7.土曜のランチは公園で ☆
真宮はグイグイビールを飲み、お代わりを頼みながらB級グルメを楽しんだ。
見た目はもはや完全に中年のサラリーマンだ。
実際そうなのだが、美來からすると普段の真宮は変なところはあっても、落ち着いていてどこか抑制がきいていて紳士的だった。
でも、今夜の真宮はどうだろう。
まるで何かを忘れるかのようにガバガバと酒を重ねている。
(こんな専務……見たことない)
「どうしたんだね」
真宮に言われて、彼の食べっぷり、飲みっぷりに見惚れていた美來は、ハッと気づいて箸をとった。
「そ、そうですね! いただきます!」
「うん。今夜は僕のおごりなんだ。遠慮せず食べなさい」
「では遠慮なく。それと専務。女性と同じお皿の料理を食べるときは別の箸で取るのがマナーですよ」
「あ、そうなのか?」
真宮はすべての料理を自分の口に入れている箸でとってたことに気付いた。
「す、すまん。いつも一人で食事してたから……。追加で頼むか?」
「あははは、いいですよ。私は気にしないタイプですから」
そう言って、美來はいままさに真宮が食べていたホッケに手を伸ばした。
◇◆◇
「専務。真宮専務!」
「ううン……。なんだね、小山くん」
「専務、飲み過ぎです。もう帰りましょう。店もそろそろ閉まります」
美來は困惑していた。
この前とは逆のパターンで、今夜は真宮が酔い潰れている。
「店が閉まるぅ? じゃあそろそろ帰らないとな……。いや、今夜は帰さないぞぅ」
「もう、何を言ってるんですか、専務」
美來は酔いつぶれる真宮を肩に担いで会計に向かった。
さすがに酔った真宮から財布を抜くのは気が引けたため、ここの支払いは美來が受け持った。
(この前おごってもらったし、これでおあいこってことで)
金銭的にはつり合いがまったく取れていない気がしたが、そういうことにしておいた。
「さ、いきますよ。専務」
「……行くってどこへ?」
「か・え・る・ん・で・す!」
そう言って美來は酔いつぶれる真宮をひきずって『笑天』を出た。
時刻はすでに深夜。
終電は止まり、多くのタクシーが「さあどうぞ」と言わんばかりに待ち構えている。
「専務、この時間だとタクシーになっちゃいますけど、ひとりで帰れますか?」
問いかけるも真宮は酔いつぶれてうんともすんとも言わない。
美來がタクシーに乗って真宮の住むマンションまで送ってあげようにも、部屋の鍵がどこにあるかがわからない。
「これは本格的に困ったわ……」
さすがに自分のアパートに引き入れるのも気が引ける。
そんな彼女に、ふと駅前のビジネスホテルが目に止まった。
(ほんと、この前と真逆ね)
かかった費用は2倍も3倍も違うでしょうけど。とつぶやきながら、美來はビジネスホテルへと真宮を引きずって行った。
◇◆◇
真宮は夢を見ていた。
金髪の女性が涙を流しながら自分に向かって何かを言っている。
しかし何かは聞き取れない。
いや、聞こうとしていないのかもしれない。
微笑む彼女にそっぽを向く自分。
女性の腕には赤ん坊が抱かれていた。
彼女によく似た可愛らしい赤ん坊だ。
そして、その脇には一人の男性。
顔は暗いシルエットで隠れていて見えない。
男性は女性の肩に手を置いて、微笑んでいる。
女性は複雑な表情を浮かべながらも、真宮につぶやいていた。
何かは聞き取れないが、何を言おうとしているのかだけはわかった。
「あなたの一番の幸せを見つけて」
真宮は苦しい表情でそんな彼女に顔を背ける。
やがて、女性は赤ん坊を連れて男性とともに去って行った。
真宮はそれを見送ると、ポツリとつぶやいた。
「エリス……」と。
◇◆◇
スマホの音で真宮は目を覚ました。
見慣れない天井。
パリッとしたシーツ。
狭い室内。
小さなテーブルの上に置かれたスマホが軽快な音楽を奏でている。
「Ja, Hallo?(はい、もしもし)」
『……え、えっと。専務の番号ですか?』
「……あ、ああ。すまん。小山くんか。おはよう」
思わずドイツ語で返答していたことに気づき、慌てて訂正する。
『専務、昨夜のこと覚えていらっしゃいますか?』
「ええと……。君と居酒屋でいい気分で飲んでいて……」
『酔い潰れてしまわれたんですよ。それで、駅前のビジネスホテルにお連れしました。宿泊費の支払いは済んでいます。チェックアウトは10時ですから、それまでにチェックアウトなさって下さいね』
「今、何時かね?」
『9時過ぎです』
「そうか……。すまんな、小山くん」
真宮はしみじみと呟いた。
部下の女性にそんなことをさせるなど論外だ。男が廃るにも程がある。
「君に居酒屋の費用も出させてしまったんだろう? 今からシャワーを浴びて出る準備をするから、ランチを一緒に摂らないか? 勿論、今度こそ僕のおごりだ」
『いえいえ! そんな。先日、専務におかけしたご迷惑に比べたら……』
「いや、これじゃ僕の顔が立たない。それとも、何か用事があるのかい?」
『いえ、暇ですけどでも……』
「だったら是非」
スマホの向こうで固辞する美來に真宮は食い下がった。
『……では。専務が連れて行って下さるような高級なお店ではなく、公園でお昼を食べませんか?』
「公園?」
『ええ。たいした物は用意できませんが、お握りと玉子焼きくらいでよろしければ』
「君の手作りの弁当を公園で食べるということかい?」
『まあ、そういうことです』
「そりゃあいいな!」
真宮の声が弾んだ。
春爛漫の今時分、季候もいい。
公園で手作り弁当のランチをするなんて、子供時代以来のちょっとしたピクニックではないか。
しかし。
すぐに真宮は考え込んだ。
「でもそれではまた小山くんに……」
これでは真宮のメンツは丸潰れのままだ。
それ以前に、これ以上美來に負担をかけることは避けたい。
逡巡している真宮にしかし、美來は穏やかに言った。
『12時に王司中央公園の時計台の下でお待ちしております』
そうして、美來と真宮は、土曜日の昼食も共にすることになったのだった。
◇◆◇
「小山くん!」
「専務」
郊外の広々とした『王司中央公園』の時計台の下で真宮を待っていた美來のもとに、真宮が歩み寄ってきた。
「すまん。待たせたかい?」
「いえ。時間通りです」
美來はにっこりと笑って言った。
「小山くん」
「何ですか」
「いや……。なんだかいつもと雰囲気が」
真宮はしげしげと美來を見つめた。
美來はグレーの七分袖チュニックの上から薄手のコーディガンを軽やかに羽織り、黒のレギンスの足下には白いサンダルを履いている。
「秘書とはいえ休日ですから。公園でお弁当を食べるのにスーツを着る必要はないでしょう? 動きやすいラフな格好が一番です」
そう言って笑む美來がなんだか真宮にはやけに眩しい。
「あそこのベンチに座りましょう」
美來が指したのは、満開の桜の木の下にある木製のベンチ。
他にもベンチは幾つもあり、カップルや家族連れが花見をしながら寛いでいる。
美來と真宮は少し間をあけて、ベンチに並んで座った。
「おしぼりです、専務」
「ああ、ありがとう。気が利くね」
「いえ。これ、お口に合うかわかりませんが」
おしぼりで手を拭いた後、美來は持ってきた二段弁当を広げた。
一段目には、梅とおかかと鮭の三角お握り。二段目には出汁巻き玉子にタコさんウィンナー、唐揚げ、牛肉の甘辛煮など定番中の定番のおかずが入っていて、茹でた緑のブロッコリー、赤いプチトマトが彩りを添えている。
「美味いな! この梅のにぎり飯。それに玉子焼きも出汁加減が絶妙だ」
真宮はそう言うと、上機嫌で美來の弁当にぱくついた。一時間かそこらで作った弁当とは思えない味だ。
「梅干しは毎年漬けているんです。学生時代からですからもう約二十年になります」
「小山くんは料理上手なんだな」
「そんなことないです。私……リヒトみたいに立派な社員食堂のある会社に勤めるのは初めてで。お弁当を作るのも自炊も当たり前のことですから……」
俯きながら、ポツポツと美來は自分の身の上を語り始めた。
作中挿絵は汐の音さまに描いて頂きました。