワック!」
彼は低い声でそう言った。だが、だが、キャサリンは眉一つ動かさなかった。この男にとって初めてだ。最初に名前を聞かれたことも。
「三回、勝負をしよう。君が三度お題をこなせば、そっちの勝ちだ。だが一つでもできないお題があり、それを私が成功させれば、私の勝ちだ。いいね?」
「だめ」
キャサリンはそう言い返した。
「夜は短いのよ。三回も勝負する必要なんてない。あなたは一つだけ、お題を出して。もしそれができなければ__私の負け」
トタングワックは、無謀な小娘を見下ろし、ゆっくりとうなずいた。
「よかろう」
キャサリンは、あやとりの紐をもてあそびながら、促した。
「それで、お題は?」
「__『トタングワック』」
『トタングワック』の絵をあやとりで作るのは、途方もなく長い紐が必要である。おまけにその絵は複雑で、完成させるまでに恐ろしく手間と時間がかかるのだ。
キャサリンの友達は、こうして、トタングワックにやられたに違いない__キャサリンは黙ったままそう考えた。卑怯なやり方だ。
彼女を待つトタングワックは、ほくそ笑んでいるようだった。
「どうした? できないなら__」
トタングワックは手の中の紐をたぐった。切れることのないぬらぬらとしたその紐は、トタングワック自らのはらわたである。
その時、キャサリンはにっこりと笑った。
「見て」
訝しむトタングワックの目の前で、自分の部屋の扉を大きく開いた。差し込む月の光に目を細めた後で、トタングワックはあっと驚いた。
部屋いっぱいに、糸が張り巡らされていた。誰が見ても分かるほど、はっきりと背の高い男の姿が糸で描かれていた。トタングワックは、その絵が何か知っていた。キャサリンも、知っていた。
「トタングワック!」
彼はその部屋に飛び込み、その絵を隅から隅まで睨みつけた。間違いが少しでもあれば暴いてやるつもりだった。だがじきに、完璧だと認めざると得なかった。
トタングワックは、キャサリンに振り向いた。少女は静かに笑っていた。彼女の頬は興奮と期待、そしてほんの少しの不安で紅潮していた。
このお題を完成させるまでに一体どれほどの時間を費やしたのだろう__どんな本にも、『トタングワック』の作り方などは載っていないはずだった。トタングワックは、自分の姿を模した絵を形成する糸が、所々小さな結び玉でつながっていることに気がついた。いくらでも長い長い紐を用意できる自分にとって想像もつかない工夫だった。
「君の__勝ちだ」
キャサリンは拳を握って喜んだ。
「ジェイムズやナンシーを、返してくれる?」
トタングワックは小さく溜息をついた。
「よかろう」
「それから__」
キャサリンは目を輝かせて、トタングワックにお願いをする。
「私、ずっとやってみたかったことがあるの!」
ジェイムズやナンシーが両親の元に戻ってきた時、二人共攫われた時のことは全く覚えていなかったが、夢でキャサリンに会ったと語った。実に示唆的な夢である。
何故なら、キャサリンは彼らと入れ替わりに姿を消してしまったからだ。
家族も、友達も、誰も想像もつかないような場所にキャサリンはいた。そこには、トタングワックのすみかがあった。それから、決して途切れることのないあやとりの紐と、彼女が住んでいた町の実物大の地図もあった。
キャサリンは今、トタングワックと共に、今まで誰も挑戦したことがないような大がかりなあやとりをしている。当分、家に帰るつもりはない。町そのものを描いたあやとりが完成したら、夢の中で友達や家族を招待するつもりなのだ。