表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/10

8.エリスの真相

 九州の片田舎から語学を学ぶために大学入学で上京してきたこと。

 学んだ語学を生かした仕事をしたかったが、ロスジェネ世代のあおりを受け就職できず、派遣を渡り歩いてきたこと。

 非正規社員故に給料も安く、節約を余儀なくされてきたこと。

 日々生きるのに精一杯で、恋人もろくにできないままこの歳まで生きてきたこと……。


 真宮は美來の手作り弁当を食べながら、黙って美來の話を聞いていた。


「最近思うんです。私の人生って、こうやって終わっていくのかなーって」

「人生、か……」


 美來の言葉に真宮がポツリとつぶやく。


「あ! すみません、せっかく来ていただいたのにつまらない話を延々と……」

「つまらなくはないさ。君の気持ちは痛いほどよくわかる」

「専務……」


 真宮はゆっくりと目を閉じると、何やら物思いにふけった。

 その表情は穏やかで、口元にはうっすらと笑みが浮かんでいる。


「僕だって、エリスと出会わなければ……」

「専務?」

「あ、ああ。ごめん。なんでもない」


 パッと目を開いた真宮は慌てて手を振った。


「ごちそうさま。とても美味しかったよ」

「い、いえ。お粗末様でした」


 空になったお弁当箱を受け取りつつ、美來は真宮の言葉が気になった。


(今、エリスって……) 


 美來の脳裏になな美の言葉が浮かび上がる。


『彼女の名は『エリス』という女性だったそうよ』


 噂になった恋人の存在。

 美來は気になったものの、聞くのはためらった。

 誰にだって触れられたくない過去はある。

 そんな美來の気持ちを知ってか知らずか、真宮はベンチで大きく伸びをした。


「うーん、春の午後は気持ちがいいねえ。桜も満開で正に見頃だ」


 真宮の言う通り桜は満開を誇り、時々吹く風にはらはらと優雅に花びらが舞う。

 春麗ら。暑くも寒くもなく、実に気持ちの良い休日の午後の公園。


「こんなにゆっくりと外で過ごすのは久しぶりだよ」


 満足そうに真宮が言った。


「専務は仕事のしすぎです。たまにはこんな風に寛いでお休みになって下さい」

「そうだな」


 そう言うなり真宮は、うつらうつらと船をこぎ始めた。


「せ、専務……?」


 真宮が美來の左肩に頭を預け、すうすう気持ちよさそうに寝息を立てている。

 昨夜がああだったのだし、それでなくとも真宮はよほど疲れているのだろう。

 すぐには目を覚ましそうになかった。

 真宮の体の重さはでも、美來には何故か心地良い。


(専務……こんな顔をして眠るんだ……)


 真宮が自分に無防備な寝顔を見せ、眠るのをずっと美來は見守っていた。


 しかし。


「……エ、リス……」


 真宮が小さく呟いた寝言を美來は聞き逃さなかった。

 その顔は心なしか苦渋に歪んでいる。

 ざわざわとまた美來の胸が騒ぎ始めた。


『エリス』……真宮のドイツに残してきた元恋人だったらしい女性ひと


 真宮と彼女の間に何があったのか知る由もないが、どのみち自分には何の関係もないことだと美來は思う。

 なのに何故、こんなに胸がざわつくんだろう。

 美來は自分の心模様を複雑な思いで見つめていた。



 ◇◆◇



「ん……」


 真宮は目を覚ますと、目の前の美來の寝顔にギョッとした。

 ものすごい近さで自分を見下ろしている。

 いや、正確には眠っている。

 その状況に、今自分がベンチの上で美來の膝枕で眠っていたことに気が付いて、慌てて飛び起きた。


「こ、小山くん……!」


 その弾みで、眠っていた美來が目を覚ます。


「……あ、専務。おはようございます」


 時計を見ると夕方の4時近く。

 全然おはようと言う時間ではなかったが、どうやら美來も寝ぼけているようだった。


「す、すまない。かなり寝てしまっていたようだ」


 真宮の「すまない」には、美來の膝枕の件も含まれていたが、彼女には通じていなかった。


「いいんですよ。私もちょうど眠かったので」

「そ、そうか」


 膝枕をしてもらうなど、十何年ぶりだろう。

 思った以上に熟睡していたことに、狼狽を隠せなかった。


「よほどお疲れだったんですね。気分は如何ですか?」


 ニコリとほほ笑む美來の姿に、真宮は一瞬目を奪われた。

 美來の笑顔、それを見て思わず「エリス……」と口にしたのだった。


「エリス?」

「あ、いや。なんでもない」


 慌てて口を閉ざす真宮。

 美來はためらいながらも尋ねた。


「エリスって……専務の恋人だった女性ひと……ですか?」

「…………」


 しばらく黙っていた真宮だったが、やがてポツリポツリと話し始めた。


「……エリスは。僕がリヒトのドイツ支社で働いていたとき、偶然出逢ったんだ」

「偶然?」

「ああ。彼女はよれよれの身なりで、虚ろな目をして路地を一人歩いていてね。それは今にも死んでしまいそうで、思わず声をかけたんだ。彼女は僕の呼びかけにも反応しなかったから、そのまま立ち去ろうとしたとき、一言呟いたんだ。「……エリス」と」

「エリス……」


 真宮は暫しそのまま黙っていた。

 回想に耽っているのだろう。

 目を瞑り、その顔はやはりやや苦渋を滲ませていた。


「それで、専務とエリスさんは……」


 おずおずと美來はその言葉を口にした。

 問うて良いことなのかどうかわからない。

 けれど、知りたかった。

 真宮とエリスはその後どうなって、そして何故、別れたのか。


「エリスは実はドイツの大富豪の娘でね。政略結婚が決まっていたんだ。彼女はそれを嫌がって着の身着のまま家出して、僕はそれを知らずに彼女を家に保護した。それでエリスがいつまで経っても見つからないから、彼女の家が公開捜索に踏み切って結局、エリスは泣きながら家に帰ったよ。僕に迷惑がかからないようにと……」


 真宮はそこで一旦、言葉を止めた。

 美來は、真宮の次の言葉を待った。


「エリスと一緒に暮らしたのは僅かな期間だった。でも、それは何にも変えがたい時間だった。何より、彼女が下した決断が僕の目を覚ませてくれたんだ。このままではいけないとね。僕は当時、ずっと「自分は何をしているんだろう」という迷いがあって、リヒトの社長令息という立場から逃げていた。でも、運命からは逃れられない。だったら、父の会社……リヒト・コーポレーションに生涯を捧げようと決心したんだ。エリスとの出逢いと別れがあったからこそ、今の僕がいるんだよ」


 美來は真宮の告白に静かに耳を傾けながら思った。

 過ごした時間は短くとも真宮にとって、エリスという女性は『永遠の恋人』なのだと……。


 また美來の心がざわざわと胸騒ぎ始める。

 どうして、自分はこんなに真宮の言葉、一挙一動に揺れるのだろう。

『エリス』の真相を知ったからといって、自分に何の関係があるというのか。


 まさか、自分は真宮のことを……。

 その考えを美來は必死で遮った。


「だから……専務はご結婚なさらないんですね……」


 ぽつりと呟いた美來の一言に、真宮は言った。


「結婚か……。今まで考えたことがなかったんだが、実は断るに断れない見合いの話がきていてね」

「お見合い、ですか」

「ああ。カクヨの令嬢との縁談がね。どうしたものか悩んでいるんだよ」

「カクヨって、あの文具メーカー最大手のカクヨ株式会社のことですか?」

「そうだよ。これはまだ社内重要機密なんだが。リヒトとカクヨの統合合併の方向で今、話が進行中で、同時に僕とあちらの令嬢との結婚話も持ち上がっていて。あちらの令嬢は僕とは一回り以上も年下なんだが、いわゆる閨閥結婚ってやつだよ」

「閨閥……」


 美來は自分とはあまりに住む世界が違い過ぎて、目眩がしそうだった。

 真宮の専属秘書とは言え自分は所詮ただのOLに過ぎない。

 片や真宮は一部上場企業の社長令息で、次期社長筆頭候補。やはり立場が違いすぎる。


「どうも気持ちの整理が付かなくてね」


 真宮は深い溜息をついた。

 その痩せた端正な横顔は形容し難い憂いを帯びている。


「エリスさんのことが忘れられないんですか?」


 美來はズバリと核心を突いた。


「わからない。ただ、彼女から先日久しぶりに手紙エアメールが来たんだ。もうほとんど諦めていた子供をようやく授かったと。彼女と同じ金髪碧眼のそれは可愛い女の子の写真が一葉……。そんな手紙を読んだから、夢にも彼女が出てきたんだと思う」


 しみじみと真宮は呟いた。


「小山くん。君はどう思う? 僕は見合い話を受けるべきなんだろうか」

「それは専務が決めることです」


 美來はぴしゃりと言い放った。



真宮とエリスの恋物語は「たこす様」が投稿されておられます。


「真一郎とエリス~純愛・サイドストーリー~」

https://ncode.syosetu.com/n6543gx/


併せてご覧下さい。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点]  おお、ここに来て、最大の恋の試練が。  なんだかんだ専務にハッキリと物を言う美來さんが、魅力的です。専務も気を許しているようで♡  この山場をどうやって乗り越えるのか、美來さんを応援して…
[一言] 某文具メーカーの合併騒ぎは記憶に新しいですが、あんな風にバッチバチに揉めるよりも、結婚で解決できるならそれはそれで平和なのかなあとも思ったり(本人たちの幸せはちょっとわかりませんけれど) …
[良い点] 居酒屋ではしゃぐ専務、いいですね。 公園デート、二人とも寝ちゃうところが可愛らしかったです。 永遠の恋人がいると、つらいですね。しかも大手企業の令嬢との縁談まで。 二人がいい雰囲気だか…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ