第一話
「紫城美月ちゃん、殺されるらしいよ?」
「…あ?」
放課後の教室で、俺はそんな、親友が唐突に発した剣呑な言葉に、思わず同じく剣呑な声音で、呆けた声を上げた。
「だからさ、美月ちゃんが狙われてるんだって」
「おい姫薔薇、全然笑えねえから。お前の実家での扱いくらい笑えねえから」
「言えてるじゃん、姫ややウケ」
ややウケ、じゃねえんだよ。生憎俺はお前の冗談みたいな発言にも、クソみてえなお前の実家にも、全然笑えてねえんだわ。
「で、マジにマジなのか?その情報」
「まず、間違いない。なにせ、爺が言っていたからね。【管理局】から協力要請が届いたって」
「…ようやく重い腰上げた、って訳かよ」
下部組織に扱い一任しといて、今更デカい顔して出てくんじゃねえよ。俺たちがどれだけ苦労したと思ってやがる。俺たちが、どれだけ長い時を、あいつと過ごしたと思ってやがる
「いいじゃん、歯向かってやろうよ。戦争だ戦争」
「二人で勝てると思うか?」
「二人でやると思ってる司に驚きなんだけど?」
真顔でドン引きしてんじゃねえぞ。お前の言葉にドン引きしてんのはこっちだからな。
「バカ九郎は呼べば来るでしょ?それに司あれじゃん、【骸】につてあるじゃん。【怪物】呼んでよ【怪物】」
「亜肚は流石に巻き込めねえだろ。覇王さん【管理局】出身だぞ」
下手すりゃ敵対もあり得る。考えるだけで嫌気がさす。てか入れても四人じゃねえか、五十歩百歩だろ。
「てか、ちょっと待て。さっき協力要請って言ってたが」
「うん。【院】全体に向けてね。それ以外にも、国内外問わず有名所には粗方送ったみたい」
「…なら、お前も九郎も巻き込めねえよ」
俺がそう言うと、二人で囲んでいた机を姫薔薇が叩いた。か細い腕ではそれほどの威圧感はなかったけど、俺は姫薔薇がそんなことをしたことに、とても驚いた。
「あは、愛しの美月ちゃんが死んでいいならそうしろよ」
嘲るように言ってから、姫薔薇は俺の胸ぐらを掴んだ。
「舐めんなよ親友、姫が伊達や酔狂でこんな事言うと思う?狂ってるのは否定しないけど、は、だからこそ姫は裏切らない。何があっても、姫は姫の道を行くから」
「…なら、力を貸してくれ。俺だけじゃ、絶対に無理だ。お前の最悪を、俺に全部貸してくれ」
「よく言えました。抱きしめてやりたいよ本当に。まあ、泥舟に乗ったつもりでいなよ。【管理局】だろうが爺だろうが、全員沈めてやるからさ」
発破をかけてくれた姫薔薇に、伝えてやると、にっこりと、満面の笑みを浮かべてくれた。こいつが隣にいてくれることが、何よりありがてえ。
「おいおいおい!司、クソ姫!のんびりしてる場合じゃねえぞ!」
「おー、バカも来たじゃん」
本当、ありがてえよ。俺を信頼して、力を貸してくれる奴がいるってことは。
三人、もしかすれば四人。心底心許ない人数、だが、こいつらが味方なら希望は見えるか。
こうして俺は、彼女を殺す世界に剣を向けることに決めた。
*
君は誰?
ああ、ごめん。ちょっと冷たく聞こえたかな。
ここに私以外の人が来たのは初めてだから、ちょっと動揺しちゃった。
で、君は誰?
ああ、そっか。外から来たんだ。
なら、この世界のことは、よく知らないよね。
司と話してた子は、十刻院姫薔薇くん。凄く面白い子だけど、他人と少し見ているものが違うから浮きがち。でも、司とは馬が合うみたいで、仲が良すぎるくらい仲良し。嫉妬しちゃうくらい。
最後に駆け込んできたのが、八司院九郎くん。実は、九郎くんとはまだ一度も会ったことないから、よく知らない。司は良く、九郎くんのことを磨かれてない原石って呼んでる。それくらい、才能があるんだろうね。
そして、近衛司。私の大好きな人。私を、殺してくれる人。
そう言えば私はまだ名乗ってなかったね。私は、紫城美月。神格者NO.7【征服者】。私は近い未来、この世界を滅ぼすことになってる。
君の世界でも、きっとそうだったんじゃないかな?
*
「あ?今日?」
「そうだよ今日!少なくとも、八司は今日の時点からの作戦参加を依頼されてるみてえなんだよ!」
勢いよく駆け込んできた、九郎の言葉は俺が驚くに足るものだった。
想定より、大分早い。【院】は日本における最大級の勢力だ。財閥として表舞台にも立つ【院】は、九つの家で成り立つ集合体だ。当主である二条院家からの命は、手足である三から十の家には即座に命が伝えられる。そのため、時間には多少の余裕があると思っていたのだが。
(それほど切羽詰まってるってことか?)
確かに、美月の体調は悪化傾向にあるが、前例が無いほどではない。それ以外に何かあったのか?心当たりはない。だが、【管理局】の行動に影響を及ぼした、頭をよぎる名はある。が、同等以上に気になることもある。俺は一旦その名を置いておき、別の事項から確認することにした。
「八司、っつうか供花さんの意向は?」
「流石に姉ちゃんは協力できねえが、八司全体としては何とか不参加まで持ち込めた。だから少なくとも、神人二人と戦わなくて済むぜ」
「ま、いいニュースと言って良いんじゃない?姫と司と言えど、あの二人には勝てる算段が十分とは言えないし」
姫薔薇の言う通りだ。俺も姫薔薇も、接近戦においてはあの二人に何歩も劣る。優位な状況に持っていければいいが、そう都合良くは行かないだろう。ひとまず、この点に関しては安心しておくことにする。
「俺は端から戦力外かよ」
「当たり前じゃん。お前のこと知らない奴らならともかく、お前の手を知りきってる二人に勝てるわけ無いじゃん」
「逆に言えば、若虎共相手でも十分勝ち目があると思ってるって言いたいんだよ、姫薔薇は」
姫薔薇が相変わらずツンデレぶったことを言ってやがるから、俺がお優しくフォローしてやると、頬を膨らましてぽこぽこ殴ってきた。かわいい奴め。
「イチャイチャしてねえでさ、どうすんだこれから」
「ああ、さっき夏織ちゃんにリアルタイムで市内の状況送って貰うように頼んだから、それを見てから指針を立てよう」
「【院】、巻き込むねえ」
「夏織ちゃんはうちの所属でもあるだろ?」
九窓院は当主たる刃羽さんも師匠繋がりで長年協力関係にある仲だ、遠慮はしねえよ。ま、あの面倒くさがりは嫌がってるだろうが、状況が状況なだけに断りはしねえだろ。
「と、早いな」
言ってる間に、夏織ちゃんから着信だ。
「もしも―」
『ちょっとちょっと!司くんどうなってんのヤバイよ!』
「落ち着け、何があった」
『【管理局】だけじゃない!【退魔連合】も、【集会】も、【教会】も、【企業】も、【騎士団】も!とんでもない数の勢力が、この街に入り込んでる!』
は?声も出せないほどの困惑が、俺に襲いかかる。
夏織ちゃんは何故こんなに焦っている?情報収集のエキスパートたる、九窓情報局の一員である彼女が、何故この情報を今まで知らなかった?
考えれば、おかしな点はあった。なんで、彼女は美月殺害計画の件を知らなかった?姫薔薇や九郎と同じく、【院】の所属である彼女が知らされていないはずがないのに。
「待て、待て待て!つまり、夏織ちゃん。俺らは」
『そうとしか、考えられない。本局が、刃羽兄さんが!私たちを切り捨て―』
一瞬だけ、雑音が奔った。そして、そのまま通話は途絶えた。
九窓情報局が電波を途絶えさせるわけがない。可能性は、一つだけ。
「クソ!気づかれた!」
怒りと悔しさと後悔の余り、俺は携帯を叩きつけた。なんて、迂闊!【管理局】には、あの人がいるのに!
駄目だ落ち着け、怒りに身を任せるな。少なくとも、本部は大丈夫だ。海さんに離塚さん、勘定に入れたくねえが九十九も控えてる。これを突破するには、【管理局】側もある程度の覚悟が必要だ。それよりも今は俺たちが出来るだけのことをするしかない。
ひとまず、夏織ちゃんとの通話で分かったことを二人に伝えた。
「…冗談じゃ、ねえんだよな?」
「ま、ありうる話だろうね。美月ちゃんを本気で殺すつもりなら、その程度は集めて然るべきだし」
驚愕した九郎に対し、大して驚いた風でもない姫薔薇。ここら辺は、美月の異能を知っているかいないかの違いだろう。俺は勿論、姫薔薇の感想に賛成だ。何なら、これでも足りないとさえ思える。
「で?どう動く?」
「ひとまず、外に出る。通話が察知された以上、俺が妨害に出ることは予測されてるだろうが、今のところは【機関】、或いは俺の独断行動だと思われてるはずだ。なら、姫薔薇と九郎の存在は今のところ勘定に含まれちゃいない。なら、俺が出来るだけ引き付けて、二人に浮いた戦力を刈って貰えば―」
「ああ、実に正しい。建設的な判断だな」
俺の言葉を遮る、窓の外から聞こえた、第三者の声。
「最も、悠長な考えでもある」
振り向いた先にいたのは、褐色肌の男。全てを見下すような瞳でこちらを見るその男の名を、俺は知っていた。
「【教会】、シーシャ・ティアーズ…!」
「ふむ、想定外といった表情だな。その反応は、正しい。余でさえ、このような学び舎に足を踏み入れるとは、予定外であった」
「は、長々と言い訳重ねてご苦労なこった。所詮、【管理局】に協力要請受けて、俺らを潰すためにここに来たってだけの話だろうが」
ティアーズの反応は予想外のものだった。
「協力要請?そのような戯言は耳には入らんのでな」
彼は初耳といった表情で首を傾げる。
「【征服者】、その力は余が頂くに値する数少ないものだ。いずれ手に入れるものなら、管理局の思惑に乗じてやっても良い。そう判断したまでよ」
「…史上最若で【管理局】に加入し、史上最短で【管理局】を抜けた、あんたらしい傲慢な考えだな」
「故に、余である」
【傲慢】の二つ名を持つこの男は、その名に恥じない傲慢さで、こちらを高みから見下ろすような態度を崩さない。
そして、その実力も傲慢さに恥じないものと聞く。
「最も、彼奴らが行動を起こすまで、時間はあるのでな。故に暇潰しの相手を所望している。近衛司、貴様のような強者であれば、その資格はあると言えよう」
「…さっきからうるせえなあ、ごちゃごちゃごちゃごちゃよお」
ティアーズに吐き捨てる、九郎。その九郎が、熱くなっている。比喩ではなく、事実、彼は燃えていた。全身を焼けつくような焔で纏い、戦闘態勢に入っていた。
まずい、熱くなりすぎている。ティアーズの能力は未知数、真っ直線に行って勝てる相手とは限らない。勝算の低い手で、戦力を見せてはいられない。
「てめえみてえな奴の相手をしてる暇はねえんだよ、こっちは!」
「待て、九郎!」
俺の静止は既に遅く、全身を轟々と燃やした九郎は一直線に、ティアーズに向かって飛びかかった。
はずだった。
「ぐおっ」
「…何だ?その男は」
九郎が、奴の下に届く前に、派手に転んだ。その転びようは実に無様かつ綺麗であり、一種の芸術にさえ感じるものであった。
しかし、派手に転んだ九郎ではなく、姫薔薇に注目して、奴は言った。
ティアーズの首もとから、血が滴り落ちていた。奴の手には、首から抜いたと思われる画鋲があった。その画鋲は地面に偶然落ちていたものが、九郎が転んだ際、偶然蹴り上げる形となり、偶然ティアーズの首もとに刺さったのだ。何という、不運。
実のところこの現象は、本当に偶然であり、不運でしかないのだ。
【指定危険生物】たる、十刻院姫薔薇と相対する以上、当然であり、覚悟しなければならない、単なる平常でしかないのだ。
「ふむ、分からんな。しかし、興味が湧いた。余が、貴様を見極めてやろう」
「一目見て分からない程度で、慧眼ぶんなよ、ざ~こ」
完全に姫薔薇に興味を向けたと見えるティアーズを、嘲笑うかのように姫薔薇は煽った。
「司、ここは姫に任せて行きなよ」
そして、それと同時に、俺に向けて姫薔薇が言う。
「大物食い、一度やってみたかったんだ。幸運、嫌不運にもこいつ、姫に相性悪そうだし?」
「…ああ、なら任せる」
姫薔薇は相手次第なら、俺を上回る戦力だ。その彼が、任せろと言うなら、俺はその言葉を信じて任せるだけだ。
「行くぞ九郎!」
「行かせるとでも?」
ティアーズが俺たちに向けて鎖を放った。奴の手元から無数に伸びるそれらを避けることは難しく思えた。だから、俺と九郎はそれを無視して、全速力で駆け抜けた。
当然のように、その鎖は見当違いの方向へ飛び、俺たちの行く先を遮ることはなかった。不運にも。
「その言葉、そっくり返してやるよ」
「やはり、面白い!」
嘲笑う姫薔薇、興奮したように笑うティアーズ。その二人を背後に残したまま、俺たちは学校を後にした。